君はかわいい総天然色「う、わー……待って待って、かわいい、え、渚、本当にかわいい……」
「…………」
きっと今の僕の頭の上には「不服」という単語が踊っているに違いない。だってシンジ君が可愛いと言っている対象は、僕であって僕ではないから。
事の発端は、数枚の写真だった。
とあることからゼーレと碇ゲンドウの目論見が露見し、彼らはあっという間にネルフによって摘発、解体、処理されてしまった。それはもう、そうなることが運命だったとばかりに。そしてゼーレの研究施設から、僕の観察記録が見つかったと赤木博士から連絡が入ったのはそれから少ししてからのことだった。
『原本はこちらが持っておくけれど、コピーだけ渡しておきます。といってもそこまで重要な情報もないから、好きにしてちょうだい』
そう言われてパラパラ見てみるとそこに記録されていたのはまだ幼少期だった僕の知能テストや普段の健康状態を記録したもので、なるほど確かにとるに足らない情報ばかりだ。特に興味もなくて、今まで自室のテーブルの上にポイッと投げてそのまま放置していた。
が──今思えばそれがいけなかったのだ。
「……ねぇシンジ君、知ってる? それが大きくなったヤツがここにいるんだけど」
「うるさい渚は黙ってて」
そう、問題はその放置していた記録データをシンジ君が見てしまったということだ。
幼少期の僕は、それはもう彼にとってストライクだったらしい。積み木で遊んだりとかご飯を食べ散らかしているところとか、僕にとってはそんなの見て何が楽しいの? という写真でもどうやら彼にとっては金銀財宝、といったようで。それで興奮してくれるのは大いに結構なんだけど、そのせいでせっかく彼が僕の部屋へ来てくれたというのに、さっきからずーっとお預けを食らっている。何のお預けって、ハグとかキスとか、その他諸々。
「いや、でも今の僕だって見た目は良いしさ、順当に成長したと思わない? シンジ君、僕の顔好きじゃん」
「……そう自分で言っちゃうあたり、今の渚には可愛げってもんがないよ」
「えっ」
今の僕って可愛くないの?!
『可愛い』という言葉が好感を与えるような見た目や素振りを指し示すことは知っている。実際、シンジ君はめちゃくちゃ可愛い。だから彼にとっての僕も同じだと思っていたのに!
いやでも、ここで言う『可愛くない』っていうのは相対評価だ。今の僕と、写真の中の僕。なら、今からでもその評価を上回ればいい。
まだ写真に夢中になっているシンジ君を後ろから抱きしめる。なんだかんだシンジ君は色々ややこしいことを言ってくるけれど、ギュッとしてチュッとしてガッとやれば僕にメロメロになっちゃうのは今までの経験から分かっている。形ばかりである最初の抵抗さえなんとか抑えればなるので勢いよく抱き着いたものの──シンジ君はなんと、無反応だった。
「嘘、怒らないの」
「ちょっと今それどころじゃないから」
「えっ、じゃあこんなこともするよ?! ほらっ、こんなふうに押し倒してさ、服の中に手とか入れちゃうよ?!」
無理やりベッドにシンジ君を押し倒して、服の下に手を忍ばせる。いつもだったら電気消せとか、こっちの都合も考えろとか、絶対にあれこれ面倒臭いことを言ってくる。結局それって、裏を返せば『それさえ満たせば抱いてもいい』ってことなんだけど。
それなのにシンジ君はちらりと僕を一瞥すると、ふん、と呆れたように息を漏らした。それだけだ。顔を赤面させることも、本音をぐるぐる巻に包んだ上っ面の言葉でもなく、ただそれだけ。
好きの反対は無関心だと聞いたことがある。今だけはそんなことを最初に言ったヤツの前歯どころか全部の歯を折ってやりたかった。八つ当たり? 結構。感情なんて厄介なものに振り回されるんだから、それぐらいしたってバチは当たらないはずだ。
結局その日はいつまでも写真を眺めているシンジ君を尻目に、寂しい夜を過ごすことになった。一人きりならまだしも、好きな子がいて、触れようとしたら残念そうな目で見られるのはなかなか胸にくる。
けれど、それがひっくり返りそうになったのは──それから一週間後のことだった。
* * *
「じゃーん!」
「……うわ、それってもしかして、」
「そう! シンジ君の小さい時の写真!」
どうだ、と見せつけるように彼の前に掲げる。手元にある三枚の写真は赤木博士になんとか交渉して、ゲヒルンに所属していた研究者がたまたま持っていたものを貰い受けたものだ。おもちゃを口にくわえたり、自分の握りこぶしを不思議そうに眺めていたり、こっちを向いてにっこり笑っていたり。勿論そこに写っているシンジ君はめちゃくちゃ可愛いんだけど、目的は別のところにあった。
