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    amamatsu_lar

    @amamatsu_lar
    進撃の巨人の二次創作をまとめています。落書き多め&ジャンばっかり。
    ※二次創作に関しては、万が一公式からの要請などがあれば直ちに削除します。

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    amamatsu_lar

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    pixivから移してきました。
    最終回バレとかジャンミカとか色々大丈夫な方向け。
    順番が前後しましたが、さっき上げた「大切な人」の前編に当たる内容です。
    諸事情あって支部では続きを非公開にしてしまったんですが、相変わらずジャンミカが大好きです!!! アニメが見たい!!!!
    ……………

    十年【3年目】

     久しぶりに、あの島に行く。
     地ならしを止めるために旅立ってから、早三年。
     島ではイェーガー派が中心となって軍備増強を進めているらしい。エレンの殺戮を止めた俺たち「英雄」は、奴らと和平交渉に臨むため、再びパラディ島に向かっている。

     島には、ヒストリアが保護してくれたという家族がいる。母ちゃんは、きっと心配しているだろう。父ちゃんは、怒ってるかもしれねえな。堅い人だった。島を裏切りやがってくらいに思っていたとしても、不思議じゃねえ。

     鏡を見ながら、丁寧に髪を撫でつける。
     ライナーやピークの軽口に応えながら、めんどくせえ世の中だなと思った。

     なんだって俺たちは、今も争いを続けているんだ。
     なんだって俺たちは、英雄だなんて祭り上げられちまってんだ。

     エレン。あの死に急ぎの大馬鹿野郎のことが、絶対に許せねえ。ミカサに自分を殺させて、巨人化能力を失わせて、俺たちを英雄に仕立て上げて、それでもって、自分は悲劇のヒーローか?
     真意を知った今も、感謝なんかしねえ。てめえのせいで、何人人が死んだと思ってる。どれだけ、ミカサが傷ついたと思ってる。
     俺は絶対に、アイツを許さねえ。
     俺たちを長生きさせるためだと言って本当に死に急いじまった、あの大馬鹿野郎を。



     3年ぶりに会ったミカサは、ずいぶんやつれているように見えた。エレンの墓の前に集まり、言葉少なに皆で話す。

     ミカサの視線は、ずっとエレンの墓に向いていた。そしてその手は、固くマフラーを握りしめている。

     思わず、その姿から目を逸らした。

     先程までキッチリ固めた髪の見栄えを気にしていたことが、酷くあほらしい。
     何をしてんだ、俺は。
     好きな子一人慰められなくて、それなのに少しでもよく思われたいなんて思っちまって、馬鹿みてえだ。かっこわりい。

     ミカサはいつだって、エレンのことを考えている。彼女が穏やかにエレンを想い続けられるようにしてやること。つまりは、一刻も早く和平を進めること。
     それが、俺のするべきことだろうに。


    【4年目】

     昨年の交渉結果は、芳しくなかった。パラディ島の軍は、日に日に力を増している。それに対抗するようにして、連合国も軍を増強していた。くだらない殺し合いがまたいつ始まるか、分かったもんじゃねえ。
     だがわずかな希望は、今年も交渉の場を設けられたことだ。

     久しぶりに、またミカサと会った。
     ミカサはヒィズルの王族として、俺やコニーの家族と同じようにヒストリアから保護されている。



    「ジャンのお母さんに、挨拶をされた」
     
     二人になった時、ミカサが俺に向かって告げた。俺はまだ会えてないんだが、ミカサには会う機会があったらしい。

    「ジャンのことを心配していた、すごく」

     淡々と、ミカサが言う。
     この3年、母ちゃんにはろくに手紙も書いてねえ。手紙を出すとなればヒストリアを介することになるが、そこまで煩わせるのも悪いと思って。母ちゃんのことだから、きっと気が気じゃなかっただろうな。

     時間作って会わねえと、なんて思っていると、ミカサが不意に何かを取り出す。

    「これ、ジャンが大切にしてたって聞いて」

     見せられたのは、一枚の絵だ。
     へたくそな筆致で、黒髪の女性が描かれて……って、いや待てよ。

    「おま、この絵……」

     昔の俺が描いたヤツじゃねえか。ミカサの顔を、イメージしながら。
     みるみるうちに体温が上がる。顔が赤くなっていることが、自分でも分かった。

     なんでそいつを、お前が持ってやがる。当本人の、お前が。いや違うか、それはさっき聞いたんだ。母ちゃんから渡されたってことだな?
     クッソババア。
     思わず、ガキの頃のように罵りたくなる。ありがた迷惑という言葉を、改めて教えるべきかもしれねえ。

    「この人は、ジャンの大切な人?」

     ミカサが、静かに問う。
     幸い、自分が描かれているとは思わなかったようだ。自分の画力の低さに感謝する。

    「そうだ、っつったら?」

     俺は冗談っぽい口調を作って聞いた。

    「それは……」

     ミカサが、ためらってから続ける。

    「ジャンが辛いだろうなと思う」

     俯いた白い顔に、きれいな黒髪が落ちた。

    「愛する人に会えない辛さは、よくわかる」

     きっと、エレンのことを考えているんだろう。嫌でもわかる。1年前よりかは顔色が良いが、元気のなさは相変わらずだ。エレンのお墓にも毎日通っていると聞いた。
     ミカサは今も、過去を生きている。

     だがそれにしても、何か勘違いされているようだ。ミカサの口ぶりだと、俺が愛する人を失ってしまったかのようではないか。それか、今は会えない境遇にあるとでも思われているのか。

