はぴはろじんあら2021 10月31日、日曜日。
午前中特に予定が入っていなかった嵐山は、家で大学の課題をこなしていた。
ふと時計を見れば、もうすぐ11時。そろそろ支度をして家を出ないと、広報の仕事に間に合わない時間だ。片付けようとパソコンを閉じた瞬間、狙いすましたようなタイミングで、机の上の端末が着信を知らせ震えた。ディスプレイに映る『迅』の文字を確認し、電話をとる。
「もしもし?」
「おはよ、嵐山。今大丈夫?」
「ああ、ちょうどキリの良いタイミングだったよ。どうしたんだ?」
「あのさ、夕方くらいから本部来れない? 今日ハロウィンだろ、ちょっとやりたい事があってさ」
嵐山は脳内でスケジュールと移動時間を計算する。
「午後一番にショッピングモールでイベントがあるだけだから、16時には行けると思うぞ。やりたい事って、なんだ?」
「お、良かった。それは後でのお楽しみな、着いたら連絡ちょうだい」
「わかった、なるべく急ぐよ」
「おー、じゃあまた後でな」
通話を切り、嵐山は緩んだ口元に手をやる。元々嵐山はイベントごとが好きなタイプなのだが、恋人である迅はさほど興味がないタイプだ。嵐山が誘えば楽しそうに付き合ってはくれるので、嫌いというわけではないと思う。しかし自分から誘ってくれることなど滅多に無い……というか、初めてではなかろうか。
そういった訳で、ソワソワしてしまう心を深呼吸で何とかおさめ。
まずは仕事に集中しようと両手で頬を叩き、出掛ける支度に取り掛かった。
ショッピングモールでのハロウィンイベントを無事に終えた嵐山は、モール内でチョコレートが詰まったかぼちゃ型のバケツを買い、むき出しのそれを片手に持ったまま、ボーダー本部の小会議室を目指していた。
浮かれている自覚はあるが、ハロウィン当日、しかも日曜日。大半が学生で、イベントに飢えているボーダー本部では、恐らく色々な相手からお菓子を要求されるだろうと思ったのだ。
待ち合わせ場所である会議室に着き、小さくノックをして扉を開く。
10人程が座れる長机があり、迅は奥の方の席に腰掛け、手元の端末を見ていた。その目の前には、ピクニックにでも使うような可愛らしいバスケットが置いてある。
ドアな開く音で迅の視線が上がり、嵐山を捉えるとにやりと笑った。
「お疲れ、嵐山。とりあえずドア閉めてこっち来て」
あれはなんか企んでる顔だなぁと思いつつも、言われた通りに扉を閉め、迅の方へ歩き出す。すると、見慣れた手のひらサイズのものが、迅の手から放り投げられた。嵐山はそれを危なげなくキャッチし、しげしげと眺める。
「どうしたんだ? このトリガー。迅のじゃないよな……?」
そのリアクションに、ふふん、と迅は得意げな顔を見せる。
「それね、おれと宇佐美で作ったハロウィン仕様の特製トリガー♡ おれの分もあるからさ、せーので換装しようぜ」
「嫌な予感しかしないんだが……」
趣味が暗躍と公言する19歳男子が、語尾にハートマークをつけて渡してきたものだ。ロクな物であるはずがない。だが嵐山は、わざわざ自分のために作ってくれたというものを断れるような性格ではなかった。
嵐山は小さく深呼吸をし、腹を括る。
「いくよ? せーのっ!」
迅の掛け声に合わせトリガーを起動する。
トリオンの光に包まれ換装した迅は、見覚えのある衣装をまとっていた。
そう、服というより……衣装という表現が適切だと思う。
「人狼の時の……ああ、三雲くんが着ていた、村人か」
「残念、おれはメガネくん狂人説を推してるんだ。だからこれは、狂人な」
ん?と嵐山は眉を寄せて小さく首を傾げる。
