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    なりひさ

    @Narihisa99

    二次創作の小説倉庫

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    なりひさ

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    ガンガさんとももんじゃマトシリーズその2

    #ガンマト
    cyprinid

    白いモフモフ、魔王軍辞めるってよ マトリフは眠れない夜を過ごしていた。そもそも、今が夜なのかどうかもわからない。
     マトリフはももんじゃにモシャスして地底魔城へと潜入していた。その途中でガンガディアに見つかってしまい、正体はバレていないものの、ガンガディアから離れられない状況にあった。
     マトリフはガンガディアに抱き締められている。といっても、体の大きさがあまりにも違うために、マトリフがガンガディアの顔面に張り付いているような格好になっている。
    「君からは空の匂いがする」
     先ほどからマトリフの白い腹毛に顔を埋めながら深呼吸をしていたガンガディアが呟いた。マトリフは何と答えていいかわからないので、とりあえず小さく鳴いてみた。
     君の匂いを嗅がせてほしい、とガンガディアに言われたときは、こいつは過労のせいでおかしくなったのかと思った。だがガンガディアの真剣な様子に、マトリフはつい頷いてしまった。
     それから腹の匂いを嗅がれている。空の匂いって何だ。お日様の匂いみたいなものか。
    「すまない。つい夢中になってしまった」
     ガンガディアはマトリフを机へと下ろした。マトリフはようやく解放されたことにホッとする。正体がバレるのではないかと思うと落ち着かなかった。
    「もう自分の部屋に戻っていい。助かったよ」
     ガンガディアは最後にマトリフの頭を撫でた。何を助けたのかはわからないが、とにかくガンガディアから離れるチャンスだ。マトリフはガンガディアの机からぴょんと飛び降りる。
     とてとてと足音をさせながら部屋を出ようとしたマトリフは、途中で足を止めた。ガンガディアの溜息が聞こえたからだ。振り返って見ればガンガディアは眼鏡を外して手で顔を覆っている。疲労が溜まっているようだった。
     マトリフは少し考えてから、ガンガディアの元へと戻った。
    「……どうかしたのかね」
     マトリフは机へとよじ登ると、ガンガディアを見上げた。
     そろそろ休んだほうがいいのでは?
     マトリフはガンガディアに提案する。部屋には大きなベッドがあり、それで普段は寝ているのだろう。どうやらガンガディアはその立場と性格のせいで仕事をこなし過ぎるようだ。その器用なのか不器用なのかわからない様子に、つい口を出したくなってしまった。
    「それもそうだな。今日はもう休むとするよ」
     ガンガディアは言うものの、席を立とうとはしない。マトリフはガンガディアの手を小さな手でペチペチと叩いて急かした。それでも動かないのでガンガディアの手を引っ張る。
    「……しかしまだ」
     ガンガディアは言いながらも腰を上げる。マトリフはグイグイとガンガディアをベッドのほうへと押しやった。
     ガンガディアはベッドへと横になる。マトリフは満足そうに頷くと、枕元にちょこんと座った。
    「まだ何かあるのか?」
     マトリフは手を伸ばすとガンガディアの顔に触れた。瞼を閉じるように促す。
    「わかった、わかった」
     ガンガディアはじっとマトリフを見ると、指先でその毛並みに触れた。
    「君は初めて降る雪のようだ」
     ガンガディアはそう言うと目を閉じて、ようやく眠る気になったらしい。マトリフはガンガディアが寝息を立てるまで、じっとその姿を見ていた。

     ***

     目が覚めたマトリフは眼前にガンガディアがいて腰を抜かした。そうしてから、自分がももんじゃに化けて潜入中であること、昨夜はガンガディアを寝かしつけようとして自分も眠ったことを思い出した。
     ガンガディアはまだ寝ている。マトリフは自分のモシャスが解けていないことを確認してから、そっと部屋を抜け出した。
     マトリフはももんじゃの姿で地底魔城の通路を爆走した。一刻も早くにここから抜け出したい。魔物に化けて地底魔城を潜入調査など無理があったのだ。
     マトリフは必死に走ったのだが、いかんせんももんじゃの脚は短い。その上、体力は人間の頃のままなのですぐに疲れてしまう。
     マトリフは地底魔城の深さを呪った。無駄に広くて深いせいで、地上があまりにも遠い。マトリフは壁に手をついてゼイゼイと肩で息をした。
     すると後方からガンガディアの声がした。早足でこちらへと向かって来ている。マトリフは咄嗟に近くにあった扉へと入った。
     マトリフは部屋に入ってぎょっとした。その部屋には大勢のももんじゃがいたからだ。大勢のももんじゃは部屋に入ってきたマトリフを見て揃って首を傾げた。
    「シュニー、どこだ?」
     ガンガディアの声がする。マトリフは慌てて大勢のももんじゃの中へと混ざった。同じモフモフの大群に紛れれば、ガンガディアも見分けがつかないと思ったからだ。そうすれば隙を見て逃げ出せる。
     ノックのあとで扉が開いた。ガンガディアが部屋へと入ってくる。
    「すまない。失礼する。ある者を探しているのだが」
     ガンガディアは大勢のももんじゃを見渡した。そしてももんじゃをかき分けて進んでくると、マトリフの前でぴたりと止まった。
    「すまない、君に話があるのだが」
     ガンガディアは真っ直ぐにマトリフを見て言った。なぜわかったのかとマトリフは驚く。いや、もしかしたら最初からバレていたのか。
     ガンガディアの手がマトリフを抱き上げた。
    「部屋の外で話そう」
     ガンガディアは言って部屋を出た。マトリフはいつでも攻撃ができるように心積りをする。だが、ガンガディアは意外なことを口にした。
    「君のおかげで昨夜はよく眠れたよ」
     マトリフはその言葉に拍子抜けする。どういうことかとガンガディアを見返した。
    「久しぶりに心地よく目覚めた。君に礼を言いたくて探していたのだよ」
     マトリフは小さく鳴いて頷いた。確かにガンガディアは今朝もぐっすりと眠っていた。どうやら正体がバレたわけではなさそうだ。
    「邪魔をしてすまなかったね。やはり同族といるほうが心強いだろう。私の部下になるという話はやめておこうか」
     その問いにマトリフはつい首を振ってしまった。せっかくの逃げ出すチャンスを無駄にしてしまう。
    「では、これからも私を助けてくれるのだね」
     ガンガディアはぱっと明るい表情になった。その顔を見ると、マトリフも自然と顔が緩んだ。そうしてから、これは調査のためだと思い直す。ガンガディアに気に入られれば、手に入る情報も多くなるだろう。
     逃げることはいつでも出来る。この時はまだそう考えていた。