    「俺は、辛くねえよ」

     そっぽを向いて否定する。
     間違ってもお前の絵だなんて言えねえから、適当な言葉を探して。

    「ただ、忘れられねえだけだ。今でも、ソイツのことが」

    「この人は、生きてる?」

     ミカサが、なおも問うた。
     なんと答えてほしいのだろうか。
     生きていると言ったら、どう思われる?
     死んでしまったと言ったら、どんな顔をされる?
     ミカサへの好意を知られたくないのは、下らない意地もあるが、それだけじゃねえ。エレンを想い続けているミカサに、余計な負担をかけられないからだ。
     俺が好きだなんつったら、きっと、ミカサを困らせちまうだろう。

    「……さあな」

     結局答えが見つからず、俺は首を回して誤魔化した。

    「ソイツとは、トロスト区の奪還作戦から、連絡がついてねえ」

     架空の話。でっちあげ。
     こんな嘘なんかついて、どうする気だろう。
     ただ、疑いの目を逸らしたいだけだった。生きていることにしてしまったら、ではなぜ会わないのか、何かあったのかと質問攻めにあうような気がして。
     いやミカサのことだからそんなことはしないかもしれねえが、俺はただ、この話を続けたくなかった。

    「そう……」

     ミカサが俯いて、首に巻いたマフラーを撫でた。

    「変なことを聞いて、ごめんなさい」

     小さな言葉に、胸が痛む。


    【5年目】

     アッカーマンの力が、弱くなっているらしい。ミカサはもう、以前ほどの怪力ではなくなった。3度目の渡航ののち、その事実を知った。
     例によって俺たち連合国大使とミカサとでエレンのお墓に行った時のことだ。
     前日前々日と徹夜をしたせいで、俺はひどく頭がぼーっとしていた。

    「もう、以前のようにみんなを守れないかもしれない」

     ぼんやりとした視界の奥で、ミカサが溜息をついている。

     今までイェーガー派から襲撃を受けずに済んでいた要因の1つは、間違いなくミカサの存在だった。ミカサは1人でも十分脅威になりうる。ミカサがいなけりゃ、大使団はとっくに暗殺されていたかもしれない。そのミカサが衰えてきたという事実は、客観的に見て喜ばしくねえ。

    「気にしないでよ」

     アルミンが言って、ミカサの顔を覗き込む。
     ミカサは今、どんな顔をしてるんだ? 俺の位置からじゃ、まるで分からない。
     ミカサの隣には、いつもエレンがいて、アルミンがいた。まかり間違っても俺じゃねえんだ。

     頭が痛い。寝不足のせいか、別の理由か。
     だがもう、そんなことはどうだっていい。
     
     首筋を掻いて、現実に思考を向ける。
     今、何をするべきか。
     どのように交渉を進めていくべきか。
     考えるべきはそれだ。

     ――この後、どうする?

     アルミンに意見を聞こうと、口を開いた時だ。

     反転。
     急に、世界が回った。風景がぐにゃりと歪んで、動き出す。

    「は? お前」

     コニーの声が聞こえるのと同時に、視界が真っ暗になった。



     次に目を覚ましたのは、宿舎の部屋。

    「びっくりしたよ。急に倒れるんだから」

     机に向かって書き物をしていたアルミンが、起き上がった俺に言う。

    「悪い」

     俺は謝って、頭を掻いた。
     どうも寝不足で、貧血を起こしたらしい。こんなの、生まれてこの方初めてだ。また、ださいとこが増えた。

    「でも最近は働きづめだったもんね。疲れてるんだよ。僕も今日は早く寝ようかな」

     会談は明後日だった。幸い、少し余裕がある。本当にほんの少しだけだが。

    「そうそうでも、ミカサに怒られちゃったよ。ちゃんと健康管理しろって」

     アルミンが、書き物の手を止めて笑った。

    「ああ……、そうだな」

     怒られちゃったというのは、俺が、じゃねえのか? と思いながら頷く。健康管理をしろという話なら、本人に言うべきだ。もっとも意識が無かったんだから、無理な話ではあるが。

     アルミンが、窓の外に目を向けて話を変える。

    「……それにしても、壁の外は、遠いね」

     壁の外。それはきっと、和平条約を結んだあとの世界だ。俺たちが、もう殺しあわずに済む世界。

    「ああ」

     俺は同意して、真っ暗な庭を見下ろす。護衛の兵士――これは王室直属で、イェーガー派とは距離を置いている一派らしい――が幾人か立っているようだ。

     島が軍備増強を続けるならば、諸国も当然警戒を強める。
     連合国軍を迎え撃とうと息巻くイェーガー派の連中を相手にしては、まるで希望が見えなかった。
     エレンの真意を伝えたところで、奴らは耳を貸そうとしない。
     無力だ。
     今までと、何も変わらねえ。


    【6年目】

    「話があるのだけれど」

     例年通りパラディ島に来た時、ミカサが言った。俺たちにではなく、俺に。
     思いつめたような表情。
     何かあったんだろうか。

     ついていくと、エレンの墓の前に辿り着く。墓石は綺麗に磨かれており、ミカサが毎日通っているだろうことが分かった。
     もしかしたらイェーガー派の連中が掃除してるのかもしれねぇが、この丁寧さはやはりミカサだろう。普通なら目が届きそうにないところまで、綺麗に保たれている。

