1999年7月に世界は終わらなかったけど 五条先生に好きだと言われた。俺も好きだよと生徒として返すのは、その好きって言葉と、人差し指でおろされた目隠しからあらわれた綺麗なガラスみたいな瞳が熱っぽすぎて、流石にはばかられた。
「ええと」返事に困る俺に、先生は言う。
「だから悠仁にも、僕を好きだと言って欲しい」
好きだと言うのはわりと簡単。それにそれは、嘘なんかじゃなくて、本当だ。でも、先生と同じ好きじゃない。そんなのはバカでも分かる。俺の好きと、先生の好きは違う。
――たとえば、温度とか。自分の好きを春だなんて表現するのは少し、小っ恥ずかしいけどさ。春と夏みたいな感じ。先生の好きは、ジリジリしている。向けられている視線で焦げそうだった。
だから、「目隠しあげて」と頼んだ。先生は、少し不機嫌そうな雰囲気を出したけど、黙って戻してくれた。
これで目は見えなくなった。なのに、やっぱりまだヒリヒリするような視線は消えてくれなくて、顔を逸らしてしまう。
「悠仁が今なにを考えてるか、手に取るように分かるよ」
五条先生は別に、怒った様子も悲しむ様子もなく、平坦な声色でそう言う。
「でも、大丈夫だから。悠仁は絶対、僕を好きになる」
「へ」
流石に驚いて先生の顔に視線を移してしまう。
「悠仁は絶対、僕を好きにな~る」
「……え、呪った?」
「違うし、予言だし。ノストラダムスの予言は外れたけどさ、五条悟の予言は、当たるよ~ん」
俺の鼻のてっぺんをツンとつついた先生は、大きな口を開けて「あっはっは!」と笑った。何がおかしいの、そう訊いたら「だって悠仁、顔真っ赤だもん」って。そんなの、当たり前じゃん? そんなこと言われたら普通、ドキドキするじゃん?
「んー、それってつまり、脈あり?」
「ないよ! 死んでまーす」
「大変だ。人工呼吸で蘇生しなきゃ! んん~」
「ギャー! 迫るな!」
俺の両肩を掴んで「んうー」とやたらぴんくい唇を押し付けようとしてくる先生をなんとか押し返そうとふんばる。え、というかマジで力強い。先生の高い鼻が、俺の鼻とぶつかりそうなくらい近くなった。あ、やばい。そう思って、目と口を閉じたら、「それは、逆効果だって」という言葉と一緒に頬へ柔らかい何かが押しつけられた。
ちゅ、という音。柔らかい感触。生温い温度。それらを一瞬だけ与えたあと、先生は俺を解放した。おそるおそる目を開け、自分の頬に触れながら「なぜに、ほっぺ!」俺は叫んだ。ほぼ絶叫に近い。こういうのって、普通、口じゃないの、と。あれ、でもそれって俺が口にキスしてほしかったみたいだ。
「口は流石に悠仁の同意がないとダメでしょ。ほっぺはワンチャン挨拶でさ? あり的な?」
「なしだって。ここは外国じゃないんだよ」
「そうだね。でも、この顔に免じて」
「め、免じざるを得ない……」
五条悟の日本人離れしたツラを見せられると、海外風の挨拶も許してしまいそうになる。
「つうか悠仁、口がよかったの? それならいってよー。僕は、いつでもしたげるよ。軽いのから重いのまで」
「お、おもいの?」
「うん。ほら、舌と舌を」
「セクハラ!」
べえっとベロをだした先生がなんとなく卑猥で、見てらんなくて両手で顔を覆ってしまう。
「顔面十八禁!」
「顔面十八禁ッ?」
というか、そもそも。どうしてこんなにドキドキしているかよく分からない。前から、先生は顔が近かったし、冗談でキスくらい普通にしてきそうだっただろ。こんな風にドキドキする必要はどこにもない筈だ。いや、でも、でもさ? この人は俺のことが好きなんだ。
