溶けてしまわないうちに 目を開けると、いつもより部屋が白かった。
もう少ししたら太陽が顔を出すであろう時間。旦那は隣で綺麗な顔で寝ている。体に絡みついた旦那の腕をゆっくり解き、フローリングに脚を下ろした。
冷たい床に素足が吸い付く感触を確かめながら、うすいカーテンが閉まっている窓際へと近付く。冬の朝の、カーテンの隙間から入り込んでくる独特な白い空気。ガキのとき以来かもしれない。
そっとカーテンを開けて、結露した窓を寝間着の袖で拭った。
「うわ……」
まだ夜が明けきらない空は、青みたいな灰色みたいな色をしている。そんなくすんだ空から、嘘みたいに真っ白な雪が落ちてきていた。たまらず窓を開ける。旦那の部屋は、マンションのそれなりに上の方に位置する。あの家もこの家も、砂糖をまぶしたみたいになっているのがよく見える。
かくいういま俺の目の前にあるベランダにも、うっすらと雪が降り積もっている。触れると、当たり前に冷たかった。
オヤジに拾われて間もない頃、今日みたいに雪が降った。あのときは組の邸宅に寝泊まりしていて、障子の戸を開けたときの世界の白さに驚いた。そんな真っ白な景色の中に、オヤジがぽつねんとしゃがんでいたのを覚えている。着物の裾に雪がつくのも構わず、夢中でなにかをしていた。
ぼうっと眺めていた俺に気が付いたオヤジは、手のひらに小さな雪の塊を乗せて「依織見てみい! 雪だるま作ったったわ!」と笑った。愛想笑いのひとつもできなかった俺は、くだらないとその場から立ち去った。どうせすぐ溶けるんだから。
案の定、太陽がてっぺんに来る頃には消えてなくなっていた。
そんな昔のことを思い出しながら、俺の手はベランダの雪をかき集めていた。ずっと雪に触れているせいか、もう冷たいかどうかさえ分からなくなっている。
少し歪な丸い塊がふたつ。オヤジが作ってたものより小さい。丸めている間に少し溶けてしまった。
上下に重ねてやれば、無機質なベランダにちょこんと可愛らしい雪だるまができた。
「依織」
「っ! だ、旦那……ビビらすなや……」
いつからそこにいたのか、背後に眠たそうな旦那がいた。
「雪だるま?」
「まあ……せっかく雪積もっとるし……」
自分の子供じみた行動が少し恥ずかしかった。雪と、オヤジのことを懐かしんでいたら、勝手に手が動いていたのだ。
「腕ねえじゃん。ちょっと待ってろ」
そう呟いて旦那は寝室へと戻っていった。腕……とは雪だるまのことだと思う。きれいに丸くできなかったから、このまま白い塊が積み重なっているだけだと、どちらかというと鏡餅だ。
バタンと扉が閉まる音がして、旦那が再びやって来た。俺の横にしゃがんで、雪だるまの胴体になにかをぶすりと突き刺している。
「ほら、できた」
「は……っ、んふふふふ……だ、んなっ、なにこれ、やば! ふはっ、面白すぎるやろ!」
腕と称して旦那が雪だるまに刺したのは、煙草だった。この上なく治安の悪い雪だるまができてしまった。
「旦那のチョイス、意味分からん! ふ、ふふ…………っておい! これ一本俺の煙草やないか!」
「ケチくさいこと言うなよ。細かいこと気にしたらハゲるんだろ?」
「俺はハゲへんねん」
「……なあ、もうひと眠りしようぜ」
旦那の手が俺の手に絡む。ひどくあたたかくて、自分の指先がだいぶ冷えていたことに気が付く。
手を引かれ、ベランダをあとにする。次、目を覚ますとき。あの雪だるまは溶けずに残っているだろうか。
ずっと溶けなければいいのにな。