「小さい時のシンジ君ほんっとに可愛いね。食べちゃいたいぐらい可愛い。あーもう、これだけでお腹いっぱい!」
「…………」
「ほら見てよ、こんな機嫌よく笑っちゃってさ。あはっ、今のシンジ君はムスッとした顔ばかりなのにね?」
さあどうだシンジ君、これはきっと君も躍起になってくるだろう……! とわくわくしながら反応を待つ。けれど、何故だかいくら待っても言葉一つどころか溜息とかそういう類のものさえ聞こえてこない。あれ、もしかして足りなかったのかなぁ。そう思いながら振り向いた瞬間、僕は数分前にしたこと全てを後悔した。
だって、想像すらしてなかったんだ。リリンの感情についてまだ勉強中である僕でも分かるぐらい、シンジ君が酷く傷ついた表情を浮かべているなんて。
「シ、シンジ君、」
「……なら、僕はもう要らないってわけだ」
それは僕に対してでも、自分自身に言い聞かせるような口ぶりでもあった。そしてそれらから逃げ出すように、通学カバンを持つと立ち上がってドアへ歩き出す。
「えっ、ねぇ、ちょっと待ってよ、」
「いいよ、わざわざそんなポーズなんてしなくても。悪かったな、ムスッとした顔ばかりで」
「違うってば、今のはさ、なんていうか、」
「…………」
どうしよう、なんて声をかけたら止まってくれるんだろう。頭の中で言葉を浮かべようとするけれど、なかなか適したものは出てこない。僕のバカ、分かっていたじゃないか。シンジ君は本当はすっごい寂しがり屋で、僕のことを好きでいてくれているということ。だって好きじゃなきゃこうして僕の部屋になんか来ない。こんな、傷ついた顔なんてしない。
強硬手段として手首を掴んで嫌でも止めさせたかったけれど、これ以上シンジ君にあんな顔をさせてしまったらどうしようと思うと身体が竦んでしまう。あんなことしなきゃ良かった。一時の感情に流されるなんて、まるで本当にリリンになったみたいじゃないか。そんな後悔が波のように押し寄せてくる。そしてその波の波飛沫──それはあまりにも白く、躱す隙もない──の一つ一つまではっきり分かるぐらい顔面に近づいた時、その『波』は確かに、笑った。
「……ばーか」
「え、」
一瞬だった。情けないほど空を彷徨っていた手が、掴まれて引き寄せられる。予想外の動きに僕の身体はされるがまま、シンジ君の腕の中に収まったと思ったら次に瞬きした頃にはベッドに押し倒されていた。後頭部にネルフ支給の安っぽいマットレスの感触が襲う頃、シンジ君は僕を上から見下ろして「そんな騙されるとは思わなかった」と言った。
「小さい時の自分に妬くはずないだろ、渚じゃあるまいし」
「あ、じゃあさっきのって、」
「別に何とも思ってない。昨日の渚、ちょっとウザったかったからお返ししてやっただけ」
ふふん、と得意げな表情を浮かべるシンジ君にほっと安心しつつ、彼が今言ったことを噛み砕く。お返しって言ってたけれど、あれは『お返し』だったのか?
「でもさぁ」
「え?」
「僕に冷たくするのは分かるけど、ハグして押し倒すのはお返しにならないんじゃないの? こうされるの、僕は別にショックっていうか、逆に嬉しいんだけど」
ねぇ、と語りかけながらシンジ君の頬を撫でる。するとまるで僕の瞳の色が移ったかのように、彼の顔はすぐに赤くなってしまった。そして、あー、とか、うー、とか、言い淀みに淀んだ後、シンジ君はあの小さな口をちょっとだけ開いた。
「……なんていうか、あの時の渚は、可愛げがあったから」
「へ、」
「それにさ、こんなことは今の渚じゃなきゃ、できないって、そう思ったりとかして……」
尻すぼみになっていくその声は、反比例するように僕の心の中を十分に満たしていく。綿あめを心臓に詰め込まれた気分だ。甘くて、繊細で、何より可愛い。
「……あは、それ、言えてる」
シンジ君はいつだって可愛いから、今僕の前にいるシンジ君で十分だ。そう思うと、シンジ君のワイシャツの裾をズボンから引っこ抜き、その下から手を入れる。この後のことが分かっているシンジ君は身体を震わせた。
それがあまりにも可愛くて、僕も反応してしまう。こんな反応は小さい時のシンジ君では再現できない。ねえ、そう思えばどんどん君は可愛くなっていくね、シンジ君。そう言うと、彼は馬鹿じゃないの、と笑う。
「可愛くなくなる一方だろ」
「そんなことないよ。今も、これからも」
1+1より簡単な答えだ。そしてそれは目の前にある。
「僕が君の隣にいる限りはね」