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    宴 酣

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    ジャンル問わずワンクッションが必要だと判断した作品、公式設定を逸脱した捏造多めの二次創作おきば

    注意書きは設置しますので、よくお読みの上ご覧ください。注意書きを読まずにご覧になった際の苦情は受けつけかねます。

    なにかありましたらDMかWaveboxでご指摘いただけると幸いです。

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    宴 酣

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    『彼は誰がために哀歌をすさむ』シリーズのプロローグ、期間限定公開です。いつにも増して捏造過多かつ、☀️🌑どっちもちょっとかわいそうです。
    期間が終われば、Web再録などするまで実物の本にのみ収録作品になります。

    ##彼は誰がため哀歌をすさむ

    陽沈まぬ塔の玉座から君へ送る ―—“こちら”とは異なる歴史を辿ったとある世界。めざましい発展を遂げる人類の叡智は近世相応の文明へと成長を遂げ、空を飛ぶ技術の発明すら可能にした。
     人や物を遠い地へ運ぶ飛行船は生活を豊かにし、また一方で陸と海に加えて空までもが領土として認められると、争いの火種となることもあった。優れた技術を持つ国などは、航空機を武器とする物騒な開発にすでに手をつけているという。
     古来より地上から仰ぎ見ることしかできず、神々の姿を思い描くほどに人類が焦がれ続けてきた空という領域。そこへようやく手が届くようになった、そんな時代。世界で唯一、それを許さない王国があった。
     初めて目にする者がいたならば、およそ人間の手で造り上げられたとは到底思えない高さを誇る石造りの摩天楼を前に言葉を失うだろう。しかしその塔を象徴とする古い王国の存在を知らぬ者など、世界にはいない。ひとはこの地を、The Kingdom of Tower……高塔国、塔の王国と呼んだ。
     高塔国において、空は未だ神の所有物とされている。ゆえに他国はおろか国民たちにすら、ある一定の高さ以上の空間を侵す権利が与えられていないのだ。建造物は厳しく取り締まられ、近年珍しくもなくなってきていた飛行船などは一隻とて見当たらない。ただ、天を突かんとするほど巨大な塔城が威圧的に国土を見下ろすばかりの異様な光景が広がるのみである。
     世界規模で見ても高塔国がこのような特異な立ち位置を許されているのには当然わけがある。では、一帯の空を統べる塔の主とは、本当に神そのものなのか? その答えは実のところ、いかんともしがたい。
     太古の時代、天より祝福と寵愛を賜ったと伝わる神聖なる一族。彼らが代々務める国王は、いわば神の代弁者。天の御許のほど近く、高塔の頂に君臨する王を、人々は大いに敬い畏れてきたのだ。
     中でも、当時十にも満たない年齢で即位した現王はとびぬけて特別であった。彼は近隣の国を宗教ごと滅ぼして次々と侵略し、才能ある人間を拉致して自国の発展のために働かせたのだ。そうして歴史ある国家としか知られていなかった高塔国は、今や相当な強国として認知されるまでになっていた。
     誰もがひれ伏す、苛烈なるその王の名は──

    「ネブカドネザル陛下!」
    「お逃げください、陛下! この城はもう……」
    「ネブカドネザル様、どうか──」
    「騒々しい。少しは黙れないか」

     悲痛な叫びが飛び交うのを、ひときわ凛とした声が一喝する。怒号というほどではない。けれど抗いがたい迫力のある響きはひとことで空間を制圧するかのようだ。
     声の主は二十歳前後に見える青年。少年の面影を残したかんばせは強ばった顰め面を浮かべていてなお美しく、威厳と気品に満ち溢れている。縫い取りや装飾が施された豪奢な衣服に身を包み、天鵞絨のマントの裾は腰かけていても床に引きずる長さだ。瞳と揃いの、まばゆい金色の髪の上に頂いた王冠を含めて、装いの至るところに太陽の意匠が施されている。
     この青年こそが、高塔国現王・ネブカドネザル。彼は玉座に足を組んで座り、謁見の間に集まった人々をひと睨みで制した。皆同じく金の髪を持つ彼らは“輝く者”と呼ばれる、ネブカドネザルの庇護の元、塔に住むことを許された高官や貴族たちだ。最高権力者であり信仰の対象といっても過言ではないネブカドネザルからそう言われてしまえば、彼らは口を閉ざすしかなくなってしまう。
     しかしその中から、勇敢にもひとりが歩み出て頭を垂れる。彼は、ネブカドネザルの元で執政を支援してきた宰相にあたる男だった。彼もまた憔悴しきった様子ではあったが、話し出した声は存外しっかりとしている。

