明日からもその調子でよろしく キバナさんのSNSに、新しい写真が投稿されていた。キバナさんがひとりで写っているバストアップの写真だ。キバナさんは、鋭い爪を持つポケモンが威嚇するように、指を曲げた両手を前に出している――バトルが始まるときに見せる、お決まりの「ガオー」ポーズをとっていた。
けれど、いつもの「ガオー」とは、ちょっと違うところがある。
まず表情だ。バトルのときには、剣呑な面持ちか、そうでなければ不敵な笑顔を浮かべている。でも写真に写るキバナさんは、明るく笑っていた。得意気な表情でもあった。とびきりの宝物を、どうだいいだろ、と自慢するみたいな顔だ。
もうひとつ、手の指——正確に言えば、爪も違っている。キバナさんの指は、十本とも綺麗にネイルを施されていた。メタリックカラーのマゼンタ。美しい光沢を放つ爪は堂々としていて魅力的だ。
その写真が投稿されたのは今日の午前中だった。投稿からまだ半日も経っていないのに、すでに千件を超えるコメントと万単位の「いいね」がついている。別のSNSでも拡散されて、かなりの話題となっているようだ。
キバナさんは有名人で人気者だから、SNSへの投稿に注目が集まるのはいまに始まったことじゃない。それでも、今回の写真は、ふだん以上の盛り上がりを見せている。
その理由はふたつ。ひとつは、キバナさんはふだんネイルなんてしないのに、何の前触れもなく急にネイルをした写真を投稿したこと。もうひとつは、そのネイルが、うちのアニキ——キバナさんの恋人だと公表している、哀愁のネズが広告を務めた商品であることだ。
あたしはスマートフォンから目を離して、アニキの方を見た。
アニキはソファに座って、夕食後の紅茶を優雅に味わっていた。アニキの傍らではズルズキンがすやすやと眠っている。平穏な光景だ。でも、いまは穏やかなアニキも、午前中は……キバナさんがSNSに写真を投稿するまでは、きっと不機嫌だったのだろう。
「ねえ、アニキ。キバナさんのSNSが更新されてるね」
「ええ、知ってますよ」
あたしが尋ねると、アニキはあっさりと頷いた。そらとぼけている。しらじらしい。
「このネイル塗ったの、アニキやろ?」
あたしは重ねて問いかける。
「キバナさん、普段ネイルなんてしないでしょ。それなのに、自分でこんなに綺麗に塗れるわけなか。慣れとー誰かがやってくれたはず」
「それで、どうしておれが塗ったと思うんです?」
「だってこれ、アニキが広告やったネイルだし。それに、キバナさん、嬉しそうに笑っとるし。だからアニキが塗ってあげたのかなって思ったの」
なぜわざわざそんなことをしたのか、その理由もわかっている。
「キバナさんはアニキのものだっていう主張でしょ? この前。キバナさんが浮気してるって記事書かれてるの見て、すごく怒ってたもんね、アニキ」
数日前、キバナさんがコマーシャルで共演した女優さんと浮気をしているというゴシップ記事が、ウェブ上にアップされた。もちろんうそっぱちだ。キバナさんはアニキにめろめろでぞっこんで骨抜きだし、浮気相手にされた女優さんにも心に決めたパートナーがいる。
キバナさんも女優さんも、恋愛絡みのスキャンダルを捏造されることが多いタイプだった。だから本人たちはもちろん、それぞれの関係者やファンも、そんなでまかせの記事なんて、最初から相手にしなかった。
けれどほんの一部の心ないひとたちが、その記事を面白おかしくいじっていたのも事実だ。本気ではないだろうけれど、「ほんとに浮気してるんじゃないの」と嫌なことを言うひともいたらしい。
それでもキバナさんは、「よくあることだから」と無視していた。だけど、アニキは無視できなかった。「好き勝手に言いやがって」と怒っていた。
キバナさん本人は笑って受け流していたのに、アニキのほうがぷりぷり怒っていたのだから、おかしな話だ。
だけどあたしは、アニキをいさめようとはしなかった。
アニキが恋人の浮気を捏造されて怒っているのは、恋人を悪く言われたのが不愉快だったからでもあるだろうが、それ以上に独占欲と嫉妬心が刺激されたからだろう。身勝手な怒りだ。でもその身勝手さには人間味があって、嫌いじゃなかった。これまでずっと故郷のためにがんばってきたアニキが、ようやく自分のために感情を使えるようになったのだと思うと、ちょっと感動すらしたのだ。だから、好きなだけ怒ればいい、と思った。
キバナさんもいつだったか、「ネズには悪いけど、恋愛絡みのスキャンダルが出るたびにネズが怒ってくれるの、愛を感じて満更でもないんだよな」といたずらっぽい口調で話していた。あのひともきっと、無理にアニキの怒りを静めようとはしなかったはずだ。
その結果が、今日投稿された写真である。
「こうでもしなきゃ、怒りが収まらなかったんですよ」
言って、アニキは紅茶を飲んだ。物言いもふるまいも穏やかで、怒りはすっかり払拭されている様子だ。
「SNSじゃ話題沸騰でしょう?」
「うん。キバナさんのネイルが、アニキが広告やったネイルだって、みんなとっくに気付いてる。牽制だマウントだ、この前の浮気記事がよっぽどむかついたんだなって、騒ぎになっとるよ」
「むかつかねえわけありませんよ、あんなくそったれな記事」
アニキは涼しい顔で言う。
「だからね、主張しておきたかったんです。おまえらがどれだけクソなスキャンダルをでっちあげようと、おれとキバナはらぶらぶ絶好調ですよお生憎様このヤロー、ってね」
アニキの口から「らぶらぶ」なんて言葉が出たのが面白くて、あたしは思わず噴き出した。
「ふふ、そうだね。この写真のキバナさん、すごく嬉しそうにネイル見せびらかしとーもん。こげなもの見たら、キバナさんがアニキにめろめろだって、嫌でもわかっちゃうよ」
「そうでしょう、そうでしょう。おれがネイル塗ってやってる間もにこにこしちゃって、まあ可愛いもんでしたよ」
アニキはふふんと満足げな顔だ。にんまりと笑う様が、なんだか可愛らしい。そんな可愛げのある顔を見ると、アニキだってキバナさんにめろめろなんだよな、ということだって、嫌というほどにわかってしまう。アニキとキバナさんは、とんでもなく両想いなのだ。
そのことが、むしょうに嬉しい。アニキが誰かを深く愛し、その相手にも同じだけの強さで愛されているという事実は、あたしを満足させた。
「アニキ」
「何です?」
「アニキはそのまま、ずーっとキバナさんとらぶらぶでいなきゃいかんよ」
あたしが言うと、アニキは「もちろんです」と言って大きく頷いた。頼もしい返事に、ますます嬉しくなった。