イチウリで生徒×教師パロ② 石田雨竜の学校での印象は以下の通りである。
授業は的確で分かりやすいが、小言が多い。
担当教科は数学だが、何故か手芸部の顧問で、家庭科にも造詣が深い。
軟弱そうに見えて、意外と運動神経はいい。
若さゆえに侮られることも多いが、真面目な生徒からは好かれているし、そうではない生徒からは煙たがられる。
教師仲間からは頼りにされることもあるが、相性によるところも大きい。
教師になって六年、担任を受け持つようになって五年、決して長いとは言えない期間かもしれないが、十人十色の生徒たちや癖の強い教師仲間に揉まれ、酸いも甘いも経験してきた。
「セーンセ」
三畳ほどの部屋に、天井まで届く背の高い棚と、職員室にあるものと同じデスクと椅子が置かれている。どこもかしこも綺麗に整理整頓されていて、白を基調としたその部屋は、他の教科準備室よりも広く見えるが、長身の石田にとっては少し手狭だ。
「ノックをしなさい」
一体このやりとりは何回目になるだろうと思ったが、それでも石田は訪ねてきた生徒を拒まずに受け入れた。
「飯食いに来た」
「他所で食べなさい」
「センセーここで食べんだろ」
「当たり前だ」
「お湯頂戴」
「こら」
勝手知ったる様子で置かれていた電気ポットからカップラーメンに湯を注ぎ、折り畳んで立てかけていたパイプ椅子を開く。
汚されたら困るので授業に使う資料を広げておくことも出来ず、渋々と机の上を片付けて石田も弁当を取り出す。かけられた布巾の下から急須と湯呑を二つ用意するのを見て、黒崎はにんまりと笑う。
「サンキュー」
腹立たしさを覚えなくもないが、こんなことでいちいち怒っていては教師は続けていられない。せめてもの不服の証として、お気に入りの茶葉は使わずに、安い特売品を使うことにする。
スマートフォンで測っていたはずのアラームが鳴る前に、黒崎はぺりぺりと蓋を剥がした。麺とスープをよく混ぜて、一口でたくさんの量を頬張る。
「それアラームかける意味あるのかい?」
「まあ……、硬いほうが好きだし」
それなら最初からアラームを短くしておけば良いのではないかと思ったが、指摘するのも疲れて石田も箸を手に取った。
一緒に食べるからと言って、とくに会話が弾むわけでもない。気まずいというほどではないが、一つの机に男二人で向かって黙って食べるというのは、少し不思議な状況のようにも思える。
友達と食べたほうが楽しいだろうにと思うのだが、あの一件以降、毎日のように石田のテリトリーへ黒崎は訪れていた。
そこに、名前をつけてはいけない好意があることに、さすがに気がついてはいる。
教師として酸いも甘いも噛み分けるような経験のなかの一つに、以前、似たような気持ちを抱かれて告白されたこともあった。ただ、卒業間近でもあったし、本人も告白する以上のリアクションを望んでいなかったため、良き思い出として終わらせることが出来たのだ。
しかし、黒崎はまだ高校一年生で、この高校の担任は持ち上がり式だ。去年までは中学生で義務教育だった生徒から好意を向けられても、感じるものは危機感ばかりだ。
「ごちそうさま」
「早いな」
「センセーが遅いんだよ」
石田が二口、三口箸を口に運んでいる間に、ロゴの上にビッグサイズと描かれているカップラーメンは、汁さえ残さずになくなっていた。
食べ終わったならば出ていけばいいのに、食べ終わったものを袋にしまうと、黒崎は座り心地の良いとは言い切れないパイプ椅子に腰掛けたまま、机の端に肘をかけてくつろいでいる。そして、スマートフォンを触るわけでもなく、食事をする石田を眺めていた。
気まずいことこの上ないし、その視線にどこか熱を孕んでいることに気が付きたくなかった。
「…………食べ難いんだけど」
「いーじゃん」