     ***

     マトリフが魔王軍に潜入して一月が経つ。マトリフはモシャスでももんじゃに化けており、未だに誰にもバレていなかった。
     それどころか、ガンガディアに妙に気に入られていた。
    「どうかしたのかね?」
     ガンガディアに尋ねられてマトリフは首を振った。持っていた地図を机へと置く。ガンガディアの机には何枚もの地図が広げてあった。マトリフは机の上にちょこんと座ってガンガディアと一緒に地図を見ていた。
    「やはり最近の勇者たちの行動範囲は狭いようだ」
     ガンガディアは地図に付けた印を見ながら言う。それは魔王軍が発見した勇者の足取りだった。魔王軍は主要な街に悪魔の目玉や偵察に向く魔物を配置して、勇者の行動をかなり正確に把握していた。それはマトリフの予想以上であり、潜入で得られた貴重な情報でもあった。
     マトリフはこの潜入で、出来るだけ多くの情報を持ち帰ると決めていた。そのためにも、マトリフはガンガディアのそばにいる必要があった。
     ガンガディアには魔王軍の参謀として多くの情報が集まってくる。ガンガディアのそばにいれば、それが手に入るというわけだ。だからマトリフはガンガディアに部下にならないかと誘われたときに頷いた。それ以来、マトリフはももんじゃとしてガンガディアの秘書のような役割をしている。
     ガンガディアは机に両肘をついて手を組むと、そこへ額をつけて俯いた。深いため息が聞こえる。マトリフは机の上を歩くと、ガンガディアの腕をさすった。
     少し休憩しては?
     そう伝えると、ガンガディアは顔を上げてマトリフを見た。
    「疲れたかね?」
     マトリフは首を振る。疲れているのはお前だろ、と声には出さずに表情で訴える。ももんじゃの大きな目はその点においては優れていた。目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだ。
     ガンガディアは柔らかく微笑んだ。そしてそっとマトリフに手を伸ばした。マトリフはその意味がわかっているから、遠慮なくその手に飛び乗る。ガンガディアはそっとマトリフを抱きしめた。
    「心配ない。少し気掛かりなだけだ」
     マトリフはガンガディアを見上げる。話を促すために小さく鳴き声を上げた。
    「……大魔道士のことだ」
     ぽつりと溢された言葉にマトリフは固まる。だがそれは一瞬のことで、小さく頷いて言葉の続きを待った。
    「近頃の勇者たちは行動範囲が狭い。大魔道士が仲間になってからは、彼らの行動を掴むのは困難だった。だが最近はおおよそ追えている。大きく移動することも稀になった」
     それもそのはずだ。マトリフが地底魔城へ潜入してから、ルーラの使い手がいなくなってしまった。キメラの翼も貴重なので使いたくても多くは使えないだろう。
    「大魔道士がいないという情報もある」
     ガンガディアは眼鏡を押し上げた。
     マトリフはそれを聞いて内心焦っていた。魔王軍がこれほどの情報網を持っているなら、いずれマトリフがパーティーから離れていることを知られると思っていたからだ。
    「……大魔道士は高齢らしいから戦線を離脱した可能性もある。あるいはそれを装っているか。いや、それほどの利益があるだろうか。あのパーティーから大魔道士が抜ければ大きな戦力ダウンだ。それとももっと別の理由で……」
     ガンガディアは独り言のように呟いている。マトリフは黙ってそれを聞いていた。まさかその本人が目の前にいるとはガンガディアは思ってもみないだろう。
     マトリフはガンガディアの手を叩くと、反対の手でベッドを指差した。
    「もう休めと言いたいのかね?」
     こくりと頷く。ガンガディアは今日もずっと働きづめだった。
    「確かに休息は必要だ。やはり君は優秀な部下だな」
     ガンガディアは机の上の地図を片付けるとベッドへと向かった。マトリフはその後をついていく。
    「……また眠るまで一緒にいてくれるのかね?」
     マトリフは答えるように一声鳴いてベッドによじ登った。ガンガディアは眼鏡を外してベッドに横になっている。
    「無理に付き合ってくれなくていい。これは君の仕事の範囲外だ」
     マトリフはガンガディアの胸元に座ると首を振った。
     ガンガディアはそっとマトリフを抱きしめる。その毛並みを慈しむように、手はゆっくりと動いた。
     ガンガディアは眠れない時があるという。多くの仕事を抱えたとき、苛立ちがおさまらないとき、過去の思い出したくない出来事が止めようもなく思い出されるとき、眠れないらしい。
     だが、マトリフの、このももんじゃの姿を抱きしめている時は、気持ちが穏やかになるという。そんなときは眠りやすいらしい。
     マトリフはガンガディアの大きな手に包まれながら、目を瞑ったガンガディアを見る。そうしていると不思議な気持ちになった。それは今だけではない。先ほど微笑みを向けられたときもそうだった。
     本当は、ガンガディアが眠ってしまった後で部屋をくまなく探そうと思っていた。
     ガンガディアがヨミカインから持ち去った魔導書。あれが何であるのかマトリフは知りたかった。いずれガンガディアとも戦うことになる。その呪文が何であるのか知ることができたら、マトリフは有利になる。
     だが、マトリフは瞼が重くなるのを感じた。ガンガディアが眠るまで一緒にいるつもりでいるのに、マトリフのほうが先に眠たくなってしまう。
    「眠てかまわない」
     ガンガディアの言葉に誘われるように瞼は閉じた。ガンガディアもその小さな寝息に誘われるように夢へと落ちていく。

