火竜の鱗 マトリフは魔導書を広げた。既に契約は済んでいる。契約出来たということは、不可能ではないのだろう。
ガンガディアから託された火竜変化呪文の魔導書を、マトリフは結局は手放さなかった。目の前で燃え尽きたガンガディアの形見のように思えたからだ。
火竜変化呪文は魔法使いの体力では使いこなせない。それをマトリフは十分にわかっていた。だからこの魔導書を使えなくても、形見として持っていればいい。マトリフは最初こそそう考えていた。だが時間が経つにつれ、マトリフはガンガディアの影を追うようになっていった。
マトリフは常に火竜変化呪文の魔導書を持ち歩くようになった。そして何度もそれを読み返してはガンガディアのことを思った。
マトリフはガンガディアを殺したことを悔いてはいなかった。ガンガディアは魔王軍の幹部として人間たちを苦しめた。だが同時に、ガンガディアはマトリフがずっと求めていた存在だった。もう出会えないかと思っていた好敵手。もし立場が違えば、友になれたかもしれない。
その存在をマトリフは自らの手で殺めた。その葛藤がマトリフにつきまとった。
やがてマトリフは片時もガンガディアのことが頭から離れなくなった。寝ている時は夢にガンガディアを見て、目が覚めればガンガディアのことを考えた。それは終わりのない懺悔のようだった。
やがてマトリフは思い立ったように火竜変化呪文を契約した。魔法陣の上に立ち、精霊の光が身の内に収まると、マトリフはさっそく火竜変化呪文を唱えた。
肉体の変化は苦痛を生む。それに耐えるためにマトリフは脚を踏み締めた。魔法力が氾濫してあたりを照らす。
マトリフは咆哮を上げた。竜の声帯が備わったためか、その声は大地を揺らす。額には亀裂が入った。そこから先の尖った白い角が突き出す。魔法力がマトリフを変えていった。その皮膚が白銀の鱗で覆われはじめる。
だが変化はそこで止まった。マトリフは立っていられずに地面に膝をつく。マトリフの体は変化に耐えられなかった。
手をついた地面に汗が落ちる。切れた息が耳障りだった。マトリフは地面の土を握りしめる。鋭くなった爪が地面を抉った。
マトリフは這うように近くの泉へと進んだ。湖面を覗き込んで自らの姿を映す。そこには人間でも竜でもない、醜い獣の姿があった。
「……あいつはこんなんじゃなかった」
マトリフはガンガディアを望むあまり、己を竜に変えようとした。そうすればまたガンガディアに会えるからだ。
だがマトリフが望んだ通りにはならなかった。ガンガディアはもっと美しい竜だったからだ。
マトリフは己の白い鱗を摘む。マトリフは力をこめてそれを引きちぎった。