「え、三雲くんがか? あのキャラクターにそんなキャスティングするか……?」
迅はその反応にからからと笑い、同じ方向に首を傾げて目線をまっすぐ合わせた。
「ばっか、あの性格だから、だよ。つっても、おまえじゃわかんないかもな。あーほら、それに遊真が人狼やってたろ」
「ああ、そうか。そう言われれば確かにそうだな。狂人は人狼側についた村人か……三雲くんの性格を考えれば、十分あり得る話だ」
「だろ? まあおれの方はいいんだよ、あくまでオマケだから。嵐山さ、そろそろ自分の服装気にして欲しいんだけど」
そう言われてやっと視線を下に向けた嵐山は、自らの服装を認識した途端、わかりやすく息を呑んだ。
「……遊真、だな…………」
「おう、まさに今話題に出た人狼だな」
「小柄な遊真だから似合うのであって、179cmの男が着るのは厳しいと思うんだが……」
「いやいやいや大丈夫めちゃくちゃ似合ってるしめちゃくちゃ可愛い! それにほら、この服装なら――」
ごそごそと懐から細身の赤い首輪を取り出す。
「あ、俺の」
その言葉にニコリと笑いかけた迅は、嵐山の首に優しく首輪を巻く。
皮の首輪が肌に触れた瞬間、嵐山の心にじわりと温かい気持ちが広がり、迅が金具を留め完全に首輪が嵌った時にはふわふわと幸せの海に浮いているような多幸感と安心感に満たされ、ほんのり赤く染まった頬で熱のこもった吐息を零した。
「わんこに首輪がついてても、違和感ないだろ?」
「……狼だが」
「似たようなもんでしょ。ほら、おすわり」
ぺたんこ座りをした嵐山と目線を合わせるように屈んだ迅は、ニコニコと嵐山の髪をかき混ぜるように撫でた。
「ん、いい子」
その手をゆっくりと下に滑らせ、親指で頬を、残りの指で耳朶をそっとなぞる。くすぐったそうに首を竦める嵐山の顔を覗き込むように首を傾げ、目を細め弧を描いた迅の唇から独り言のような言葉が溢れた。
「三門市民を戦場へ送る人狼と、その共犯者である狂人。村人皆を守る狩人と正解へ導く占い師より、よっぽど的を射ていると思わない?」
ほんの少しだけ不機嫌そうに片眉を上げた嵐山が小さい溜息を吐き、素早い動きで迅の頭頂に手刀を叩き込んだ。
「てっ」
頭を押さえ恨めしそうに見つめる迅に、子どもを叱るような口調で言い聞かせる。
「俺にもお前にもそんなつもりがないことくらい、仲間達はわかってるだろ。だから、そんな不安そうな顔するな」
ふっと苦笑した迅の表情からは、険のようなものが綺麗に消えていて。
「そんな顔してないってば。変な事言って悪かったよ」
ん、と満足そうに微笑んだ嵐山は、よしよしと迅の頭を優しく撫でた。
「……話逸れたけど。そんな訳で、おれがあげた首輪してる嵐山と堂々とデートできる貴重な機会なんだよ。ね、頼む、付き合って!」
「まあ、迅が問題無いと思うなら、俺は構わないが……」
「嵐山……!」
目を輝かせて嵐山を見つめる迅。ここまで感情が表に出るのも珍しいなと思うが、同時にどれだけ首輪デートをしたかったんだ……と微笑ましさも覚える。
「じゃあそんな優しい嵐山にはいいものをあげよう」
「いいもの?」
にっこりと立ち上がった迅は、机の上のバスケットに手を入れごそごそと何かの包みを取り出した。
「じゃーん! レイジさん特製、かぼちゃクッキーだよ。ほら、あーんして」
「木崎さんのお手製か!」
先ほどの迅と負けず劣らずキラキラした眼差しで口を開ける。
「やっぱ、わんこじゃん」
ぶんぶんと揺れる尻尾の幻覚が見えた気がして、楽しそうに呟いた迅は一口サイズのクッキーを嵐山の口に放り込む。サクサクほろほろとしつつもしっとりとした食感に、嵐山の口元には自然と幸せそうな笑みが浮かぶ。
