優しい指先あなたとは一度、ゆっくり話をしてみたかった。
そう言ったのは、苛烈なる王であるラオウの弟であるトキだった。
まだシュウが己の目を潰しておらず、二つの眼で世界を見通していた頃。ラオウと対面した際、彼の一歩後ろに立っていた長い黒髪の少年がトキと名乗り会釈をしてきた事をシュウは覚えている。少年と少女の間に立っているような、どこか蠱惑的で危なげな空気を纏った、穏やかな表情を浮かべシュウを見上げていた。あの笑みを、シュウは忘れていない。
あれから何年経っているだろうか。トキはきっと、そのまま成長したのだろう。盲たシュウの目にはトキの姿は映っておらず、ただ彼の気配が輪郭として感じられるだけだった。
南斗の暴君であるサウザーと、北斗の覇王であるラオウの一時的な和解によって生み出された、シュウとトキの、ひとときの交わり。トキの温和な気配は荒廃した世紀末の世には馴染まずぽかりと浮かび上がり、シュウにとっては夢か現か分からない心地だった。
私もだ、よろしくとシュウは右手を差し出す。間が空くことなく、シュウの手はぎゅうと握られる。少し冷たい、大きく厚い手だった。シュウを前にしてはにかんで笑う少年の頃のトキの姿が不意に脳裏に浮かぶ。あのあどけない少年のぎこちなく組まれた指が、拳士の手となりシュウの手を包んでいる。大きくなったのだな、とシュウはしみじみと感じた。
「触れてもいいだろうか」
シュウが何気なく問えば、トキの手はゆっくりとシュウのを包み持ち上げ、少し硬いなにかに触れさせる。これは頬だ、とシュウは即座に理解した。
不意に指先に触れたザラリとした感触を確かめるように、シュウの手がトキの顔を撫でる。髭か、とシュウは察した。あの美貌を持っていたトキが大人になり髭を生やしているということに、シュウは少なからず驚いた。
空いている手で、トキの反対の頬に触れる。張りがなく少し乾燥した肌、少し浮き出た頬骨。シュウの手がトキの輪郭をなぞる。
髪に触れる。流れに沿いゆっくりと髪を撫でる。トキの長い髪は、あの頃と同じ。烏の濡羽色だった髪は、世界を変えたあの死の灰の影響で白くなったと聞いたことがある。惜しい、とシュウは心の底から残念に思った。
ふふ、とトキが僅かに笑い、シュウは反射的にトキの髪を撫でる手を止めた。
「シュウ、あなたの手は、優しくて温かい」
トキが笑みを含んで呟いた言葉を、シュウは聞き逃さなかった。
無遠慮に触れ回ったシュウの手を、トキは優しいと言った。その声色は、とろりと溶ける蜜のように甘く、暖かかった。
「こんな風に触れられるのは初めてだ」
シュウの手に、トキの頬が触れる。トキが自ら頬を寄せてきたのだと、シュウはすぐに分かった。
「触れさせてくれてありがとう、トキ」
シュウがトキの頬を撫でながらそう礼を口にすると、トキはふふと含み笑う。
「あなたなら、いつでも触れてくれて構わない」
その許しは、不意に与えられた天啓のようだった。
今、シュウは目の前で微笑んでいるであろうトキのその姿は見えない。シュウの眼の裏に焼き付いているのは、あの美しい少年ただ一人。
トキの今の姿を、笑う顔を、見てみたかった。シュウは確かに落胆を覚えた。
しかし、許された触れ合いを、シュウは大切そうに。薄い硝子に触れるように、トキを撫でた。