改めてそう思うと、ばくばく心臓が暴れ始めた。顔面がかつてないほど熱くなって、顔から両手が離せなくなる。もう接着剤でくっつけただろってくらい、ぴったり離れない。いや、いやいやいや、意識しすぎじゃね、俺。
「先生、やっぱり呪った? 呪ったよね? 俺のこと、絶対呪ったじゃんこれ! ひどくねえ? 教え子呪うなんて」
「の、呪ってないし。さっきから何?」
「じゃあなんで俺、こんなドキドキしてんの! 先生が呪ったからじゃないの! 悠仁は絶対、僕を好きになるって!」
「えっ? ドキドキしてんの?」
「うぎゃ!」
顔を隠していた両腕を掴まれ、強引に引っ張られる。
「ゆーじ、顔見せな」
「アカン!」
「なんで関西弁?」
「あかーん!」
「ちょ、力強!」
「あううぅ」
「でも僕、最強だから」
「いやあぁー!」
「生娘みたいな悲鳴をあげるな!」
「むおおぉおお!」
「オークの雄叫びもだめ! というか、マジで、顔見せろっ!」
「ひいぃい! 堪忍してえ!」
「よいではないか! よいではないか!」
ついに、いちばん強い力で腕を引っ張られ、梅干しを食べたあとみたいなキュっとなった俺の顔が先生の目の前に晒される。
「……」
「……」
先生は、無言だった。きゅ、となった俺にブサカワとか言うんじゃないのかよ! 言いそうなのに、と思って薄く目を開けたら。
「え? こわなに」
目隠しを外してガン見している先生がいてビビった。
「悠仁さあ」
「ななななななに」
「ずるくないっ?」
顔を近づけてきた先生から逃げようと後ずされば、両手でがっしり頬を掴まれた。大きな手が、俺の顔をほとんど包むように当てられている。こんなの、どっひゃあ、である。
そして逃げられん。何か不思議な術でも使っているのか、俺はちっとも足を動かせなくなって、でも心臓はばかみたいに早く動いている。
人間が死ぬまでに行う心拍数の回数は決まっているらしい。二十億回、だっけか。つまり先生は俺の寿命をどんどん縮めているってことだ。ひどすぎる。でもまあ、そんなの関係なく宿儺の指集め終わったら死刑なんだけれども!
「悠仁、僕の目をみて」
「むりむりむり」
「見ないと悠仁が隠し持ってるAVのタイトルぜんぶ今からここであげつらうから」
「みます!」
なにその羞恥プレイっ! というかなんで知ってんのっ! と先生の方を見て、すぐに後悔する。
宝石みたいだなあ、と思っていたあおは、至近距離でみると、実はそうでもなかった。綺麗だけど石ころみたいに無機質じゃなくて、よく見てしまうと、疲れもあるのかちょっと充血もしていた。ふ、ふつうの人間の目玉だ! と思うと、もうダメだった。
「目、閉じたらチューするよ。口に」
「ひい」
露骨な脅しに俺は目を閉じられなくなる。やだ! 口にチューなんてされたら、戻れなくなる。
「悠仁の顔、どんどん熱くなるねー。僕の手、焼けちゃいそう」
「あ! よくある、ライトな言葉責め」
「……よくあるんだっ?」
「釘崎に借りた漫画で、みた! ちょっと恥ずかしいこと言ってくるやつ! まことくん……」
「まことくん……」
まことくんは、ちょっと意地悪な男だった。なかなか素直に好きと言わない主人公に焦れて、壁ドンをしてしまう男だった。そう、今の先生みたいに。
「って、いやいやいや! 俺、先生のこと好きじゃないし!」
「ダウトでしょ」
「ちがうし!」
「ふうん」
ま、いいけど、と先生は目を細めた。いいの? 俺、先生のこと好きじゃなくていいんだ?