    「なんだ、話って?」

     俺じゃなきゃいけねえことなのかと疑問に思いながら、本題に入った。
     エレンのお墓を見たまま、ミカサが答える。

    「……ジャンは、どうやって乗り越えたの?」

     いつになく、沈んだ面持ち。

    「どうやって、大切な人の死を乗り越えたの? 私は、エレンのことを忘れられない。どうしても。こんなことなら、いっそ出会わなければよかったとさえ思う」

     一息にそう言ってから、やっぱり出会わなければよかったは言い過ぎかも、と付け足した。

     乗り越えたいと思ってるんだな。
     その事実が嬉しくもあり、悲しくもあった。

     かつて好きな人を亡くしただなんて適当な嘘を付いたことが、後ろめたくなってくる。あんな酷い嘘、つかなけりゃ良かった。

    「また、エレンに会いたいの」

     マフラーをぎゅっと握りしめるミカサの拳が、小刻みに震えている。
     ああ……くそが。
     やっぱり俺、エレンに感謝なんてできねえ。したいとも思わねえ。

    「『道』でエレンにあった時さ」

     俺は、視線を落として口を開いた。

    「あの野郎、お前のこといつも見てるって言ってたぜ」

     エレンから真意を伝えられた時、正直言って受け入れられなかった。だから、腹が立った。そんなことのために人類の8割を殺すのかと。

     奴の言ってることは分からなくもねえ。イェーガー派の連中の気持ちだって、一度は心が傾きかけたくらいには理解できる。

     だが、それでも俺は虐殺を許さないと決めたのだ。
     それをなんだ。自分が悲劇のヒーローになって、俺たちを英雄にしようとしてたって?
     すべては、始祖ユミルの意思だって?
     ミカサが、そのための鍵だって?
     ふざけんじゃねえ。

     どうしても許すことができず、久しぶりにエレンと喧嘩をした。
     『道』の俺たちは訓練兵団の宿舎にいて、友人に止められることも教官に叱られることもなく殴り合った。
     日が暮れて、腹の中が空っぽになって、互いに立ち上がれなくなるまで。

     その時、エレンが言った。

    「お前、ミカサのこと好きだろ?」

     本当に、唐突に。
     うるせえと返すと、

    「ぜってえ渡さねえからな。お前にだけは」

     そう言って、睨んできた。

    「ミカサを物みたいに言うんじゃねえよ」

     俺はムカついて、また喧嘩をした。今度は、口だけで。
     不思議と、息が切れることはなかった。
     途中からは、バカとかクズとか、そんなガキみてえな言葉だけを言い合っていた気がする。

    「……お前、なんで調査兵団なんか来たんだよ」

     罵倒の言葉が思いつかなくなった頃、今更のように言われたのがこの言葉だ。

    「なんで、俺なんかの味方をした? なんで、俺を理解しようとした? お前、俺のこと嫌いだろ?」

     アイツらしくもねえ、情けない聞き方だった。

    「ああ。大っ嫌いだよ」

     俺は答えて、唾を飲み込んだ。

    「お前のために何かしたことなんて一度もねえ。俺はただ、今すべきことをやってきただけだ。これから先も、きっと」

     しいて言うなら、マルコのためだろうか。だがそれも、奴が俺の人生を決めたわけじゃねえ。俺は自分で、この心臓の捧げ方を決めた。

     するとエレンは深く息を吐いて、頷いた。

    「それを聞いて、安心したよ」

     ゆっくりと立ち上がり、寝転がったままの俺を見下ろす。

    「お前になら、いいかもしれねえ」

    「は?」

    「いやでもやっぱり、嫌だな。お前だけは嫌だ」

    「何がだよ。ていうか、馬鹿にしてんのか?」

     眉をひそめた俺に、エレンはまた、らしくもない笑顔を向けた。

    「俺はこれからもずっと、ミカサのことを見てるからな」

     釘を刺すようにして、言ってくる。
     それが、最後に交わした言葉だった。

     このやり取りのすべてを明かすようなマネはしねえ。
     ただ、エレンの最後の言葉だけを、ミカサに伝えた。

    「そう」

     ミカサは俯いたままだ。

    「無理に、忘れようとしなくていいだろ。近頃はちゃんと食えてるみてえだし……お前は、立派にやってるよ」

     俺がどうやって乗り越えたのかなんて聞かれたって、正直困るんだ。
     俺だってまだ、乗り越えられていねえんだから。
     気持ちを抑えて、日々を営むことはできる。罪悪感を覚えながらも、仲間たちと軽口を叩きあうことだって。
     だがどうしたって、マルコに会いたいと思う日はあるし、人を殺した感触は抜けねえ。
     それを、乗り越えたと言えるのかどうか。
     ミカサを相手に偉そうなことなんて言えねえんだ。

    「エレンのことが好きなら、辛くても、その気持ちを大事にしてほしい……きっとその方が、奴も喜ぶさ」

     俺は、ついカッコつけるような口調になって言った。
     ミカサ自身にとって、エレンへの思いを断ち切ることほど辛いことは無いだろう。乗り越えよう、忘れようと思うほどに、きっと辛さが増すに違いない。

