それはある日の、夜明けにはまだ遠い丑三つ時。
御神体であるアマフリ石が鎮座するアマフリ殿に、フウガと、父であり里長であるタンバがいた。
タンバは腕を組みフウガを見下ろす。
張り詰めた糸のような緊張感が走る。膝を揃えて座っているフウガは無意識に喉を鳴らし、口腔内に溜まっていた唾液を飲み下ろす。
「よいか、フウガ」
タンバはようやくその口を開く。
アマフリ殿。御神体の前で、その儀式が行われる。
それはマイカの里をの長となる者が受ける儀式であり、フウガにとっては心より待ち望んでいたものだった。
タンバの説明は、儀式の内容と同じくらい簡潔だった。
フウガが一人でアマフリ殿に入り、神酒を飲み、ご神体に触れ、ミカグラ島の平和と平穏を祈ると言うもの。
膳の上に用意された、盃に満ちた透明な神酒の水面に蝋燭の火が映り、揺れる。眩しい。フウガは神酒から目を逸らすようにじっとタンバを見つめる。
「私が声をかけるまで、祈り続けるのだぞ」
「は、父上」
フウガはタンバの言葉に、固く冷たい床の上に両手をつき頭を下げた。
タンバの足音が遠ざかる。フウガはまだ頭を下げたまま、呼吸を詰めタンバの足音に注意を払う。
蝶番の軋む音がアマフリ殿の中に反響し、フウガの鼓膜を震わせる。
一人きりになったフウガはタンバの気配が遠ざかることを悟り立ち上がり、階段状になっている段差を一段一段ゆっくりと上がり、鎮座する御神体を目の前にする。
蝋燭の小さな灯りを反射する御神体は、王族であるフウガでも祭事以外では滅多に見ることは無い。
初めて、ゆっくりと時間をかけて御神体を見た。鮮やかすぎる光を放つその薄く水色がかった石の中に、斑点のような小さな赤い花が散らばっている。美しいとフウガは思った。
御神体であるアマフリ石に祈りを捧げる。マイカの里と、ミカグラ島。人々が繋がり合い、長く繁栄していくことを。
「……」
知らずの内に止めていた息を吐き出し、フウガは肩の力を抜く。ピシピシと筋肉が軋み、ぎこちなく痛んだ。
目を開けたフウガの目に映るのは、煌々と鮮やかな光を発する御神体。かつて、空から降り落ちた始祖の宝物。
眩しい。フウガは自然と目を細める。
御神体から目をそらすように、フウガは水のように透き通った神酒が満たされた杯を両手で恭しく持ち、盃の中の神酒の視線を落とす。
小さな水面の中で揺れる自分の顔がひどく強張っていることが分かり、思わず眉を顰める。
意を決し、フウガは杯に口をつける。