凍れる未来 マトリフは目の前に広がる凄惨な光景から目が離せなかった。家並みは押し潰され、所々で火が上がっている。それが月のない晩をポツポツと照らしていた。逃げ惑う人々の悲鳴が既に弱々しい。この蹂躙は長く続いていたらしい。
「た……助けて……」
逃げ遅れていた人を瓦礫から引っ張り出してマトリフは回復呪文をかける。しかしそれを終えるとすぐに飛翔呪文で飛んだ。これをやったのは間違いなくガンガディアだ。その姿を探す。巨体はすぐに見つかった。
「おや大魔道士、遅かったじゃないか。私の準備運動はとっくに済んでいるのだよ」
ぐしゃり、と手に持っていた何かが潰れて落ちていった。ガンガディアはその気になればこの街を消し炭にすることも出来ただろう。それをせずに半壊程度に抑えていた。それらは全てはマトリフを誘き出すためだ。
ハドラーが勇者と共に凍りついて数ヶ月。お互いに指針を失ったまま、それでも戦いは続いていた。しかし以前とは形勢が変わってしまっている。以前は魔王軍が勇者たちを追い回していたが、今ではマトリフがガンガディアを追っていた。ガンガディアが街を破壊し、それをマトリフが止める。それの繰り返しだった。今は真夜中だが、つい数時間前の昼間にも同じように破壊行為が行われた。体力も魔法力も回復する間もない。
マトリフはガンガディアの言葉に答えずにマヒャドを放つ。そしてすぐに距離を取った。ガンガディアもマヒャドを放って呪文を相殺するだろう。その隙にマトリフは極大閃熱呪文を作った。弾けるような音がして相殺されたマヒャドがあたりに霧をつくる。それがマトリフの姿を隠した。手の中では極大閃熱呪文が完成している。既にマトリフの息は切れていたが、残りの魔法力を考えたら短期決戦でないと勝てない。
「まだそんな呪文を隠していたか」
ガンガディアの声に方向を定めて呪文を放つ。しかしそれよりも早くに棍棒がマトリフを強かに打ち付けた。呪文は半端にかき消える。マトリフは地面に叩きつけられた。
痛みを感じるより先に回復呪文をかける。意識を失ったらそこで終わりだ。なんとか立ち上がれるまでに回復させる。
「これだから回復呪文を使える者との戦いは厄介だ。私は長く楽しめるから嬉しいがね」
すぐにガンガディアの腕が伸びる。なんとか飛翔呪文で飛び上がるが間に合わなかった。マトリフはガンガディアの手に鷲掴みにされる。
「うぐぁッああ!」
少し力を込められただけで骨が軋んだ。それだけで反撃する気力を削がれてしまう。
「おやおや、やはり体力の限界か。呆気ない」
「ぐ……殺すなら……さっさとしろ」
「まさか。君を失うなんて耐えられない」
ガンガディアは炯々とした瞳でマトリフを見ていた。それが本気の言葉であるとマトリフもわかっている。ガンガディアはハドラーを失ってたがが外れてしまったのだ。このままでは最も忌み嫌っていた理性のない魔物になってしまう。既にその凶暴性を理性で抑えきれなくなっていた。
ガンガディアは手を離した。マトリフの体は地面へと落ちる。
「さあ立て。私と勝負しろ大魔道士。昼間のように逃げたらまた別の街を破壊する」
「くそッ……」
立ちあがろうにも体に力が入らなかった。回復呪文をかけ続けているが追いつかない。遠くに悲鳴が聞こえる。ガンガディアは部下たちも連れてきたのだろう。それが離れた場所で暴れているらしい。このままではこの街は全滅だ。
助けてくれ、という声がどこからか聞こえる。ガンガディアは笑みを浮かべていた。興奮と嗜虐が入り混じったぞっとする笑みだ。マトリフはよろめきながらも立ち上がる。呪文を作るために両手を握りしめた。
「それでこそ大魔道士だ」
「ほざいてろ」
「だが遅い!」
ガンガディアの腕が振り上げられる。マトリフは手の中に作った二つの呪文を構えた。そのうちのひとつをガンガディアの腕めがけて放つ。それは氷系呪文で、ガンガディアの腕を凍りつかせた。マトリフはすかさずもう一つの呪文を放つ。
「五指爆炎弾!」
五つの火炎呪文がガンガディアに向かって飛んだ。この距離では避けられない。すぐにマトリフは飛翔呪文で飛んだ。そのまま暴れている魔物へ呪文を放つ。それで限界だった。マトリフは地に手をついて呻く。すると地響きがした。それがガンガディアの足音だとわかる。
「……やはり君でなくては……君でなくては!」
焼け焦げた体でガンガディアが笑う。マトリフは迷わずに瞬間移動呪文を唱えた。命までくれてやるわけにはいかない。
着地もままならずに地面に倒れ伏す。すぐに小屋からブロキーナが出てきた。ブロキーナはマトリフに肩を貸すと回復呪文を唱える。
「いくら君でも無茶だ」
「無茶でもしねえと助けられねえ……ッぐぅ」
マトリフは胸を押さえて膝をついた。五指爆炎弾の余波が今になって体にきた。
「そんな無茶を続けたら体がもたない」
「どうせ先が短いんだ……構わねえよ」
ブロキーナに支えられながら小屋へと入る。一本だけの蝋燭が机の上で灯っていた。その横には凍りついた勇者がいる。蝋燭の淡い橙の光に照らされていた。
凍れる時の秘法が未完成なら解ける可能性はある。しかしそれがいつになるのか、本当に解けるのかはわからなかった。
このままでは駄目だとわかっている。禁呪法まがいの呪文を使ったところで体を悪くするばかりだ。
マトリフは窓から外を眺める。魔王の邪気も凍りついたせいで森で暴れる魔物もいない。ひっそりと息を潜めるように時間が過ぎていった。