     俺の言葉に、ミカサは静かに答えた。

    「エレンが死んでから、お母さんやお父さんのことも思い出すことが増えたの。イエーガー先生や、おばさんのことも」

     そっと、自分の瞼を抑える。

    「……とても、悲しい」

     俺は、何も言えなかった。

     ただ、早く平和な世界にしてやりたい。
     彼女が少しでも心穏やかに過ごせるように。

     そう思った時だ。
     背後に、人の気配を感じた。金属がこすれあうような、カチャリという音も。

    「誰だ」

     声を出しながら振り向くと、十人ほどの兵士が立っている。イェーガー派の連中だ。先頭の男は、フロックと顔が似ていた。
     
    「英雄の墓で何をしている? 偽物が」

     フロック似の男が、銃を構えて問う。偽物というのは、偽物の英雄という意味だろう。残念ながら、その言葉は事実だ。否定できねえ。
     だが、礼を欠いた態度には腹が立つ。

    「墓参りだ。見りゃ分かんだろうが」

     俺はミカサの前に出て、答えた。

    「女王の許可は下りてるはずだ。俺たちがここにいる間は邪魔しないって約束だが?」

     すると、フロック似の男が顔をゆがめて言う。

    「何のパフォーマンスだよ。お前らがエレンを殺したくせに墓参りとは、なかなかいい度胸だよなあ」

     いびつな笑顔は、ますますフロックと似ていた。いやアイツも、かつてはあんな顔をする奴じゃなかったんだ。獣の巨人の投石を受けて、大勢の仲間を失って、俺たちが理解してやることもできなくて、あんな風になってしまった。

     俺はこうべをたれそうになるのを堪えて、声を出した。

    「……エレンの真意は、3年前にも話したはずだ。俺たちはずっと和平を呼びかけてる……いい度胸なのは、お前らの方だろう」

     イェーガー派の大半は、コイツと同じように、俺たちの話を信じていない。連合国大使はエレンの意思を曲解していると、声高に主張してくる。エレンがいない今、俺たちの話を証明するすべはないのだ。

     にらみ合い、緊迫した空気が流れた。
     何も、争いに来たわけじゃないってのに。どうしてすぐこんなことになるんだか。

    「お前らの言うことなんて、信用できるか。軍備を縮小したら、また攻め込む気だろう。裏切り者が」

     フロック似の男が、銃を構えたまま一歩近づいてきた。銃口は、俺の胸に向けられている。

     背後で、ミカサが拳を握るのが分かった。
     抑えてくれよ、頼むから。
     これ以上、ことを荒立てたくない。

    「何が目的だ?」

     俺は相手と同じように前に出て、聞く。銃口が目と鼻の先にあった。

    「証明して見せろ。お前らが、本当に和平を望んでいると」

    「出来なければ?」

    「ここで引き金を引く」

     短絡思考だ。連合国大使を殺してどうする。
     だが、相手の顔は真剣そのものだった。

    「お前らを殺して、それから島の外に攻め入る。エレンの地ならしを再開するんだ」

     何十回も聞いた、強硬な主張。巨人の力がなくなっても、殺し合いは終わらない。
     こいつらからしてみれば、報復に備えているだけなんだろう。気持ちはわかる。そりゃあそうさ。実際、島の外には報復を望む人間が大勢いるんだ。俺たちだって、英雄だからと安全が保障されてるわけじゃねえ。結局はエルディア人だからと石を投げられることがある。

     だが、こんなことを繰り返してなんになるんだ?
     エレンがやったことは到底許せねえが、起こっちまったもんはしょうがねえ。ヤツの死を無駄にしないためにも、俺たちは争いをやめるべきなのに。