    「誠に恐れながら、ネブカドネザル様」
    「無礼者め。私は黙れと言っているんだ」
    「ええ、無礼を承知で申し上げるのです……この塔はもうじき崩壊するでしょう。その前にお逃げください」

     取り付く島もないネブカドネザルの言葉に怯まず、宰相はきっぱりとそう言い切った。


       ◆


     塔はひどい有様だった。堅牢なはずの石造りの城はあちこちから火の手と黒煙を噴き上げている。この国が栄華を極めたことを表すような、贅を尽くした内装は見る影もない。頂上に近い高層階に位置する謁見の間はかろうじて無事ではあるものの、絶え間ない振動と、激しい戦闘の音が徐々に迫ってきている。宰相の言うとおり、誰が見ても高塔は陥落寸前なのだった。
     ただし、そんな忠告を簡単に受け入れるネブカドネザルではない。制止を無視して王に進言するなどという愚行、そしてその内容に対して額に青筋を立てるが、宰相はなおも言葉を続けた。ネブカドネザルの忠実な右腕として勤め上げた男の姿とは思えないと同時に、だからこそ可能なことでもあった。

    「この期に及んで私におめおめと敗走せよと言うのか?」
    「いえ、そうではございません。塔など、国などまた建て直せばよいのです。しかしそれには貴方様の存在が必要不可欠……貴方様という太陽さえ失わなければ、我らが高塔国にはまた陽の光が差します。ですから今いっときだけ、雲に紛れるくらいなんの問題になりましょう」
    「いいや、わからないな。むしろそれしきのことならする必要もないのではないか? 理解できないなら端的に言ってやる。たかが下賎の民どもの暴動だろう。なぜここまで大事になっている!? 数々の国を滅ぼしてきた我が軍はなにをしている!」

     ついにネブカドネザルは叫ぶと玉座から立ち上がる。黄金の瞳は怒りに燃え、彼のまとう空気がピリピリと帯電するような錯覚を覚えるほどだ。
     否、錯覚ではない。王族が天から与えられたという祝福、そこには“雷霆の力”と呼ばれるものが含まれていた。そこに立っているだけで自然と跪きたくなるほどの威光をもたらし、神聖なる存在に仇なす不埒者から彼らを守護するための力。ただでさえ類まれなる天才であったうえ、ネブカドネザルは歴代国王と比べてもこの“雷霆の力”の素養にも恵まれていた。
     火花を散らす勢いの王の怒りを前に、さすがの宰相も血の気を失った。目を逸らしたいがあまりの恐ろしさにできないのだろう、真っ青になって震えたまま彼はネブカドネザルの顔を見つめてうわごとのように言う。

    「ああ、ああ、陛下……これが本当にただの下民の起こしたものであれば、私もこのようなことを申さずに済みましたとも。しかし……」
    「穢れた下民ごときになにができるというんだ? いいからさっさと止めさせろ!」
    「ふ、不可能です。こうなってしまった以上、彼奴らを止めることはできません」
    「なんだと?」
    「噂はお耳に届いていらっしゃいませんか。かの軍団を率いる扇動者の噂……彼奴は穢れも穢れ、“悪魔の──」

