スノームーン'22目が覚めるとすでに辺りは明るく太陽は昇りきっていた。
なのにまだ眠い。頭がぼうっとして、なんだか熱もある。
(……やられた)
新型ロボットエンザが猛威を奮っているとは聞いていたが、まさか自分が罹患るとは思っていなかった。
ここ数日のイレギュラーな資金稼ぎに気をとられてセルフメンテナンスを怠ったのがいけなかった。
「げほっげほっ、あー……」
ブルースは重く靄がかかったような頭を抱えて寝床から起き上がった。
身なりを整えてマスクをして買い物に出掛ける。闇市で手に入れた非正規ルートで取引されているワクチンは、ちょうど稼いだ金額とほほ同額だった。
やっと目標金額まで達したのに、全てが振り出しに戻ってしまった。
*
「俺、今年は花がいいな」
マフラーを結び、首の後ろに回しながら聞いたメタルの言葉に、何の話か分からず、聞き返す。
「花?」
「来月のバレンタイン」
いつも見送りなんてしないのに、話があるから俺が起きるのを待っていたのだろうか。
「俺には関係ない」
「チョコを贈りあうイメージが強いけど、バレンタインには恋人に花を渡して愛を伝える習慣もあるらしい」
公に恋人を名乗っても問題ない間柄なら、素直に花も渡そうと思えるのかもしれない。
無駄に期待させるような約束なんてできやしない。
それでもメタルは俺の声なんか聞こえないかのように続ける。
「今日は博士の都合で仕事がなくなったんだ。ブルースが関係ないって言うなら、俺としては今からバレンタインでも構わないんだけど」
言いながら俺が被ろうとしていたメットを取り上げたメタルと目が合い、猫に見つめられた鼠のような気分になる。
ぞくりと快楽と恐怖が入り交じった信号が背筋を伝い、昨夜の行為が思い出される。
たまにしか会えないからなのか、メタルは俺が気絶するまで、俺が壊れない絶妙さ加減で快楽の遊びに付き合わされる。
それが今から繰り返されるなんて、もう無理だ。勘弁して欲しい。
「もう帰る、メット返せよ」
自分でも頬が熱くなるのを感じて、いたたまれず目を反らす。
「ごめん」
諦めたように苦笑して渡してくるメットを素早く被った。
行為のときの貪欲さとは打って変わって従順な態度にいじらしさみたいなものを感じてしまうほどには、俺もメタルを好いているのだ。
だから本音を言うと滅多にないメタルからの要望は俺の手で叶えてやりたい。
「……バレンタインじゃなくても花ぐらい買ってやる」
仕方なく言い残して部屋を出た。
言ったからには、花を用意しなくてはならなくなった。
**
カラースプレーをかけて金髪にした髪はワックスで後ろに流され、普段は隠れている額と凛々しい眉毛が顕になっていた。
サングラスの代わりの色付きゴーグルからは優しげなグリーンアイが薄く覗く。
グレーのボディスーツの上から着ている作業着には光学迷彩が施してあり、いつでも身を隠すことができた。
“ロボットの修理、承ります”と書かれた立て看板の横で、軽快な音楽に乗せて工具を操りながらロボットを解体する少年の姿は路上パフォーマーさながらに道行く人々の目を奪っていた。
しかしながら勝手にスマホのカメラで動画や写真を撮る観客はいても、電子マネーが主流となった今では現金を持ち歩く人は少なく、チップ入れとして置かれたブルースシールドには雀の涙ほどしか小銭が入っていなかった。
それでも、警察の目を掻い潜りながら無許可営業のパフォーマンスを続けつつ、子供が持ってきたオモチャを無料で直したり、家電を修理したり、お年寄りの話し相手になったり、修理不能なオモチャを改造して遊べるようにしてやったり(無料)、滅多にないロボット修理の依頼をこなしたりしつつ、花束が買える金額までお金を貯めることができた夜、ブルースはやり遂げた達成感と疲労感を感じながら眠りについた。
***
14日の朝、ワクチンが効いてスッキリと目覚めたブルースは路上での花束費用稼ぎは諦め、普段からネットで募集しているロボット修理に、偶然に依頼が舞い込んだため、依頼主の自宅へ向かった。
その途中、ビルの電光掲示板で見たニュースは2月の16日の夜に見える月は一年で最も小さい満月でスノームーンと呼ばれる、というものだった。
出迎えたのは一人暮らしの老婦人だった。故障しているのは愛犬ロボットで、一昨日あたりから言うことを聞かなくなり老婦人の足元から離れなくなったらしい。
診たところ動作には問題なさそうなのでシステム上のエラーの可能性が高かった。
