【まおしゅう2展示】素直に「好き」と言えない大魔道士の話「よう、邪魔するぞ」
マトリフは言葉と同時に扉に手をかける。そこは地底魔城のガンガディアの部屋だった。
ガンガディアは突然入ってきたマトリフに怒るでもなく、柔らかな笑顔で出迎えた。嬉しさを隠しもしないその表情に、マトリフも自然と笑みが浮かぶ。
「大魔道士」
ガンガディアは身を屈めてマトリフを抱きしめた。その大きく温かな身体に抱きしめられて満たされた気持ちになる。マトリフも腕を伸ばして大きなガンガディアの身体を抱き返した。
「散らかっていてすまない。調べ物をしていて」
ガンガディアの言葉通り、部屋は魔導書や地図などが散乱していた。それは生真面目で綺麗好きなガンガディアには珍しいことだった。
ガンガディアは身を屈めると本を拾い集めてた。マトリフも足元にあった地図を拾い上げる。
「どこか行くのか?」
その地図にはいくつか目印がつけてあった。ところがその地図はマトリフが見たこともない場所のものだった。
「ああ、いや。行くつもりは無いのだが」
ガンガディアは珍しく言葉を濁した。マトリフから地図を受け取って片付けていく。
「お茶を淹れようか」
「オレは酒がいい」
「深酒をしないという約束は守れるのかね」
「それは酒の美味さによるな」
ガンガディアはマトリフの返答に呆れながらも、小さな酒瓶を出してきた。一緒に持ってきたグラスを受け取る。
「今日はこの瓶だけだ」
ガンガディアは念を押すように酒瓶をマトリフに見せた。
「いいから注いでくれよ」
マトリフは言ってガンガディアにしなだれかかる。甘えたように言えば、ガンガディアはマトリフのグラスに酒を満たした。
「あまり飲み過ぎないでくれ」
「わかったからお前も飲めよ」
マトリフは言って一口飲んだ。途端に深い味わいが口に広がる。まろやかな果実の風味と、熟成された芳醇な味わいを感じた。
「どこのワインだ?」
飲んだことのない味にマトリフは興味が湧いた。
「キギロに譲ってもらった物なので産地まではわからない」
「あいつかよ。まあ酒の趣味は悪くねえ」
マトリフは一気にグラスをあける。ガンガディアはそれを見て酒瓶の蓋をしめてしまった。
「おい、まだ飲む」
「駄目だ。その飲み方ではまた飲み過ぎてしまう」
グラスまで取り上げられてしまい、マトリフは抗議の声を上げる。だがガンガディアは取り合わなかった。ガンガディアは他の酒瓶もまとめて棚にしまうと呪文で封印してしまう。
「そこまでしなくていいだろ」
マトリフはむくれるが、ガンガディアはそのまま扉へ向かうとそこも呪文で施錠した。施錠音が部屋に響く。部屋に一つしかない扉が塞がれたその意味に気付いて、マトリフは指先を無意味に弄った。
「また酔い潰れて一人で先に寝てしまうのかね」
ガンガディアは言いながらこちらへ来るとマトリフの帽子をそっと取り去った。ぱさりと前髪が降りてきて額をくすぐる。
「美味え酒がいけねえんだ」
「そのようだな。だから悪い酒は封印しておいた」
ガンガディアの指が器用にマトリフのマントを外した。それは丁寧に畳まれる。マトリフは身につけているものを一つずつ剥ぎ取られていくことに羞恥を覚えた。その気持ちが隠しきれなかったらしく、僅かに染まった頬にガンガディアが気付く。
「そのつもりで来たのだろう?」
ガンガディアの指がマトリフの頬を撫でる。マトリフはふいと顔を背けた。
「シラフですんのは照れんだよ」
「照れている君を見るのは好きだ」
