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    ふたくら

    @ftkr_2LDK

    那須熊が好きです。

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    ふたくら

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    那須熊嵐への感謝と解釈を込めました。あの苛烈な攻撃の裏にあったものがこうだったらいいな、という妄想です。

    荒野に火は灯る/那須熊 許せない。
     こぼれた言葉は、自分のものとは思えないほどの激情を孕んでいた。

    「玲、大丈夫?」
     ベッド脇、年季の入ったスツールに腰かけて、くまちゃんは私に尋ねる。そろそろ買い替えようかしら。くまちゃんの長い脚が窮屈そうに折りたたまれているのを見るたびに思うが、遠出できる日が限られているのがもどかしい。
    「大丈夫、心配かけてごめんね」
     くまちゃんが運んできてくれたマグカップを手に取りながら答える。鼻孔を擽るのはほのかな桃の香りで、口に含むと品のある甘さが広がり、喉から体全体を温めてくれるよう。ベッド脇に置かれた簡易テーブルの引き出しにはピーチティーだけでなく他にも色とりどりのティーバッグが揃っていて、その全てが那須隊の皆が持ってきてくれたものだった。ちょっとしたお土産に、と渡されたそれは日を追うごとに増えていき、今や引き出しの一段まるまるを陣取っていて、私はそれを見るたびに嬉しいような恥ずかしいような、くすぐったい気持ちになる。駅ビルの雑貨店で買ってきてくれたものも、私の体では行くことも叶わないであろう有名店のものも、私には等しく大切だ。
    「大変だったもんね、私もちょっと疲れちゃった」
     眉を下げて笑ったあと、くまちゃんはふぅ、と大きく息をつく。普段はきりっとしている彼女、きっと多くの人にとっては強気な笑みの方が印象深いであろう彼女のこういう表情が好きだし、それを見られる場所にいることは、とても嬉しい。
     くまちゃんが指しているのはつい先程の近界民侵攻のことで、私たちは菊地原くんの助けもあって、どうにかそのうちの一人を退けることが出来た。しかしその後私は体調を崩し、一度救護室に立ち寄ってから、くまちゃんに付き添われて自宅に帰った。心拍の乱れなんて私にとってはほとんど日常のようなものだからそこまでしなくても、とは思ったが、周りの皆の、そして何より彼女の心配を押し切れるほど、私は強情ではなかった。
    (近界民……)
     その言葉を、私は反芻する。耳慣れたはずの存在、ボーダーの一員であれば嫌でも身近に感じるはずの存在は、しかし普段対峙している彼ら(それら、と呼ぶ方が適切であろうか)とは全く違っていた。見た目も振舞いもだけれど、何よりも。
    (いつもの近界民は、あんな風に何かに化けたりはしない)
     結局はそれに尽きるのだ。あの一瞬のことを、私はずっと思い出し続けている。あの一瞬。くまちゃん以外のものを、私がくまちゃんだと誤認したあの一瞬。
    「玲、どうかしたの?考え事?」
     呼ばれて、現実に引き戻される。すべらかな陶器越しに指先に伝わる温もりに、自分が物思いにふけっていたのはほんの少しの間だと知る。
    「ううん、何でもない。ごめんね」
     そう言って顔をあげると、エヴァーグリーンと目が合う。うつくしい緑が、私の様子を窺うようにちいさく揺れている。
     あのときと同じみどり。
    「くまちゃん、こっちに来て」
     それは心で思うより早くころがり出た言葉で、しかし彼女の少し大きくひらかれた目に、それを飲み込むには遅すぎることを知る。
    「えっと…これでいい?」
     椅子のへりを掴んで持ち上げながら、ベッドに近付く彼女。ぎっ、と椅子の脚が擦れる音。そのほんの少しの距離を、彼女の慎ましさを好ましく思う、けれど。
    「ううん、もう少し」
     ちいさな手招きに素直に応じて、更に少し前に出るくまちゃん。どうしたんだろう、が少し寄った眉根に表れている。
     どうしたんだろう、それは私の中で渦巻き続けている思いでもあった。
     敵は、彼女は非道ではなかった。ただ他者に擬態する手段を持っていて、恐らくは果たさなければならない目的があって、だから自らの持ち得る手段を適切に用いただけのこと。私たちがボーダーでそう叩き込まれるのと同じように。
     それでも、あのとき私の内側を灼いたものの残火が、今もちりちりと燃えている。
     許せない。自らの口からこぼれた言葉の温度は、今の私をたじろかす。それから、瞼を閉じればまだ残る、彼女を内側から貫いた幾重もの光。穴だらけの体。
     こういうことができたのね。私自身が計算して引いた弾道の軌跡を見て、頭の隅の冷えた部分がそう感じたのを覚えている。
     膝の間、椅子に両手をかけて、彼女がこちらを覗きこむ。傷ひとつない、柔らかそうで、少し私より大きい手。けれど私はその手の温度を知らない。
    (ずっと隣にいるのに)
     ボーダーに入って、出会って、それからずっと側にいる。信頼のおけるチームメイトとして、友として。隣り合って座るときに肩が触れることも、庇うために腕を掴まれたこともあるけれど、触れるために触れたことは、一度もない。当たり前のことだけれど。
     だからこれから言うことは、私たちの距離を見誤った言葉かもしれない。普通の友達の距離なんて、私には分からないけれど。
     さっきとは違う、私は明確な意志を持って今一歩踏み込む。
    「くまちゃん、手を握っていい…?」
     格好悪く語尾は震えて。彼女の顔は一瞬驚いたあと、私の瞳を見て優しげにゆるむ。きっと私の瞳は揺れている。
