You are the sunshine of my life 豪奢な窓から差し込む朝陽すら嫌味たらしかった。パプニカ城の片隅にあるこの部屋ですら、日当たりも良く内装は派手だ。
マトリフはパプニカに勤めたことを心の底から後悔していた。こんな場所はマトリフが最も苦手とする場所であることは最初からわかっていた。だが国王直々に相談役にと打診され、魔王軍との戦いでの勝利に浮かれていたのかつい頷いてしまった。どうせ帰る故郷もない。残った僅かな命を、誰かのために使いたいと殊勝なことを思ってしまったのが間違いだった。
だが、国王の一存でパプニカへと来たマトリフを、古参の臣下が快く迎え入れるはずはなかった。あからさまに媚びへつらうことで余所者扱いする者もいれば、マトリフを見ただけで表情を消して話すらしない者もいた。それでもマトリフは国王が望むならば相談役としての役目を果たそうと考えていた。
だがそう簡単な話ではなかった。大臣を含めた古参の臣下たちのそういった行動が、城内の者たちへと伝播していった。最初は丁重に接していた者も、段々とマトリフに邪険にするようになっていった。もちろん全ての人がそうだったわけではない。だが誰一人としてマトリフに味方をする者はいなかった。
そのことに大臣が裏で手を回していたのか、自然とそうなったのかはわからない。だが、運ばれてくる食事にすら信用が置けなくなってくると、いよいよこの城を去るべきだとマトリフは考えはじめた。
ちょうどその頃にマトリフは体調を崩すようになった。国王に呼ばれても体調が悪くて断ることが増え、それを理由にマトリフは相談役を辞したいと国王に伝えた。しかしそれでも国王はマトリフに相談役でいてくれと言った。今のパプニカには力がない。賢者が育たなくなってしまったからだ。マトリフがいれば賢者の国としての面目が保てる。そしてその間に次世代の賢者を育てるつもりでいるらしかった。
つまりマトリフはパプニカに利用されているだけだった。それでもマトリフはこの歳若い国王を助けてやりたかった。国王にはもうすぐ子が生まれる。その子が賢者の才能に目覚めてこの国を導いていけるまで、この国に留まると約束をした。
国王はマトリフの健康を案じて医者を呼んでくれた。医者はマトリフの体を診ると抑揚のない声で訊ねた。禁呪法を使ったことがあるのかと。マトリフは血の気が引いた。マトリフは魔王軍との戦いで、どうしても必要があって禁呪法を使った。だが多用したわけではない。禁呪法の危険性など嫌というほど聞かされてきたからだ。
養生しろとしか医者は言わなかった。禁呪法を使った人間の末路は決まっている。擦り減っていく命をその痛みに耐えながら眺めるしかないのだ。
だがそのことを大いに喜んだ者がいた。マトリフを最も敵視している大臣だ。大臣はマトリフを国王の側に置くのは相応しくないと主張した。禁呪法は魔法を使う者の間では忌み嫌われている。大臣はマトリフを追い出す理由を得てここぞとばかりに声を張り上げた。
だが国王はそれでもマトリフを相談役から降ろさなかった。国王も大臣たちではこの国を支えられないとわかっていたからだ。いずれ我が子が国を導く賢者となる。だがそれには時間が必要だ。たとえ禁呪法を使ったとしても、魔王軍を倒すためにやむを得なかったと言い訳ができる。マトリフにある勇者一行の賢者という肩書が、パプニカにはどうしても必要だった。
だがそれらの騒動はマトリフを蚊帳の外において行われた。マトリフはその頃になるとパプニカ城に軟禁状態だった。城を出たくとも体調が悪く、それでも出ようとすると駄目だと言われる。それに反発する気力さえマトリフは失っていた。
マトリフは朝目が覚めて窓から差し込む朝陽を見つめていた。近頃は朝陽すら憎い。またつまらない一日がはじまるのかと思うと、生きる気力が体から流れ出して干上がるようだった。
この城でのマトリフは「勇者一行の賢者」としての存在でしかない。そしてその存在をどう飾るかが重要であり、実際の生身のマトリフは必要とされていない。むしろ邪魔であり、ただ部屋の中へ押し込んでおけばいいのだった。
