ガンマトアドベントカレンダー11恋の物語
これは恋の物語だ。誰に語り聞かせるわけでもないが。
はじめてマトリフに出会ったとき、その鮮やかな魔法は私の世界を変えてしまった。
二度目に会ったとき、その存在にどうしようもなく憧れた。それから私はいつもマトリフのことを考えていた。その魔法と知恵は、私が欲して止まないものだった。
三度目に会ったとき、私は勝利を確信した。この拳があの小さな体の骨を砕く感触がわかった。ようやく勝てると思うと、どこか惜しい気がした。
するとマトリフは血を流しながら、私を褒めた。それは今まで生きてきた中で、一番の喜びだった。
私は魔王を探す中で、少しの期間をマトリフと過ごした。マトリフは決して魔王の居場所を言わなかったが、その少しの停戦が、その後の私たちを変えるきっかけとなった。
これは恋の物語だ。どこへ行き着くとも知れない、二人の物語だ。
2わたあめを作ろう
それは綿菓子だとマトリフは言った。見た目は雲のようだった。
マトリフは器用に二つの呪文を操りながら、その菓子を作っている。熱と風を利用して、砂糖を熱しながら細く長く形を変えていく。糸よりも細いそれは最初は小さな塊だったが、みるみる膨らんでいった。
「君は手品師にでも転職する気かね」
それが今必要な呪文であるわけがないことはマトリフもわかっていたはずだ。我々に必要なのは凍れる時間を解く呪文で、砂糖菓子を作る呪文じゃない。だからこれは息抜きか気紛れなのだろう。
「これで結構稼げる気がするな」
「冗談だ」
「わかってる」
マトリフは呪文を止めると砂糖菓子をそっと手に持った。そして私に差し出した。
「やるよ」
「私に?」
「オレは綿飴なんて食わねえ」
ではなぜ作ったのか、と言いそうになるのを堪えた。綿飴を受け取る。柔らかいそれは押すとすぐにへこんでしまう。私はそれをそっとちぎった。
ゆっくりと口に入れる。すると途端に溶けていった。同時に甘さが口いっぱいに広がる。甘いものを口にするのは久しぶりだった。もう一口、と綿菓子をちぎって口に入れる。もう一口、もう一口と食べているうちに、綿菓子はすぐになくなってしまった。
マトリフはなぜか嬉しそうに私を見上げている。何が面白いのだろうか。私はベタベタの手をペロリと舐めた。
3あなたへの手紙
突然の手紙で驚いただろうか。君が全く話を聞いてくれないから、こうして手紙を書いている。悪筆ですまないね。この大きさの便箋に合わせて文字を書くのは初めてなんだ。
私と君が敵同士だったを変えることはできない。君の最大の懸案事項はそれだろう。だが、いい加減に素直になるべきだ。私は君を尊敬していると何度も伝えた。君だって、私のことを憎からず思ってくれているはずだ。私の認識が間違っていなければだが。
私は人間の感情の機微がわからない。だが君のことは深く理解しているつもりだ。僅かだが一緒に過ごしたあの時間を君も忘れていないだろう。私は君と一緒にいたい。君も同じように思ってくれるだろうか。
君からの返事がなければ私は魔界へ行こうと思う。地上は君との思い出が多すぎて、君を思い出さずにはいられない。
くれぐれも体に気をつけてくれ。もう二度とあんな無茶な戦い方はしないと約束して欲しい。平和になった今では杞憂だろうが。
君を心から愛している。何度伝えても言い足りないほどに。
4スペシャルな一日
地底魔城に響いたルーラの着地音に、ガンガディアは本から顔を上げた。今にも走り出そうとする脚を宥めて、ひとつ息をつく。
私は手に持っていた本を机に置いた。机には本棚から取り出した本が積まれている。本棚はほぼ空っぽだった。
「ガンガディア!」
荒い足音と共に扉が開かれた。マトリフは肩で息をしている。その手には手紙が握りしめられていた。それは半月ほど前に届けた手紙だった。どうやらようやく読んでくれたらしい。
「やあ、大魔道士。そんなに慌ててどうしたのかね」
「おまっ……おまえが魔界に行くとか書いてるから!」
「ああ、そのために荷物を整理しているところだ。蔵書が多くて手間取っていてね。少し本を減らそうかと思っていたところだ」
「嘘だろ、なあ」