     くまちゃん。優しいあなた。
    「…いいよ」
     そう言って、私のいる布団の上にそっと自分の左手をのせる。私は、その上にこわごわと左手を重ねる。すっと、くまちゃんの手を包み込むように右手をすべらす。ちいさな重みを知る。
     彼女の手のひらは柔らかく、けれどその奥に内側の生命力の確かな温もりがある。私より少し高い体温。下にした方の手を少し動かすと、くまちゃんがすこし緊張するのが分かる。こわばった手がどこにもいかないよう、彼女が私の手を意識しなくていいよう、身じろぎしないという意思を、指先まで張り巡らす。
     この手は、あのとき弧月を握っていた手ではない。だから、どんなに今指先から伝わる温度を確かめたって、あのときの失態は消えない。それでも、内側からかりかりと心臓を引っかかれるように、触れなければという思いが、私を急き立てる。これを焦燥と呼ぶのだろうか。
    「くまちゃん、大丈夫?いやじゃない?」
     今更ながらに問いかける。くまちゃんを怖がらせたくない、と嫌われたくない、のどちらから出た言葉なのかは私にも掴み切れず、彼女がいやだとは言わないことを知っていながらこんなことを問う自分は卑怯だな、と思う。
    「いやじゃないけど、少し緊張するかも」
     手汗とか大丈夫?と笑う彼女。それをいつもの笑顔だと呼べるほど、私は彼女を知っているのだろうか?
    「大丈夫よ、それに私だって緊張してるわ」
     そう答えると、本当に?とくまちゃんは茶化した。本当よ、と私も笑う。手を繋ぎたいと願った私がこういうことを思うのも妙だけれど、黙ってしまえば何だか雰囲気にのまれてしまいそうで、だからこのやりとりは私たちをいつも通りに留めるための共同作業みたいだった。
    「でもどうしたの?急に、手繋ぎたいだなんて」
     無理に言わなくてもいいけどさ。付け加えられた言葉、そして彼女がそれを問うまでの逡巡はそのまま、私のことを慮ってくれた証なのだろう。その優しさと誠意に応えたいという気持ちは、私の臆病さに塞き止められる。言葉に詰まる私の頭に、不意に触れる優しい手。吃驚してそちらを見ると、なぜかくまちゃんも驚いた顔で。
    「えっ、あっ、ごめん、なんかつい手が勝手に……!」
     そう言って私と自分の手を交互に見るくまちゃん。どうして?と言いたそうな慌てた表情になんだか可笑しくなってしまって、張り詰めていた心がほぐれていく。
    「玲、いやじゃなかった……?」
     きっと不安そうな私を見てつい撫でてしまったのだろうに、まるで悪戯がばれて叱られるのを待つ子どものような顔をするくまちゃん。
    「いやじゃなかった。けど、私もくまちゃんのこと撫でてみたいわ」
     その表情を見ていたら、感じたことがそのまま口をついてしまった。手を握りたいと言ったときにはあんなに穏やかにゆるんだ瞳が今は何故か戸惑いの色を浮かべていて、彼女が何を不得手としているかが分かる。けれど、今はそんな彼女に優しくしたい、と思った。まるで小さい子どもにそうするみたいに。
     何度か瞬きを繰り返したあと、くまちゃんは小さく息を吸って。意を決したようにどうぞ、と言って、すっとこちら側に、おじぎをするみたいにして頭を傾ける。
     換装を解いた後もまだ残る、"仕留めた"という感覚。それをかき消すように手を何度か握っては開いて、彼女の後頭部に手を伸ばす。指先に黒髪が触れる。きちんとはりとこしがある髪。クセが治らなくて嫌だと、くまちゃんはお泊まりの日の朝によく嘆いているけれど、はじめて触れるそれは彼女の芯の強さによく似ている、と思った。それを確かめるように、何度か手を上下させる。俯いたくまちゃんの表情は見えない。
    「……玲、」
     しばらく黙って撫でられるままだったくまちゃんが、私の名を呼ぶ。
    「やっぱり、何かあった?」
     優しい声色はさっきのままで、けれどさっきみたいな付け足しはなかった。顔を上げたくまちゃんの視線が私を射る。
    「ただ疲れてるだけならいいけど……そうじゃないみたい、心配だよ」
     飾り気のない言葉は真っ直ぐに私の胸に飛び込んで、私の弱気を包み込む。くまちゃんは、真心を伝えることに躊躇いが無い。あなたにどう思われるかを気にしてばかりの私と、全然違う。
    「……今日の敵のこと、思い出してたの」
    「近界民のこと?」
     私を覗き込むくまちゃんの問いに、頷きだけで肯定を返す。
    「私、あの人がくまちゃんに化けたこと、すぐに分からなかった」
     薄紫色の煙幕と射撃の音の中、背中に触れた体温に私は少し安堵したのだ。それは、彼女ではなかったのに。
    「くまちゃんのこと、分かってると思ってたの。ずっと一緒に戦ってきて、なのに」
     私はくまちゃんのこと、すぐに見つけてあげられなかった。悔恨は上手く声にはならずに。
     許せない。それは誰に向けられた言葉だったのか。貫かれるべきは、誰だったのか。
     その答えを、私はとうに知っている。
    「玲、」
     彼女の声が耳朶を打つ。けれど、その呼びかけには答えられない。彼女の瞳を、真っ直ぐ見つめ返す自信がない。そこに映る自分を見たくない。
    「ごめんね、くまちゃん」
     喉元に、熱いかたまりがこみ上げる。今にも涙となってあふれようとするそれを、深く息を吸って抑え込む。俯く私の背中に、添えようかどうしようかという近さの彼女の手。これ以上、戸惑わせたくない。強く目を瞑る、涙を内側に押し込めるみたいに。
    「変な話しちゃってごめんなさい、もう寝ましょう」
     彼女からの視線を断ち切るみたいに、布団を肩まで被って反対を向く。あまりに一方的で強引な私に、けれどくまちゃんは小さく分かった、とだけ言った。