    「女王がそんなことを許すとでも?」

     苛立ちを抑えて、聞く。

    「あんな人」

     フロック似の男が、鼻で笑った。

    「所詮は力のない身だ。この国の軍は、俺たちイェーガー派が仕切っている。第一、お前らなんかと懇意にしてる女王を敬えるかよ」

     銃口の先が少し下がって、腹のあたりに向く。その状態で、命令するかの如く言った。

    「武器を持っているな? 捨てろ」

     確かに俺は、護身用の拳銃を携帯していた。
     だが、この状況で捨てろとは? 銃口を向けられては逆らえないが、釈然としない。

    「俺なら、銃を出す瞬間にお前の手を撃てる。そんなもんで脅したって無駄だぞ」

     探るように低い声で言うと

    「はったりだな。俺が引き金を引く方が早い。それに、こっちには仲間がいる」

     淡々と返される。

    「どうだかな。やってみないと分からないぜ」

     俺は、かなり分が悪いなと思いながら溜息をついた。

    「なあ、分からねえのか? こんなことしても無意味だって」

     なんとか穏便に済ませられないだろうか。

    「何?」

     俺の言葉に、フロック似の男は眉を上げた。
     俺は、もどかしさを感じながら話す。

    「俺が銃を捨てる、お前が俺を撃つ。それで、何が解決する? 島の外の連中と戦争になれば、もっと人が死ぬんだぞ」

     こんなことしたって意味がない。頼むから、もうやめてくれ。
     背後でミカサが、すっと腰を落としていた。明らかに警戒している。

     だがフロック似の男は、鼻で笑うだけだ。

    「多少は仕方がない。尊い犠牲だ」

     本当にそう思っているのか疑わしいような口調で言って、銃口をさらに近づける。
     俺は再び出そうになった溜息を堪え、呟く。

    「……お前とは、気が合いそうにないな」

     すると相手は、予想外のことを言った。

    「だが、お前が武器を捨てれば俺も銃を下ろす」

    「は?」

     思わず、間抜けな声で応じてしまう。

    「だから言っているだろう。和平の意思を示せと。この状況でお前が銃を捨てれば、その意思が本物だと信じてやるよ」

     本気かどうか分からないが、ピクリとも表情を変えずにフロック似の男が言う。
     いや本気にせよそうでないにせよ、ずいぶん無茶な要求だが。

    「そんなもん向けながら言うことかよ? 俺が、はい分かりましたと従うとでも?」

     俺は、銃口を睨んだ。

     待ってましたと言わんばかりに、フロック似の男が大きく口を開く。

    「だけどお前たちは、同じことを要求してるじゃないか」

     よく通る声で、朗々と言った。その仕草も、かつてのフロックとよく似ている。イェーガー派を扇動している時のアイツは、まさしくこんな感じだった。

    「軍備を縮小しろ、攻撃をやめろと、俺たちに向かって言うだろう。そっちだって、軍備増強を進めているくせに」

     ぐっと一瞬息が詰まりそうになるが、とどまって言い返す。

    「俺たちは何も、今すぐ軍を解体しろなんて言ってないだろ。状況がまるで違う」

     にらみつけ、一歩踏み込んだ。銃口が服に押し当てられて、へこみを作る。

    「それに、戦力の差を考えてみろ。エルディアに敵う軍が、今、世界のどこかにあるか? これ以上力をつける必要なんてないはずだ」

     噛んで含めるように、目の前の男に言い聞かせた。
     相手も、屈せずに反論する。

    「確かに無いな。今はまだ、無い。だからこそ今のうちに殲滅しなきゃならねえんだ。一人、残らず」

     どんと銃で衝かれ、わずかに体がよろけた。

    「なあジャン、どうして外側の奴らが和平なんて言い出したと思うよ? エレンが死んだからだろ。お前らが殺したからだ。そして、俺たちが巨人化能力を失ったからだ。じゃなきゃ今頃、奴らに殺されてた」

     それは、その通りだ。いや、その通りかもしれないという話だ。あくまでも、仮定に過ぎない。

    「だが、そうはならなかっただろ」

     俺は銃身を掴んで言った。

    「少なくともこの6年間、誰もこの島を攻めていない。この意味を考えろ」

     全面的な戦争だけじゃねえ。小競り合いすら、エルディアとの間では勃発していない。もちろん、島国だからというのはある。どの国も内政が不安定で、それどころじゃねえっていうのもある。だが、それだけが理由じゃねえ。
     もう懲り懲りなんだ。戦争なんて。綺麗ごとでもなんでもない。もう二度と、あんなことはしたくない。ただ、それだけで。

     ところがフロック似の男は、一向に耳を貸さなかった。

    「そっちの準備が整わなかっただけだろ? 俺は信用しねえぞ」

     ああ……クソ。
     ここで、腹を立てることもできねえ。
     こいつらの言うことが分かっちまうからだ。
     そうだよな。信用なんか、できるわけがねえ。実際、どんなに戦争が嫌でも、いざとなったら始まっちまうんだ。そのための準備を、どの国も整えている。こいつらが言っていることは正しい。

    「どうしても信用させたいなら、お前が証明しろ。武器を捨てる意思を、今、ここで」

     相手が叫ぶ。あまりにも声が大きいので、誰かが飛んでくるのではないかと不安になったが、大丈夫そうだ。

     俺は深呼吸して、頷く。

    「……わかった」

     相手の銃身を掴んでいた手を放した。

    「ジャン?」

     背後で、ミカサが戸惑ったような声を上げる。

     もしこれで俺だけが銃を捨てて、殺されちまったらどうなるだろうか。ミカサだけは、助けてくれるだろうか。

     息を吐いて、呼吸を整えた。

    「お前も、銃を降ろせよ」

     強く念を押してから、拳銃を放り投げる。軽い音を立てて、銃が草むらに沈んだ。
     フロック似の男が、一瞬驚いたように後ずさる。

    「ほら、捨てたぞ」

     俺は、たじろいでいるソイツにそう言った。相手は震える手で、それでも少し、銃口を下げた。

     本当に約束を守ってくれるのか……安堵しかけた、次の瞬間。

     途方もない衝撃が、全身を駆け巡った。

    「……ッ」

     焼けるような痛み。自分の全身がどこにあるかもわからないような。
     急に景色がスローモーションになり、ゆっくりと地面が近づいてくる。

    「ジャン!」

     ミカサが叫んだ。その声も、変に間延びして聞こえる。

     ……撃たれたのか。

     自分の体に視線を落とすと、どこかから血が流れているのが見えた。

    「……違う、違う、俺は」

     フロック似の男が、両手を下げてうわごとのように繰り返す。

     ――信じられるわけがないだろう。

     そうだよな。そりゃ、そうさ。
     理想論だけじゃやっていけねえんだから。

    「うおおおおおおおおお!」

     雄叫びが聞こえた。
     イェーガー派の連中だ。

     2発、3発、前以外から銃弾を撃ち込まれる。
     もはや誰が撃っているのか、どこに当たっているのか、判別がつかなかった。

     隣でしゃがみ込んでいたミカサが、すっくと立ち上がる。
     明らかに、怒気が感じられた。
     よせ、と袖を引こうとするが、力が入らない。

     綺麗な黒髪と赤いマフラーが宙を舞うのを見ながら、俺は意識を手放した。



     目覚めた時、あまりの眩しさに最初は何も見えなかった。

    「良かった、目が覚めたんだね」

     しばらくして聞こえてきた声に、アルミンがいると分かっただけだ。

     時間をかけて目を慣らし、ようやくその金髪を視界に入れる。

    「ミカサは?」

     一も二もなく、尋ねた。声が掠れてしまい、上手く発音できない。

    「無事だよ……少なくとも、体は」

     アルミンの話によると、あの後ミカサが1人で、襲撃してきた連中をのし倒したらしい。アッカーマンの力が復活したのではないか、そうであればもしや巨人化能力も? などと、もっぱらの噂だ。

