お慕いしています ようやくベッドから起きられるようになったマトリフは、さっそく部屋から抜け出していた。
「ったくよぉ……」
マトリフの手には杖があった。片脚の固定はまだ取れていない。回復呪文の使用は体力回復の妨げになるといって使用を禁止され、ただ自然治癒に任せていた。
しかしあてがわれた病室は常に神官がいて息が詰まる。ときたまやって来る大臣の嫌味も聞き飽きた。もうやってられないと、マトリフはなんとか神官の隙をついて部屋を抜け出してきた。
「ふぅ……はぁ……」
マトリフは少しも歩かないうちから息が切れはじめた。ずっとベッドで寝ていたからすっかり体力も筋力も落ちている。やはり部屋で大人しくしておくべきだったかと思っていると、若い神官がこちらへ走ってきた。
「もう見つかったのかよ」
また退屈な部屋に連れ戻されるのかと思っていると、その若い神官は心配そうにマトリフの腕を支えた。
「どうされたのですか大魔道士様」
「あー……ちょっと小便」
「わざわざいらっしゃらなくても病室に溲瓶がありますよ。部屋の神官たちは何を……大魔道士様をお一人にするなんて」
よく見ればこの若い神官は見たことがなかった。普段病室に出入りしている神官の顔は覚えている。この若い神官は真面目そうで、他の神官たちが仕事を放棄しているのではないかと憤慨しているようだ。
「あのよ」
マトリフは声を落として囁いた。若い神官はかしこまった顔でマトリフを見る。
「ちょっくら息抜きがしたいんだ」
「息抜き?」
「あんな病室に閉じこもってたら治るもんも治らないだろ。だからすこーし外の空気が吸いてえんだ」
「そうでしたか。確かに新鮮な空気で気も晴れますでしょうね」
若い神官はこちらが心配になるほど素直だった。このままの勢いで撒いてやろう。マトリフはじゃあなと手を上げようとして、その手を神官に掴まれた。
「では私がお供いたします。大魔道士様に何かあっては大変ですから」
「いらねえよ。オレは一人で」
「いえ!」
若い神官は大きな声で言うときらきらと輝く眼差しを向けてきた。
「実は私、こうして大魔道士様とお話しできる機会をずっと待っておりました。是非大魔道士様にご教授頂きたく……少しでもお話を聞きたくてお部屋付きでお世話をする係に立候補したのですが先輩たちに取られてしまい……陰ながら大魔道士様のお召し物を洗濯する係に従事しておりました」
「へ、へえ。そうかよ。ご苦労さんだな」
突然に熱が入り出した若い神官にマトリフは身を引いた。だが若い神官はずいと身を寄せてくる。
「私ずっと大魔道士様に憧れておりました!」
廊下中に響くほどの大声で若い神官は言う。兵士たちが何事かと集まり出した。遠くから「あんな所におられたぞ」という神官たちの声も聞こえてくる。
「あーあ」
短い逃走劇だったとマトリフはため息をつく。このまま病室に連れ戻されるだろう。そうなれば神官たちの目はさらに厳しくなる。
だがマトリフはこの若い神官を悪く思えなかった。真っ直ぐな眼差しで憧れると言われることに好敵手を思い出していたからだ。
「部屋まで手を貸してくれ」
「息抜きはよろしいのですか?」
「今からお前さんの先輩神官たちにお説教をくらうんだよ」
「ではご一緒させていただきます!」
何が嬉しいのか満面の笑みの若い神官にマトリフはつられてしまう。慕われて悪い気はしない。残った人生を若者たちの育成に使いたいという気持ちも今ならわかる。マトリフはもう少しこの国に留まろうと思った。