マトリフは私の服を掴んで見上げてくる。冷静が常の大魔道士が、随分と焦っている様子だ。
「なぜ嘘をつく必要が?」
「オレが悪かった。この手紙もさっき読んだとこなんだよ」
マトリフは後悔するように手紙を見た。もっとも、私もマトリフがその手紙をすぐに読むとは思っていなかった。だが半月も待たされるとは予想外だった。
「さよならを言いにきてくれたのかね」
「ばっか違ぇよ! 行くなって言いにきたんだよ! オレも……お前と一緒にいたいんだよ」
私はようやく聞けたマトリフの本音に笑みを浮かべる。ああ本当に、この人は。
5安心感
ふとした時に、心地良さを感じる。すぐ傍にガンガディアがいるときだ。手を伸ばせば届きそうな距離ではあるが、触れ合ってはいない。
その横顔をこっそりと盗み見る。真剣な眼差しは本に注がれていた。ページをめくる微かな音がする。
「私に何か用でも?」
視線に気付いたのか、ガンガディアは本から顔を上げた。その視線がこちらへと向く。
「いいや。なんでもねぇ」
ひらりと逃げるように立ち上がる。少々の気恥ずかしさはいつまで経っても消えてはくれない。一緒に生活をしてしばらく経つが、慣れるまではまだ時間が必要だ。
だが、触れたいと思えば手を伸ばせる距離にガンガディアがいる。そのことに心は安らいだ。その存在を愛おしく思う。めったに口には出さないが。
6肌にふれた感触
青い肌をじっと見つめる。その色から冷たいのだろうかと思い、そっと指を滑らせた。
「なっ……」
ガンガディアは上擦った声をあげて身体をびくつかせた。その驚きようにマトリフの方が驚いてしまう。
「何かね?」
ガンガディアは驚いた事を恥じたように眼鏡を押し上げた。マトリフはガンガディアに触れた人差し指を親指で撫でた。
「思ったより体温が高いな」
「身体が大きいのだから当然だろう」
それもそうか、とマトリフは思う。まるで海のような色だから、その肌も海水のようにひんやりとしているのかと思ってしまった。
「それにけっこうスベスベだな」
もっと皮膚が分厚く、硬いのかと思っていた。ガンガディアの肌は表面が滑らかで張りもある。正直なところ触り心地も良かった。
「何を言い出すのかと思えば」
ガンガディアは困惑の表情でマトリフを見た。ガンガディアは既に服を脱いでいる。
マトリフも法衣を脱ぎ捨てると、ガンガディアに抱きついた。肌と肌が密着する。それだけで陶然とするほど心地良かった。
7消えない恋の炎
これは恋の物語だ。たとえマトリフがつまらなさそうな顔で否定をしても。
「随分と伸びてきた」
風に揺れるその白い髪に指を伸ばす。マトリフの髪は肩につくほどの長さになっていた。髪を切るのを面倒がったせいだが、私はこの長い髪も好きだった。
「鋏が無いんだよ」
マトリフは髪をまとめるとフードをすっぽりと被ってしまった。昔に着ていた法衣は地上に置いてきたから、今はフード付きのマントを着ている。黒い毛皮のそれは私が見繕ったものだ。
「やはり地上が恋しいかね」
マトリフと一緒に魔界へ来てから数年になるが、マトリフはときおり空を眺めながらぼんやりとしている。マトリフは人間嫌いであったが、やはり生まれ育った地上は彼の故郷だ。離れれば恋しく思うこともあるだろう。
「いいや。地上はもういい」
マトリフは弟子の成長を見守るために人間の生を捨てた。そしてその事を口外しなかった。あの小さな勇者の帰還、そして弟子の生活が落ち着いたのを見届けたマトリフは、私と一緒に魔界へと来た。
魔界で一緒に暮らそうと誘ったのは随分と前だ。そのときは呆気なく断られてしまったが、その事をマトリフは忘れてはいなかったらしい。マトリフは「待たせて悪かった」と言って魔界へと行くことを承諾してくれた。
「案外悪くねえって思うんだよな。魔界も」
マトリフは言って立ち上がるとふわりと浮き上がった。
「行くぞ」
マトリフは私に向かって手を差し出す。私は胸の中の灯火が燃え上がるのを感じた。やはりこれは恋だ。苦しくて嬉しくて、どうしようもなく愛おしい。
これは恋の物語だ。どこまでだって二人なら飛んでいける。そんな恋の物語だ。