     ピピピ。控えめだけれど無慈悲なアラームの音で、私は目を覚ます。隣を見ると、来客用の布団――ほとんど那須隊の皆専用になっているけれど――から身を起こし、まだ少し眠たそうに目をこするくまちゃん。
    「おはよう、くまちゃん」
     いつも通りに、声をかける。昨晩のことなんて忘れてしまったみたいに。
    「ん、おはよ、玲……。体調はどう?」
     大きくめくれ上がった前髪、半分閉じているようなしょぼしょぼの眼でくまちゃんが尋ねる。
    「大丈夫よ、何だか調子がいいみたい」
     安心させるためではなく、ただ事実としてそう伝える。息苦しさがないとは言わないが、喘鳴の音も聞こえず、いつもよりはずっと体が楽だ。
    「よかった、じゃあ今日は学校行けそう?」
    「うん、そうするつもり。」
     答えると、くまちゃんはそっか、と呟いて、一度私の顔を見た後、目を逸らして自身の手元を見つめる。視線を落としたままのくまちゃんと、珍しく歯切れの悪い彼女に少し戸惑う私、触れればぱちんと割れそうな沈黙が部屋を覆う。くまちゃんは、指を組んだり離したり。
    「あの、さ」
     先に口火を切ったのは、彼女だった。
    「無理にとは言わないし、難しそうだったら断ってくれてもいいんだけど……」
     何度かのまばたき、そして小さく息を吐いて。
    「今日、途中まで一緒に歩いていかない?」
     膝元で、左手の指先をぎゅっと右手で掴んだまま、彼女は私に言った。


