現パロネブヘレ ピアス開ける話(仮)「うわっ」
ネブカドネザルはらしくない大声を出した。明日早いの忘れてた、などとぼやきつつ、脱衣所に入れ違いで入ってきたヘレルを見ての反応である。
実は彼らは些細なことで喧嘩中だった。こういう場合のネブカドネザルの持ち前の頑固さといったら凄まじい。絶対に自分から口をきいてやるものかという意志は鋼鉄を通り越してタングステン級だ。だから、喧嘩の後に最初にアクションを起こすのは決まってヘレルのほうなのだった。
そんなこんなで二十年近く生きてきたものだから、ヘレルの反応は幾分か遅れた。はっとしてネブカドネザルを振り向くも、目線は合わない。しかし、いっぱいに見開かれた瞳は間違いなくヘレルに──というよりも、その上半身と下半身の境に向けられている。
「おま……なんだそれ」
「えっ、なに? 僕?」
「他に誰がいる? その腰の、なんだ……紐?」
風呂上がりのネブカドネザルはボクサーパンツだけを身につけただけの姿で、反対にボトムの衣類を先に取り払ったヘレルの腰を指さした。その指先はかすかに震えている。
紐、と言及されたことで、ヘレルはようやく合点がいった。ああこれ、と笑いながら服の裾を捲りあげ、全貌が見えるようにネブカドネザルに背を向ける。
「コルセットピアスっていうんだよ。かわいいでしょ」
「──……ッッ!?」
男にしては細く白すぎるヘレルの柳腰。その尻のあわいの上から背中にかけて、編み上げのコルセットのように濃い赤のリボンが交差して走っていた。ピアスと名のつく通り、当然表面にくっついているだけではなく、リボンが折り返す部分の金具は肌を貫通している。開けてから日が浅いのか、金具に接する部分の肌は少し充血して赤く染まっていた。
自慢げなヘレルに対して、ネブカドネザルは声にならない悲鳴をあげて限界まで顔を引き攣らせた。後ずさりした踵がバスルームのドアにぶつかって派手な音を立てる。ドアがきちんと閉まっていなければ、背中からバスルームに転倒していただろう。
「ちょっ……ふふ、兄上ビビりすぎ」
「ビ、ビってない、引いてるんだ! なんで身体に穴なんか……!?」
「なんでって、おしゃれじゃん。ピアスなんか今どき珍しくもなんともないでしょ」
「ああ、耳くらいならな? おまえ、耳にはないくせにそんな……ありえないだろ、それは」
応酬の末、見ていられないと言いたげにヘレルから目を逸らすネブカドネザル。親の世代や歳の離れた兄弟ならまだしも、数分違いで産まれたはずの兄の前時代的すぎる意見にヘレルはムッと唇を尖らせた。
図らずもネブカドネザルの動揺によって休戦かと思われたが、それを取り消すことになっても、ヘレルは己の主張を曲げるほうが癪だった。
「なにそれ。ピアスの位置に序列なんかないよ。ていうか僕、舌にならもう開いてるし」
「はあッ!?」
ぎょっとして再びヘレルに目線を戻したネブカドネザルに、挑発がてらヘレルはべ、と舌を見せつけた。彼の言葉に偽りはなく、舌先から数センチのところで小さな銀色のボールが唾液に濡れて輝いている。
開けたてのコルセットピアスと違って傷っぽさがないからか、先ほどよりはまじまじと、なんともいえない表情でネブカドネザルは突き出された舌を凝視した。
「これ……自分で開けてるのか」
「ん、これは僕。さすがにこっちは自分じゃ見えないから、スタジオでやってもらったけど」
腰を指さして言うヘレルに、ネブカドネザルはスタジオ、と小さく繰り返した。その眉間には未だに皺が寄っているものの、先ほどに比べて険はない。淡い金色の瞳に浮かんでいるのは、未知の世界に対する戸惑いの色が濃い。
兄の珍しい表情を見てヘレルも少し溜飲を下げた。まるで背景に宇宙でも背負っていそうな顔だ。