そんなマトリフの部屋のドアがノックされた。それは大変に珍しいことだった。来たのは門兵であり、マトリフに来客があると伝えた。それもまた大変に珍しいことだった。マトリフがこの城に来てから訪ねてくる客などいなかった。
マトリフは城門まで案内された。なぜ城の中で会わせないのかと不思議に思ったが、久しぶりに出た外は心地良かった。
城門の外には旅装束の男が背を向けて立っていた。その後ろ姿だけでマトリフはそれが誰だか分かった。
「ロカ」
思わず呟いた声があまりに喜びを含んでおり、マトリフはその声を掻き消すように手で口を押さえた。まさか聞こえていないだろうと思ったが、ロカはマトリフを見ると満面の笑みでこちらに手を振った。
「マトリフ!」
ロカはこちらに走り寄るとマトリフを抱きしめた。その大きな体と温かさに不意に目頭が熱くなる。
「なんでえ突然に。レイラやマァムは元気にしてんのか?」
マトリフはロカに会えた喜びを大っぴらに表せなくて、つい捻くれた態度を取ってしまう。だがロカはそんなマトリフのことをよく理解しているのか笑みを浮かべた。
「会いたかったの一言くらい言ってくれよ。オレはマトリフみたいにルーラでは飛んで来れねえんだぜ」
変わらないロカの顔を見ていると、マトリフは自分という存在を思い出していくようだった。ロカはマトリフを賢者として見ているわけではない。そのことが今のマトリフにとって救いだった。
「城の中まで来りゃよかったのによ」
ロカはパプニカ王とも面識がある。あの戦いの後でパプニカ城を訪れているからだ。するとロカは急に声をひそめて言った。
「城なんて堅苦しくってさ。ちょっと外で話そうぜ」
ロカはそう言って側にいた門兵をちらりと見る。マトリフは駄目元でその門兵に出てくると言った。すると門兵は頷くだけで止めなかった。
「じゃあ行こうぜ」
ロカがマトリフの手を掴んだ。これじゃまるで城から姫を連れ出す騎士のようだと思ったが、馬鹿な想像だったので口には出さなかった。
ロカはマトリフを城の近くの森まで連れてきた。体調のせいもあってマトリフは息が切れる。流れた汗を手の甲で拭った。
「どこまでいく気だよ」
呼吸を弾ませながらマトリフは言う。風があるせいか森は木々の揺れてぶつかり合う音が響いていた。
「こんなとこで内緒話ってことは、お前なにかやらかしたんじゃねえだろうな?」
まさかロカに限ってないだろうと思いながら冗談めかして言う。マトリフの前に立つロカは背を向けたまま何も言わなかった。
「おい、ロカ」
ロカは振り返ると同時にナイフでマトリフの胸を刺した。
痛みよりも先に驚きが襲う。マトリフは咄嗟にロカを突き飛ばした。反動で背中から地面に倒れる。胸にはナイフが刺さったままだった。
混乱は一瞬だった。何故、と思うと同時に、こいつはロカではないと気付く。魔王にすら力任せに殴ったロカがナイフなんて使うはずがない。それにロカがこんな恨みのこもった目で見てくる筈がなかった。
マトリフは意識が遠のく前にルーラを唱えた。
***
マトリフはルーラの着地をこれほど無様にしたのは久方ぶりだった。もうもうと立ち上る砂煙にまみれながら、今さらになって痛みはじめた胸に回復呪文をかける。だが、その前にナイフを引き抜く必要があった。肺が潰れたのか息が苦しい。震える手でナイフの柄を掴む。痛みを覚悟して息を詰めてナイフを引き抜いた。
吹き出す血を抑えるように胸に手を当てた。意識が飛びそうになるのをなんとか堪えて回復呪文をかける。白を基調としたパプニカの法衣は赤く染まっていた。
やがて傷口が塞がる。地面には血溜まりができていた。
マトリフは立ち上がってあたりを見渡した。そこはロカの家の裏手だ。薪割りの斧が切り株に刺さっている。
「ロカ!」
マトリフはふらつきながら家のドアを開けた。ロカの偽物が現れたから、本物のロカに累が及んでいるかもしれないと思ったからだ。
部屋はしんとしていた。誰もいないのかと思ったが、奥の方からマァムの声が聞こえてきた。マァムがいるならロカかレイラがいるだろう。マトリフはそのまま部屋の奥へと進んだ。
一番奥にあるのは寝室だった筈だ。ドアは少しだけ空いている。中にレイラの姿が見えてマトリフはドアを開けた。