     突如、すさまじい爆発が謁見の間を襲った。
     家臣たちの悲鳴はあっという間に轟音にかき消され、ネブカドネザルは玉座から投げ出されて床へと叩きつけられる。痛みに呻きながら身体を起こそうとするも、部屋中に立ち込める硝煙が視界を奪い、呼吸もままならない。
    (くそ、なにが……)
     激しく咳き込みながらどうにかネブカドネザルが目を凝らせば、原型を留めないほど倒壊した部屋の様子が徐々に見えてくる。
     天井や壁はほとんど崩落して、豪華な調度品や玉座、王の御姿を象った像の数々、そして室内にいたネブカドネザル以外の人間までもをすべて下敷きにしていた。瓦礫の隙間からひしゃげた手足が飛び出し、床の亀裂にそっておびただしい量の鮮血が染み出してくる。重厚なつくりの玉座も衝撃で大きく歪み、大部分が砕けている。もしネブカドネザルが踏みとどまっていたならば、もれなく家臣たちと同じ運命を辿っていただろう。
     このような状況でひとり生き残るのが幸福か否かという議論はさておき、一瞬にして地獄絵図と化した空間の中でネブカドネザルが少しのかすり傷で済んだのは奇跡であった。さしもの彼も床に転がった王冠を拾い上げることはできないと見え、煙に霞む目をしばし呆然と瞬かせる。
     そのとき、ネブカドネザルは自らのものとは別に、咳き込む声が聞こえることに気がついた。生存者がいるようだ。咳に混ざる息は高く、どうやら若い娘のものらしかった。しかし集まった人々の中にそのような人物がいただろうか。ネブカドネザルが訝しんだ刹那、

    「大丈夫?」
    「ケホ、ケホッ……な、なんとか無事ですわ。我が王」

     もうひとり分、別の人間の声が耳に届く。この状況の中で咳き込む様子もなければ、どこか楽しげですらあった。女に向かって安否を尋ねたらしきその声もまた、歳若い青年のものである。
     それを聞いた瞬間、ネブカドネザルはざわりと肌が凍りつく感覚を味わった。とてつもない胸騒ぎが彼の心を襲う。神にも等しい権威を誇るあのネブカドネザルが、生まれて初めて恐怖と呼べる感情を抱いたかもしれない瞬間であった。それほどまでに、ネブカドネザルの全身がその男の声を拒んでいたのだ。
     実は女のほうの声もネブカドネザルにとっては心当たりのあるものであり、その人物が自分以外を王と呼ぶ事実自体も看過できないはずであった。けれど今、彼にとってはそんなことは二の次だった。
     呼吸さえ忘れて硬直するネブカドネザルを嘲笑うかのように、男女の会話は続く。

    「あのウサギくん、こんなおもしろいもの持ってたとはね。結果的にかなりの近道になったし、譲ってもらった甲斐があったんじゃない?」
    「ごほ、……強奪の間違いじゃ……ハア。一介の奴隷が持っていていい威力のものではないでしょう」
    「まあたしかに、思ってたより派手だったけど。あはははっ」
    「笑い事ですか!? もし巻き込まれて“あれ”に死なれでもしていたら!」
    「死ぬ? そんなわけないよ」
    「なぜそんな……」
    「だって、ほら」

     俯いたまま微動だにしないネブカドネザルの視界に影が落ちる。憤慨する女の追及をのらりくらりと躱しつつ、男はすぐそばまで歩み寄ってきていたのだ。
     ネブカドネザルの脳はふたりの話の内容を受けつけなかったが、耳は否応なく、奇妙な歩行音を拾っていた。カチ、とも、キン、ともつかぬそれはブーツが立てるものではない。剣のように先の鋭い刃物そのものが歩いてくるような足音である。瓦礫を難なく乗り越え、屍を容赦なく踏みつけながら、男は迷いなくネブカドネザルの元へ辿り着き、その正面に立った。

    「みいつけた。僕の“太陽”──いや……僕の、兄上」


       ◆


     ネブカドネザルの前に姿を現したのは変わった風貌の青年だった。
     一部だけ伸ばした髪を数房に分けて三つ編みにし、黒い軍服をまとっている。金銀の刺繍や革のアクセサリーで美しく飾り立ててあるものの、華奢な身体に沿うシルエットは戦うため、動きやすく設計されたものだとわかる。証拠に、青年は腰に短剣を、そして右手には身の丈を超す尺の長大なハルバードを携えていた。その背には、未だ煙で霞む室内でも目に鮮やかな深緋のマントが爆風の余韻に揺れている。奇妙な足音の正体はというと、ブーツの上から取り付けた金属製の器具らしい。それによって実際より数十センチほど高い位置から、彼は自身の兄を、ネブカドネザルを見下ろしていたのだ。
     全身に血と死の臭いをまとわりつかせ、惨状の中に悠然と立つその姿はひどく禍々しい。まるで地獄からの使者のようであった。
     それを見上げるネブカドネザルの視線は、青年が被った仮面によって交わらずにいる。青年の顔の額から鼻までを覆う仮面は、光という光を吸収する闇のごとき漆黒。その下から、不敵な笑みをたたえた口元だけが見えていた。