「もう塞いじゃったのもいくつかあるけど、だいたいは自分でかな。スタジオ行くのめんどくさいし、お金ももったいないし」
「……痛くないのか? 一種の自傷行為だろ」
「そりゃまあ、痛いよ。注射とかとは違って、ずっと異物が貫通し続けてる状態なわけだし」
「や、やめろ、具体的に言うな。想像しただけで痛い」
「それをビビってるっていうんだって。ていうかもしかして兄上、興味あるの? 開けてみたくなった?」
「今の流れでどうしてそうなる」
「なぁんだ」
額をネブカドネザルに小突かれて、乗り出した身を戻したヘレルが笑う。ふたりがそれぞれ衣服の着脱を再開させ、兄弟はいつもの空気に戻りかけたかと思われた。
「ヘレル」
「ん?」
ヘレルがバスルームの扉を開けたところで、ネブカドネザルがその背を呼び止めた。
「今度ピアスを開ける気になったら、僕の前でやれ」
「…………っ、え」
ヘレルはびっくりして、もう一度振り向いて兄の顔を見た。
響きは命令じみているが、ネブカドネザルの性格を鑑みるに「やってくれない?」くらいのリクエストのはずだ。それにしても純粋に意図がわからず、表情からも特に冗談で言ったわけではないことしか判断できなかった。
「な、なんで?」
「……まあ。興味がある……ことは、否定できない、かもしれない、ってことだ」
とっさに茶化す言葉も出てこずバカ正直に聞き返したヘレルへの返答は、やはりネブカドネザルらしくない。わずかに目線を泳がせた彼は、否定に否定を重ねて言葉尻を濁す。
ともかくいいな、と言い残すと、裸でその場に突っ立ったままのヘレルを置いてそそくさと脱衣所から出ていった。
「えぇ〜……なに……?」
ヘレルはひとまずバスルームに入ったが、どうにも困惑を振り払えず細い声で呟いた。
つい先ほどまでそうだったように些細な喧嘩をすることはあれど、基本的に彼らは仲が良いといっていい、ごく普通の双子の兄弟だった。少なくとも共通の友人たちからはよくそう言われるし、広めのアパートメントを借りて同居ができている時点で仲が悪いとはいえないだろう。
でも、とヘレルは思う。
(他人のピアス開けるところが見たいってどうなんだろ。友達か恋人同士なら、開けてほしいとか開けさせてとかならまだ聞いたことある。けど、そうでもないし)
シャワーの間も悶々としてしまって、ヘレルはため息を吐きながらバスタブの湯に身体を沈めた。
ネブカドネザルの顔を思い出す。コルセットピアスに気づいたとき。舌ピアスを見せつけたとき。そして、自分の見ているところでピアスを開けろと言ってきたとき。
いつも通りの、まじめくさった鋭い目つきだ。ヘレルにとって兄とはいえ、1歳として離れていないのだし、ネブカドネザルを恐れたこともなければ拒否の意を示すと都合が悪くなるなんてこともない。
それでもヘレルはなぜだか、いつもネブカドネザルの眼差しに弱かった。喧嘩後の我慢比べに勝てたことがないのもそのせいだ。現に今もそうだった。
(嫌だよって言うくらいなら簡単にできるはずなのに。とっさに出てこなかった……)
返事に迷っているということは、裏返せば「嫌だ」と思っているわけではないということなのではないか。「いいよ」とも言えないのは、なにが引っかかっているのだろうか。
「ううううう」
ヘレルは唸ってバスタブの中で膝を抱えた。顔が熱い気がするのは、きっとのぼせたのだと言い聞かせる。他の要因のせいにすると、自分の心をかき乱している原因がネブカドネザルだと認めてしまうことになる。ヘレルとしては、それはどうにも癪すぎた。
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