「ロカ?」
ベッドにはロカが横たわっていた。その眼は閉じられている。ベッドの前の椅子にレイラが座っていた。その膝の上に座ったマァムがロカを呼んでいる。揺り起こすようにロカの手を触っているが、その手は動かない。
レイラが振り返ってマトリフを見た。その表情は暗くやつれていた。
「……嘘だろ」
マトリフはロカの手に触れた。それは驚くほど冷たい。生きている者の体温ではなかった。
「もう埋めなきゃってわかってるけど、マァムが泣くからできないの」
レイラがぽつりと言った。ロカが亡くなったのは三日も前だと言う。病気だったららしい。マトリフはそんなことは聞いていなかった。
「アバン様に会った?」
ロカの病気がわかってから、アバンは何度もマトリフを訪ねて来たらしい。だがずっと会えなかったという。
「なんで……オレはずっと城に」
「あなたは相談役を辞めてどこかへ行ったと言われたって」
レイラはマァムを抱いて立ち上がった。マァムはロカから引き離されて不満の声を上げる。その不満はやがて泣き声になり、激しい拒絶をレイラにぶつけた。レイラはただそれに黙って耐えている。
「埋めてしまう前にマトリフに会わせてあげれてよかった」
レイラは泣きじゃくるマァムの背を撫でながら部屋を出ていった。マァムの泣き声が耳をつんざく。
マトリフはロカを見つめた。ロカはまるで眠っているようだった。
マトリフはロカの髪を撫でると部屋を出た。そのまま真っ直ぐに家を出て、先ほどルーラで着地した裏庭に回る。ナイフは落ちたままだった。それを拾い上げてまたルーラを唱えた。
***
マトリフは血に濡れた抜き身のナイフを手に城内を歩いた。すれ違う誰もがマトリフに驚き、遠巻きに見ている。マトリフが身に付けた法衣の胸元には穴が開き、そこを中心に赤く染まっていた。
「賢者様」
ついに近衛兵がマトリフを止めた。武器を渡すように言われる。マトリフは無言で手を上げると呪文で近衛兵を吹き飛ばした。
途端に城内は騒ぎになった。兵士が集まってきてマトリフに槍を向ける。だがその誰もが及び腰だった。マトリフに勝てる者などこのパプニカにはいないとわかっているからだ。
すると大臣がやってきた。忌々しそうにマトリフを見ている。
「返しにきたぜ」
マトリフは言いながらナイフを振って見せた。このパプニカでモシャスを使えるのはこの大臣くらいだろう。案の定、大臣はナイフを見ても驚かなかった。
「簡単に死ねばいいものを」
大臣は兵士にマトリフを取り押さえるように命じる。兵士は次々に呪文を放つが、マトリフはそれらをすべて相殺した。
「全部お前の仕業だろ。さっきロカに化けたのも、アバンを追い返したのも」
この大臣はアバンからロカの死を聞いて今回のことを思いついたに違いない。その行動の全てが許せなかった。マトリフはナイフを振りかざす。
「マトリフ!」
見れば国王とアバンが一緒にこちらへと走ってきていた。構わずマトリフは呪文で大臣に飛び掛かる。
「待ってくださいマトリフ!」
「もう待てねえよ」
言うと同時にマトリフは大臣の手にナイフを突き刺していた。汚い悲鳴が上がる。よろける大臣を突き飛ばしてマトリフは国王を見た。
「国王さんよ、やっぱり約束はなかったことにしてくれや」
もう顔も見たくねえからさ、とマトリフは呟くと近くの窓を開けた。マトリフは振り返ってアバンを見る。
「ロカには会ってきた。悪りぃけど葬式には出られねえ。レイラに謝っておいてくれ」
マトリフは窓枠に登ると蹴って宙に舞った。背を地面に向けて両手を広げる。ちょうど太陽が真上にあって強く輝いていた。その温もりを全身に浴びながらマトリフは落下する。ふと、このまま呪文を唱えずにおいたらどうなるのかと考えた。どうなるもなにも、地面へと叩きつけられて死ぬだろう。それが甘い誘惑に思えた。風を切る音がごうごうと耳に響く。
だがマトリフはルーラを唱えた。体が重力に逆らい浮上する。光の軌道が空を切り裂いていった。
それからマトリフは洞窟を終の住処と定めた。太陽に背を向けるように終わりの時を待っている。たとえ天に輝く本物の太陽だとしても、ロカのように温かくはないからだ。