    「馬鹿、……な……おま……え……」
    「あっははははっ! 兄上のそんな顔初めて見たよ! どう? びっくりした?」
    「……そ、んな、はずは……」
    「ああ、まだ信じられないって? これでも?」
    「……──!」

     わなわなと震えながらもかろうじてといった様子で言葉を紡ぐネブカドネザルとは対照的に、青年はあっけらかんとした態度で返す。そうしてそのまま、もったいぶった様子ひとつ見せず仮面に手をかける。
     惜しみなく取り払われた仮面の下から現れた素顔は果たして……ネブカドネザルと瓜二つだった。
     性格によるものか表情の差はあれど、目鼻立ちから各部位の配置までが完璧に同じ、美しい青年。誰がどう見ても、彼らが双子の兄弟であることに気づけるほど、ふたりはよく似ていた。
     しかしひとつだけ決定的に違ったのは、瞳。ネブカドネザルを兄と呼んだ青年の強膜は暗く、反対に虹彩と瞳孔は明るいという、普通の人間ではありえない色彩を放っていた。ふたつの色の境界は、虹彩の色が滲み出したように紅金に色づいている。闇夜に浮かぶ月にも、もしくは日蝕の空にも見える不思議な瞳だった。
     鏡写しのようなかんばせに覗き込まれたネブカドネザルは、引き攣った呻き声をあげると顔を背けた。吐き気を催したのか、咄嗟に口を覆った手の隙間から嗚咽と胃液が漏れる。人々と塔の上に傲然と立ってきた彼が、絶対に他人に晒すことなど考えられないない無様な姿だった。
     しかし、幸か不幸か、このような王の醜態を彼の信者たちは目にせずに済んだ。暗い炎のような不気味な人影だけが、丸まったネブカドネザルの背を無言で見下ろしている。その表情は相変わらず喜色に染まっていた。
     ネブカドネザルの嘔吐く声が落ち着いてきた頃、おもむろに青年が動いた。非常に不安定に見える歩行器具の上で器用にも屈みこみ、ネブカドネザルと視線を合わせようと試みる。

    「ねえ、兄──」
    「ッ、! どうして戻ってきた!?」
    「どうしてって……」
    「僕は……っ僕はあのとき、戻ってくるなと言ったはずだ!」

     装飾や武具の鳴る音で彼の接近に気づいたネブカドネザルが勢いよく顔を上げる。ひとしきり動揺を吐き出してしまった後に残っていたのは憤怒だった。矛先はたったひとつ、自らの弟へと向けられている。王としての体裁も口調も脱ぎ捨て、至極純粋な心の底からの怒りだけをぶつけんとした。
     兄の剣幕に青年がきょとんとした隙に、ネブカドネザルは立て続けに彼を糾弾する。

    「金輪際、顔を見ることはないと……あいつは、弟は死んだと何度自分に言い聞かせたことか! それを……どの面を下げて、今更!」
    「……兄上」
    「それも、こんな形で……どれほどの罪に値すると思っている!? とんだ許されない真似をしてくれたな……! なぜこうも僕の言うことを聞けない!? 二度も死にたいか、貴様!」
    「兄上」
    「うるさ──」
    「そうだよ。僕は死んだ」

     喉を嗄らす勢いのネブカドネザルの叫びを静かな声が遮った。思わず息を止めたネブカドネザルの肩に手を置いて、彼の弟は微笑んだまま言う。

    「あなたが僕の存在を闇に葬ったとき。それとも、僕が死んだって思ったときかな? まあどっちでもいいや。兄上が真実だとするなら、仮にそれが本当じゃなかったとしても真実になってしまう。だって兄上は……この国という小さな世界の中では“神”だったから」