「良くない。昼食足りないのなら、卵焼きなら分けてもいいけど」
「くれんなら唐揚げがいい」
「却下」
弁当の蓋を皿代わりに渡そうとすると、黒崎がまるで雛のように口をぱかりと開ける。
「調子に乗るな」
「ケチ」
蓋の上に卵焼きを載せて、机の引き出しから使い捨ての割り箸を取り出して渡す。黒崎は文句を言うわりに機嫌良さそうに卵焼きを口に運ぶと、少しだけ目元を和ませた。その姿が年相応に見えて、可愛らしく思う。
他の教師の前でもそうしていれば、変に目をつけられなくても済むだろうに。
「午後一の授業は鍵根先生の授業だろう。早めに移動しないとまた怒られるぞ」
「本鈴までに行きゃいーじゃん。休み時間はしっかり休むべきだろ」
「僕は今そのしっかり休むべき時間に、相手をさせられてるわけだけど」
「どうせ仕事しながら飯食うつもりだったんだろ。しっかり休めて良かったじゃねーか」
「お前なあ」
減らず口に呆れてため息をついて見せたのに、黒崎はどこか嬉しそうに顔を綻ばせた。
入学当初からはとても想像が出来ない姿だった。
眉間にシワをよせていて、親しい友人以外は近づけようともしなかったし、教師にだって態度を変えなかった。
手を焼くことを覚悟した生徒が、猫の子のようにすり寄って来るのはくすぐったくもあったが、そこに教師以上の感情を抱かせてはいけない。
「黒崎」
「うん?」
「昼休みにここへ来ても良いし、いつでもメールを送っても良い。悩みがあるならどんな話も聞く。でも、僕に出来るのはそれだけだよ」
多感な時期に、同じセクシュアリティを持つ相手を見つけたら仲間意識を持つかもしれないし、それ以上の気持ちを持つこともあるかもしれない。
だからこそ、最も近い立場にいる石田が、きちんと黒崎を見守らなければならないのではないか。
「ふーん」
「ふーんってお前」
黒崎は対して気に留めるわけでもなく、湯呑の少し冷めた茶をすすった。
教師がどんなに真面目に話をしたところで、生徒というものは左から右に流してしまうのだ。慣れてはいるが、虚しいものである。
時計をみれば昼休みは半分を過ぎていて、石田も午後の授業がある。弁当はまだ殆ど残っていて、とても食べ終わりそうにない。
「黒崎、唐揚げも食べていいよ」
「センセーのじゃん」
「さっきは欲しがったじゃないか。今から全部食べてたら間に合わないし、残しても悪くなっちゃうから」
「センセー食べるの遅もんなー」
「誰のせいだと」
「仕方ねぇなぁ、ほら」
「黒崎……っ、むぐ」
黒崎が割り箸を伸ばして唐揚げを掴むと、それを石田の口へと押し付ける。
行儀の良い石田は一度口に入れたものを出すことも出来ず、暫く固まったが仕方なく咀嚼するしかなかった。
「次はどれ食いたい? いってぇ!」
口をもごもごと動かしながら、オレンジ頭を横から叩く。
食べながら喋ることが出来なかったのできつく睨みつけると、黒崎は叩かれた頭を抑えながらも、悪戯が成功した子供のような顔をした。
「じゃあ他のもらうなー」
鶏肉の繊維を上手く飲み込めないうちに、黒崎がひょいひょいと煮しめと白米の大半を横からさらって、湯呑のお茶を飲み干して席を立つ。
「ごちそーさんでした。じゃあまた後でな」
来た時と同じビニール袋を持って、変わらぬ足取りで扉から出ていく。
やりたい放題にも程がある、と思いながらようやく唐揚げを飲み込む。行き場を失った不条理をお茶共に胃の中に流し込むことに成功すると、午後の授業が迫っているというのにどっと疲れが押し寄せてきた。
教師人生の中で、黒崎という生徒は酸いと甘いのどちらかになるのかは分からなかったが、それでも未来ある若者の汚点にだけはなってはならない。
ため息を一つつくと、石田は軽くなった弁当箱の残りを口に運んだ。