最終軸場地が夢の中で刺される話 目を開けるとそこは暗闇に包まれた空間だった。場地の足元には丸く光が落ちており、上からスポットライトで照らされているみたいだった。周りに何があるのか把握出来ない程にひたすら深い闇が広がる空間へ一歩足を踏み出してみようとしたが、まるで床に縫い付けられたかの様にその場からぴくりとも動けない。だが辛うじて上半身は自由がきいた。とりあえず身の周りを確認してみようと、頭上から照らされる小さな明かりを頼りに手や身体を見てみる。特に何も持っておらず、東卍の特服姿だった。
(夢、だよな。なんつー夢みてんだオレ)
何か特別なことが起こるわけでもなく、かといってその場から動くことも出来ず。場地はただぼんやりと暗闇を眺めていると、遠くから──コツ、コツ。と靴音が響いてきた。姿は見えないが、今自分の向いている方向から聞こえてくる。
(オレ以外に誰かいんのか……?)
その靴音はゆっくりと此方に近付いてくる。姿が見えないだけに緊張が走る。すると、直ぐ目の前でピタリと音が止まった。自身の足元に広がる光の輪に、何者かの靴先が侵入している。ごくりと生唾を飲み込んでから足元に向けていた顔を上げ、その人物の顔を視界に映した。
「は?」
場地は困惑の声を零した。何故なら自分と全く同じ目線の先にある顔が、自分と瓜二つだったからだ。とはいえ、薄暗い所為なのか顔がややぼやけて見える。それでも自分の顔は毎日鏡で見ているので間違えようもない。この際そっくりさんという線は外すとして。ひとつ、目の前の人物と違う点をあげるとすれば、見たことのない上着を着ていることぐらいだろうか。
この空間で場地が目を開けてからずっと、これは夢だという自覚はあった。だから目の前に自分と瓜二つの人間が現れようとも不思議なことではない。だが、場地は先程から得体の知れない緊張を感じていた。脳内では警鐘が鳴り響き、今すぐ
"そいつ"から離れろと誰かに言われている気がしたが、生憎場地の足はぴくりとも動かない。
そんな場地の焦りが滲む顔をじっと見ていた目の前の男は、徐ろにポケットに手を突っ込んだかと思えば慣れた手つきで何かを取り出した。男が掌でそれを素早く振ると金属音が響き、顔を出した銀色のそれがギラリと光に反射した。
「ッ、おい。何のつもりだ」
まさか獲物を取り出して終わり、という訳ではないだろう。嫌な予感が脳裏を過る。場地の想像通り、ナイフの切っ先は此方に向けられていた。だが今の自分は逃げも隠れも出来ない。例え夢とはいえ、黙って殺されてやるつもりはない。誰だって死に直面すれば回避しようと藻掻くだろう。場地は動かせる上半身を捻ってどうにか出来ないかと必死に思考を巡らせていたが、相手は待ってはくれない。男はナイフの切っ先を場地の腹にそっと押し当てた。
「ッ!! てめぇ!」
自由のきく両手を動かしナイフを持つ男の腕を掴みながら、表情の読めないぼやけた顔をキッと睨みつけた。だが両手に上手く力が込められず、男の手はどんどん此方に向かって押し込まれる。布越しに鋭い刃が腹を押してくる感覚に恐怖と焦燥感が増していく。
「ふざけんなッ! オレはこんなんでヤられねぇぞ!!」
必死に抵抗しながら怒鳴り声を上げた。例え夢だろうと、何故自分と瓜二つの人間に殺されなきゃけならないんだという怒りを掌に込めて抗うが、男はより身体を近付けながらナイフを突き立ててくる。
(やめろ、やめろ……!)
相手も同じだけ、いやそれを上回る力で押してくる。その所為で段々と腕が痺れてくるのを感じたが、それでも場地は諦めなかった。だがこれは夢の中。攻防は長くは続かなかった。
──ずぷり。
嫌な音がした。肉を突き破る、嫌な音が。場地の腹に刃物を突き刺された生々しい感覚と鋭い痛みが走り、そして恐怖と絶望が全身を襲った瞬間視界が真っ暗になり、そこで意識は途絶えた。
「!!、ハッ、……ハァ、……はぁ、っ」
勢い良く身を起こせば、自室の壁が視界に映る。さっきのアレは夢なんだと頭では分かっていた筈なのに、腹を突き破るナイフの感覚がやけにリアルで一瞬夢か現実か分からなくなってしまった。全速力したみたいにまだ心臓がドクドクと激しく脈打っているし、額や背中にびっしょり汗をかいていた。深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせてから、場地はいつもより早く学校へ行く身支度を始めた。
ただ夢見が悪かった。その一言で片付けてしまえば後は夢のことなんか忘れて授業を受け、東卍の集会に出ていた場地であったが、まさかこの日を堺に何度も同じ夢を見ることになろうとは思ってもみなかった──。
あれから一週間が経った。場地は毎日あの日と同じ夢を見ていた。何度抵抗しようとも最後はナイフで腹を刺される夢を。その所為で精神的にも肉体的にも疲労が溜まっていった。眠る度に夢の中で殺されかけ、ちっとも寝た気がせず身体の疲れも取れないのだ。それなら一層のこと眠らなければ夢を見ずに済むと考え、夜更しする事が増えていった。只でさえ疲労が蓄積していた身体から睡眠時間を削る日々が続き、更に五日が経った頃。流石に目の下に浮かぶ隈が目立ってきたのか、場地の異変に気づき始めていた千冬が心配そうに声をかけてきた。
「場地さん。その、大丈夫スか? ちゃんと眠れてますか? 今日も顔色よくねぇすよ、隈も濃くなってますし……」
「……あー、ちょっと寝不足なだけだから心配ねェよ。わりぃな、心配かけて」
「そんな! オレは何も……あの、俺に出来ることがあれば何でも言ってください! 俺はいつだって場地さんの力になりたいんで!」
「おう、ありがとな千冬。今は大丈夫だ。でも、そん時はオマエに頼るワ」
安心させるように笑ってみせた場地だったがよっぽど上手く笑えていなかったのか、それとも大丈夫という言葉が信用ならないくらい無理をしていると見透かされているのか、千冬はずっと心配の色を滲ませた顔で場地の様子を窺っていた。千冬が自分よりも悲痛な表情を浮かべるものだから、場地は普段のような調子で絡んでやることが出来ず、心の中で謝りながら顔を逸らすのだった。千冬は妙に勘がいい。だからあまりこの話題に触れているとついボロが出てしまいそうな気がして避けた。余計な心配をかけたくない、ましてや夢見が悪いだけで睡眠不足になっているだなんて子どもじみた事は言えなかったし言いたくなかった。それと、上手くは言えないが夢の話を千冬にするべきではないと思ったのだ。あくまで場地の直感でしかないのだが、何故かしてはいけない気がしてならなかった。確かに延々と自分に殺されてる夢を見てるだなんて相談されたところで相手は反応に困るだろうが、それは場地の直感とはまた違うように思えた。永遠に見続ける夢なんてない。だからその内あんな夢も見なくなると信じていた。
そうして場地が俯きがちに考え込んでいる姿を、千冬は不安げな瞳で見つめていたのだった。