恋愛相談 キギロは空を見上げる。丸く囲まれた空は、今日も青かった。
キギロは挿木だ。地底魔城へと下りる階段の、ちょっとした隙間に植わっている。まだ小さいために自由に歩くことも出来ない。だから日がな一日空を見上げるくらいしかする事がない。だから話し相手は大歓迎で、少々気に入らない相手でもいいから暇潰しに話をしたいくらいだった。
だが、誰でもいいというわけではない。例えば、今こちらに歩いて来ている人間なんてもってのほかだった。
「よお、雑草」
大魔道士と呼ばれる人間がキギロを見下ろして言った。キギロは小さな手を握り締める。
「もしそれがボクを呼んだのだとしたら許さないよ」
大魔道士はキギロの言葉を気にする風もなく隣に腰を下ろした。大魔道士は帽子を脱ぐとクッション代わりに背に置いている。
「ちょっとバルトスさん、侵入者ですよ!」
キギロは動けないものだから叫ぶしかない。だが大魔道士は焦る様子もなく手を横に振った。
「バルトスならヒュンケルと親子遠足だぜ」
「あれ、それ今日だっけ」
キギロは数日前に聞いた話を思い出す。ヒュンケルが通う保育園の親子参加の遠足が、そういえば今日だったかもしれない。代わりに侵入者があったら撃退してやりますよぉ、とキギロは安請け合いしたのだった。
「ガンガディアがそう言ってたぞ」
「待って。情報漏洩が過ぎるでしょ」
一応この大魔道士達とは敵対しているんだから、こちらの勤務状態を簡単に喋っていいはずがない。そういえばガンガディアはどこに行ったのか。いつもあれほど大魔道士大魔道士と騒いでいるのに。
「ガンガディアならヒュンケル達を遠足の集合場所までルーラで送ってから図書館へ行くんだと」
「ボクがワンオペってコト!?」
挿木には荷が重いよ。だって動けないんだよ。キギロは同僚達の自由な勤務状態にため息も出ない。
「っていうか、じゃあアンタはなんで来たわけ」
キギロはこの大魔道士とガンガディアが付き合っている事を知っている。というか普段からガンガディアに惚気話ばかり聞かされている。
大魔道士は俯くと少しばかり躊躇ってから言った。
「ちょっと相談に乗ってほしいんだが」
「は? なんでボクが」
「おまえはガンガディアと仲がいいだろ」
キギロは顔を引き攣らせた。自分とガンガディアの関係を仲が良いなんて言われるとは思っていなかったからだ。たしかに雑談くらいは聞いてやるが、別に友達なんかじゃない。
「タダでとは言わねぇ」
大魔道士は言うと懐からボトルを取り出した。ボトルにはラウンドアップと書かれている。
「それ除草剤!」
「即効持続タイプのな」
「ホームセンターで栄養剤と除草剤を間違えて買っちゃうおじいちゃんか。ワザとなの? それとも脅しのつもり?」
「まあ一杯やれよ」
大魔道士はボトルの蓋を開ける。シャワータイプだからかけやすい、じゃないよ。
「やめろやめろ! 話を聞けばいいんだろ!」
大魔道士は除草剤を置いた。蓋はちゃんと閉めてほしいし、そんな不安定な場所に置かないでほしい。別に人間の除草剤なんて効かないけどね、とキギロは思ったが口には出さずにおいた。
「相談はガンガディアのことなんだけどよ」
話し始めた大魔道士を見て、キギロはガンガディアが帰ってきたらこいつと別れるように勧めようと決意した。
***
キギロは話すのが好きだ。そして聞くのも嫌いじゃない。惚気話だって、暇潰しくらいにだったら聞いてやってもいい。
だがキギロは今すぐに逃げ出したかった。根っこが急激に成長してくれることを祈ったが、どうやら魔界の神には届かなかったらしい。大魔道士はキギロが逃げられないのをいいことに話し始めた。
「あいつって全然甘えてこねぇんだけど、どうしてだと思う?」
「うわっ……聞きたくないタイプの惚気」
「惚気じゃねえよ。なあ、あいつってここでもそんな感じなのか」
キギロからしたらガンガディアがこの大魔道士にゴロゴロ甘えている姿なんて想像したくもないのだが、どうやら大魔道士はガンガディアが甘えてこないことが不満らしい。
「ガンガディアは一人で抱えて不満を溜め込むタイプだからねえ。前にワンオペしたときなんて酷いもんだったらしいし」
その現場をキギロは見ていないのだが、バルトスから聞いた話では日に日にストレスを溜めて、暗黒闘気でも纏っているようになっていったらしい。ワンオペでないときでも、ガンガディアから相談以外の頼まれごとなんてされた事がなかった。ガンガディアは常に己を厳しく律しているから、他人を頼るなんて出来ないのだろう。
「甘えろって言えばいいじゃないか」
「言った」
「言ったんだ……」
