『王子様抱っこ』「あ、またそんな所で寝て……」
風呂上がりの濡れた髪をタオルで拭きながらリビングに戻ってくると、ソファに横になって気持ち良さそうに眠る場地さんの姿があった。場地さんは今日みたいにソファで寝落ちすることもあれば、リビングにあるローテーブルで勉強しながら寝落ちている時がある。
ふと、同じ団地で暮らしていた頃の記憶を思い出す。よくオレの部屋に遊びに来ていた場地さんはペケJと遊んだり漫画を読んだり、自分の部屋の様に寛いでくれていた。それが何だか、オレに対して凄く心を許してくれているみたいで嬉しくなったことを覚えている。そうして過ごしていく内、場地さんがオレのベッドで寝っ転がってそのまま眠ってしまったことがあった。疲れていたのか、オレの足音にも物音にも気づくことなくぐっすりと眠っていたから、オレは場地さんが目覚めるまでその寝顔をベッドの脇に座りずっと眺めていた。普段は凛々しくつり上がっている眉がなだらかで、何処か幼さを感じる寝顔。こんなにじっくり顔を見られる機会は貴重だと思い、これでもかと目を見開いて小さな寝息を立てて眠る場地さんの顔を見ていたのが懐かしい。端正な顔立ちであることもそうなのだが、好きな人だからこそ何百倍も美しくて綺麗だと感じるのだと思う。まるで眠り姫みたいだなと考えてしまうくらいオレの頭の中は場地さんの寝顔でいっぱいで、頬杖をついてうっとりしながら心のシャッターを連写したのだった。
中学時代、まだ付き合う前の懐かしい記憶を思い出しながらドライヤーで髪を乾かし、再びリビングに戻る。先程見た時と何ら変わりなく眠り続けている場地さんに近づいて呼びかけた。
「場地さーん、起きてください。そんな所で寝たら風邪引きますからちゃんとベッドで寝てくださいよ」
小さく寝息を立てるばかりで返事はない。軽く肩を揺すってみるがそれでも起きる気配はないようだ。自分より先に風呂を済ませていた場地さんは髪を乾かしてからベッドに行く前に此処で寝落ちてしまったみたいだ。今日は大学が終わってから店の手伝いをして、夕飯の後も課題をしていたようだから疲れていたんだろうと思う。
「ほら、ベッドに行きますよ場地さん」
場地さんの背中と膝裏に腕を差し込んでよいしょと持ち上げる。そういえばあの頃に比べて俺達の身長差はほぼ変わらない位に縮まっていた。身長差が縮まってくれた事に酷く喜んだものだ。当時身長を伸ばす為にと牛乳を飲みまくっていたが、果たしてその効果があったのかは謎だ。
しっかりと場地さんの身体を抱き上げ、耳元で囁いた。
「場地さん、腕回して」
「……ん、」
恐らく夢の中にいる場地さんがオレの言葉に小さく声を零して反応する。瞼は閉じられたままだが、寝ぼけながらも重たげに腕を動かしオレの首に回す。
(──本当にこの人は……っ)
そのままぎゅっと抱き着いてくるものだから、恋人の甘えてくる仕草に一瞬理性が飛びかけた。何度これをやられても耐性はつかないし危なく別の衝動が頭を擡げようとしてしまう。これで本人は寝ぼけているし無意識の行動なのだから本当に質が悪い。
場地さんをお姫様抱っこならぬ、王子様抱っこをして寝室まで運び、ベッドにそっとおろして布団をかけてやる。リビングで寝落ちする度、横抱きにされてベッドまで運ばれていることを場地さんは知らない。今日もこうして運ばれているのに、すやすやと眠っている愛しい恋人の唇に口付けをすれば小さくリップ音が響く。
「今日もお疲れ様でした。おやすみなさい、場地さん」
翌朝。大きな欠伸をしながら場地さんが起きてきた。
「ふぁ〜……千冬ぅ、はよ。オレさぁ、昨日ベッドで寝たっけ?」
「あ、おはようございます場地さん。またソファで寝落ちてましたよ。オレが起こしたら寝ぼけながら自分でベッドに行ったじゃないですか」
「あー、そうだっけ……? 覚えてねーんだよなぁ。まあいいワ」
寝起きのぼんやりした様子で洗面所に向かう場地さんのぽやぽやした雰囲気に、可愛いなぁと頬が緩みながら朝食の準備を再開する。こういう姿も、恋人であり同棲しているオレだけが見ることの出来る特権だと思うとつい顔がニヤけてしまう。
これからも本人にはベッドまで運んだ事は言わないつもりだ。勿論ソファで寝落ちはして欲しくないのだが、大人しく自分の腕に抱かれて運ばれてくれる場地さんは何より貴重であり、寝ぼけながらも甘えてくる場地さんを堪能出来る数少ない機会だからだ。という何とも己の欲に塗れた理由により、本人が気づくまでは黙っていようと心に決めていた。
安心しきった寝顔を晒しながら、素直に首に腕を回してくっついてくる場地さんが可愛くて堪らない。あんな様子を見せられてしまったらどうしたってクセになってしまう。普段素直に甘えてくる人じゃないから余計特別に思えるのだろう。そんな場地さんの姿をオレだけが知っているという優越感と幸福感に浸りながらも、口では注意することを忘れない。
「何度も言ってますけど、ソファで寝ないでちゃんとベッドで寝てくださいね」
「わかってるって。てかオレ、覚えてねぇけどちゃんとベッド行って寝てんじゃねーか」
「オレが起こしてあげてるからベッドまで辿り着けてるんスよ」
「あーはいはい。ありがとなぁ千冬」
オレだって寝落ちたくて寝落ちてんじゃねーし、とごにょごにょ文句を言いながら着替えている場地さんに「朝飯出来ましたよー」と声をかければ、不満げな顔からパッと表情を切り替え食卓テーブルに飛んできた。
最近つくづく思う。恋人がちょろくて少し心配だな、と。