イチウリで生徒×教師パロ「石田先生も、この後どうですか?」
「すみません、今日は先約が」
「それは残念。また今度」
「ええ、また。お疲れ様でした」
形式だけのやり取りを終えて、鞄を持つと石田は職員室から出る。
校舎は静まり返って、既に生徒の気配はない。全員の帰宅を確認しており、金曜日の夜ともなれば教師としての肩の荷も降りる。上履き代わりの白いスニーカーから革靴に履き替えて足早に車に乗り込むと、運転席でポケットからスマートフォンを取り出した。
シンプルにアルファベットだけ記されているアイコンには、通知が一つ付いている。タップして開くとダイレクトメッセージが届いていて、今夜会う場所と時間に対する承諾の内容が記されていた。
相手のアイコンからプロフィールへと飛んで、改めて詳細を確認をする。
写真に写っているのは口元より下だけで風貌はよく分からなかったが、年齢は石田と同じ28歳。自己申告されている身長は石田より少しばかり低いものの平均身長よりは高い。職業は非公開で、タチ希望。
ゲイ専用のマッチングアプリで、久しぶりに見つけた一晩を共にする相手。申込みがあったのは向こうからで、初めての相手だったが、自然と期待が高まる。
スマートフォンのディスプレイを消すと胸ポケットにしまい込み、車のエンジンをかけた。人気のない職員用の駐車場を抜けて、車で一時間ほどの繁華街へと向かう。
時間に余裕があるのでラジオをかけながら安全運転に努めていると、生徒たちが話題にしていた流行りのラブソングが流れて、その純粋な歌詞が石田には少し眩しく思えた。
石田は、一度だって恋だの愛だのに振り回されたことはない。
小学生の頃には自身がマイノリティであることを把握していて、決して誰にも気づかれないよう周りとは壁を作って生きてきた。親との関係も良好とは言えず、唯一慕っていた祖父が亡くなってからは常に孤独だった。
子供の頃は辛く思うこともあったし、様々な葛藤や無茶を繰り返したこともあったが、今は不思議と穏やかな生活をおくることが出来ている。
仕事は忙しいがやり甲斐はあるし、生活するには困っていない。手芸や料理などの趣味もあるし、セックスがしたくなれば、こうしてマッチングアプリで見つけた相手と一夜限りの付き合いをする。
満点ではないのかもしれないが、十分に満足のいく生活だった。
目的地付近にたどり着くと、ナビゲーションが役割を終えたタイミングで該当の建物を視認することが出来たので、看板に従って駐車場に入る。
エンジンを切って、スマートフォンを手にとると、また一件の通知があった。十分ほど遅れるとのことだったので、車から降りて専用の自動ドアから中へ入り込み、人気のないエントランスで適当な部屋を選ぶ。エレベーターの中で客室番号を相手に伝えると、石田は誰ともすれ違うことなく部屋の扉を開けた。
床のカーペットはまるでぬいぐるみのようにふわふわで靴が沈む。部屋はそう広くはなかったが、中央に大きなダブルベッドがあり、正面には壁掛けのテレビがある。側面の壁の一部はガラス張りになっていて、向こう側に丸いバスタブが鎮座しているのが見えた。スイッチを入れると淡い紫色にライトが輝くのが何とも艶めかしくて、少しだけ気まずい。
可も不可もない、ごく普通のラブホテルの一室で、石田はベッドに腰を下ろす。
十分程度の遅れでは、シャワーを浴びる間もないだろう。スマートフォンで仕事用のアプリをまとめてあるフォルダを開いて来週のスケジュールを確認していると、扉をノックする音が聞こえて顔を上げた。
思っていたより早かったな、と扉の前に備え付けられていたミラーの前で簡単に身なりを整え、ためらいもなく扉を開ける。
「は?」
思わず間の抜けた声が出てしまったのも無理はない。
そこに立っていたのは、今日の昼間に学校で顔を合わせた生徒の一人だったからだ。
「お邪魔シマース」
固まった石田の肩を抱えるように腕を回され、ホテルの一室に入り込まれてしまう。扉の自動ロックがかかる音を聞いてから我に返ったが、突然のことに上手く言葉が紡げない。
「お前、なんでここに」
「なんでって、センセーがここのホテルと時間を指定したんだろ」
慌てて踵を返し、ベッドの上に置いたままのスマートフォンをタップして開いたマッチングアプリには、口元だけが写ったアイコンが石田を嘲笑するように浮かんでいる。
特別特徴はないが、やや厚めの唇といい、健康的にやけた肌の色といい、たしかに似ている。更に写真をよく見ればオレンジ色の襟足が覗いているではないか。