あーやだやだ想像したくない。この性悪大魔道士が照れながら堅物ガンガディアに「おまえさ……ちったぁオレに甘えてもいいんだぜ」とか言ってるのなんて鳥肌が立っちゃう。
「それで?」
「善処するって言われたけど、全然変わんねぇ」
「別に甘えられなくてもいいじゃん。手がかからない自立した理想のパートナーって感じで」
「オレは手のかかる奴を甘やかしてぇんだよ」
「あんたの癖とか聞きたくないってば!」
じゃあなんでガンガディアを選んだんだよ、とキギロは言いそうになるのを止めた。代わりに別の言葉を選ぶ。
「だったらガンガディアと別れて別の手のかかる奴と付き合えばいいじゃん」
そうすればこの大魔道士はここへ来ることもないだろうし、ガンガディアから惚気話を聞かされることもなくなる。一石二鳥だとキギロは思った。
だが、大魔道士は目をスッと細めるとドスのきいた声で言った。
「は? ふざけんなよ」
マヒャドかと思うほどの冷たさの声に、キギロは木の葉が震えるのを感じた。ふざけんなよはこっちのセリフなんだけど。
「オレはガンガディアを甘やかしてぇんだよ」
「知るかよ!!」
「そうか。しょうがねぇ……」
大魔道士の手が除草剤に伸びる。キギロは小枝を振り回して身を守った。
「あーあーもう! ガンガディアは強引に甘やかしてやればいいんだよ! アンタが甘やかしたいってワガママを言えばガンガディアは聞くって!」
大魔道士は少し考えるようにしてから、除草剤を置いた。
「なるほどなぁ」
大魔道士は素直に感心したように呟くと立ち上がった。帽子についた砂埃を払うとそれを被る。
「あんがとよ」
用は済んだとばかりに大魔道士はルーラを唱えた。キギロはその後ろ姿に舌を出す。あぁ清々したと思っていたら、ルーラの勢いのせいか除草剤のボトルがぐらりと揺れた。それがキギロに向かって倒れてくる。蓋は開いたままだ。キギロは悲鳴をあげて身を屈めたが、なにもかからなかった。見ればボトルは倒れているが、中は空っぽのようだった。
「最低!!」
キギロは小枝を振り回して怒ったが、とっくにルーラで飛び去っていた大魔道士には届くはずもなかった。
***
マトリフは魔道図書館へ足を踏み入れた。館内はしんと静まり返っている。ガンガディアを探して何階か見て歩くと、随分と奥まった場所でその姿を見つけた。ガンガディアは長椅子に座って本を読んでいる。
マトリフは声を掛けることもなくガンガディアの隣に座った。読んでいる本を覗き込むと、それは恋愛小説だった。マトリフは意外に思ってガンガディアを見上げる。
「どうかしたのかね」
ガンガディアは本から視線を外さないまま、小さな声で言った。
「いや……おまえはこういうのに興味ないのかと思ってた」
「興味はない」
ガンガディアは即答すると本のページをめくった。目は文字を追って動いている。
「だったらどうして読んでるんだよ」
ガンガディアはその問いには答えなかった。集中して本を読んでいるようで、また手がページをめくる。
「おい」
マトリフは焦れてガンガディアの腕を掴んで揺すった。
「ガンガディア」
「静かにしたまえ」
ガンガディアは眼鏡を押し上げて言う。マトリフはそんなガンガディアの様子を見て、トベルーラでふわりと浮き上がった。手を伸ばしてガンガディアの顔を掴むと、ぐいっとこちらに向かせる。
「なにかね」
ガンガディアは声をあげてから、図書館では静かにという規則を思い出して顔を顰めた。マトリフはその額を指で突いた。
「おまえの恋人は寂しがり屋だからちゃんと構えよ」
ガンガディアは瞬きをてマトリフを見返した。だがすぐに視線が本へと移る。
「しかしこれを読んでいる途中で」
「続きなんていつでも読めるだろ」
ガンガディアは少し考えてから、仕方ないといった様子で溜め息をついた。本にはしおりが挟まれる。ガンガディアは自分の横のスペースを音もなく叩いた。
「座ってはどうかな」
「おう」
マトリフは笑うと椅子ではなくガンガディアの膝に腰掛けた。そのまま分厚いガンガディアの胸へともたれる。素直に甘えてくる様子にガンガディアは不思議そうに言った。
「今日はどうしたのかね」
「オレだってたまには甘えたいときがあるんだぜ?」
そう言ってマトリフはガンガディアを見上げる。ガンガディアはそれを見ると思案するようにしてから、大きな手をマトリフの頭に乗せた。そのままゆっくりと撫でられる。その心地良さにマトリフは目を細めた。
「……なぁ」
マトリフは甘さを含んだ声で囁いた。ガンガディアの手が止まる。
「なんだね」
「おまえもオレに甘えてみないか」
「私に甘えなど不要だ」
ガンガディアは迷うことなくきっぱりと言った。
「いつもオレのこと甘やかしてんだろう。少しはお返しさせてくれてもバチは当たらねぇぞ」