     ***

     ももんじゃに化けたマトリフは、ガンガディアの大きな脚に隠れながら少年を見ていた。その少年も、父であるバルトスの後ろに隠れながらマトリフを見ている。
     ガンガディアとバルトスは先ほどから立ち話をしていた。ガンガディアはマトリフを、バルトスはヒュンケルを連れていた。長話をするつもりは無かったのだろうが、お互いに忙しくて、会えたときに話しておきたいことが溜まっていたようだ。
     ヒュンケルは顔を半分隠しながらマトリフを見ている。ももんじゃは珍しくないだろうに、ヒュンケルは先ほどからじっとマトリフを見ていた。まさかモシャスを見破ったわけではないだろうが、マトリフは落ち着かなくなってきた。
    「すまないヒュンケル。待たせたな」
     バルトスがヒュンケルを抱き上げる。どうやら話は終わったようだった。しかしヒュンケルはまだじっとマトリフを見ている。
    「彼が気になるのかね?」
     ヒュンケルの視線に気付いたガンガディアがマトリフを抱き上げた。それにつられてヒュンケルの視線も上がる。
    「ガンガおじさん」
     ヒュンケルは眼差しをガンガディアに向けた。
    「なにかね」
    「だいまどーしはモフモフしてる?」
     その言葉に驚いたのはマトリフだ。ぎょっとしてヒュンケルを見る。
    「いいや。大魔道士はモフモフしていない」
     ガンガディアはいたって真面目に答えた。
    「ももんじゃはモフモフしてるのに?」
    「そうだな。ももんじゃはモフモフで、大魔道士はモフモフではない」
     なんだこの問答は。マトリフは尻尾が落ち着かなく動くのを感じた。ヒュンケルは納得したのかしないのか、曖昧に頷いている。これ以上一緒にいては何を言い出すかわからない。マトリフがガンガディアを急かそうと声を上げたのと、ヒュンケルが喋ったのは同時だった。
    「だいまどーしはももんじゃ?」
     ヒュンケルの子供特有の高くて通る声はその場にいた全員によく聞こえた。
    「大魔道士はももんじゃではなく人間だ」
     ガンガディアは律儀に答えた。
    「そっかー」
     ヒュンケルは首を傾げながら言う。バルトスはそんなヒュンケルを微笑ましそうに見ていた。
     マトリフは冷静に振る舞おうとするものの、全身から汗が吹き出していた。フワフワの毛のおかげで見えないのが幸いだった。
    「すまない。そろそろ戻らなくては」
    「そうか。引き留めてすまなかった」
     ガンガディアとバルトスはそれぞれ別の方へ歩き出そうとしたが、そこへ魔物が走ってきた。随分慌てた様子のその者はガンガディアの部下だった。
    「勇者がパプニカに現れたとの情報です」
     ガンガディアとバルトスは顔を見合わせる。魔物は地図を持っており、それを広げて一点を指差した。それは城下町からは少し離れた地点だ。
     ガンガディアは深く考えるようにじっと地図を見つめている。そして決心したように息をついた。
    「やはり今が攻め時だ。軍も立ち直りつつある」
     ガンガディアの指は地図をなぞるように動いた。
    「軍団を差し向けて、この街へ逃げ込むように仕向けよう。街のすぐそばに森がある。そこへ本隊を潜ませて、夜更けに街を襲わせる」
     ガンガディアは意見を求めるようにマトリフを見た。マトリフはこくりと頷く。下手に反対しては怪しまれるからだ。
    「今回は私が行ってくる。大魔道士が本当にいないのかこの目で確かめてこよう」
     ガンガディアの言葉にバルトスも頷く。ガンガディアはマトリフをそっと床へと下ろした。
    「君には留守を頼む」
     ガンガディアは大きな手でマトリフの、ももんじゃ姿の白い毛並みを撫でた。マトリフはガンガディアの指を小さな手で掴むと首を横に振った。
    「留守は嫌なのか?」
     こくりと頷く。マトリフはガンガディアに自分もついて行きたいと訴えた。ガンガディアは考え込む。
    「勇者たちは強い。大魔道士がいないとしても、かなり手強い相手だ」
     わかっている。でもガンガディア様のおそばにいたい。
     マトリフは懸命に訴えた。その熱意が通じたのか、ガンガディアは渋々頷いた。
    「だが私から離れないことだ。いいね?」
     マトリフは大きく頷いた。これは地底魔城から逃げ出すチャンスだ。
     