「…な、ん…お前、未成年が、こんなアプリ」
しどろもどろになる石田に、オレンジ色の髪をしたその生徒は、いつもの仏頂面を引っ込めて口角を上げて笑みを浮かべた。
「教師がこんなことやってていいんですか」
いつもは指摘しても敬語なんて使わないくせに、この時ばかりは口調を改めているのが恨めしい。ベッドサイドでスマートフォンを握りしめ、顔を青くさせる石田にゆっくりと近づいて来る。
「帰りなさい」
口調だけははっきりとしていたが、混乱は隠せない。
なんでこんなところに、自分が受け持っている生徒がいるのか。
身長こそは負けていなかったが、目つきはお世辞にも良いとは言えず、その圧迫感たるや怖気づく教師もいるのは石田も知るところだ。
何かとトラブルの絶えない生徒の一人だったけれど、本人に問題があるケースは稀で、その風貌故に巻き込まれることが多い印象だった。テストの成績も悪くはないし、見てくれに反して根は真面目、それが石田の彼に対する評価だったので、そのアンバランスさを微笑ましく思うこともあった。
こんなラブホテルに訪れることも、マッチングアプリを使うことも、とても想像ができない。悪い夢でも見ているかのようだった。
「黒崎」
名前を呼んでも「はい」と答えるだけで、引く様子はない。
それどころか伸ばしてきた手は、もう大人と変わらないほどに大きい。
「互いに口止めってことで。俺もう我慢できないし、早く抱きたいんですけど」
だってセンセー、そうして欲しかったんでしょ。
子供じみた口調のくせして、その視線は捕まえた昆虫の羽根を毟るような残忍さのようなものを含んでいる。
しびれを切らしたように肩を掴まれて、逃げ場のない石田は簡単にベッドの上に押し倒される。
「こら、待ちなさい」
「嫌です」
「黒崎」
「脱がしていいよな?」
「黒崎!」
羞恥と混乱に声を荒げる。
こんなことがあっていいはずがない。いくら一晩限りの相手を探していたとはいえ、教師としても、大人としても、生徒を、年端も行かぬ子供を相手にするわけにはいかない。例え見かけだけは大人と変わらないように見えても、石田にとって黒崎は教え子の一人で、守るべき子供の一人だ。
「いい加減に、」
「諦めろって」
「黒崎!!!!」
胸を押して引き剥がそうとする石田のシャツが開かれ、手が滑り込んでくる。体温が高く、乾燥を知らない指先が腹部を撫でた。
「いい加減にしろ!!」
石田は頭に血が上るのを感じて、スマートフォンの角で黒崎の頭を思いっきり殴った。
「いってええっ、本気でやりやがったな!?」
「当たり前だ!! 退きなさい!!」
「うおっ」
覆いかぶさろうとしていた身体を力いっぱい横に払い、黒崎の身体がふかふかのカーペットへと転がる。
立ち上がるとすぐに石田は身なりを整え、黒崎を睨みつけ「くそ!」とおおよそ教師らしくない悪態を吐く。烈火の如く怒りながら、鞄から財布を手に取りだして室内の自動精算機で料金を支払うと、数枚のお札と引き換えに吐き出された明細のレシートをぐしゃりと握りつぶして室内のゴミ箱に放り、黒崎の腕を掴んだ。
「来なさい!!」
「ちょっ、センセー」
「こんな場所で先生と呼ぶな!」
ドアから出ると、半ば引きずるようにして駐車場に戻り、助手席に黒崎を押し込む。
乱暴にアクセルを踏んだせいでキュルリとタイヤが耳障りな音を立てたが、構ってはいられなかった。
建物から出て、ラブホテルが点在するバイパスを文字通り駆け抜ける。
「あーあ、金勿体ねー」
鬼のような形相をしている石田に、躊躇なく油を注いでくることが腹立たしい。
「お前は、自分が何をしたのか分かっているのか!?」
「分かってるよ」
「それなら尚更悪いだろう!! 一歩間違えば停学で済まないかもしれないんだぞ!?」
「せんせーだって、マッチングアプリで男漁ってていーのかよ」
「そ、それは……!」
指摘の通り、決して褒められたことではないし、状況が悪ければ教師という職を失うかもしれない。けれど、石田は大人だ。何があっても、一人で対応することが出来るし、責任を負うことも出来る。未成年の黒崎とは違う。
ハンドルを握る手が強張って、このままでは事故を起こしかねない。激高していることをようやく自覚して、気持ちを落ち着けるように息を吐き出したが、混乱と不安がまだ胸の中に渦巻いている。
「ああもう…………、たまたま相手が僕だったから良かったようなものの」
「あ?」
「これがもし、暴力的な相手だったり、貶めようとする相手だったらどうするつもりだったんだ」