     そんなこと誰よりわかってるでしょ、と青年はくすくす笑う。内容に似つかわしくない、無邪気とすら形容できる笑みだ。

    「僕の名前、わかる?」
    「……は……? なにを言っ、」

     脈絡のない突然の問いに、虚をつかれて反射的に返そうとしたネブカドネザルは言葉を失った。
     弟の名前が、記憶から抜けている。
     空白期間の長さのために忘れている、などということではない。少なくとも彼らが人生を分かつことになる事件が起こるまで、彼らはこの塔で仲睦まじく育ってきた唯一無二の兄弟だったのだ。いくら道を違えたとて、片割れの名前を忘れるなどあり得ないことだった。
     しかし現に、ネブカドネザルは己が弟の名を忘れている……むしろ知らないといったほうが近い状態であることに気がついた。この信じがたい現実は、ネブカドネザルがそう在れと願ったからだと彼の弟は言う。
     再び吐き戻しそうなほど顔色を悪くするネブカドネザルを見、青年の笑みは一層濃くなる。三日月のように裂けた口の端が、歪につり上がる。

    「ほぉら。結局兄上でさえも、兄上が望んだ通りになる世界の一部ってわけだ。ざまあないね」
    「…………」

     今度こそ絶句するネブカドネザルの肩を軽く叩いて、青年は屈めていた身を起こして立ち上がった。数歩離れると、尖った踵で踊るかのようにくるりと回転してみせる。

    「新王に即位したネブカドネザルによって、哀れな第二王子は消された。そして十年の歳月をかけて地獄から這い上がってきたんだ」

     青年は息を吸って口を開く。崩れた壁の隙間から差し込んでいた夕暮れの残光を背負って腕を大きく広げた姿は、空を喰らおうとするかのようだった。

    「僕は“悪魔の子”・ヘレル! “日を蝕む者”を率いて太陽を撃ち墜とし、この国の頂点に君臨せし新たなる王の名だ!」
     青年……ヘレルが、高らかにそう宣言する。そして手にしたハルバードの柄で、床に転がるネブカドネザルの王冠を真っ二つに破壊した。
     崩れかけた塔の頂上に近い一角から発された勝鬨は塔中に、そして国全体に響き渡り、民は長く続いた高塔国の歴史に終止符が打たれる音を聞いた。“太陽”は革命軍を前に敗北し、日没が訪れたことを知ったのだ。

    「……ふ……ざ、けるなあッ!!」

     それを認めなかったのはネブカドネザル本人だ。動揺の連続で思うように動かない身体を叱咤し、よろめきながらも立ち上がる。
     ネブカドネザルの怒りに呼応して、空気がバチバチと鳴る。失墜を宣言されてなお光を失わない瞳がまっすぐにヘレルを射抜いた。その黄金がギラギラと輝くように見えるのは激情のためか、それとも。

    「よくも、よくもこんなことを! あのとき本当に殺しておけば……! 正真正銘の悪魔め、正当なる裁きを受けろ! 今度こそ僕がこの手で殺してやる! 殺──」

     半狂乱の様相でヘレルの首に手を伸ばそうとしたネブカドネザルは、不意に崩れ落ちた。物言いたげに痙攣していた身体が、すぐに弛緩し動かなくなる。
     ヘレルは特に驚くこともなく凪いだ様子で一連の流れを受け入れていた。足元に倒れた兄にしばらく向けていた目線を、ふと正面に戻す。

    「テリーザ」
    「ただの鎮静剤です。そんな目で見ないでください」

     ヘレルの視線の先、いくつか大きな瓦礫を挟んだ向こうには、テリーザと呼ばれた小柄な女が呆れた顔で立っていた。紅と黒の上質なドレスをまとったその片腕には、スリングショットを小型機化したような道具が装備されている。これを使ってネブカドネザルに向けて鎮静剤を撃ち込んだのだろう。
     ネブカドネザルが動く気配がないのを見て、テリーザもふたりのそばへと近寄った。眠るように意識を手放しているネブカドネザルと、珍しく押し黙ってその横顔を見つめているヘレルをちらりと見比べ、ため息を吐く。