携帯している修理専用PCを用いてエラーを探ると方向感覚機能を妨害するウィルスが発見された。
時間短縮のためにブルースは自身の電子頭脳内でアンチウィルスプログラムを生成し気づかれないように愛犬ロボットに送り込み治療を施した。
コネクトした瞬間、愛犬ロボットの強い想いが伝わってきた。
“僕はおばあちゃんから絶対に離れないよ”
通りで方向感覚が狂っていたのに迷子になっていなかったわけだ、とブルースは納得した。
緩んだネジを締め直し、間接に潤滑油を差して元通りにして、再起動させると愛犬ロボットは「クゥン」と鳴いて感謝の気持ちを表すようにブルースの手を舐める。
「よかったな。」
頭をひとしきり撫でてやると、満足したのか老婦人のもとへ駆け寄り「ワン」と鳴いた。
「スティル、治ってよかったわぁ。」
老婦人は愛犬ロボットを抱き上げてとても嬉しそうにしている。
「……あなた、どうしてお金が必要なの?」
道具を片付けているブルースに老婦人が尋ねる。
「願いを叶えてやりたいんです」
「誰の?」
「……俺にとって、かけがえのないひと、です」
「……そうなのね」
「俺は……あいつがいたから今まで生きてこれた。だから、あいつが喜ぶならなんだってしてやりたい……」
本人には一生言えそうもないことも無関係の老婦人には言えてしまうのはなぜだろう、とブルースは思った。もう会いに行くのはやめよう思ったことは何度もある。それでも二人きりのときにみせるメタルの嬉しそうな顔を思い出すと、どうしても、もう一度会いたくなってしまうのだ。
「……少し、待っててちょうだい」
老婦人は家の奥から何かを持ってきた。
「これ、あなたにあげるわ。指輪なんだけど……私には大きくて、ずっとつけてなかったんだけど」
渡されたのはシンプルながら意匠の凝ったデザインの金属製の指輪だった。
「プラチナだったらよかったんだけど、たしか、セラミカルチタン?だったかしら、私の夫のね、手作りなのよ」
指輪の裏にB to Mの文字が彫られている。
「Mは私、マリエラね。Bは夫、ブライアン……夫は去年、亡くなってるの。この指輪は夫が若い頃、私にプロポーズしたときにくれたものなの。」
老婦人の声は故人を想う寂しさと愛しさを含んでいた。
「こんな大事なもの受け取れません。」
「いいえ、あなたに貰って欲しいの。あなた死んだ夫に似てる。どうか、受け取ってちょうだい。」
そう言って老婦人は折れそうな枝のように細く骨ばった手でブルースの白い手袋をした子供のような手に指輪を握らせた。
「……それなら、お代の代わりに……ありがとうございます」
ブルースは老婦人の押しの強さに勝てず、指輪を受け取ってしまった。
****
ふと夜空を、見上げるとウサギの影がくっきり見える、もう少しで満ちる月が白銀の輝きを放っていた。
気高く美しいその姿に目を奪われる。
(メタルみたいだな……)
月は花の代わりにはならないだろうか。
頂き物の指輪だけでは、物足りない気がして、ワイリーの隠しラボのうちのひとつを無断使用してチョコ風味のE缶を手作りすることにした。
いつものようにメタルにしか分からないように詐欺メールに細工して日時と場所を指定した。
その場所でE缶を温めながら待つ。
「14日はとっくに過ぎたぞ」
非難の声に振り向くと月明かりに照らされたメタルがいた。
鋭い刃は青白く輝き、その存在を際立たせる。
(ああ、メタルだな……)
思わず顔が綻ぶ。
「今日はスノームーンというらしいぞ。月が一年で最も小さく見えるんだ」
「……俺もあの月のようにひとりぼっちだったんだが」
「いろいろあってな、これを作ってたんだ。やるよ。」
「E缶?」
「飲んでみろ」
「変な味じゃないだろうな?」
「残念ながらチョコ味だ。そんなに期待されてるなら今度また俺特性のフレーバーを持ってきてやるよ。」
「いや要らないし、期待してない」
E缶を飲むメタルは本当にチョコの味がしたことに驚いているようだった。
「メタル、手を……左手がいい」
素直に差し出された左手の薬指に慎重に指輪を填める。
「ぴったりだな、よかった」
「……プロポーズのつもりか」
「俺には誓えるものなんて何もない」
「俺だってない」
月明かりがメタルの薔薇色に染まった頬を照らす。
珍しくメタルは俺の視線から逃れるように月を見上げ、そして左手を掲げた。
「……月が綺麗だなブルース」