今どきDKランチの小話「時透くん、今日はどれにする?」
「うーん…」
炭治郎と無一郎は互いの手元に視線をやる。
向かい合う二人は毎回一品交換する事となって早数ヶ月、昼時には見慣れた風景である。
炭治郎の弁当箱にはメインの鶏の唐揚げの隣に甘い卵焼き、スナップエンドウの胡麻和えとエリンギのベーコン巻きが隙間なく詰められて、ミニトマトが少し窮屈そうにしている。今日のラインナップにおけるいわゆる『食べ盛りの男子高校生が好きそうなおかず』は唐揚げくらいなものだが、そんな時でも炭治郎は聞いてみる。
無一郎の弁当箱は炭治郎と比べてひと回り小さめで、一口サイズのハンバーグが三個ほどとオムレツ、ゆで卵とブロッコリーサラダの隣りは紫キャベツのマリネ、胡桃と人参のラペのオレンジ色も彩りが良い。
今日のメインは恐らくハンバーグなのだろうけれど、その中のオムレツに炭治郎の食欲がそそられた。卵の黄色と相まってパプリカの赤とアスパラの緑が鮮やかだった。
「オムレツいい?」
「どうぞ。僕は唐揚げがいいな」
お互いの空いたスペースに、まるで最初からそこにあったかのようにそれらが収まると二人は「いただきます」と手を合わせる。
「炭治郎のも今日も美味しそう」
「開ける瞬間たのしいよね。俺は自分でやってくるから時透くんの弁当が楽しみ」
その瞬間、マリネまで箸があと数ミリのところで無一郎の動きが止まる。
「え、炭治郎が作ってるの?」
「作ってるったって、冷蔵庫のもの詰めてくるだけだけど」
「毎日?」
「そう」
「初耳…何で言ってくれなかったの? 写真に撮っておけばよかった…」
ボソりとそう零した無一郎は静かに箸を置いたかと思えば、ポケットから携帯電話を徐に取り出してパシャリ パシャと弁当を無言で撮り始める。
「撮るほどかなぁ」
卵焼きは朝ごはん用にちゃちゃっと巻いた端の方だし、弁当の為に作るのはメインの肉魚くらいだ。
スペースを埋めるのは日々の作り置きで、足りない時はベーカリーからウィンナーを何本か拝借してつっこむだけだ。
「ちょっと正面こっち向けて」
「こう?」
「そうそう。僕の方に傾けて」
ポージングまで指定する無一郎に言われるがままの炭治郎は弁当箱の中を覗き込む。
「そんな熱心に…」
母親が作ってくれたものも多いのだが、そんなに褒められてはなんだか照れ臭い気持ちもある。
「全部食べたい。ぼくのと交換して」
「いいけど」
「いや、だめだ。炭治郎が兄さんとお揃いになる」
「そ、そこ重要?」
「大問題! どうしたら…」
なにやら譲れない何ががあるらしい。
双方いまだ手付かずの弁当を目の前に無一郎は口元に手をやり黙り込む。それは対局中継の画面越しによく見る表情だ。
彼にとってどこが問題なのかまったく見当もつかなかった炭治郎は時計を見やる。
このまま無一郎の長考を見守っていたら確実に昼休みが終わってしまう。
午前中は体育の授業があって空腹もピーク手前、今まさに食べ頃の腹を満たしてくれるものが目の前にあるというのに良くわからない理由でみすみす食いっぱぐれるわけにはいかないのだ。
「時透くん?」
返事は無い。
しかし考えたって仕方ない。
「今日は自分の食べて、明日から時透くんの分作ってくる?」
「…いいの? やった」
炭治郎の提案に驚いたように顔を見てあげた無一郎の表情は、先ほどの憂いを一瞬でどこかへやってしまったかのようで、前のめりに接近した相貌は目が眩むほど爛々と輝いている。
無一郎の言い分を尊重するなら今日は各自持参したものを食べるより他なく、弁当が二つあれば条件は満たされる。
「あ、弁当代は気にしないでいいから。いつもたくさんお土産もらうし、ひとつくらい増えても大丈夫だから」
大喜びする様子からすると無一郎がおかしな数字を言いそうで炭治郎は先手を打った。地方へ行く度に半端ない土産物を竈門家に置いて行くから、そのお礼をする機会にうってつけではないか。
「でもちゃんとお礼しないと」
「いいって」
「じゃあ、今度の休みにランチ行こ? ご馳走するから」
「行くのはいいけど…とりあえず食べないか? 昼休みが終わってしまう」
お礼のお礼になってしまいそうであるものの、細かな話し合いは後ほどするとして、炭治郎は最初にと決めていた唐揚げを大口で頬張った。
そんな交換条件に安易に頷いてしまった事を、炭治郎は猛烈に後悔する日がやって来た。
「店のチョイスがおかしい」
日曜の昼、たどり着いた場所がこんな高級焼肉店でなんて聞いてもいないし、想像も出来なかった。
店の奥の個室に通され、テーブルを埋め尽くす勢いでずらりと並ぶ肉。それらを懸命に美味しさを噛み締めるように食べ進める炭治郎だが、網の上で綺麗に焼き色がついた特上ロースは間も無く食べ時を逃しつつある。
「大丈夫、何回来ても足りないから。 ねぇ炭治郎、またこれ作ってきて」
目の前にとてもとても美味しそうな肉が並んでいるのに、ここに連れて来た当の本人は手元の画面に夢中で目もくれない。「これもよかった」などと撮り溜めたデータを一枚一枚スワイプしながら気に入っているものをその都度見せてくる無一郎はかなりの上機嫌だ。
この霜降り肉は確かに美味しいが、家庭の弁当とでは差がありすぎて労働対価として素直に受け取れないのである。
「…来週から一回二百円ほど請求します」
画面を眺めてご満悦な無一郎を見ている炭治郎は、根本的な解決策に思い至る。
こんなに感謝されては止めるにやめられないし、材料費を頂戴してお互い気持ち良く続けられればそれ以上の事は無い。
そもそも無償という条件がよろしくなかったのだ。
「えー? 三千円くらいとっていいのに」
「絶対それくらい言うと思った…」
今日の日に選んだこの店といい、
どうにも視線を落とした炭治郎はギョっとした。
「時透くん大変! 炭になる!」
「あっ! 早く食べないと!」
あらゆる方面に引く手数多の天才棋士が、何とは言わないがこんなにも緩くていいのだろうか。
ようやく本格的に食べ出した無一郎を眺めながら余計な心配をしてしまう炭治郎は、明日のメインは魚にしようかなどと考えるのであった。
おわり