    「まさか本当にさっきの爆発で無事だなんて、悪運の強すぎる方ですね。さすが我が王の兄君でいらっしゃる」

     淡々と皮肉を口にするテリーザは、過去にネブカドネザルによって滅ぼされた国の王女であった。機械工学に精通していた彼女は処刑をまぬがれ、高塔直属の研究機関で働いていたが、ネブカドネザルに対して並々ならぬ恨みを抱いていたのである。ヘレルが頭を務める“日蝕軍”に与し、その頭脳と技術を提供するようになって数年。ようやくこの瞬間にこぎ着けたのだった。

    「それで、彼をどうなさるのですか?」
    「……塔の離れに地下牢があるのは、知ってるよね」
    「正気ですか?」

     テリーザは信じられないといったふうに眉をひそめて自らが従う王を仰ぎ見た。ヘレルの腹心として認められ、その素性を知らされたときに勝るとも劣らない驚きである。
     それを踏まえれば、彼が兄をどれほど憎んでいるかは明らかなはずだった。しかし、

    「君が兄上を恨んでるのはよくわかってる」
    「それを言うなら、あなたのほうが……! 手にかけなくてよいのですか?」
    「殺すことだけが復讐じゃない。死ぬよりも苦しくて、惨めで、どうしようもない状況があるってこと……兄上にも知ってもらいたいって思っちゃった」

     つまりヘレルはネブカドネザルを殺さないという選択を取ると、そういうことであった。死後の地獄ではなく生き地獄を。それはヘレルが味わってきた苦痛と同じものを与えるということ。あのネブカドネザルにとっては死んだほうがましだと思えるほどであろう想像はかたくない。

    「僕にならそれが実現できる。どう思う? テリーザ」
    「…………どうぞ、ご随意に。ヘレル様」

     有無を言わさぬ圧に根負けしたテリーザは、最終的にそう言って目を伏せた。きっとなにを言っても無駄なのだろう。腐っても兄弟なのだなと、いろいろな意味で思い知らされた心地で彼女は渋々口を閉ざした。
     テリーザの承諾を得たヘレルはというと、それまでの雰囲気とは打って変わって、再び無邪気な少年のような笑顔に戻る。地に伏したネブカドネザルの代わりに、彼を模して造られた彫刻の残骸が、笑うヘレルのことをじっと見つめていた。


       ◆


     ネブカドネザルを地下牢へと厳重に護送したあと、ヘレルは塔内の一室を訪れていた。
     謁見の間よりさらに上層の、階一帯を丸ごと一部屋に使った贅沢なそこは、ネブカドネザルの私室であった場所。あまりに高い位置にあるためか、そこまで戦いの余波を受けていない。家具などは一部が倒れたり移動したりしているものの、かろうじて無事なようだ。
     部屋を見渡せば、壁を埋め尽くす絵画や大小様々な像が嫌でも目に入る。どれもネブカドネザルの威光を称えるために制作されたものばかりであり、高塔の繁栄を象徴していた。

    「気に入らないなあ」

     その隆盛を断ち切った張本人であるにも関わらず、ヘレルはぽつりとひとりごちる。なにがどうここまで気に食わないのか、ヘレル自身ですら判断がつきかねないままこぼれた呟きのようだった。
     彼はしばし室内を物色していたが、やがて一箇所で足を止める。壁にかかった絵画の中で一枚だけ、衝撃で留め具が外れたのか、床に落ちているものがあった。表面を伏せるようにして倒れているそれをなんとなしに拾い上げたヘレルは目を瞬かせる。彼も見覚えのあるものだったのだ。
     それは一枚の肖像画だった。華美な衣装をまとった数人を描いたこの絵は、先代──つまり彼ら兄弟の父親が王を務めていた頃に作られたものである。
     ヘレルが国を追放される以前、立て続けに亡くなった両親の在りし日の姿に、ヘレルは懐かしさに目を細めた。元はといえば両親が亡くなったためにあのような出来事が起きたとはいえ、彼らに罪はないと理解している。
     椅子に腰かけて美しく微笑む王妃の隣、幼いネブカドネザルが立っている。より昔は見分けがつかないと家臣たちにも言われていた双子だったが、この頃にはすでにあどけなくも生真面目さが伺える表情を浮かべていた。引き結ばれた唇は、近年の肖像画とさほど変わらない。
     そしてネブカドネザルが立っているのとは反対側、王妃の右隣に目をやったヘレルは、