「絶対、好きになるよ。悠仁は、僕のこと」
「なんない」
「ハネムーンはどこがいい?」
「え? 気が早すぎん?」
「悠仁」
「ふおっ」
「好きだよ」
少しだけ、白い頬にぴんく色がさしていて、綺麗な形の唇が歪んで白い歯が見える。「うひひっ」と楽しそうに笑って、先生は「悠仁は絶対に、僕を好きにな~る」ともう一度、改めて俺を呪った。入念すぎるだろ、と呆れながらも、やっぱり俺の心臓はばくんばくんとおかしな動きをしていた。
■
そういう告白事件があって、俺はすっかり五条先生を意識するようになってしまったのである。
どうしても認めたくなかったから、粗探しをして好きじゃないところを見つけようと思った。
「出前、なにとる?」
先生の家で、映画を観てゲームをして、美味しいお高そうなおやつを食べたあと。俺は「やべー、幸せってこういうことなんかな?」なんて血迷ったことを考え始めていた。
絶対後悔させないからうちに来なよ、と休日に誘われた五条宅。そりゃもう、隅から隅まで綺麗な家で、どこを踏んで歩いていいかすら、分からなかった。ぴかぴかの床を真新しいスリッパでおそるおそる歩いていると、先生は少しだけ困った顔して「悠仁を呼びたくて、新しく買ったマンションなんだけど……気に入ってくれた?」なんてのたまった。意味がわかんなくてその時、俺は流してしまった。「へー、そうなんだ。いい家だね」と。後からふつふつとわきあがってきた、「は? 俺のためにこの部屋買ったの? 本気?」という疑問は、まあ五条悟だしな、で映画の途中で消えてった。お金なんて腐るほどあるんだろう。深く考えちゃ駄目だ。
そうこうしているうちに夜になった。泊まっていけば、と言ってもらえたからお言葉に甘えることにした。服は、先生のを借りて、パンツとかはコンビニで買えばいい。
夜ご飯を当然のように出前で済ませようとした先生をみて、思いつく。料理とか、出来なさそう! この人。
「先生、俺。料理上手い人が、好きだなー。先生の手料理、食べてみたい」
下手くそな手料理を食べて、好きの気持ちを少しでも減らしたい。そう思った俺は、先生の腕に抱きついておねだりした。これはかなり可愛いやつだ。とっておきのおねだり方法。一昨日、五条先生からもらった「おねだり方法一覧」の紙にあった二番目に危険な方法。用法容量を守らねば、テイソウが危険らしい。というかおねだり方法一覧を渡してくるの、相当面白い。いや、冗談で渡してきたのはわかってるけどさ。ちなみに一番危険なやり方は、じわじわシャツをあげていきながら乳首が見えるところまでで止めてかするお願い、だった。アホかって爆笑した。先生も笑ってた。
「え、料理。僕の?」
「うん。だめ?」
「えー、あー……出前のやつのが美味しいよ? たぶん」
この自信なさげな態度。きた! 先生は、メシマズだ! これなら多少は好感度下げられそう。俺はニコニコしながら頷いた。それでも食べたい、と。
「……じゃあ、買い物行ってくるよ。ここ、今……何もないから」
「俺も行く!」
はあ、まあ。結論から言うと、先生は料理も、出来ました。
テーブルに並べられたおしゃれなサラダとか、綺麗に焼かれた肉とか、湯気がでているスープとか。サラダの中にクルトン入ってるのマジでヤダ。シーザーサラダだよーって、なに? マヨネーズぶっかけてろよ。先生、大雑把そうじゃん。野菜なんてマヨネーズかけときゃいーだろ、って言ってほしかった。
「先生さ」
「うん?」
口元をだらしなく緩めた先生は、向かい側に座って俺をずっとみている。早く食べて、と言わんばかりの視線がサングラスごしにぶっすぶすささるわけで。
「料理、できたんだね」
「まあ、人並みには? 一人暮らし、長いから。あ、悠仁も上手いよね? また、作ってよ。鍋、美味しかったなぁー」
「ばーか」
「え、急な罵倒、なに?」
先生の料理は、味も良かった。悔しくて思わず馬鹿とか言っちゃった。
あっさり完食して、皿を片付けようとしたらお客さんは座ってなと止められた。嘘だろ、と目を見開いてしまう。
この人、誰? 五条悟の着ぐるみを着たイケメン?
