エメラルドグリーンの泡沫に、キスを。■渚カヲル救済ルート比較的平穏ifの貞シンカヲです。以下の独自設定があります。↓
・襲来する使徒の順番がランダムな世界線
・三号機事件はまだ起きておらず、トウジ達や他の生徒も疎開していない
・カヲルがまだ使徒であることを隠している時期にアルミサエルが襲来し、アスカとレイが負傷し、その後にカヲルがシンジに迫る等本編の絡みがあり、使徒としてシンジと戦って『人間と共に生きること』を選ぶ
・四号機のパイロットとしてカヲルが存在している
・レイは2人目のままであり、ユイのクローンであるということはまだ明かされていない
エメラルドグリーンの泡沫に、キスを。
「僕お昼もういいや。屋上行ってる」
「え、渚まだパンちょっとしか……」
ある昼休みの第壱中学校。パンを一口だけ齧ったカヲルは、薬なら飲んでおくし、余ったパンならあげるよと手を振りながら教室の喧騒を抜け出していってしまった。シンジは何も言えずにそれを見送ると、またか……と溜め息を吐く。その傍らでは既に自分の分の弁当を食べ終えたトウジが腕を組んで呆れた表情を浮かべていた。
「なんや、また渚のヤツはこれっぽっちしか食わんかったんか? 毎日毎日、アイツほんまに人間かいな! 男子中学生たるもの、昼休みの弁当食う時間ほど無駄にしちゃあかんもんはないで。……じゃあ、パンは勿体ないしわしがもらう」
「いつもだよな、身体大丈夫なのか渚。薬飲んでるみたいだけど」
「……うん、病気とかではないんだけどちょっとね」
シンジはトウジのあいつほんまに人間かいな! という言葉に少しぎくりとし、その場凌ぎにはぐらかすと、苦笑を浮かべた。カヲルの出ていった方向を追うように見つめるケンスケは特に分かりやすく心配しているようで、その様子を見れば心が痛む。カヲルが食欲とは無縁な、人間とは違う生物なのだということを知っているのは、教室の中でシンジとレイとアスカの3人のみだ。今はまだ口外してはならないとされている秘匿事項。本来ならば人類の敵であるカヲルが、学生として人間に紛れて生活しているなどと知られたら人々を混乱に陥れることになりかねないからだ。
渚カヲルは、使徒だ。それは、シンジの説得を受け、自らの力でゼーレの手を逃れてネルフに協力しながら人間(リリン)と共生している今現在も変わらない事実であった。使徒である以上、飲食も睡眠も排泄も、加えて生殖行動も、人間の生理的欲求とは無縁なものとして生きることができる。群体として生きる人間に必要不可欠な他人との交流はなくても構わない上に、複雑な感情の揺らぎも感じることはない。人間側からしたら様々な煩わしさに縛られず羨ましいと思う者もいるのかもしれないが、単体で完結する生命体である使徒にとってはそれが当たり前のことだ。
しかし、シンジはカヲルと共に過ごすようになり特に交際をすることを決めてからずっと気になっていたことがあった。使徒である以上仕方のないことにしろ、カヲルは食に関してあまりにも無頓着過ぎるのだ。カヲルは四号機搭乗時に綾波レイの感情を使徒・アルミサエルによって流し込まれてからは情緒面では恋愛に興味を持つなど人間に近しい感性を芽生えさせてはいったが、食事のことに関してはまだ本来の使徒の性質に近いのかもしれない。ネルフの移住区で過ごす朝晩は赤木博士に処方してもらった薬しか飲んでいない様子だ。学校でもパンを申し訳程度に一口齧るくらいが精一杯なようで、昼食らしい昼食を摂っていない。同級生のトウジやケンスケにも心配される始末だ。
***
屋上の扉を開くと、真夏特有の生暖かい風が頬を擽る。涼しく薄暗い階段から天を突き抜けるような青空の下に出ると、チカチカと目が眩んだ。降り注ぐ熱い日差しを遮るのに手を額に当てて目を細めると、扉を出てすぐ傍に人の気配がする。カヲルだった。
「渚、すぐ出て行っちゃうからケンスケ達が心配してたぞ」
「ごめん」
「…………僕も無理に食べろとは言えないけどさ」
足を投げ出し、頭の後ろで手を組んで壁に寄り掛かるカヲルは、口を開けばすぐに謝ってきた。シンジは上手く言葉を返すことができない。ただただ、本当はきっと謝られるのも違うんだよな……と思いながら、カヲルの隣に腰を降ろした。恐らくこれは、幼い頃から人間として食事に馴れ親しみ、嗜んで当たり前のものだと思って育ってきた自分が、そうでないカヲルを内心理解できずに戸惑い、釈然としない気持ちでいることが絡んでいるのだろう。しかし、他より目立つからだとか、周囲に心配をさせてしまうからだとか、カヲルの事情を無視してまで無理矢理食べろなどと言うつもりもなかった。
「シンジ君、僕やっぱりおかしいかな。どうしても食欲っていうのが分からなくて、興味も出てこないんだ。しかもそれを毎日3回もこなさなきゃならないって意味分かんないし」
時々発せられる、カヲルの明らかに人ならざるもののような物言いに、シンジはああ、やっぱり渚は僕達とは違うんだ……使徒なんだとはっきりと自覚させられる。食欲というものが分からない人間など、ほぼいないに等しいのだ。相談のように持ち掛けられても、何と答えていいやらと頭を傾げてしまいそうになる。
これは僕の……人間としての生き方の押し付けになっちゃうのかもしれないけど、一般的な食事を覚えれば、渚にとっても僕達と生きる上での楽しみや幸せがもっと増えていくんじゃないかなと思うんだ。食事を通せば人間関係にだっていい影響を与えることだってあるし……。周りの心配も、みんな気に掛けてくれてるわけだから、やっぱり気にはなるし……
「僕はそんなこと考えたこともなかったな…………渚と僕達じゃ身体の作りが違うんだろうし、おかしいとか一概に言えないよ。…………でも楽しいもんだよ、『食事』って」
「う゛ーーん…………シンジ君が楽しいって言うならちょっと気になる。けど、自分じゃどうしたらいいのか分からないんだよ」
シンジ君が楽しいならと僅かながらに興味を示したカヲルに、シンジははっとする。そうだ、渚は出会った時から雛鳥みたいに僕にくっついて回りたがるところがあったっけ……と。カヲルが無理をしてまで食事をするのではなく、食事に対して自然と意欲的になっていくというのは良い傾向だ。シンジは即行で頭に浮かんだアイディアを口に出してみる。
「じゃあ僕が渚の分の弁当作るっていうのは?」
「君、今自分の分も入れて凄い数の弁当作ってるんでしょ? それに、毎日食べるのプレッシャーになりそうだから遠慮しておくよ」
「う゛…………っ、ばっさり言うなぁ」
歯に衣を着せぬなカヲルに、僕もそのくらいしか思い浮かばないよ! と言い返すも、弁当は自分のものとミサト、アスカ、最近ではレイにも作っていることは事実だった。確かに朝から頑張り過ぎて疲労感はあるな……毎日がプレッシャーっていうのも、まあ分かる気がすると改めて思い直すと、シンジは弁当以外の食事について思考を巡らせた。
渚に食事の楽しさを理解してもらえて、尚且つ食欲を芽生えさせて食事そのものを好きになる取っ掛かりになりそうなこと…………って何なんだろう。食べ物でも、場所でも何でもいい……何か、ないかな……何か。自惚れてるわけじゃないけど、僕のことが大好きな渚が……喜ぶ方法で…………
(続く)