     すぅ、と小さく息を吸い込むと冴えた空気が肺を満たして、澄んだものが指先まで行き渡る気がする。白く清らな光が、河川敷の草の結露に反射している。頬に触れる風は冷たいけれど、それは私たちを苛むものではなくて、うつくしい、清潔なものに思えた。
     何かあったらすぐに連絡すること、道中少しでも苦しくなったらタクシーに乗っていくこと、それから「友子ちゃんがいてくれるなら」という言葉で、私はなんとか送り出してもらうことができた。過保護だわ、と言ってしまいそうになるけれど、それが過保護ではないことは私が一番よく知っている。そんな条件付きの身体だから、こうして彼女と並んで歩くことも、これまで過ごしてきた日々そのものと比べると、けして多くはなかった。
    「なんか、玲とこうやって歩くの、珍しいかも」
     彼女も同じことを思っていたようで、まるで歌うように楽しげに軽やかに、そう言った。
    「ふふ、そうね」
     私も、思わず笑みをこぼす。きらきらと光る水面は、揺れる草花は、それに足るうつくしさと穏やかさを持ち合わせていた。
     昨晩までの砲声も閃光も、朝に押し流されて。そこにはただ穏やかな時間だけがあった。
     けれど、それを手放しで喜べない私。昨晩のことを忘れられぬまま、消せぬともし火があかあかと揺れる。
    「玲は今日一時間目何なの?」
    「えっ、あっ、確か古典だったかしら」
     突然の問いにつっかえながら答えると、くまちゃんはそっかー、と言いながら両手を組んで伸びをする。天に向け伸ばされた腕の、真っ直ぐさに少し戸惑う。
    「古典か、眠いやつだね」
    「眠くないやつはなぁに?」
    「うーん……体育とか……?」
    「くまちゃんってば……」
     少し笑いながら嗜めると、だってさぁ……って拗ねたみたいに口を尖らせてみせるくまちゃん。いつも通りの会話、けれど、だからこそそれが反転してしまう気がして、裏側にある昨日のことが顔を出してしまう気がして、自分の言葉の一つひとつが張り詰めているのが分かる。光が強ければ影が濃くなるように、朝陽の下、暴き出されることに怯えている。私だけが、薄氷を踏むような気持ちでいる。
     いけない、このままじゃ。上手にあなたの隣にいられない。
     いつも通りに、戻らなくちゃ。
     呼吸を整える、つかえたものを、飲み下す準備を。
    「あのね、くまちゃ…」
    「玲」
     くまちゃんが私の言葉を遮る、その凛とした呼び声に、私の覚悟は宙を彷徨ってしまう。ごめんね、昨日のことは気にしないで、言えなかった言葉が霧散する。偶然ではない、遮ろうという意図をもったタイミング。そんなくまちゃんは初めてで、少し横目で彼女を見るけれど、頬にかかる髪が彼女の表情を隠している。
     どうしたの、と聞き返したいけれど、私は口を開いては噤むばかりで。喉の奥が乾いて張り付く。そこにひゅ、と冷たい風が入り込む。指先が温度を失くして、私はただ彼女の言葉を待っている。
    「私さ、昨日、玲が怒ってるの、初めて見た気がする」
     私の少し前を歩きながら、両手を後ろで組んで、昨日のことを思い出すみたいに少し目線を上に向けて、一つひとつの言葉を確かめるようにゆっくりと、くまちゃんは言う。その声の温度はいつもと同じ、芯があって穏やかなもので、だからこそ私は、どうしたら良いのか分からなくなる。
    「玲ってこんな風に怒るんだなって、昨日初めて知ったんだ」
     隊を組んでから、ずっと一緒にいたのに。ローズピンクの唇から、ぽとりと言葉が落ちる。
     それは、きっとそうだ。私だって、あのように燃え上がり渦巻くものが私の中にあるのだと、あのとき初めて知ったのだから。
     私たちのこれまでは、幸福なことに、とても穏やかなものだったのだから。
