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    ゆきだるま

    プライベッターに投稿した作品の中で完成したもののみをまとめたもの。

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    ゆきだるま

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    記憶を曇らせられた男の話。

    カウンター席のひとつから軋んだ音が鳴る。かろうじて接触していたつま先で地を蹴ってぐるりと弧を描き、薄赤の髪がなびいた。
    人差し指と親指の隙間にはビー玉が一つはさまっている。ライの瞳はがらんどうな店内を透かして見ていた。
    魚眼レンズを覗いたような視界いっぱいに、薄緑のフィルターがかかっている。
    「どこでそんなもの拾ってきたんだ」
    カウンター席の向こう側でフェイがライに向かって問う。またかといった呆れる表情を浮かばせているあたり、これは珍しい事柄ではないようだ。
    その目線の先にはやはりビー玉が点となりその瞳に反射している。
    「貰った」
    「誰から?」
    誰からと問われ、ライは目の上に重ねていたビー玉をどかして視線を左上に移し黙り込んだ。

    ──簡単なおつかいを済ませて、肩からずり落ちてきたトートバックをかけ直す。寄り道でもしたい気分だが、早く帰らないとフェイの大きな拳が頭をガツンと叩きやがると、ライの頭にはサングラス越しに自分を睨みつける大男がそれはまた大きくて骨ばった拳を振り上げる姿が鮮明にシュミレートされている。底から湧き上がってくる震えを腕ごと両手で抱いた。
    止まった足をまた動かそうと顔を上げると、公園の看板が見えた。この公園は買い物の際によく利用するスーパーから、彼の経営しているバーまでちょうど中腹ほどに位置している場所にあるため、彼はたびたび時間などの目安として認識している。よく近所の住民らしき親子が利用している様子を尻目に眺めながら「もう少しだ」と前に進むのが大概だ。
    足音に気づいたカラスが電柱の方に逃げたのを目で追う。紫に侵食されそうになるオレンジがグラデーションのように見える空を背景に、黒のシルエットはこちらを見下げるようにこちらを見ていた。もう子供は帰る頃か、目印の公園の前を通りがかっても騒がしさは気になるほど感じなかった。時折別れを告げる言葉が聞こえる程度である。
    どこからか沸いてきた好奇心に従って誰もいない公園を覗いてみる。がらんどうな公園はやはり静かだ、帰るのはブランコにでも乗ってからでも構わないだろう──そう思っていたのだが。
    滑り台、砂場、シーソーと順に見回して、続けてベンチの方を見やると、残念ながら子供が二人、座って話をしていた。先ほどのシュミレートはどこへやら、恐れ知らずにも遊んでから帰ろうと考えていた彼も、子供が見ているとなると気恥ずかしくてその気も失せてしまう。
    「おい、お前ら」
    「なに」
    話し込んでいた子供はライの声掛けに気づいてぶっきらぼうに応えた。楽しく話していたところに水を差されたならば相応の態度だろう。
    「そろそろ帰った方がいいんじゃねえの」
    顔を見合わせた子供たちは、何も言葉を発することなくライを見つめる。無言が心地よくなくて、ライから口を開いて沈黙を割いた。
    「なんだよ」
    「あんたも子供なのになんで指図するのかなって」
    「こんな時間に出歩いちゃだめだよね」
    まったくもってブーメランである。そもそも彼は子供でも何でもない、れっきとした成人済みの男性である。夜中に出歩いて誰かに襲われようが自己責任の世界で生きている。
    こんな時間に出歩いてはいけないのは目の前の子供達だ。大声で抗議したい気持ちを抑えてライは静かに声を震わせる。
    「俺は子供じゃねえ」
    「そうはみえないなあ」
    「大人はねえ、大きな人って書くんだよ、知ってる?」
    子供に「子供だ」と無垢な挑発を受けたことへのやり場のない怒りが導火線を焦がして煙を上げさせた。
    対してライをからかってあそぶ子供たちはくすくす笑っている。すこぶる上機嫌のようで、彼らは口をそろえてライを輪の中へ勧誘する言葉をライに送った。
    「君も遊ぼうよ。」
    「あそびたいからここに来たんでしょ」
    しかし、そんな誘いも快く受けられるほど、ライの精神は仏のようではない。
    「人を馬鹿にするような奴らとは遊びたくないな」
    ライの冷静な言葉に子供たちは少しの戸惑いを見せた。また彼らは顔を見合わせて、不安げな表情をのぞかせる。
    声を合わせて「ごめんなさい」と謝罪を伝える姿は、ライの脳に刻まれていた“憎たらしいガキ“といった印象を少しは緩和させることができただろう。
    「仕方ねえな、今回は許してやるよ。」
    両腕でガシガシと子供らの頭をなでてやると、彼らは拒まずにしばらくされるがままになっていた。
    ライが彼らから手を離すと、一人がベンチの方へ向かい小さな巾着袋を持ってきた。封を緩めて小さな手を突っ込み何かを探している。何が入っているのかわからないその袋の中ではじゃらじゃらと何かがぶつかる音がしていた。しばらくもしないうちに目当てのものを探り当てたのか、子供は小さな手のひらをライに差し出し、その中身を見せた。
    夕日に照らされていくつかの球体が微かに光を反射している。薄緑が小さな肌を透く鮮やかな色をライは眺めていた。
    「あげる」
    「これは?」
    「ビー玉。」
    正直な気持ちを言えばただの球体に特段興味が沸くことはなく、要らないの一言に尽きる。しかし彼らなりの詫びの気持ちの表しであると考えれば、そんな無粋なわがままの言う口をふさぐべきだ。
    手に取るそれを、街灯からこぼれた淡い人工的な光に透かす。一際輝き、指先に緑の透き通った反射光が肌を淡く彩っている。
    「これ綺麗だな。本当にいいのか」
    「いいよ、いっぱい家にもあるもん。」
    不思議と惹かれたその色を眺める最中、誰かの名前を呼ぶ声が遠くの方でしたのを聞いた。背の方にある公園の入り口の方へ身体を向け、視線の先にいる女性を眺めた。
    続けて視線の先をたどった子供たちは、その人物を「おかあさん」と呼び、その方へ駆けて行く。
    「帰るわよ」
    女性の表情は陰がさしているからかやけに暗い。街灯の光は夕日に輪郭を撮られていたのも嘘かのように存在を強く縁取っている。空を見上げると、日はすでに沈んでいて、周囲は薄暗がりのヴェールに包まれていたことにライは気づく。
    おそらくあの子供らは家に帰ってからこっぴどく叱られるのだろうと考える中で、次第にその姿は彼自身の姿に置き換わっていく。サングラス越しに睨みつけた瞳が確かにライを捉え、足のすくんだ小柄な身体に向けて大きくて骨ばった拳が振り上げられる影が。
    後頭部に手を回し、無いはずの痛みを慰めるように撫でた。ちいさなため息をひとつついて、ライはすっかりものさみしげになった公園を足早に後にする──。