     ***

     なぜ大魔道士に憧れるのか。
     その問いに、ガンガディアは考えるように遠くを見た。ガンガディアは自室で坐禅を組んでおり、ももんじゃに化けたマトリフはその膝に座っていた。ガンガディアの答えを待つマトリフはどこか落ち着かない心持ちだった。
    「理由はひとつではない」
     ガンガディアは自嘲するように呟いた。
    「彼の知性に惹かれたことが第一だと思っていたが、それだけが理由ではないだろう。彼に対する気持ちはもっと複雑だ」
     そう語るガンガディアの表情が、どことなく嬉しそうに見えた。マトリフはガンガディアの話を聞きながら、やはり聞くべきではなかったと思った。そんなマトリフの思いが表情に出たのか、ガンガディアは話を途中で止めた。
    「……君も私がおかしいと思うかね?」
     ガンガディアの表情は曇っていた。
    「大魔道士は敵だ。憧れるような気持ちを持つことは相応しくないと思うかね」
     マトリフは迷いながらも、小さく頷いた。それは自分に対しての戒めでもあった。
     マトリフは地底魔城へ潜入して、ガンガディアと行動を共にしているうちに、いつの間にか情が移ってしまった。ガンガディアがもし敵ではなかったらと考えるほどに、親しみのような感情を持ってしまった。ただそれは、持つべきものではなかった。
    「案ずるな。いざ大魔道士と戦うようになったら、私は迷わず彼と戦う。その命を奪うことにさえ躊躇いはない」
     マトリフはガンガディアを見上げた。そしてつい、言ってしまった。
     もし大魔道士が仲間だったら、どうしたい?
     ガンガディアは驚いたように目を見開いてマトリフを見た。言いかけた言葉を飲み込むような間の後で、ガンガディアは苦笑した。
    「君に取り繕っても仕方がないな。もし叶うなら、私は彼と話がしたかった。知を愛する者として、彼の考えを聞いてみたい」
     ガンガディアは目を閉じると長く息を吐いた。怒ったのかと思ったが、開いた目は冷静そうに見えた。
     そこへガンガディアの部下が来た。
    「出撃の準備が整いました」
    「わかった」
     ガンガディアはマトリフを抱えて立ち上がった。マトリフの尻尾は自然とガンガディアの腕へと巻きつく。ガンガディアは気遣わしげにマトリフを見た。
    「シュニー」
     それはガンガディアがももんじゃにつけた名前だった。魔族の言葉で初めて降る雪という意味がある。その名前でガンガディアに呼ばれることを、マトリフは嫌いではなかった。
    「やはり一緒に行くかね?」
     マトリフは頷いた。これ以上の深入りは危険だとわかっている。これを期に地底魔城から抜け出すつもりだ。
     マトリフはやる気を示すために手を上げて、ヒャドを作って見せた。魔法力を隠すために控えめに作ったそれを見てガンガディアは頷く。
    「君も立派な魔王軍の一員だ。その働きに期待している」
     ガンガディアはマトリフや部下を連れてルーラを唱えた。景色は一瞬で移り変わり、パプニカ城近くの森へと降り立った。