     俺はと言えば、幸い直撃した銃弾は一発だけだったらしい。それも致命傷にはなりえず、無事にこうして回復したと。もしかしたら向こうにも、人ひとり殺す覚悟なんてなかったのかもしれねえ。

     相手方にも死人は出なかったが、今回の件がきっかけでイェーガー派はますます強硬姿勢を強めた。
     ヒィズルの立場も、悪くなる一方だ。

    「……なんってことだよ」

     俺は体を起こして、呟く。

    「俺が油断していたせいだ。……すまない」

     アルミンは、黙っていた。

    「ミカサはどこにいる? まさか捕まっちゃいねえよな」

     尋ねると

    「大丈夫。今までどおり、女王の庇護下だ。だけど、当分は会えない」

     アルミンが、俯いて声を出す。

    「ジャン、君は2週間以上寝ていたんだ。今僕たちがいるのは、島の外なんだよ」

     寝ている間に、追い出されちまったらしい。もう島の中に入ることすら難しいと。

     電球の光が、チカチカと瞬いた。視界が明るくなったり暗くなったりを繰り返す。

    「……最悪だ」

     俺は、深々と溜息をついた。


    【7年目】

     それから1年。
     イェーガー派が軍備増強を進めるのと同時に、女王の求心力も低下しつつある。各国はますます警戒を強め、対抗策を練っている。まだ「天と地の戦い」以前のようにはいかないが、軍隊の体も整いつつあるようだ。
     一触即発と言って差し支えないような状況。

     だが、そんな時だからこそ交渉を続けるべきだ。アルミンの掛け声で、俺たちは再び島に向かった。もちろん交渉相手はエルディアだけじゃねえんだが、一番厄介なのはエルディアだ。
     ヒストリアの計らいで、何とか交渉の場を設ける。流石のイェーガー派も、女王がはっきりイエスと言っちまえば逆らえないようだ。俺たちの時みたいに、クーデターでも起こさねえ限りは。



    「ジャン!」

     再会した時、ミカサは駆け寄ってきてじっと俺の体を見た。

    「良かった、無事で……」

    「アルミンからの手紙に、そう書いてあっただろ?」

    「でも、直接会うのとは違うから」

     ミカサが息を吐く。

    「これ以上みんながいなくなるなんて、耐えられない。エレンは私たちが長生きすることを望んでいた」

     口から出るのは、またエレンの話だ。
     でも、それでいいよな。
     ミカサが自然とその名前を口にできるなら。

     俺たちの元に一報が届いたのは、そんな時だった。

    「イェーガー派の幹部が、僕たちと話をしたがってるらしい。公の場ではなく、個人的にって」

     別室で手続きをしていたアルミンが、戻ってきて告げる。

     俺たちは、顔を見合わせた。

    「個人的に?」

     一体、どういうことだろうか。

    「真意はわからない。だけど、チャンスだ。じっくり話し合おう」



     当日。
     個人的な会合とやらに集まったのは、俺たち連合国大使の面々と、イェーガー派の幹部だと言う男たち。そのうちの1人は、例のフロック似の男だった。思わず、体が強張る。

    「時間を作ってくれてありがとう。僕らも、話がしたかったんだ」

     アルミンが律儀に言って、フロック似の男の顔を見る。

    「ああ」

     男が頷き、俺の方に目をやった。

    「元気そうだな」

    「どうも」

     俺は、名前も知らないソイツの方に体を向け、肩をすくめる。

    「ずっと聞きたいことがあったんだ」

     フロック似の男が、そう言って目を伏せた。その姿はどことなく、エレンとも似ているような気がした。

     一体、何を聞きたいと言うのだろうか。
     慎重に身構える。
     やがて、男が問いを発した。

    「どうしてあの時、銃を捨てた?」

     あの時というのは、言わずもがな1年前に襲撃された時のことだろう。
     予想外の問いかけに戸惑っていると、尚も問われる。

    「どうしてそんなに、俺を信用した?」

     その言葉は、かつてマルロを試した時のことを思い出させた。ああやって俺が巻き込まなければ、あいつは今も生きていたんだろうか? 馬鹿な考えが浮かび、そんなわけねえと一蹴する。あいつは、自分の意思で決めたんだ。それを蔑ろにするんじゃねえよ。

     じっと見つめてくる男に、俺は答えた。

    「……信じねえと、話にならないからだよ」

     そう、多分、こういうことだ。
     殺し合いを止めるためには、どこかで誰かが、自分の手を止めなければいけない。
     何度失敗しても、本当に止めることができるその日まで。そうでなければ、何も始まらない。平和なんて夢のまた夢だ。
     だが、これを実行するのは難しい。
     だからせめて、俺のところで止められたら。そんな風に思った。

    「そうか」

     フロック似の男が、細く息を吐く。
     代わって、アルミンが口を開いた。

    「ジャンの言う通りだ。難しいことだけれど、まずは信じないと何も始まらない。……だから、こういう場を設けてもらえて嬉しいよ」

     よそ行きの笑顔を浮かべる。

    「信じて、裏切られたらどうする?」

     フロック似の男が重ねて問うた。
     アルミンが、真顔になって答える。

    「それでも、進み続けるしかないんじゃないかな。自分が正しいと信じた道を。諦めることなく、何度も挑戦する。綺麗ごとを言うつもりはないよ。だけど、諦めない姿勢は必要だから」