「さすが木崎さんだな、店を開いたら行列間違いなしじゃないか?」
「おれもそう思うよ。ボーダーがなくなるような事があったら勧めてみようかねえ」
――ま、そんな未来は見えないけどね、と心の中で付け加える。
「さて、じゃあそろそろ行くか? 本部内ハロウィンデート」
そわそわと浮かれた気配を隠そうともしていない嵐山に、迅はニヤリとイタズラな笑みを浮かべる。
「なあ、嵐山」
「ん、どうした?」
可愛く小首を傾げる嵐山に、目を細め笑みを深めた迅が、弾んだ声色で口を開く。
「Trick but Treat?」
ほんの少し目を見開いて、ぱちくりとゆっくりまばたきをした嵐山は。
それはそれは楽しそうな笑顔を形作った。
「Happy Halloween、迅!」
手に持ったままだったカボチャのミニバケツからチョコレートをひとつ取り出し、包装を破る。
「あのね、そのリアクション、いじめて下さいって言ってるようなものだからね? おまえほんとそういうとこ――」
「俺も食べさせたいな。迅、口開けて?」
「いや話聞――」
「えいっ」
まずは抗議をしようと開いた迅の唇の隙間に、嵐山の指が一口サイズのチョコを押し込む。せめてもの仕返しにと、迅はチョコと一緒に侵入してきた嵐山の指を軽く吸い、溶けて付着したチョコレートを舐めとった。その感触にぞくりと一瞬目を細めた嵐山だが、迅の唇が自身の指先から離れると、大きく両腕を広げにっこりと笑った。
「どんなイタズラ、するんだ?」
「も〜〜……っ、おまえはっ……!」
余裕なく腕の中に飛び込んだ迅は、嵐山の頬を両手で挟み込み唇を奪った。
呼吸ができないほどの、熱烈なキス。
存在を確かめるかのように迅の手が下がっていき、嵐山の首に、腕に、腰にとあらゆる所を撫で回す。甘い吐息が混ざって溢れ、離した唇からは名残惜しむような銀糸が伝った。
実力派エリートとはとても名乗れないような、真っ赤に染まった悔しげな顔を隠すように、嵐山の背に腕を回しきつく抱きしめる。
「……これ以上は、止められなくなるから。続きは後でな? もっと酷いイタズラするから、覚悟しとけよ」
「ああ、楽しみにしてる」
楽しそうに微笑む嵐山も、迅の背をぎゅっと抱きしめ返した。
「んじゃ、嵐山待望のハロウィンデートに繰り出しますか。堂々と貰う側を楽しめる最後のハロウィンだぜ? 大人たちにお菓子をせびりに行こーぜ」
差し伸べられた迅の手を取り、嵐山は苦笑する。
「迅、言い方」
手を繋いだふたりは、本部内でハロウィンを楽しむ皆の元へと歩き出す。
「俺たちはあげる方じゃないか? さすがに上の人たちがお菓子を用意してるとは……」
せめてこの扉をくぐるまでは、この手を離したくなかった。お互い、握った手に力をこめる。
「ここの大人達が、何年子どもと一緒にいると思ってんの。あの城戸さんでさえ、お菓子持ってると思うよ」
狭い会議室だ。ゆっくり歩いても、扉まではあっという間だ。
「それは……想像できないな……」
だろうなと笑いながら、自然な動作でするりと手を離す。そのまま会議室のドアに手を伸ばすも、一瞬だけぴたりと動きが止まり、隣に立つ嵐山の耳元に唇を寄せた。
「Happy Halloween、あらしやま」
わざとらしく吐息を多めにのせて囁き、ついでとばかりにちゅく、と耳朶を喰んでいく。
「――っん、っ」
言葉も出ず真っ赤になってただただ睨む嵐山に、イタズラふたつめ成功だなと笑いかけ、今度こそ扉を開いた。
「さ、ボーダー内を食い荒らしに行こうぜ、相棒」