     ***

     ガンガディアの作戦は計画通りに進んだ。街のそばで魔物に襲われたアバンたちは、街の人たちを戦いに巻き込まないために森へと逃げてきた。
     ガンガディアは走ってくるアバンたちの中に、マトリフがいないことに気付いたようだ。目線は外さないまま部下たちに言う。
    「気を抜くな。大魔道士はどこかで我々の様子を見ているかもしれない」
     マトリフはガンガディアの肩に乗っていた。戦いが始まって場が混乱すれば抜け出す機会もあるだろう。それを待つつもりだった。
    「行くぞ」
     ガンガディアの掛け声で魔物たちが一斉に動いた。アバンたちは森から突然に現れたガンガディアと魔物たちに驚いている。しかしすかさずアバンがバギを撃ってきた。
    「私が突破口を開きます!」
     アバンが逆手に剣を持って構えている。ガンガディアはすぐにその技の危険性に気付いたのか、部下たちに避けるように叫んだ。
     アバンストラッシュが放たれる。マトリフはガンガディアにしがみついてそれを避けた。だがそれを狙ってレイラのバギマが襲う。それを待っていたように、マトリフはガンガディアを掴んでいた手を離した。軽いももんじゃの体は風の勢いに飛ばされる。マトリフはトベルーラを使って上手く森まで飛ばされたように見せかけた。
     ちょうど散り散りになった魔物たちとアバンたちの混戦が始まった。マトリフはガンガディアやその部下たちに見つからないように走った。短い手足は走るには不向きだ。マトリフは息を切らせながらあたりを見渡す。そして誰もいないことを確認して茂みに隠れるとモシャスを解いた。
    「ふぅ……」
     マトリフは久しぶりの人間の身体になって息を吐く。不思議とももんじゃの身体よりも動きにくい気がした。
     マトリフはアバンたちに合流しようと急いでトベルーラで飛ぶ。するとこちらへと走ってくる巨体が見えた。
    「シュニー!」
     ガンガディアの声は必死だった。いなくなったももんじゃを探しているのだろう。
     マトリフは思いを振り払うように手に魔法力を集め、それを木に放った。
     その音に気付いてガンガディアがこちらへと飛んできた。マトリフはそれより早く上空へと飛び上がる。マトリフはガンガディアの背に向けてバギマを放った。
    「大魔道士!?」
     ガンガディアは直前に気付いてバギマを相殺した。マトリフはガンガディアの前に降り立つ。
    「やはり生きていたか」
     ガンガディアは言いながらも、あたりを見渡している。
    「誰か探してんのか?」
    「ここにももんじゃが来なかったか」
     マトリフは考えるふりをしてから、思い出したように間延びした声を上げた。
    「アレのことか?」
     マトリフは立てた親指で後方を指した。そこには火だるまになっている塊がある。マトリフは先ほど木にモシャスをかけてももんじゃにしてから、ベギラマで火をつけた。木にモシャスをかけたのだから、生きてはいない。だが燃えているももんじゃは本物と見分けがつかないだろう。
     ガンガディアは呼吸も忘れて火に包まれた塊を見ていた。
    「シュニー」
     ガンガディアは脇目も振らずに燃えている塊へと飛んでいった。今さらヒャドをかけたところで手遅れなのは明らかだ。だがガンガディアはその塊へと手を伸ばしている。
     だがその背後を、マトリフの呪文が襲った。
    「敵に背を向けてどうすんだよ」
     ガンガディアは背後からイオラを受けて吹き飛ばされた。その余波で周りの木々も倒れていく。そのせいで燃え上がっていたももんじゃが倒れた木に押しつぶされた。
     それを見てガンガディアは咆哮を上げた。
    「君を許さない!」
     ガンガディアは叫びながらマトリフに殴りかかった。だが力任せのそれをマトリフは容易く避ける。
    「そうこなくっちゃな!」
     マトリフは声を上げながら手に魔法力を込めて火球を作る。それをガンガディアの顔面にめがけて叩きつけた。ガンガディアはそれをまともにくらって体勢を崩す。眼鏡が音を立てて地面へと落ちるのが見えた。
    「……ッ」
     マトリフは一瞬躊躇いながらも、すぐに距離をとりながらマヒャドを唱える。だが躊躇ったせいでタイミングが合わずにガンガディアに避けられてしまう。
     ガンガディアは憎しみのこもった目でマトリフを見ていた。大事なももんじゃを殺されたと思っているのだから恨みもするだろう。憧れなんて気持ちも、これで捨てるはずだ。
    「イオラッ!」
     マトリフのトベルーラの軌道を読んでガンガディアが呪文を撃ってきた。マトリフは避けきれずにその身に受ける。
    「ぐぅッ!」
     マトリフは地面に叩きつけられた。背中を打ちつけて息が止まる。痛みに気が遠くなりそうなのを叱咤して立ち上がった。
    「まだ終わりではないぞ!」
     ガンガディアは呪文を手にして振り上げている。マトリフも手に呪文を込めてガンガディアを見上げた。
    「当たり前だろ……楽しみはこれからだぜ」
     ガンガディアとマトリフは同時に呪文を放った。呪文同士がぶつかり合って弾ける。その光であたりが明るく染まった。
    「これでいいんだ……」
     マトリフは呪文を撃ちながら呟く。マトリフとガンガディアは敵同士だ。戦い合う他に道はない。あのももんじゃも、最初から存在などしていなかった。ガンガディアと過ごした時間もまやかしに過ぎない。だから燃やした。ただいなくなっただけならガンガディアは探すだろう。だが死んだのなら、ガンガディアもいずれ忘れる。
     二人はひたすらに呪文をぶつけ合った。お互いに魔法力が尽きる寸前まで戦い、隙を見つけてマトリフはルーラを使ってアバンたちと一緒に逃げた。

     ***

     マトリフはぼんやりと宿屋の天井を見ていた。
     ガンガディアとの戦いから逃れて辿り着いた小さな村は、村全体がしんと静かだった。マトリフもアバンたちも疲れ果てており、再会の言葉もほどほどに宿屋で休むことになった。
    「ッ……」
     背中が痛んでマトリフは息を詰めた。魔法力が切れたせいで回復呪文がかけられない。戦闘中は興奮しているせいで気付いていなかったが、どうも骨の一本や二本は折れている気がする。レイラはロカやアバンの回復で手一杯の様子だったから、早く眠って魔法力を回復させて自分で治すほかない。だが痛みのせいで眠れやしなかった。
     眠れないせいでどうしてもガンガディアのことを考えてしまった。今ごろどうしているのか。どうせ今回の戦いの後始末と反省でまだ休めてもいないのだろう。なまじ身体が頑丈なものだから、無理に無理を重ねることが出来てしまう。また一人で抱え込んで疲れを溜めているに違いない。
     だが、その手を引いて「休めよ」と言うこともできない。マトリフは自分の手を見つめる。ももんじゃの手ではない、この人間の手ではガンガディアに触れることもできないのだ。
     マトリフは手をゆっくり下ろして、そっと寝返りをうつ。じわじわと熱を持つように痛みが広がっていた。少しだけ回復した魔法力でホイミを唱えるが、痛み止めの代わりにもなりはしなかった。
     眠れないのは痛みだけのせいではなかった。どうも寒い気がしてならなかった。ずっと毛皮がある生活だったせいだろうか。人間の身体は熱がどんどん奪われていく気がする。マトリフは毛布をそっと身体に巻きつけた。それでもやはり寒い。
     ガンガディアの温かな手を思い出す。身体全体を包むように撫でたあの優しい手つきが恋しかった。あんなふうに慈しむように撫でられたことなどこれまでになかった。
     ふと、マトリフは目頭が熱くなった。それに気付いたときには涙が溢れていた。ぽたりとシーツに涙が落ちていく。マトリフは乱雑に涙を拭うと身体を起こした。
     するとアバンが部屋に入ってきた。手にはタオルを持っており、いつもセットされた髪は真っ直ぐにおりていた。
    「宿屋の裏の温泉、結構気持ちよかったですよ」
     アバンはもう一つのベッドに腰を下ろした。気遣わしげな視線を感じる。だが今はそれから逃れたかった。
    「じゃあオレも入ってくるか」
     余裕を繕うことも出来ずにマトリフは部屋を出た。歩くたびに身体が痛んだが、それよりも一人になりたかった。
     マトリフは宿屋から出ると温泉には向かわずに道を歩いた。明かりもほとんどない、月明かりだけの道だった。遠くで獣の遠吠えが聞こえる。
     地底魔城は時間を問わず賑やかだった。そこにいる魔物が多いせいか、いつも誰かの声や足音が聞こえていた。それがマトリフにとっては思いのほか居心地がよかった。
     何よりも、地底魔城ではいつもガンガディアがそばにいた。
     マトリフにとって孤独とは、自分だけのものだった。生まれ持った強大な魔法力は、ずっとマトリフを孤独にしてきた。向けられる羨みも妬みも、常にマトリフを線の外に弾いてきた。
     だがガンガディアのそばにいたときは、その孤独は自分だけのものではなかった。ガンガディアもまた、どこからも弾かれた奴だったからだ。
     地底魔城はそんなガンガディアが得た居場所だった。努力で手に入れた能力を認められた場所だった。マトリフが勝手に盗み見たガンガディアの生活は、おかしなほどありきたりで穏やかだった。
     冷たい風が吹いて肩が震える。冷え冷えとした空気の中で月が綺麗に見えた。
     もし、人間ではなく魔物に生まれていたら、ガンガディアとも違う関係でいられたのだろうか。マトリフが人間でなかったら、あるいはガンガディアが魔物でなかったら。
     考えても意味のないことだった。マトリフは踵を返す。少しは頭も冷めただろう。
     すると強い風がマントをはためかせた。途端に黒い影が空から降ってきた。それは地面を揺らすほどの衝撃をもたらす。
     マトリフの身体は強い力で掴まれた。月明かりを背後に、巨体がマトリフを見下ろしていた。
    「君を逃すはずがないだろう」
     ガンガディアは両手でマトリフを掴み上げると、その手に力を込めた。