ガンガディアは困ったように黙り込んだ。そして先ほど読んでいた本をマトリフに見せた。
「君は前にも同じことを言っていたので、私なりに恋人同士の甘えについて調べていたのだが」
「……まさかそのために恋愛小説を読んでいたのかよ」
「そうだ。だが私は甘えるというのがよくわからない」
マトリフはガンガディアから本を受け取ると、パラパラとページをめくってみた。どうやらガンガディアは本の選択を誤ったらしい。これは恋愛小説の中でも、少々異端というか、珍しい部類だ。少なくとも恋人同士の甘酸っぱいやり取りや、可愛らしく甘える様子などあるとは思えない。マトリフはパタンと本を閉じて椅子の上に置いた。
「そりゃおまえは努力家だもんな。なんでも自分でやっちまうし、実際に出来るからな」
マトリフはそんなガンガディアを純粋に凄いと思っていた。ただ恋人としては、弱い姿を見せないことに少しの寂しさを感じる。するとガンガディアはぽつりと言葉をこぼした。
「私は君に無様な姿を見せたくない」
マトリフはガンガディアを見上げる。ガンガディアはまるで懺悔でもするように俯いていた。まるでマトリフに失望されるのがこの世の終わりであるかのようにガンガディアは言う。ガンガディアにとっては甘えは弱さや未熟さなのだろう。だからマトリフには余計に甘えられないようだ。
マトリフはガンガディアの手に手を重ねた。
「あんま見くびるなよ。おまえが情けなくたって弱くたって、愛想を尽かすわけねぇだろ」
「しかし」
「どんなおまえだって、オレは愛してやるよ」
マトリフはガンガディアに向けて両手を広げた。そして催促するように指を曲げ伸ばしする。
ガンガディア少し躊躇ったが、先ほどのマトリフの言葉に背中を押されてそっと手を伸ばした。その小さな体に抱きつく。ガンガディアはその不思議な感覚にそっと息をついた。安心と気恥ずかしさが入り混じっていて落ち着かない。だが心の柔らかい部分を包まれるような気がした。
「……これでいいのかね?」
「まだ序の口だけどな」
マトリフはガンガディアの頭を満足そうに撫でている。その口の端が吊り上がっていた。
「次はキスをねだってみな」
「さすがにそれは……」
渋るガンガディアの首筋にマトリフは音を立ててキスをした。ガンガディアの言葉を誘うように喉元に短いキスを繰り返す。
「おまえだってキスは嫌いじゃねえだろ」
「このような場所で……」
「いいんだよ。ここには誰も来ねぇ」
「しかし」
ガンガディアは落ち着かないように辺りを見ている。英霊がこんな隅まで来ないことはここ数時間のあいだ本を読んでいて知っている。だがどうにも落ち着かなかった。
「オレのワガママをきいてくれねえのか?」
ガンガディアは言葉に詰まった。逡巡してから聞き取れないほどの声で呟く。
「……キスをしてくれないか」
「いいぜ」
マトリフはガンガディアの唇を奪う。先程よりも長く深い口づけにした。ガンガディアは小さな要望が叶えられることに達成感のようなものを感じた。それは一人で何かを成し遂げる時とはまた違った感覚だった。
やがて唇を離すと、二人は同時に熱い溜め息をつく。視線が絡み合った。
「甘えてみるってのもいいだろ?」
マトリフは妖艶に笑うと、ガンガディアの胸に手をやった。分厚い胸筋を指先で撫でる。
「次はどうして欲してほしい?」
ガンガディアはその手を振り払うこともせず、ただじっとしていた。
「どうした」
反応のないガンガディアを不思議に思い、マトリフは首を傾げる。
「いや」
ガンガディアはマトリフの肩に手をやり、ゆっくりと身体を離した。
「これ以上は駄目だ」
「どうしてだよ」
「私が抑えられなくなる」
「抑えなくたっていいじゃねぇか」
「場所を考えてくれ」
「そういうのも悪くねぇだろ?」
ガンガディアは首を振るとじっとマトリフを見つめた。
「私の欲より君の方が大事だ」
マトリフは押し黙ると、ガンガディアから降りた。それから不機嫌そうに目を逸らす。
「つまんねぇの」
「すまない」
しかしマトリフはその気になっていた。薄らと血色のよくなった顔でちらりとガンガディアを見る。
「……ここじゃなきゃいいのか?」
マトリフの言葉に、ガンガディアは耐えていたものが切れる感覚がした。ガンガディアはマトリフを抱き上げると無言で階段を上がって魔道図書館を出るとルーラを唱えた。
地底魔城にルーラの着地音が響く。キギロはその音に目を向けてから、嫌そうに表情を歪めた。大魔道士を抱えたガンガディアが足早に自室へと向かっていく。これから二人が何をするのかなんて一目瞭然だった。
「ちょっとさぁ……」
キギロの呟きは青空に吸い込まれていった。