    ──公園のひと時から背を向け帰宅したのち、非常に怒り心頭の様子であった大柄な男がこれまた大きくて骨ばった拳を振り上げてきたことは話すまでもないだろう。
    ライはズボンのポッケにビー玉を放り込んで、椅子を回転させてカウンター席の方を見る。
    「公園にいたガキ。」
    「今日の帰りが遅かったのはそれか。恐喝したんじゃないんだろうな」
    不振がるように目を細めたのを彼は見た。見た目は幼く見えようと、二十年と少しは人生を歩んできたのだ。理性もプライドも教養も、人並みに育っていることを知らないのだろうか、十年以上も傍にいるはずなのにジョークもいいところである。
    ライは少しふてくされてしまった。子供扱いは実に不愉快であったために、反撃に彼を挑発するように言う。やられっぱなしではライの癪に障るのだった。
    「フェイじゃあるまいし」
    「殴られたいか」
    再度その大きくて力強いゴリラのような腕から繰り出されるパンチを喰らうには喉が鳴ってしまう。薄っすらと青筋を浮かべるフェイの様子に、ライは顔色を青に染めて早急に謝罪の言葉を並べた。
    ライがそらした視線を魔王の方にそっとむける。彼は目線でスタッフルームと書かれたドアの方へ誘導するように動いた。そろそろ仕事の支度をしなくてはならない時間らしい。普段いやいやながらに入るスタッフルームの向こう側へと、喜んで飛び込んだ。