     ***

     マトリフは不思議と恐怖を感じていなかった。自分の命は風前の灯で、いつ握り潰されてもおかしくない。だがそれよりも、ガンガディアのことが気掛かりだった。
     ガンガディアの怒りは燃え続けている。戦いが終わってもなお一人でマトリフを探し続けていたのだろう。それほどに失ったものが大きかったということらしい。
    「どうやって君を殺してやろうか」
     ガンガディアの瞳が加虐の喜びに染まっている。だがその奥にあるのは悲しみだろう。
    「好きにしろ……今なら選び放題だ」
     ガンガディアにそんな思いをさせるつもりはなかった。死んだとわかればすぐに忘れるだろうと思ったのだ。
    「諦めがよいな」
     ガンガディアの手がマトリフの身体を締め付ける。骨の軋む音が聞こえた。マトリフの叫び声が静まった空気を震わせる。口から溢れた血がガンガディアの手まで滴った。
    「……焼き殺してやる」
     ガンガディアは片手を上げて巨大な火球を作った。渦巻く炎が眩しい。それは暗闇を照らす太陽のようだった。マトリフは無理につくった笑みを浮かべる。
    「さっさとやれよ」
    「言われずとも!」
     だがガンガディアは躊躇うように顔を歪めた。振り上げた火球も、マトリフを掴む手も動かさない。
     ガンガディアは迷いを振り切るように歯を食いしばった。マトリフを掴む手が震えている。マトリフは苦笑すると、ガンガディアの手を急かすように叩いた。
    「馬鹿だな……さっさとやりゃいいのに」
     せめて最後まで意識を保っていたかったが、マトリフの体力は限界だった。ガンガディアの手に触れていたマトリフの手が力なくぶら下がる。マトリフは意識が遠ざかっていくのを感じた。
     ガンガディアはそのマトリフの手を見て目を瞬いた。マトリフに触れられた手の感触を知っていると思ったからだ。
     シュニーはよくガンガディアを急かすときに手を叩いた。夜遅くまで仕事を片付けているときなど、早く休めと急かされた。そうやって小さな手で叩かれるとくすぐったくて、ガンガディアは密かにそれを好んでいた。
    「シュニー……」
     ガンガディアは思わず呟いていた。すると意識がないはずのマトリフが反応した。薄らと開いた目は焦点を結んでいないが、何かを探すように視線を彷徨わせている。そしてガンガディアを見ると手を伸ばしてきた。その仕草に、思わずガンガディアはマトリフを抱き寄せる。マトリフの腕はガンガディアを抱き寄せた。ガンガディアはマトリフの体に顔を埋める。鼻腔に吸い込んだ匂いに、ガンガディアは目を見開いた。
    「……空の匂いがする」
     ガンガディアはその場に膝をついた。そして気付いた。シュニーが現れたのは、ちょうどマトリフが姿を消した頃だと。そしてマトリフが再び姿を見せたときに、シュニーは消えた。
    「君だったのか……」
     シュニーと過ごした日々が思い出される。シュニーは特別だった。どこにでもいるももんじゃではない。とぼけたように振る舞いながらも、賢い子だった。観察眼が鋭く、多くの物事をよく見ていた。ガンガディアの相談にも言葉少なに適切なアドバイスをしてくれた。だがそれを誇示せずに、平凡なももんじゃであると振る舞っていた。
     そろそろ休んでは、と心配と呆れが混ざったような声が思い出される。ふわふわの毛並み。温かな体温。気まぐれな尻尾。撫でると気持ちよさそうに閉じる瞳。そのひとつひとつを思い出しながら、目の前のマトリフと重ねる。それは不思議と違和感を感じなかった。むしろ、これほどまで惹かれた理由がようやくわかった気がした。いくら見た目が異なっていても、マトリフは変わらない。ガンガディアが惹かれたのは、マトリフの本質だった。
     ガンガディアはゆっくりとマトリフを下ろした。
     真実を知ったからといって、ガンガディアとマトリフが敵同士であることに変わりはない。だが、もしかしたら。
    「……変えられるだろうか」
     ガンガディアはふと顔を上げる。見れば勇者が立っていた。その手には剣がある。今にも斬りかかってきそうだ。
    「すまない。大魔道士を頼む」
     勇者の剣の切先が届く前にガンガディアはルーラを唱えた。
     