直球な言葉にマトリフの顔が更に赤くなる。ガンガディアは恥じらいもなく好きだの愛してだの言う。対してマトリフはその手の言葉が苦手だ。言われるのも照れるが、自分がそんな言葉を口にすると考えただけで口がむず痒くなる。酔っているときならいざ知れず、シラフでそんな言葉を言えたためしがなかった。
ガンガディアの手がマトリフのベルトに回る。ベルトを外す音がやけに大きく聞こえた。マトリフは好きにしろと言わんばかりに腕を広げた。
「実に潔い」
ガンガディアに抱きしめられて首筋を吸われる。ぴりっとした痛みにマトリフは顔を顰めた。
「てめぇ、跡を付けんじゃねえ」
「君は私のものだと皆に知らしめたい」
「揶揄われるオレの身になれってんだ」
そう言いながらもマトリフは本気でガンガディアを止めなかった。そんなわかりやすい独占欲さえも愛おしいと思っていたからだ。
***
夜も終わりに近付いた頃、マトリフはふと目が覚めた。同時に逞しい腕が自分を抱きしめているとわかる。ガンガディアは深く眠っているようで、マトリフが身じろぎしても目を覚まさなかった。
マトリフはベッドを抜け出した。散々に鳴されて喉が渇いていたからだ。だが見渡した部屋に水はない。酒も残念ながら封印されている。見れば扉の施錠は解除されていた。マトリフは法衣を身につけると部屋を抜け出した。
地底魔城は迷路のようになっている。そんな城の中をうろつくよりも、自分の洞窟へ帰ったほうが早いだろうと空が見える場所を探す。
すると通路の向こうから人影が見えた。それが誰だか嫌でもわかる。すると向こうもマトリフに気がついたようだ。
「貴様、また来たのか」
ハドラーが忌々しそうに言った。その視線がマトリフの首筋に向く。さっきガンガディアがつけた跡に気付いたのだろう。マトリフはそれを隠しもせずに腕を組む。
「てめぇこそ、こんな時間に城の見回りか? さすが三流魔王様だな」
ハドラーは苛ついたように頬を歪めたが、それ以上は言わずに通り過ぎようとした。マトリフも無言で通り過ぎる。
しかしハドラーが思いついたように足を止めた。
「こんな時間に帰るとは、ついにガンガディアに振られたか?」
「残念ながら今日もあいつはオレに夢中な様子だったぜ」
「ほう、では聞いていないのだな。あいつが魔界へ行くことを」
マトリフは耳を疑って振り返った。それを見てハドラーがニヤリと笑う。
「その反応だと、本当に聞いていないのだな」
マトリフはハッとする。さっきガンガディアの部屋で見た地図を思い出したからだ。あれは見たことがない土地ものだった。
「あいつがデストロールだとは知っているだろう。その種が稀少だということもな。だが魔界のある地域に、そのデストロールがいたという報告があった」
「だから魔界へ行くってのかよ」
「あいつにとっては貴重な同種だ。確かめたいのが心情だろう」
その後もハドラーは何か喋っていたが、マトリフは聞かずに踵を返した。そのままガンガディアの部屋に戻る。
マトリフは扉を開けて部屋に入り、そのままガンガディアが眠るベッドに潜り込んだ。
「ん、マトリフ?」
ガンガディアは目覚めたらしく目を瞬かせた。マトリフはガンガディアの腕の中へとおさまる。
「体が冷えている。どこへ行っていたんだ?」
「喉が渇いたんだ」
「そうか。準備していなくてすまない」
マトリフはぎゅっと目を閉じてガンガディアの胸に顔を擦り付けた。
「どうしたのかね」
「別に」
魔界に行くのかよ、とマトリフは聞けなかった。それを肯定されるのが怖かったからだ。
「ガンガディア」
「なにかね」
「……オレのこと好きだろ?」
「ふふ、さっきからどうした。私の気持ちが伝わらなかったかね」