    長針と短針が頂点に重なる。店を閉める時間だ。
    最後の客が会計を済ませた背中を見届けた後、シャッターを閉める。星影が散る空が、暗がりに紛れ込み「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉をくぐるライを見下ろしていた。
    扉の向こうでは、すでに身支度を終わらせたフェイがパイプ椅子に腰かけている。ライは自身のロッカーを開け、ベストのボタンに指をかけた。
    ハンガーにかかったパーカーを腕に通し、ズボンを手に取る。足元でカンと小さな音が聞こえて、下の方を見る。床にはなにか落としたであろう物は見当たらず、無意味にしゃがんだり棚の隙間を覗いたりして、その何かを探していた。
    「何してんだ」
    「なにか落とした。」
    そう聞いたフェイは目の前に転がっていたビー玉を見つけた。重い腰を上げて、それを拾い上げる。
    なにか物を落としたと思っていたが、それは気のせいだったのだろうかと思い始めているライの肩を、フェイはちょいちょいとつついた。
    「ん。」
    差し出したものを手のひらに受け、ライは初めて落としたものが何だったかを知る。きらきらして透き通った、緑のガラスの球体だ。
    「サンキュ」
    手の上に転がるビー玉を眺め、彼はふと夕方頃の出来事を思い出す──ビー玉をもらったあのとき、薄暗がりの中で見たいくつもある中の緑を彼は選んだ。何となくではなく、ずっと目を離せないまま。
    彼には特別好きな色と言ったものはない。まるで前から緑色になにか思い入れがあったような……。まさか自身の右目ではなかろう。
    疑問は晴れることなく、帰り支度を済ませる手はすっかり止まってしまっていた。ただぎゅっとビー玉を握りしめて頭をかしげるのみである。
    「……なあ、オレ、前から緑好きだったっけ」
    昔からライを見てきた男だ、本人より彼のことを知っているのやもしれないからだ。なにか心当たりがあるかもしれないと期待して、晴れそうにない違和感を言葉にする。
    「色にこだわりがあるタチでは無いと思ってたが。なんだ、気になることでもあるのか」
    「なんでかこれを貰った時、コレがいいって思って。」
    街灯に照らされたビー玉は好きなものを熱心に見つめる誰かの瞳のように綺麗だった。小さい彼らが大事なもののように持ち歩き、コレクションするのも理解できそうなほど。
    ライはじっと手の中で転がるビー玉を眺めていた。
    球体ではなく色に対して何か見覚えと懐かしさがある気がしてならない。油のようなにおいが鼻をかすめたと思って顔を上げても、そこには無機質で装飾のされていないスタッフルームの内装があるだけ。
    目の前は変わらぬ職場であるというのに、彼の脳裏にはなぜか絵具まみれのアトリエが浮かんでいた。
    ライは確かに知っている。絵の具で汚れた手を休めることなく動かして、真剣にキャンバスと向き合う誰かの姿を。自身をを強く見つめる吸い込まれそうな若緑の瞳を。
    ビー玉に誰かの瞳を連想していたらしいことを、ライはやっと自覚した。
    しかし残念なことに、その肝心な瞳の持ち主に覚えがない。霧がかかったように上手く思い出せないのだ。
    「オレ、何か大切なことを忘れてる気がするんだ。」
    それが「大切な何か」であったことは間違いはない。直近で脳にダメージを受けたような事件や任務があったわけでもなし、まさか平和ボケでもしてしまったのであろうかと、彼は腹の底にくすぶる危機感を感じた。
    「思い出したいと思っているのならいつかふっと思い出すさ」
    「……。そうだといいが。」
    普段なんともないどうでもいいことであれば、冷静さに欠ける考えに陥ってしまった脳に冷水をぶっかけるが如く、彼は言葉一つでライの目を覚まして納得させるか落ち着かせてくれるのだが。
    どうやら今回ばかりは、なんとも言えない胸のとっかかりがその違和感を拭いきれないシミとなってしまっていた。ライは半ばうわごとのように答え、やっと止まっていた手を動かし、その日はいつもより少し遅く帰宅したのだった。
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