ぴかぴか「たまに、脳みそ取り出して、きれいさっぱり洗いたくなるんだよね」
おれが言うと、キバナは怪訝な顔になった。
「なにそれ? 頭痛がするとか?」
「そうじゃなくて……悩んだり落ち込んだりしてさ、いろいろ嫌なことを考えて、頭の中がぐちゃぐちゃになるじゃないですか。そういうとき、脳みそ取り出してばしゃばしゃ洗えたら、すっきりして清々しい気分になるんじゃねえかなって思うんですよね」
ネガティブなおれの脳みそは、きっとたくさんの汚れがついている。ぐちゃぐちゃでどろどろの、触るどころか視界に入れることすら不快な汚れが。たっぷりと洗剤を使ってその汚れを洗い落とさなければ、後ろ向きな気分は払拭できないだろう。
だから、空想するのだ。小物入れのふたを開けるような易しさで、頭蓋骨をぱかりと開けて、中から脳みそを取り出すところを。水を張ったタライに脳みそをぶちこんで、馬鹿みたいに大量の洗剤を入れて、あわあわにしてわしゃわしゃと洗うのだ。泡を流したとき、脳みそは見違えるようにぴかぴかになっている。そんな光景を、思い浮かべてみる。
「まあ、脳みそ取り出して洗うなんて、無理ですけど」
おれは自嘲する。どれだけ空想してみても、その願いは現実にはならないとわかっている。ほんとうに洗いたいのは脳みそではなく、いっそ魂だということも、きちんと自覚しているのだ。
おれがネガティブなのは、脳みそではなく、魂の問題だと思っている。おれという存在の根幹からして汚れているのだ。汚らしいものがこびりついた、不愉快のかたまりのような醜い魂。それを綺麗に洗えたら、きっと生まれ変わった心地になれる。
「……ネズ、いま、脳みそ、洗いたい気分なのか?」
キバナはおれの顔をのぞきこむ。明るい色をした双眸がおれを見つめる。キバナの瞳は、いつだって曇りのない青色だ。朗らかな晴れ空のよう。そんな綺麗な目でおれみたいな湿気た男を見るんじゃないよ、と思う。だが、そう言ってみたところで、キバナはおれを見つめることをやめないんだろうな、という確信がある。
「そうですね。最近、嫌なこと続いたんで」
おれはキバナから目をそらして答える。鬱屈とした気分。居心地が悪い。
キバナはふうんとうなずいて、「脳みそじゃなくって、体洗うだけでも、結構気分変わるんじゃないか?」
「は?」
「よし、シャワー浴びよう!」
キバナはとまどうおれの手を引いてあっという間にバスルームへと連行し、てきぱきとおれの服を脱がせると自分も素っ裸になった。混乱してされるがままになっているおれににっこりと笑いかけると、えいやっとシャワーのハンドルを回す。次の瞬間、おれは頭から勢いよくお湯を浴びせられていた。お湯が流れるざああああ、という音が、バスルームの中いっぱいに反響する。もうもうと立つ湯気の中、キバナはいたずらっぽく笑っている。
唖然するおれに構わず、キバナはシャンプーをこれでもかと掌に出して、おれの髪を洗い始めた。いいにおいのするシャンプーがみるみるうちに泡立って、おれはもこもこになってしまう。比喩ではなく、ほんとうにもこもこだ。おれは指一本動かせないでいるのに、キバナときたら何故だかとても楽しそうで、鼻歌まで歌っている。おれの作った歌だった。ときどき音が外れたが、おれにはそれを指摘することもできない。
髪の毛の次は、当然のように体を洗われた。やっぱり大量のボディソープを使われて、柔らかな感触のボディタオルでわしゃわしゃと体を優しく擦られる。全身もこもこになったおれを見て、キバナは「ふふ、ウールーみたいでかわいい」と笑った。ほんとうに可愛いだろうか、この姿。間抜けなだけじゃなかろうか。
おれはぽかんとしたまま正気を取り戻せず、そうしているうちに泡だらけの体にまたシャワーを浴びせられた。泡が全て流されると、バスタオルにくるまれて、バスルームから連れ出される。
「ほら、綺麗になった!」
洗面台の鏡に映るおれは、つやつやのつるつるで、ぴかぴかのきらきらだった。キバナの言うとおり、すっかり綺麗になっている。清潔で瑞々しい姿。
鏡の中の自分をまじまじと見ていると、くすぐったい気持ちになった。洗われたのは体の表面だけのはずなのに、脳みそも……魂までも綺麗にされてしまった気がして、むずむずする。
「どうよ、清々しい気分になっただろ?」
キバナは得意げな顔だ。えっへん、と胸を張るさまはなんだか子どもみたいで、でも、おれはキバナがたまに見せるこういう無邪気さとか、屈託の無さが好きだった。それはもう、たまらなく。
胸がきゅう、と締め付けられる。なんでこいつこんなに愛しいいきものなんだろうなあ、と切ない喜びが心臓を覆う。
清々しい気分じゃない、ぜんぜん。でも、幸せな気分ではあった。だからおれは黙って頷いた。するとキバナはほんとうに嬉しそうに笑ってみせる。その笑顔を見ていると、おれの魂がますます輝くように思われた。
最新の洗濯機も高級な洗剤も、キバナの愛には叶わない、たぶん。