    「……あ……」

     わずかに声を漏らすと目をいっぱいに見開く。それは、かつてのヘレルの姿が描かれていた場所。しかし今そこには──焼き鏝を押しつけてできたような焦げ跡が、流麗な絵画へと無惨に穴を空けているのみであった。

    「は、……」

     ピシ、パキ、と乾いた音が鳴る。ヘレルが震える手で掴んでいた額に罅が入り、割れる音に違いなかった。そうではないとしたら、なにであったのか。

    「……は……っ」

     彼はとうに理解しているつもりだった。だから兄にも、いかにも平然とした態度でああ言ってやれたのだ。
    ──そうだよ。僕は死んだ
    ──ネブカドネザルによって、哀れな第二王子は消された
     十年かかってようやく凱旋が叶った、宿願の舞台。これは悲劇の終演ではなく、喜劇の幕開け。ヘレルにとって、そうでなくてはいけなかった。
     ゆえに、

    「あ、は……ははは……! あは、はははっ……! はははは! アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

     ずっとほしかったものを手に入れた青年は、自分の姿のない肖像画を腕に抱きしめたまま、気が狂ったように笑い続けた。


       ◆


    「ここにいらっしゃったんですね」

     とっぷりと日が暮れ、夜の帳が降りた後。電気式のランタンを提げたテリーザがヘレルの姿を探し当てた。ヘレルは広い部屋の隅でうなだれるように座り込んでいる。

    「……お疲れですか?」
    「いや、大丈夫だよ。なにかあった?」

     テリーザはこの歳下の主君のことを、その経歴と所業から相当強靭かつ酔狂な精神の持ち主であるという点においては高く評価していた。とはいえ今日、ネブカドネザルと相対してからはどうにも様子がおかしい。複雑な関係であることは当然テリーザにも察せられるため、やはりこの青年といえど堪えるものがあるのだろうかと思う。
     しかしテリーザの問いかけに首を振って立ち上がったヘレルはいつも通りで、仮面に隠れていない口元には普段と同じ笑みが浮かんでいる。
     本人が問題ないと言うのであれば、テリーザは口を出さないことにした。

    「これからのことについて諸々の話し合いを、と言いたいところですが……浮かれた野郎共が下で酒だ飯だと騒いでおります」
    「あー、まあそうなるよね。こういうのって僕、行ったほうがいい?」
    「そうしてやってください。主役がいないと、祝杯がいつまで経ってもあげられなさそうですから」
    「テリーザは来ないの?」
    「私は仕事を片付けます。我が王、ひとつだけお伺いしたいことが」

     ヘレルは首を傾げてテリーザの言葉を待った。ランタンの光を受けて、青い瞳がヘレルを見上げている。

    「先王のことを隠し通すのは難しいかと思います。何人か協力者が必要です。それを選出する役目をお任せいただけませんか」
    「それもそっか……うん。そういうことなら君に任せるほうが間違いないし」
    「ええ。決して悪いようにはいたしません」

     ヘレルは少し思案する素振りを見せたが、すぐに頷いた。“日蝕軍”のブレインを担う彼女がいなければ、今回の勝利もなかったようなものである。申し出るということはきっとなにか考えがあるのだろう。

    「ありがとう、頼りにしてるよ。あとごめん、これ僕の部屋に運んでおいて! 適当なところでいいから!」
    「え、ちょっ、我が王!」

     信頼を置く部下に笑いかけると、ヘレルは抱えていた肖像画を彼女に押しつけた。反射で受け取ってしまったテリーザを尻目にバルコニー部分へ跳び移り、そこからひらりと身を踊らせる。
     常人ではありえない身体能力を誇る彼のことである。なんということはないのだろうが、テリーザはさすがに肝を冷やしてバルコニーに駆け寄った。手すりから身を乗り出して見れば、ヘレルは器用にハルバードを使いつつ、建物の屋根や突起を足場に下へ下へと向かっていく途中であった。

