それは、何ということのないいつもの会話の中に突如として放り込まれた爆弾だった。
「来週の土曜に、前から気になってたピザ屋のニューミリオン初店舗がオープンするんだ。三人で行ってみないか?」
「またピザかよ……まあその日はバイトないから良いけど」
「申し訳ないが、その日は都合がつかない」
「お、そっか。実家に帰るとか?」
「いや、見合いをすることになっている」
「「……ミアイ?」」
ミアイってなんだ? オレの思考は止まった。
たっぷり三秒遅れて、狭い部屋にディノの叫び声が響き渡り、ようやくオレは我に返ったのだった。
「見合い、ねぇ……」
その晩、眠りにつく前に何となく、本当に何となくさっきの会話を思い出してしまった。別に気になっていたとか、そういうわけではなくて。
『お見合い!?ブラッドお見合いするのか!?』
『そう言っている』
『だってさ、びっくりするじゃないか!俺たちまだ学生だし!』
『学生なのもあと数ヶ月だろう』
『でも!』
相手はどんな人なのかとか、どんな服着て行くんだとか、矢継ぎ早に質問を投げかけるディノの横で、オレはただ呆けていただけだった。
ブラッドが、結婚するかもしれない。
その想像はさすがにしたことがなかった。でもアイツの言う通りオレたちはもう結婚できる年齢だ。そうでなくても、良い家柄の家ではもっと早いうちから結婚相手が決まることなんてザラなんだろう。知らねぇけど。
そう、知らないのだ。自分はアイツを取り巻くものについて何も知らないし、多分一生縁などないだろう。そういう世界でアイツとオレはそれぞれ育ったし、それはどうしようもないことで、何なら別段どうしようとも思っていないし……
そこまで考えて、オレは何に対して言い訳しようとしているんだろうと我に返った。オレが今自分に言い聞かせている「現状を受け入れろ」は、正にオレがそれを受け入れたくないと思っていることの裏返しなんじゃないか? ブラッドが見合いして結婚する、そのことに無性にモヤモヤするのは何でだ? オレとアイツは成り行き上つるんでいるだけのただの同級生で……ああ、また言い訳が始まった。
深夜に考え事をするとロクなことがない。思考をシャットダウンしようと目を閉じてみたが、結局その晩はほとんど眠れなかった。
「酷い顔だな」
午前の授業はブラッドとだけクラスが同じ科目だ。オレの隣に当然のように座ったカタブツはオレとは対照的な澄まし顔で、無性に腹が立った。頭が働かないので悪態の一つもつけなかったけれど。
「寝不足か?」
こんな時に限ってブラッドはオレに話しかけてくる。
「まあな」
「そうか」
投げやりに答えると、ブラッドはさすがにオレのコンディションを察したのか会話を終わらせてくれた。頭の重さに堪え兼ねて机に突っ伏す。
「ところで、お前の意見を聞いていなかったのだが」
しかしわずか数秒後、ブラッドがまた話し始めた。これって相手オレだよな?
のろのろと顔を上げると、ブラッドがオレをまっすぐに見つめていた。
「……何の話だよ」
「昨日の見合いの話だ。ディノは色々と言ってくれたが、お前は何も喋らなかっただろう。後学のためにお前の見解も聞いておきたい」
オレがブラッドの見合いをどう思ったか? そんなの、オレには……
「オレには関係ない」と、頭に浮かんだセリフを飲み込んだ。言ってしまえば良いのに体が拒否したのか何なのか、言えなかった。
「……お前、見合いしたいの」
ブラッドの目が興味深げな色を帯びる。
「したいと言ったらどうする?」
「……結婚、すんの」
「その前提としての見合いだからな。可能性はあるだろう」
「……」
「キース?」
「寝る」
「は?」
オレはもう何も言えなくなってもう一度机に突っ伏した。すぐに教師が入ってきてブラッドに肩を揺すられたので、教師に体調不良を申告して教室を出た。ブラッドの顔は見られなかった。
「来週の土曜の件だが」
数日後、食堂での夕食の最中にブラッドが切り出した。
「どうしたんだ?」
「ピザ屋に行く件はまだ有効だろうか」
「え、ブラッド、それって……」
驚きを隠さないディノに、ブラッドは微笑んで告げた。
「見合いは断った。二人がまだ空いていればピザ屋に行こう」
数日ぶり二回目のディノの叫び声が響いた。
部屋への帰り道、別方向のディノと別れた後、つい魔が差した。
「お前、何て言って断ったの」
「知りたいか?」
問い返されて、あえなく絶句する。固まったオレにブラッドは何も言ってくれない。お互いの足音が廊下にやけに響く。ブラッドの部屋の前に着いて、折れたのはオレだった。
「……後学のために」
オレの返しはブラッドのお気に召したらしい。心なしか楽しそうな笑みを浮かべて、ブラッドは言った。
「仕方がないな」
不意にブラッドの気配が近付く。数秒後、フリーズしているオレを置いて、ブラッドは「おやすみ、キース」と爽やかに言い残してドアの向こうに消えた。
ブラッドはオレの耳元で、一言だけ囁いた。
『心に決めた人がいる、と』