「ねえ悠仁、僕、何点くらいだった?」
鼻歌を歌いながら、食器を洗う先生が聞いてきた。どうやら手料理を食べたいというおねだりを叶えたのだから評価が聞きたいとのことらしい。
俺は困った。かんぺきすぎて、困り果てていた。百点はなまる今すぐ嫁にしたい。しかも俺のこと好きなんだってこの人! 宝くじ、五億円くらい当てた気分。
「ほんとに料理上手なの、可愛くないからっ! マイナス五千点くらい!」
「えーっ!」
振り返った先生は、腕まくりをしていて、たくましい腕にちょっと洗剤の泡がついていた。ギャップで殺すつもりなのか?
がんばったのに、とキャンキャン吠えている先生に、「ここまでなんでも出来るのは嫌味だから!」と思ってもないことを言ってしまう。本当は手料理すごく美味しくて、また五十ポイントくらい好感度上がった。素直に言いたいけど、言ったら最後完全敗北だからなんとか、踏みとどまる。
「じゃあ、下手くそになる。次は、砂糖と塩間違える」
「わざと下手くそになったって意味ないじゃんね」
「むう」
じゃああ、と水が流れる音を聞きながら、俺は笑った。
「先生は、かっこいいな。なんでも出来るなんて」
「えっ?」
「んーん、なんでもー」
「五条先生大好き、結婚してって聞こえたけどッ?」
「耳悪すぎん?」
そうやって夜が更けた。
「だって可哀想だと思わない?」
どうして俺に好きだって言うの、そう訊いたら、先生は寝る前に教えてくれた。
「えっ、まさかの同情?」
途端に身体の温度が冷えていく。
恋も知らないまま死んでいく俺が可哀想だったとか、そういう理由でやってたのか。
「違うよ、五条悟がだよ」
「五条先生が可哀想?」
「悠仁はさあ、僕が恵まれてると思う?」
「……えっと」
正直に言えば、思うけど。それはそれとして、持って生まれて来た人間の辛さというのもあるんだろうと思ってもいる。だから、簡単に頷くのは気が引けた。ただ、思っていないと嘘を吐いたところで、向こうにはきっとバレるであろうことも分かっている。
難しくて、面倒臭い。そういうことを、全部分かって訊ねてきているであろう先生は、性格が悪いってやつに違いない。
「――手に余るほど与えられた人間が恵まれているって言うんなら、まあ。恵まれてるんじゃない?」
「ふーん。悠仁はそうやって逃げるんだ」
「だって、俺は五条先生の苦しみなんて分かんないし。ただ、強くてかっこいいなくらいの普通の感想しかないわけ」
「強くてかっこいい?」
「強くてかっこいい」
「そっか」
ベッドに腰かけていた先生が、寝そべってスマホを見ていた俺にのしかかる。めちゃくちゃ筋肉詰まってるから、クソ重い。
「おもいおもい、ぐえぐえー」
「僕は、そういう普通のが嬉しいんだ。なのに、ねえ? 可哀想だと思わない?」
さっきと同じ言葉を、先生は繰り返す。
「好きになってよ」
「……」
「いっそ本当に呪ったらいいのかな」
俺の心臓がある部分に耳を当てた先生がそっと呟く。
「……先生は、結構。普通なやつがいいんだね。それがいいなら、たぶん。そんな異常なやり方じゃ、満足出来ないと思うよ」
「正論はきらい」
「大人だろーが」
「うっせ」
ぐりぐり人の胸に高い鼻を押し付けてくる男が可愛いなんて絶対ありえない! でも、ちょっと可愛いなと思ってしまった。こういう風に、弱気なところを見せてくるの、ずるくない? やっぱり手練れなんだ。
むかついたから、ぎゅうって頭を抱き締める。ふぐうっと呻いた先生を無視して「恐ろしい予言者だよ、ったくよー」呟いた。
ノストラダムス外しまくりだし時代はサトルダムスで間違いないわー。