     ***

     マトリフはあの夜から寝込んでいた。肉体へのダメージと魔法力切れ、長期間のモシャスの使用などが重なり、回復呪文を受けても目覚めなかった。
     長い夢の中でマトリフはももんじゃの姿だった。誰もいない地底魔城でぽつんと座って、ずっとガンガディアを待つ夢だった。
     三日三晩が経ち、マトリフはようやく目覚めた。ちょうど朝陽が昇った頃で、開けられた窓からは清廉な空気が漂い、朝陽が惜しみなく降り注いでいた。
     マトリフは眠りすぎて重い頭で、ここがあの世なのではないかと考えていた。それにしてはボロい宿屋のようだと思っていたら、数日前のことを思い出した。
    「おはようございます」
     その声に見ればアバンが桶を手に持って立っていた。桶からは湯気が上っている。
    「……どうなった?」
     マトリフは掠れた声で言った。自分が生きているということは、アバンがガンガディアを倒したのかと思ったのだ。その答えを聞くのが怖いと思いながらも、聞かずにはいられなかった。
     アバンは桶に入ってた布を絞ると、それをマトリフの手に当てた。体温よりも少し高いほどの温かさのそれは心地よい。
    「さっきガンガディアが来ていたのですが」
     その言葉にマトリフの疑問は増える。だが生きていることに安堵した。続きを促すためにアバンを見る。
    「彼はまた来ると言っていました。あなたの事を心配していましたよ」
    「話が見えねえな」
    「私もまだ信じられないんですよ」
     アバンは苦笑しながら考え込むように目を閉じる。まだアバン自身も混乱しているようだった。だが次に目を開けたとき、アバンは真剣な目をマトリフに向けた。
    「ガンガディアは、魔王を、ハドラーを説得したと言うのです」
    「説得ってなんだよ」
    「ハドラーは世界征服をやめたらしいんです」
    「……はあ?」
     マトリフは自分の聞き間違いか、アバンの正気を疑った。だがすぐにそのどちらも違うとわかる。アバンは真剣そのもので、マトリフに訊ねた。
    「あの夜、何があったのですか。ガンガディアはあなたを残して飛び去りました。ですがさっき突然現れたかと思ったら、ハドラーはもう人間を襲わないと言い出したんです」
    「そんな馬鹿なことがあるかよ」
     魔王が説得されて世界征服を諦めるなんてことがあるわけがない。だがアバンがこんな冗談を言うはずがなかった。
    「私も信じ難いですよ。ですがガンガディアには全く敵意がありませんでした。それに近くの森でも、魔物が大人しいのです。むやみやたらに人間に襲ってこなくなっていて」
    「魔王の邪悪な意志がなくなったってことか」
    「まだ調査中です。ですが、もしかしたら」
     アバンは顔を上げると窓の外を見た。そして眩しいものを見るように目を細める。笑っているのかもしれなかった。
    「私たちは殺し合わなくてもいいのかもしれません」
     窓の外には青空が広がっている。まるでこの世界の行く末が明るいのだと示唆しているように。

     ***

     その数日前、ガンガディアはももんじゃの正体を知ってすぐに地底魔城へと戻ってきた。そしてその足でハドラーに会いにいった。
    「ええい、しつこいぞ!」
     ハドラーの怒号が響く。だがガンガディアは動じなかった。
     ハドラーとガンガディアの話し合いはかれこれ数日間も続いている。ハドラーは苛立たしそうに玉座の肘掛けを拳で叩いた。
    「人間を滅ぼして何が悪い!」
    「悪いとは言っていません。何故ですかと訊ねているのです」
     ガンガディアはいたって冷静だった。
    「理由など必要ない。邪魔だからだ!」
    「人間を滅ぼして何かメリットがありますか。人間は数が多い。全滅させるためには多くの部下が必要です。犠牲も少なくないでしょう。その度に補充しても、人間はすぐに数が増えます。そうしているうちに第二の勇者が現れるかもしれません。下手に人間を刺激しては魔王軍が滅ぼされる可能性もあります」
    「貴様、人間に寝返るつもりか!」
    「いいえ。私は魔王軍から離れません。しかし、明確な目的もなく人間を滅ぼすことを考え直して欲しいのです」
     この問答も何度繰り返しただろう。だがガンガディアは諦めなかった。魔王軍を一人で仕切っていたガンガディアにとって、数日間にわたってハドラーを説得することは難しいことではなかった。あまりのガンガディアの執念にハドラーのほうが参りかけている。
    「よく考えてください。ハドラー様の望みは何ですか」
    「……勇者と戦うことだ」
    「では勇者とだけ戦ってください。どちらが強いのか決着をつけたいのですね。では私が今から勇者の元へ行って了承を取ってきます」
    「おい、ちょっと待て」
     ハドラーは疲労でよく働かない頭で「本当にそれで良いのか?」と考えた。もっと偉大な夢と志で魔王を名乗っていたはずだ。だがガンガディアに魔界の神から貰った神体を壊されてから、何か夢から醒めたような気持ちだった。何よりしつこいガンガディアから解放されたい。勇者と戦えるならそれでも良いような気がしてきた。
    「では行って参ります」
     ガンガディアは急足で魔王の間を後にした。ちょうど朝陽が昇った頃で、ハドラーはそれを知らなかったが、玉座から崩れ落ちるように眠りについた。