     やがてフロック似の男は、決心したように顔を上げた。

    「エレンの墓を訪れるのも、本当にパフォーマンスじゃないんだな」

     俺たちは、しかと頷く。その動きが妙に揃ってしまい、少し可笑しい。
     そんな俺たちに向かって、男が言う。

    「……明日、公に交渉を再開しよう」

     それは、確かな希望に思えた。


    【8年目】

     各国の政権の意向がうまくかみ合い、運に助けられた面も大いにあって、パラディ島は少しずつ軍備縮小に転じていった。
     全く緊張がないわけではないが、もう、以前のような一触即発という状況ではない。
     向こうが乗り気になってくれれば、アルミンの交渉術で意外にもすんなりと話が進んだのだ。一部の強硬派に備えつつも、おおよそは穏やかな日々が続く。

     やがて俺たち連合国大使は、より長い期間パラディ島に滞在することになった。
     兵士だった頃のように、同じ建物で暮らす。ミカサも、同じ宿舎で暮らしていた。

     そんな中、嬉しくない噂が流れてきた。
     ミカサがとある男から口説かれているらしいのだ。

    「振ったのにしつこくつきまとわれて、困ってるみたいなんだ」

     ここにいるのは、アルミン、コニー、俺の3人。

    「一発ぶん殴ればいいんじゃねえか?」

     コニーが言うが

    「騒ぎにはしたくないからね。向こうがどんな言いがかりを付けてくるか分からないだろう? 交渉に影響が出たら最悪だよ」

     アルミンは冷静だ。

    「その男、どこの所属なんだ? 仕事場に訴えて懲戒処分にするっていうのは?」

     これは俺。

    「そうしたいところなんだけど……どうも、堅気の仕事じゃないみたいでね。面倒くさいことになったよ」

     アルミンが、また溜息。

    「それで、そしたらどうするんだ?」

     まさかほっとくわけないだろうとでも言いたげに、コニーが問う。俺も同じ心境だ。

    「考えたんだけど、ミカサに恋人がいるふりをしたらどうかって」

     アルミンが、言いにくそうに答える。

    「恋人?」

     そりゃねえだろ、というのが最初の感想だ。
     なんたって、ミカサがエレンのことばかり想っていることは傍目にも明らかだ。恋人程度で引くようなやつが、今のミカサをストーカーするとは思えねえ。
     それに、ミカサだって嫌だろう。たとえ身を守るためであったとしても、エレン以外の男と恋仲を囁かれるなんて。

    「いや、案外いけるかもしれないんだ。っていうのもその男、未亡人を狙って同じような付き纏いを繰り返していてね、今までも相手に新しい恋人ができたら別の相手を探すって感じだったらしくて」

     そいつは、ムカつく。
     口をへの字に曲げる俺とコニー。

    「で、誰を恋人役にあてがうんだ? 俺はごめんだぜ。お前には、アニがいるし」

     コニーが言って、ちらりと俺を見た。意味ありげな視線に、さっきとは別の意味でムカつく。
     見るんじゃねえよ、単細胞。
     偽物の恋人役なんて、一番辛いだろうが。

    「あー、それなんだけど」

     ところが、アルミンまで俺の方を見てくる。

    「やっぱりジャンにお願いするしかないと思ってる。その、ジャンなら、他に好きな人ができるなんてこともないだろ? ミカサからも信用されてるし、背が高いから威圧感もあるし」

     随分、他人任せな話だ。

    「……ライナーは?」

     標的を逸らせないかと考えるが

    「流石にまずいよ」

     アルミンはアッサリ否定した。

    「だって、ライナーはヒストリアのことばかり見てるじゃないか。すぐにボロが出るよ。それに、これ以上偽りの自分を演じろなんて言えないからさ」

     ああでもこれは、ジャンを蔑ろにしてるわけじゃないんだよと、最後、慌てたように付け加える。

    「ミカサは何て言ってんだ? 嫌がるだろうが」

     こうなれば、本人の意思に任せるしかない。ミカサが嫌がっていれば、アルミンも無理強いはしないはずだ。
     しかしアルミンは、きょとんとして言う。

    「そんなことないよ。ジャンは、ミカサのエレンへの愛情がその程度のものだと思ってるの? どんなハリボテの恋人を用意したって、ミカサはエレンのことしか見ていないからね。何の心配もないさ。知ってるかい? ミカサとエレンは僕が恥ずかしくなっちゃうくらいのバカップルなんだよ? もっとも、それがミカサにとって幸せかどうかは分からないけどさ」

    「……お前」

     急にふざけた調子で力説され、二の句が告げない。こいつには昔から、こういうところがあった。なぜだか突然、人が変わったように持論をまくしたてるのだ。

    「いいかい? とにかく、あくまでも体裁を保つためだ。君なら信頼できると思うから言ってるんだよ、ジャン」

     こうまで言われてしまうと、流石に引き下がれねえ。
     まあ形だけなら、ミカサが傷つくこともないだろうか。地獄でエレンの歯軋りする顔が見えるようだが、この程度は目をつぶってもらおう。

