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    はるしき

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    はるしき

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    大遅刻猫の日李楽

    ##李楽

     にゃあ、にゃあ。にゃあん。
     今日はやけに猫が騒がしい。李典は訝しげに眉を顰め、思わず周囲を見回す。
     猫の声が聞こえたならば、猫の姿を探すのは当然。それがいつもより騒がしいならば、尚更。
     李典は靴音を響かせながら石畳を歩く。段々声が近づいてくるにつれ、猫の声以外の何かも聞こえてくるようになった。
    「困りました……」
     にゃあ、にゃあん。
    「あの、すみませんが、少し離れていただけたら……」
     にゃあん。
    「李典殿と食事に行く約束をしているのです……」
     猫の声に混じって聞こえる、よくよく聞き慣れた人の声。
     李典は壁の向こうから聞こえる声に耳をそばだて、そして声をかける。
    「……楽進?」
    「り、李典殿」
     驚かさないよう声を努めて抑えて、壁の向こうから聞こえてくるその声の主に声を掛けると、どこか戸惑ったような声が返ってくる。
     声の主である楽進とは、今日も共に食事をする約束をしていた。
    「どうした、なんかあったか?」
     平時ならば壁をひょいと乗り越えて顔を出しその笑顔を見せてくれる楽進が、今日は一向に顔を見せない。
     おかしい、と思った李典は、腕を組み首を傾げ、壁の向こう側へと歩みを進める。
     楽進はちょうど、さきほど李典が立っていた壁の向こう側に立ち尽くしていた。
     どうした、と声を掛ける前に、李典はすぐさま楽進の異変に気がついた。
    「あ、その、李典殿」
     李典の姿が見えると、足下を見ながら困惑していた楽進は顔を上げ、縋るような瞳で李典を見つめる。
    「なんだそれ……」
     李典は思わず笑い出しそうになったが、唇を噛み堪え、深刻そうな表情を浮かべながら問う。
    「その、助けていただけたら、とてもありがたいです……」
     にゃあん、にゃあ。
     楽進の足元には、一匹の白い猫が纏わりついていた。ははぁ、と李典の勘が冴える。
    「逃げられなかったのか」
    「お恥ずかしい限りです……」
     ここ最近、城に住み着いた子猫がいるとの噂は聞いていた。夏侯淵が撫でくりまわし、張遼が懐かれ、郭嘉に威嚇をする子猫がいると。子猫、と聞いていたが、随分大きくなっていた様子だった。
     尻尾を楽進の引き締まった足首に絡め、柔らかい身体を擦り寄せながら甘い声で鳴くその姿は愛らしいことこの上ない。
     もっとも、李典にとっては猫よりも、振り払うことも逃げることもできずただその場に立ち尽くし猫との会話を試みていた楽進の方が堪らなく愛らしかったが。
     楽進のそばに近付くと、猫は不思議そうに李典を見上げ、止まる。
    「楽進が嫌がってんだろ、お前」
     しゃがみ込んだ李典はひょい、と猫を両手で、いとも簡単に抱き上げる。
     急に宙に浮かび心許なくなったのか、猫は李典の腕の中で少し暴れた後、李典の肩に爪を立て、その体勢で落ち着いた。なぁ、にゃあ、と口を開け、李典の耳元で鳴き声を繰り返す。
    「ほら、どっか行って遊んでこい」
     着物に引っ掛かった爪を外させ、李典は猫を腕の中から離す。再び地上に足を下ろした猫は李典を見上げた後、にゃあと一鳴きし、石畳を音もなく走り去っていった。
    「ん?」
     鋭く、刺さるような視線を感じた李典はその方向に目を向ける。
    「……」
     ただひたすら押し黙り、猫が去った後を見つめる楽進がそこにはいた。
     強く、強く。恨めしそうな視線を、猫の尾が見えなくなってもその方向を黙って見つめ続ける楽進は異質さを覚える。
    「楽進?」
     李典が恐る恐る声をかけると、楽進ははたと体を揺らし、慌てて李典の方へ顔を向け、頭を下げる。
    「あ、その、助かりました、李典殿。ありがとうございました!」
     ハキハキと、そこまで大袈裟にしなくてもいいのでは、と感じるほどの礼。楽進らしいと言えば彼らしい。
    「……」
     勘が働く。李典の勘は、こと楽進のことに対しては明確に働く。
     あの視線の理由は、つまり。
    「妬いたか?」
     に、と李典が笑って見せると、一瞬呆気に取られたような表情を浮かべた楽進はパチパチと目を瞬かせ、そしてじわじわと頬を赤らめ、顔を李典から背ける。
    「そういった勘は、働かなくて結構です……」
    「ピンとくるんだからしょうがねぇよな」
     自らの手で熱がこもった頬を隠しながら苦々しげに楽進が呟くと、李典は機嫌良く笑いながら楽進の肩に腕を回し体重をかける。
    「飯食いに行くか?それとも」
    一度言葉を切り、李典は楽進の耳元に唇を寄せる。
    「俺の部屋、来るか?」
     わざと熱を込めて囁くと、ふるりと楽進の体が震える。
     頬だけでなく耳まで赤くなった楽進は顔をすっかり伏せ、うぅ、と時折李典の腕の中で唸る。
     もう少し押せば、きっと。
     先程の猫より甘く愛らしい恋人の姿が見れるだろう。
     李典は狡い心を覗かせ、楽進の決まりきった答えが漏れ出てくるのを待つ。
     伏せた顔のまま、楽進がほんの僅かに頷くまで、あと少し。
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