初めての贈り物「あ、すいません、ここで止めてください。帰りは電車で…はい、すいません、ありがとうございます」
5月初旬の任務帰り。横に座って車外を眺めていた夏油が突然寄り道をすると言い出した。
「珍しいな。どこ行くんだよ」
「花屋にね、母の日を忘れてたから。悟も来るかい?」
「……行く」
母の日にも花屋にもさほど興味はなかったが夏油の行動には興味しかない。
1か月ほどの付き合いを経てこの同学年の男をそう評価していた五条は、和やかな様子で補助監督と二言三言言葉を交わした夏油の後を追うように車から降りた。
「悟は母の日は何かするのかい?」
「いや、何も」
全く感情のこもらない答えを返す。
五条家は一般家庭ではない。小さい頃から特別扱いされ、親元から離れて育ってきた。なんなら母親の顔もよく覚えていない。世話役の女性は常に変わっていたし、世話役の一番上の奴は男だった。
そう説明すると夏油が不思議そうに尋ねてくる。
「じゃあなんでついてきたんだい?」
「あ……見たことないから見ておきたくて……いつか使うかもだし……」
まさか夏油のやることを見たい、とは言えず五条の語尾がだんだん小さくなっていく。
何度か経験のある五条の態度が「ただついて行きたい」のだと理解していた夏油はこっそり笑みをこぼすと頷いた。
「そうだね、母親相手でなくても花を買う機会はあるだろうし、覚えておいた方がいいのは確かかな。あ、ついたよ」
指さした方向にあった花屋は小さいながらも種類が多く、手入れもしっかりされている昔ながらの店舗だった。夏油は迷わずに店の中に入ると奥にいた男性店員と何かを話している。
店には他に女性店員が一人。人当たりの良さがなんとなく夏油と似ていたように感じて五条は声をかけた。
「花って貰ったら嬉しいもん?」
店員はびっくりしたように五条を見上げた後、笑顔で頷いた。
「もちろんですよ。部屋が明るくなりますし、なにより花を見るたびに贈ってくださった方のことを思い出して幸せな気持ちになれるんですよ」
「贈ってくれた人のことを思い出す……」
「はい!種類や色によって花言葉も違いますし、何本送るかでも意味合いが変わってくるので意味を込めて贈られる方もいますね」
「なるほど……」
礼を言うと五条は早速携帯に「花言葉」「本数」と打ち込んで熱心に検索を始めた。
夏油は手早くアレンジメントフラワーを選ぶと配送伝票を記入し始めた。
もともと大体のイメージが決まっていたのもあるが、五条があまり待つことを好まない性質であることを知っていたからでもある。
実家の住所を記入しながらちらと横目で五条を見ると、なにやら携帯を熱心に見ていた。
なにか興味を引く記事でもあったか、それならもう少し待たせても大丈夫かなと考えつつ伝票に意識を戻す。
会計を済ませて声をかけようと振り向くと、五条がなにやら別の店員に話しかけていた。
「待たせたね」
声をかけると、いや大丈夫という生返事が帰ってきた。いつもなら待たせたことに文句を言ってくるのに、どういう風の吹きまわしだろうか。
とりあえず帰ろうと伝え外に出ると、五条が店員から何かを受け取って後を追いかけてきた。
その手にあるのは1本のオレンジの薔薇。
「どうしたんだい、それ」
「……買ってきた」
「いやそれは見ればわかるけど。悟の部屋に飾るのかい?」
「そうじゃなくて」
どうにも歯切れが悪いなと思いながら、核心をつく質問をしてみる。
「誰かにあげるのかい?」
「……花を、贈って、みたくて」
だめだ、話がかみ合ってない。夏油は歩みを止めると五条に向き合った。
「悟?」
目があった五条は視線を泳がせた後、あーと呻くと花を夏油に突き出してきた。
「やる」
「はい?」
「傑に、やるよ」
押し付けられるように渡された花を受け取るも夏油は何故こうなっているのかがさっぱり理解できていない。改めて状況を頭の中で整理してみる。
花を贈ってみたかった、と五条は言っていた。だから、目の前にいた夏油に花を贈った、とそういうことでいいのだろうか。
「私にくれるのかい?」
改めて確認すると頷かれたので続きの言葉を口にする。
「ありがとう、悟。……でもなんでオレンジの薔薇?」
「……目についたからだよ。ほら、帰るぞ」
小さく答えた五条はそのまま夏油の横を通り過ぎ、駅へ向かって歩き出した。後ろから見える耳が赤いのは気のせいではないだろう。
「そうだね、早く帰ろう。お腹もすいたし、この薔薇も飾らないといけないし。ペットボトルで代用できるかな」
「花瓶ないのかよ」
「あるわけないだろう、君の部屋にはあるのかい?」
「……あるわけがないな」
その夜、夏油の部屋にはペットボトルに活けられたオレンジの薔薇と、その前で花言葉を検索して嬉しそうに微笑む夏油の姿があった。
オレンジの薔薇・花言葉:絆/信頼
薔薇の花を1本送る意味:あなたしかいない