    「だからきっと私だって、玲について分かってないことがいっぱいあって」
     そう言ったあと、くまちゃんは小さく息をつく。少し黙る。次に彼女が紡ぐ言葉に、私はきっと怯えている。
     最初に踏み越えたのは、私だ。
     焦燥が胸を灼くままに、彼女を知ろうとした、彼女に触れようとした。それはきっと時間を早送りしようとするような狡い行いで、報いを受けたって仕方ないのかもしれない。
     それでも、納得するのと覚悟が決まるのはまったく別のことで、胸に不安が忍び寄る。
     昨日私が感じたことと同じものをくまちゃんも感じていて、そして彼女はどんな答えに辿り着いてしまうんだろう。知りたくない、見たくない。私たちの間に流れる深い川、その向こう岸、仕方ないよと笑う彼女を。
    「くまちゃん、」
     言わないで、それ以上は。
     もう望まない、我が儘は言わない、思い上がったりしないから。
     あなたのことを分かっているはずなんて、そんなこともう思わないから。
     言いたいことは喉でつかえて、音にすらならず。私はただ俯いて、審判を待つ罪人のように、黙っていることしかできない。頬を冷たい風が刺す。
     また泣いてしまいそうになる自分が疎ましい。きっと涙に気付いてしまえばあなたは私を慰める。あなたの言葉がおそろしいのに、それと同じくらい、あなたが口を噤むことがおそろしい。
     ごめんなさいが口をつきそうになったとき、視界に白いスニーカー、つやつやと光を反射して。
    「玲、」
     下ろした手に温もりが触れて、それはそのまま持ち上げられた。
    「くまちゃん……?」
     視線を上げると、いつのまにか真正面に回り込んだくまちゃんは包み込むみたいに私の片手を両の手で握って、それは昨日とはさかさまで。
     そしてその向こうに、私を真っ直ぐ見つめる眼差しがあった。
    「それでも、」
     風が私たちの間を吹き抜け、木の葉が一枚転がってゆく。
    「それでも私は、玲のこと一番に知ってたいって思うよ。知らないことがあったら、その度新しい玲を知りたい。……それじゃ、ダメかな」
     それは、その言葉は光の矢のように一直線に。
     心臓が内側からじんわりと熱くなって、彼女の言葉を噛み締めるたびその熱は加速して広がる。私を捉える彼女の瞳、深い、永遠の緑。それが涙の向こうに、滲む。
    「どうして、あなたって人は……」
     零れ落ちるものをそのままに、私は彼女を見つめ返す。鼻の下だって濡れていて、嗚咽を堪えるため口はへの字で、みっともない私を、あなたは優しく見つめる。手を握る力を、少し強める。
     あなたはいつだって、私の不安をかるがる渡って、臆病ごと私を抱きしめる。
     それが私にとって、どんなに。
    「……それでいい、それがいいわ……」

     積み重ねる。
     知らないことは山ほどあって、それはいつだって私を脅かす。いつも病室の窓の向こうに、銀幕の向こうにあった情動はいつの間にか私の中に芽吹いて、それは今まで知らなかった私のエゴを浮き彫りにする。気付きたくなかったと思うことだって、きっとある。それでも、積み重ねたい。知りたいと思うことを、手放したくない。それは紛れもなく、くまちゃんがいま私にくれた勇気だ。
     激情を、かなしみを、ためらいを、あなたと出会ってはじめて灯った焔を、抱いて生きていく。
     そこはきっと荒野だ。けれど、彼女が隣にいてくれるのであれば、愛おしい旅路となるように思えた。
     玲のそんな泣き顔も、初めて見た。そう言ってくまちゃんが笑った。
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