「…………それマジで言ってる?」
「ネットリテラシーの講習を学年集会でちゃんと受けただろう? その中でネットで知り合った相手と軽率に会ってはいけないと言われたはずだ」
「いや聞けよ」
「お前がちゃんと聞きなさい。黒崎くらいの年齢なら、色々なことに興味を持つと思う。セクシャルな話題に対してもそうだ。でも、好奇心のままに動いてはいけない。君はまだ子供だけど、ちゃんともうそういうことが考えられる歳だろう」
先に見える信号が赤になったので、緩やかにブレーキを踏み停車すると助手席の黒崎に視線を向ける。そこには、眉間にシワを寄せて、面白くなさそうな顔をしている表情があった。
「黒崎」
それを、注意されたことに対する不服と受け取り、嗜めるように名前を呼ぶと、不機嫌そうな声が返ってくる。
「今日のこと、俺が喋ったらどうすんの」
脅すというよりも試すような響きであることがすぐに分かって、逆に肩の力が抜けてしまう。こんな子供が、石田を陥れることなんて出来はしないのだ。
「………お前は人の秘密を口にするタイプじゃないことくらいは知ってるよ」
そう言うと、ますます黒崎は顔をしかめて、子供らしく唇を尖らせた。年相応なその態度が、石田から見ればまだまだ可愛らしい。
青信号になるとアクセルを踏んで、車通りの多いバイパスを北上していく。まだ夜が更けるには早く、どの店も煌々とネオンが灯っている。
「黒崎、ご家族には何て言って出て来たんだい」
「………………」
「黒崎」
拗ねたように口を噤む教え子に、ため息を吐く。大人にとってはまだ早い時間でも、高校生にとっては、習い事でもない限りは門限を過ぎていてもおかしくない。
「…………友達んとこ泊まるって」
「じゃあ、都合が悪くなったことにして家に帰りなさい。このまま送るから」
「えーー…………」
「えーじゃない。それから、今回みたいにいきなり行動を起こさず、僕に連絡をしろ。悩みがあるならいつでも相談に乗るから」
「……いつでも?」
「あのアプリを使っていたってことは、自分がゲイかも知れないって思っているんだろう? 学校で相談するには、どこに目や耳があるか分からないしね」
そう投げかけても、すぐに返事はなかった。ちらりと横目で様子を伺うが、生憎俯いていて表情は分からない。
いらぬお世話だったのかもしれないなと思っていると、普段と変わらぬ声で、黒崎が口を開いた。
「……じゃあセンセーのLINE教えて」
「あー、やってない」
「マジで? 今どき?」
仕事でもメッセンジャーアプリで連絡を取りたいと言われてはいるが、幸いにして年配の教師たちがこぞって使いこなせていないため、業務用グループメールを作成することでやり過ごしている。
「うるさいな。メールアドレスなら教えてやってもいいぞ、ほら」
「うわっ」
運転中だったので片手で胸ポケットからスマートフォンを取り出すと、助手席に放ったところを黒崎が慌ててキャッチする。今どきの若者だから、メールアドレスの見方くらいは分かるだろうと踏んで、説明は何もしなかった。
「顔かして」
「どうぞ」
運転する石田にカメラをかざしてロックを解除すると、黒崎は慣れた様子で画面をタップしていき、自身のスマートフォンを翳してQRコードを読み込んだ。
「センセ」
「なんだい」
「アプリ消してもいい?」
「は?」
「今日使ってたやつ。俺も消すから」
「…………………………………、いいよ」
たっぷり間を設けてしまったが、石田は喉まで出そうになった言葉を飲み込んで承諾する。どうせ一夜限りの相手を探すだけのもので、特定の誰かと連絡を取り合うものではない。
「言っとくけど、再ダウンロードもすんなよ。センセがしたら俺もする」
「分かったよ」
「はい、返す」
「胸のとこ入れて」
「………、おー」
妙な間が一拍空いたが、すとんと胸ポケットの中にスマートフォンは収まる。
空座町まではまだ暫くあるのに、黒崎も自分のスマートフォンをしまうと、石田と同じ正面を向いている。ラジオでもつけようかとしたが、黒崎がすぐに消してしまった。
何か話したいことでもあるのかと思ったが会話が途切れて黙ったまま、外の喧騒と打って変わって車内は静まっている。
不思議と居心地は悪くない。時折様子を伺うと、深くシートに腰をかけ、窓に寄りかかりながら、すれ違うヘッドライトを眺めている。石田からしてみればまだ幼い子供は、今何を考えているのだろう。かつての自身を振り返ってみたが、黒崎に重ねることは出来なかった。