行為の最中に散々に愛していると言われたことを思い出してマトリフは顔が熱くなる。恥ずかしげもなく愛を連呼するガンガディアに勘弁してくれと思ったばかりだった。
こいつがオレを置いて魔界へなんて行くわけがない。マトリフはそう思い直す。きっと三流魔王が与太を飛ばしただけだ。
「君は愛していると言ってくれないのかね」
「シラフで言えるかっての」
「では酔った君に言ってもらうとするよ」
ガンガディアに抱きしめられてマトリフは目を瞑る。温かい腕の中で眠ることにマトリフは幸せを感じていた。
***
「あのワイン?」
キギロは面倒臭そうに言う。マトリフは帰る途中に見かけたキギロに声をかけて、昨夜に飲んだワインがどこで手に入るのか聞き出そうとしていた。
「あれは入手困難なんだよね」
「なんだよ、勿体ぶるな」
「魔界産なんだよねえ」
魔界と聞いてマトリフは眉間に皺を寄せた。ハドラーに聞いたことを思い出したからだ。
「お前はどうやって手に入れたんだ」
するとキギロは、最近になって魔界への行き来出来る道を見つけたと言った。まだ行き来できる者は限られているらしいが、そこから来た者からワインを譲って貰ったという。
「そういや、ガンガディアも近々あっちに行くんじゃないの」
何気なく言ったキギロの言葉にマトリフは眉間に皺を寄せた。ハドラーだけでなくキギロにまで言われて、真実味を帯びてきたからだ。
マトリフの驚きを感じ取ったキギロは笑みを浮かべた。いけすかない大魔道士の弱味を握ったとばかりに、得意気に葉っぱを揺らす。
「あれ? あんたは聞いてないの?」
「お前ら揃ってオレを担ごうってんじゃねえだろうな」
「そんな暇じゃないっての。え、なに。ガンガディアは言ってないの?」
ニヤニヤとキギロが笑っている。その表情にマトリフはカチンときたが、余裕ぶって口の端を歪めた。
「あいつがどこへ行こうがオレには関係ねえだろ」
「強がっちゃって」
ケタケタと笑うキギロに我慢ならずマトリフは火を放った。当然キギロもやり返してくる。お互いに熱が入ってしまい、ちょっとした騒ぎになった。
やがて騒ぎを聞きつけたガンガディアがやってきた。ガンガディアはマトリフを摘み上げる。
「大魔道士、キギロと仲良くしてくれ」
「離せよ!」
「なぜキギロを燃やしているのかね。ワインの礼を言うのではなかったのか?」
その様子を葉っぱを焦がしていたキギロが笑って見ている。
「や〜いエロ魔道士。なんで怒ったかガンガディアに言ってたら?」
「黙れこの苗木野郎」
「やめないか二人とも。大魔道士も普段の冷静さはどうしたのかね。キギロの挑発に怒るなんて君らしくもない」
「ふん、オレは邪魔な木を燃やしてただけだ」
マトリフはそっぽ向く。するとキギロがマトリフを指差して笑った。
「それだっての。そうやって素直になれないからガンガディアはあんたを捨てるんじゃない?」
マトリフは思わずキギロに向かってメラゾーマを撃っていた。しかしそれより早くキギロは逃げていく。
「てめえ逃げんな!」
「いったい何の話をしているのかね」
ガンガディアは厳しい眼差しをマトリフに向ける。マトリフは言葉に詰まった。キギロは既に逃げていない。マトリフも逃げたかったがガンガディアには腕力で敵わないし、黙秘できるほどガンガディアは甘くなかった。
マトリフは仕方なく腹を括った。マトリフはガンガディアを見上げる。
「お前、魔界へ行くんだろ」
「誰がそんなことを。私は魔界へは行かない」
きっぱりと言ったガンガディアに、マトリフは食い下がる。
「知ってんだぞ。お前と同じデストロールが見つかったんだろ。行きてえんじゃねえのかよ」
「それは噂に過ぎない。それにその噂が本当だとしても、私は魔界へ行くつもりはない」