     ***

     マトリフはマントを靡かせて地底魔城へ降り立った。地底魔城の魔物たちは突然に空からやってきたマトリフに驚きもしない。すれ違いざまに挨拶をするほどだった。
    「ガンガディアは?」
     通りかかったミイラ男に尋ねれば、進んでいた方とは逆を指さされる。
    「ガンガディア様は闘技場に」
    「またかよ」
     マトリフは呆れて踵を返し、闘技場へと向かう。その道は初めて地底魔城へ来たときの通った道と同じだった。ガンガディアに呼び止められて自分の不運を呪ったが、今となっては幸運だったのかもしれない。
     あのときは息を潜めて通った通りを、マトリフは大股で進む。やがて闘技場の歓声が聞こえてきた。
     闘技場は幾重にも人だかりができていた。人だかりといってもそこに集まるのは魔物だ。魔物たちは中央で戦う二人を見ていた。マトリフは大きな魔物たちの隙間から覗き見る。ちょうど戦っているのはガンガディアだった。相手はドラゴンのようだが、よく見れば眼鏡をかけている。
    「おや、大魔道士」
     その声に見ればバルトスがいた。その肩にはヒュンケルが乗っている。
    「もふもふ!」
     ヒュンケルがマトリフを見て言った。後から聞いた話だが、ヒュンケルはマトリフがももんじゃの姿で潜入していた頃から、その正体を見破っていたという。
    「あのドラゴンって」
     マトリフがガンガディアと戦っているドラゴンを指差す。
    「アバン殿だ」
    「あいつドラゴラムまで覚えたのかよ」
     マトリフは若い友人の飽くなき探究心に溜息をついた。学術的好奇心のために、アバンは様々な呪文を習得している。今日はそれを試すためにここへ来たのだろう。
     すると、大きな声が響いた。
    「ガンガディア、交代だ!」
     怒鳴りながらハドラーが出てきた。ハドラーは待ち侘びたというようにアバンへと向かっていく。歓声がひときわ大きくなった。
     ハドラーとアバンはある約束を結んだ。ハドラーは世界征服をやめる。その代わりにアバンと力比べをする。お互いの同意があった時のみ、闘技場で戦い、誰も巻き込まず、そのとき以外では戦わない。純粋に強さだけを追い求め、それを競う。そんな約束だった。
     しかしそれでは世界平和のためにアバンを人身御供にするようなものだとマトリフは反対した。だが当人のアバンが良いですよと言った。たまには運動が必要ですからね、それが健康の秘訣ですよ、といつもの飄々とした様子で言ったのだ。
     そんな約束が上手くいくものかと思ったが、案外素直なハドラーは約束を守っているし、アバンも各地の探索で見つけた呪文やマジックアイテムを試すためにハドラーと戦っているようだった。
     ドラゴンのアバンとハドラーはお互いに容赦なく攻撃し合っている。その強さは互角だった。最近ではこの二人の戦いも、地底魔城で暮らす魔物の娯楽になっているようだ。
     マトリフは呆れたように肩をすくめるとモシャスした。大きな魔物たちの足元を潜ってガンガディアのところまで向かう。
     ガンガディアは歩いてくるマトリフに気付いて屈んだ。そしてその身体を抱き上げる。マトリフは戦う二人へ視線を向けた。
    「飽きねえ奴らだな」
    「ハドラー様は満足そうだ」
    「アバンもなんだかんだ言って楽しそうだけどよ」
     ちょうどドラゴンのアバンがハドラーを脚で押さえつけていた。だがハドラーはそれを腕力で押し返している。
    「何が楽しいんだか」
     マトリフの尻尾がガンガディアの腕をくすぐる。ガンガディアはその尻尾の先を指で撫でた。
    「部屋に行こうか?」
    「何も言ってねえだろ」
    「君よりも尻尾のほうが正直だ」
    「わかってんなら聞くんじゃねえよ」
     ガンガディアは戦うアバンやハドラーに背を向けて闘技場を出た。喧騒が遠ざかっていく。
    「アバンのやつ、いつの間にドラゴラムなんて覚えたんだ」
    「私の手持ちの魔導書を貸したらすぐに覚えてしまったよ。あとでコツを尋ねたい。私はまだ習得できていないからね」
    「お前がこれ以上デカくなったら踏み潰されちまうよ」
    「それは困るな」
     ガンガディアは私室へ入ると鍵をかけた。念には念をいれて魔法で強力な施錠をする。以前のようにアバンに負けたと言ってハドラーが乱入してきては困るからだ。
    「さて、そろそろモシャスを解いてくれないか」
     ガンガディアは腕の中のマトリフに言う。マトリフはガンガディアの胸に顔を擦り寄せて見上げた。
    「こっちのほうが可愛いだろ?」
     マトリフの尻尾がガンガディアの腕に絡まる。ガンガディアがこのモフモフを気に入っているとマトリフもわかっていた。だがガンガディアは苦笑するとマトリフに指を伸ばした。
    「くちばしではキスしづらくてね」
     ガンガディアはくちばしに触れる。ゆっくりと撫でられてくすぐったかった。
     マトリフは少し躊躇ってからモシャスを解いた。ももんじゃのときは保てたポーカーフェスも、人間の姿に戻れば形無しだった。マトリフは赤く染めた顔でガンガディアを見上げる。
    「さっさとやれよ」
     急かすように胸を叩き、マトリフは目を閉じてガンガディアからのキスを待った。



     おわり
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