    「なんなんだよもう……」

     テリーザは力なくかそう言って眉間を押さえた。ようやく今日で一区切りかと思えたものの、あの人間離れした奔放な青年が王になったあとも気苦労は絶えなさそうである。

    「ルクレーシャス! いる!?」

     気を張る必要のある相手がいなくなり、才女然とした振る舞いを脱ぎ捨てたテリーザが雑に何者かを呼ぶ。するとどこに控えていたのか、バルコニーとは反対側、部屋の入口のあたりからひとりの男が姿を見せた。
     左目の瞼に傷があることを差し置いても、整った容姿の男だ。長めの金髪を結い、品のある仕立てに身を包んだ彼はひと目で高塔貴族とわかるが、その分、首や手首にぶら下がった金属製の枷が異様に際立っていた。

    「お呼びかな、テリーザくん」
    「あんたさあ……今までは別に良かったけど、今後はボクの直属の部下ってことになるわけで」
    「同じ研究機関勤めのよしみだっていうのに冷たいもんだ。おっと失礼、テリーザ様。なんなりとご用命を」
    「やっぱいい、今までと同じにして」

     気安い調子でテリーザに声をかけたルクレーシャスは、言葉の通り研究機関にて顔なじみの研究員であった。今回の革命に際し、テリーザからの共有で事前に“日蝕軍”へ降伏を表明することで襲撃を回避、現在捕虜扱いとなっている変わり者である。
     テリーザはまず彼を協力者にと選んだ。そもそも秘密裏に革命の情報を共有してまでルクレーシャスの身を保護したのは、すべてがうまくいき、今の状況になったときのためですらあった。

    「例のアレの作成に取りかかってほしい。できるだけ早く」
    「……! それはつまり……まさか本当にこうなるとは」

     テリーザが告げた内容に、ルクレーシャスはにわかに真剣な顔つきになる。

    「ボクだってこうも首尾よくいくとは思ってなかったよ。それをあのガキが全部馬鹿力でねじ伏せちまった」
    「はいはい、愚痴は別で聞くから……前にも言ったが、彼のは格が違うぞ。効く保証はない」
    「なんだよ、あんたにしては弱気だな。それでもいいって言ったろ。ボクらにはこれしかない」
    「……了解した。君に従うと言ったのは私だからな。私は私の閃きをなによりも信じているんでね」
    「そこはボクを信じろよ」

     非凡なる科学の才に恵まれたふたりは彼らにしか理解し得ない会話を交わすと、目配せして頷く。そして足早にその場を去り、各々の持ち場へと向かっていったのだった。

     かくして十年間の準備を要したひとりの復讐は、国ひとつをひっくり返す下克上となった。盛り上がりが最高潮に達した勝利の宴の余興と称して、巨大な塔城に火が放たれ、完全に崩壊していく。数百年はくだらない歴史を持つ神聖なる高塔国が、たった一日にして王のすげ替えを許してしまったのである。
     激しく燃え上がる炎が煌々と雲を照らしている。以来、空全体が燃えるような赤色に染まったこの国に朝が訪れても、太陽が姿を現すことはなかった。
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    宴 酣

    DONE『彼は誰がために哀歌をすさむ』シリーズのプロローグ、期間限定公開です。いつにも増して捏造過多かつ、☀️🌑どっちもちょっとかわいそうです。
    期間が終われば、Web再録などするまで実物の本にのみ収録作品になります。
    陽沈まぬ塔の玉座から君へ送る ―—“こちら”とは異なる歴史を辿ったとある世界。めざましい発展を遂げる人類の叡智は近世相応の文明へと成長を遂げ、空を飛ぶ技術の発明すら可能にした。
     人や物を遠い地へ運ぶ飛行船は生活を豊かにし、また一方で陸と海に加えて空までもが領土として認められると、争いの火種となることもあった。優れた技術を持つ国などは、航空機を武器とする物騒な開発にすでに手をつけているという。
     古来より地上から仰ぎ見ることしかできず、神々の姿を思い描くほどに人類が焦がれ続けてきた空という領域。そこへようやく手が届くようになった、そんな時代。世界で唯一、それを許さない王国があった。
     初めて目にする者がいたならば、およそ人間の手で造り上げられたとは到底思えない高さを誇る石造りの摩天楼を前に言葉を失うだろう。しかしその塔を象徴とする古い王国の存在を知らぬ者など、世界にはいない。ひとはこの地を、The Kingdom of Tower……高塔国、塔の王国と呼んだ。
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