マトリフは目を丸くさせた。ガンガディアは笑みを浮かべる。
「私が魔界へ行くと聞いてキギロと喧嘩を?」
「あいつだけじゃねえ。ハドラーだって言ってたぞ」
「情報は集めていたから、魔界へ行くと誤解を与えたのかもしれない。だが私は魔界へ行くつもりはない」
マトリフは安堵と同時に行き場のない怒りを覚えた。勘違いはあいつらのほうだったのだ。マトリフは無駄に掻き乱された感情のせいでどっと疲れた。
するとガンガディアはマトリフを下ろした。そしてその隣に腰を下ろす。
「君は私が魔界へ行くのは嫌なのか?」
「……嫌に決まってんだろ」
「なぜ嫌だと?」
「そんなこと……言わせんなよ」
それはガンガディアを好きだからに決まっている。好きだから離れたくないし、もし黙っていなくなったらと思うと胸が苦しくなった。だがそれを素直に言葉にすることはマトリフには出来なかった。
「私は言ってほしい」
ガンガディアの言葉にマトリフはふいと顔を背けた。
「オレは好きでもない奴に抱かれたりしねえよ」
マトリフは自分の気持ちは行動で伝えていたつもりだ。マトリフにとって面と向かって好きだと言うより、行動で示すほうが楽だからだ。
しかしガンガディアは寂しそうな顔でマトリフを見た。
「君が私をどう思っているのか、わからなくて苦しいと感じていた」
ぽつりと呟いたガンガディアの言葉に、マトリフは目を見張った。
「ガンガディア……」
「君が素直でないのは理解している。しかし言葉で聞きたいと思っていた」
マトリフは自分の愚かさを痛感した。いくらマトリフが行動で伝えているつもりでも、それはガンガディアにとっては何も言われていないのと同じだからだ。
マトリフは手を握りしめる。自分の羞恥など、取るに足りない問題だった。
「悪かったよ。お前に言わせるばっかりで、オレは全然自分の気持ちは言ってこなかった」
マトリフはガンガディアの手に手を重ねた。大きさも色も違う二人の手は、ぴったりと重なることはない。何もかも違う二人なのだから、伝える努力が必要だったのだ。
マトリフは小さく口を開く。決心したがやはり羞恥を感じた。顔に熱が集まってくる。まるで初めてその言葉を口にするときのように緊張した。
「お前のことが……好きだ」
途端にガンガディアに抱きしめられた。ガンガディアは感激しているらしく、目を潤ませてぎゅうぎゅうとマトリフを抱きしめてくる。そのあまりの力の強さに骨が軋んだ。
「痛てぇえええええ!」
「す、すまない」
ガンガディアは慌ててマトリフを解放した。マトリフは苦笑しながら腕を摩る。マトリフはこっそりと回復呪文をかけた。
「すまないマトリフ。大丈夫かね」
ガンガディアはおろおろとマトリフの様子を見てくる。触るのが躊躇われるのか、手は半端に上げられたままだ。
マトリフは飛び上がるとガンガディアの首筋にしがみついた。そして耳元で囁く。それはこれまで伝えてこなかった愛の言葉の連呼だった。
「だ、大魔道士」
ガンガディアは震えながらマトリフの言葉を遮った。見ればガンガディアは赤面して震えている。
「なんだよ」
「すまない。キャパシティを超えた」
なるほどこれがガンガディアの照れた顔かと凝視する。するとガンガディアは逃げるように顔を背けた。これではいつもと逆である。マトリフはそれに面白味を感じた。
「おーい、なに照れてんだよハニー」
「ちょっと待ってくれダーリン」
意外にも乗ってきたガンガディアの腕にしがみつく。そして愛を伝えるのも悪くないと思い直した。
マトリフはまだ恥ずかしさを感じながらも、ガンガディアに愛してると伝えた。
おわり