    「わあったよ」

     俺は了承して、部屋を出た。



     後日、本当に良いのかミカサに確認すると、私は構わないとぶれない表情で言われた。ストーカー野郎に対しても、全く好意を抱いたことはないと。

    「それより、ジャンこそ良いの?」

     幸いミカサは、まだ俺からの好意に気づいていない。
     この状況が、ずっと続けば良い。
     そんなことを思いながら、俺は頷く。

    「ああ。言っただろ? 俺にも忘れられない奴がいるって」

     つまり、仮面夫婦ならぬ仮面恋人になろうって話だ。
     するとミカサは、得心したように頷いた。


    【9年目】

     それ以来、なんとなしに互いの部屋に行く頻度が増えた。
     当初は、設定を打ち合わせたり、付き合っている体を装ったりするためだったが、最近は特に用が無くても会う。というか、ミカサの方から俺の部屋に来るのだ。

     来たところでミカサはエレンの話ばかりするし、全く恋人同士っつー感じじゃねえ。
     そのうち、ストーカー野郎も諦めたらしい。
     もう来なくてもいいんだぞと伝えたが、まだしばらくは、恋人同士という設定を続ける方が自然だろうと言われた。それに、一人きりは寂しいと。
     そういわれちまうと確かに、返す言葉が無い。

     ――幸せだ。
     ある日そんな言葉が頭に浮かんで、これでいいのか? と自問した。
     殺戮の恩恵を被って英雄サマになった俺たちが、こんなに幸せでいいのかよ。
     和平交渉は、ひとまず落ち着いた状態にある。だけどこれだって、全人類の8割の犠牲の上に築かれたものだ。
     こんな幸せが現実になって、本当に良いのだろうか?
     いつかどこかで、不意に裏切られてしまうのではないだろうか。いやむしろ、そうあるべきでは。

    「どうしたの?」

     前に座っていたミカサが、怪訝な顔を向けてくる。

    「いや……」

     俯いた時、カツカツと窓を叩く音がした。見ると、鳥が一羽、手すりに止まっている。その鳥が、くちばしで何度も窓を叩いているようだった。

    「怒っているみたい」

     ミカサが目を細める。

    「私がジャンの部屋に通ってるって知ったら、エレンも怒るよね」

     その言葉に、居心地の悪さを感じた。
     ミカサが好きなのはエレンだ。俺じゃねえ。そのことを、絶対に忘れないようにしねえと。

     なおも窓を叩き続ける鳥に歩み寄り、ミカサが微笑んだ。

    「大丈夫。私はエレンのことを忘れたりなんかしないから」

     黒髪のかかった横顔が美しい。
     正直に言うと、エレンを想っている時のミカサは普段の3割増しで可愛い。訓練兵だったころから、ずっとそうだ。

     俺たちが幸せになっていいのかとか、そんなことは誰にも分からねえ。
     だが、俺はミカサに幸せになってほしい。
     だから、これでいいんだ。
     そう思うことにした。



     数日後、町を歩いているとミカサが突然口を開いた。

    「あの馬、ジャンに似てる」

     二頭立ての馬車を引く馬の、片方だ。
     馬面だなんだと散々言われてきたが、こうも直接的に言われるのは初めてかもしれない。

    「そりゃイケメンな馬だな」

     平静を装って、軽口を返す。
     だがもしかして、こうしてミカサが俺をからかってくるのは初めてなんじゃねえだろうか。


    【10年目】

     エレンのお墓の隣の木が、青々とした葉を揺らしている。暖かな陽気が気持ちのいい季節。
     あれ以来、代わり映えしない生活が続いている。
     この一年で、エルディア人と連合国の間では和平条約が結ばれ、一応の平和が実現した。本当に見せかけだけの、不安定な平和だが。各国は、多少なりとも自国のことに集中できるようになっただろう。福祉でも教育でも、これからのために金を掛けてくれればいい。

     ミカサは変わらず俺の部屋に通い続け、エレンの思い出話をした。
     近頃は笑顔が増えて、下手したら以前よりも笑ってるんじゃねえかというくらいだ。
     もちろん、俺に見えないところで泣いているのかもしれない。そんなことは分からねえが、取り繕えるくらい元気になったなら良かった。

     今日は、久しぶりにエレンのお墓に来た。
     ミカサと二人、花を並べる。

     しばらく黙って立っていると、やがてミカサが口を開いた。

    「本当は、誰だったの?」

     唐突な問いかけ。

    「何がだ?」

     聞き返すと、真剣な表情で見つめ返される。

    「ジャンが好きだったという人。トロスト区奪還作戦の後、連絡がつかなくなったと言っていた」

     ドクンと心臓が跳ねる。
     ミカサの顔は、明らかに真実に気が付いていた。当たり前かもしれない。適当すぎる嘘だったし、あの肖像画は下手くそだがミカサそっくりだ。
     今まで黙っていたのがどういうわけだか、分からないが……

     どう誤魔化すべきか悩んでいると、何かが俺の肩を叩いた。
     温もりを持った、何か――まるで、人の手のような。
     確かに手のひらで、背中を押されたような気がする。まるで優しげな感じではない。さっさとしろと促すかのような、あるいは、いい加減にしろと突き放すかのような。
     ところが振り向いても、誰もいない。
     ただ、鳥の羽音が遠くで聞こえた。

     ――エレン

     時効には、まだ早いんじゃねえか?

     だが、分かったよ。いい加減覚悟を決めてやる。

    「ミカサ」

     視線の高さを合わせ、口を開いた。

     ずっと前から、お前のことが好きだ。

     そう、確かに伝えるために。

    Fin.
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