雪鶴の過去話妖刀、雪鶴(ゆきのつる)。
その刀が納められていたのは、遠い北国の山奥にある小さな神社(かむやしろ)。今から300年程前のこと。その地は、冬は重すぎる雪に覆われるため、小さな集落はあれど人の出入りも滅多に無かった。そんな土地柄、冬季には大雪被害も多かった為、人々は神社を建て神を祀った。豊作祈願を、除災招福を、この地を離れ奉仕する家族の安全を、祈った。
雪鶴は、ある時そんな小さな村の集落に立ち寄った旅人が、帰路を安全に帰れるようにと奉納した事からこの地に納められたという。都の名のある刀匠に打たれたらしいそれは、刀身は雪のように白く、拵えは氷のように澄み輝くうつくしい刀だった。雪鶴が奉納されてからは気候も例年より穏やかだった為、今年の冬は穏やかであれば良いと、人々は願っていた。
集落の内の神社の側の小さな民家に暮らす少女、せつは、この集落の神社や祠を掃除する事が日課だった。小さな集落が故に神社は集会所としても扱われる為、集落全体にとっても神社は身近な物だった。
「ふぅ…、冬支度としては頑張った方かな」
紅葉が舞う中、掃除を終えたせつは息をつく。
「今年も無事に、冬が越せますように…」
そうしてるうちに、冬は来る。
北国における秋は、あって無い様なもの。あっという間に秋を通り過ぎ、厳しい冬が来た。白い雪が散らつく中、せつが家までの帰路を歩いていると林の中から物音が聞こえた。気になって覗いてみればそこには、狐用の罠であろう“トラバサミ“に足を噛まれ暴れている一羽の鶴がいた。
「…あっ、大変!」
鶴がこれ以上暴れて足を怪我してしまわないよう、驚かせないようにゆっくり近づき、鶴の足を捕まえる。鶴の足にくい込んだトラバサミに枝を噛ませてねじ開けて罠を解除し、ついでに布の切れ端で怪我をしてしまった足に巻き付け止血を試みた。大人しくなった鶴は静かに、せつの方を見ていた。一面の雪にも負けないほどの純白の翼を持っており他の鶴とは違うような、生き物でないような神秘性を秘めた鶴だった。
「あなた、すごく綺麗ね。…もう罠にかかってはだめよ?」
そう話しかけるが返事は無く、鶴はやがて空へ羽ばたいていった。無事に家に帰れればいい。家族が待つ、家に。せつは鶴のことを思いながら、自分の家族にも想いを馳せた。せつの兄は、百姓の生まれでありながら武士を夢見ている。隣町の塾で開かれた決起集会やらに参加し、巷で「恐れを無くし己が力以上の力を発揮できる」と異名の噂を持つ名刀まで手に入れたというでは無いか。きっと近いうちに、兄はその決起に出ることになるだろう。物悲しさを覚えながら、家路に着く。
「…せつ」
ある夜、集会を終え帰宅した兄を出迎えると、神妙な面持ちで兄が口を開いた。
「決起の出立が決まったよ。」
「…本当に、行っちまうの?」
「あぁ。でもきっと、必ず、帰ってくるから。…それまで、せつが家族とこの村を守っておくれ。」
この地から城下に行くのだって数日かかるし一苦労だと言うのに、ましてや、なにもこの厳しい冬の時期に出立を決めなくても良いではないか。遣る瀬ない、そんな思いを抱えつつせつは問い詰めることをせず見送ることにした。兄の一度決めた事は絶対折れない性格も、知っているから。
「…うん、わかったよ。…必ず帰ってきてね。」
「あぁ、約束しよう。」
「必ずだよ、待ってるから…、…兄ちゃん」
兄妹の約束をした。雪が静かに降り続く、静かな夜だった。
「……兄、ちゃん………?」
兄のたくましいその背を見送ったと思ったら、暗転。身体は何かがのしかかって重くて身動きもとれやしない。それに全身痛い、そして……冷たい。
「あ、れ…?わたし、どうして…?」
どうやら、夢を見ていたようだ。重い瞼を持ち上げて合わない焦点を凝らしてできる範囲で周囲を見渡すと、一面雪に埋もれ、瓦礫が雪から突き出ていた。
───────雪崩に呑み込まれたんだ、
直近までの記憶を思い起こす。いつも通り、冬の短い“明るい時間”の内にと、神社の雪下ろしをしていたはずだった。突然山の上から大きな音が聞こえてきて、山頂の方を見上げれば大きな白い煙を巻立てて木々を薙ぎ倒し飲み込みながら迫る雪崩が見えて、それから直ぐに視野は暗転し今に至る。
「……どうしよう、からだ動かせない…、痛いよぅ…っ、皆は…っ?何の音も、聞こえない…っ」
冷たくて、薄暗くてやけに静まり返ったこの空間で独り、どうしようもない不安が重くのしかかる。ふと、せつの視界の端に光る何かが目に写り視線を向けると、それは雪に埋もれた奉納刀だった。刀自体の損傷もあった。雪崩で神社も埋もれ、流されたのだろう。
「社神…様…」
「お願い、します…っ、皆を助けてください…っなんだってします、だから…っ」
寒くて痛くて、震えが止まらなくて、涙が止まらない。
「寒いよ…っ、父さん、母さん…っ、兄ちゃん…っ早く、帰ってきて……」
どれくらい時間が経ったのかも分からない。どんどん体温が奪われて、思考も上手く回らなかった。静まり返った空間で、何かの気配を感じて目を開けると、いつの間にか傍に一羽の鶴がいた。その鶴は足に怪我の跡があったから、以前罠にかかっていた鶴だと直ぐにわかった。
「あなた、あの時の…?」
声をかけてもやはり返事はなかったが、鶴は静かに奉納刀に近づきなにやら気にしているように見えた。そういえば、その奉納刀の名前、鶴という字があったような…と考えがたどり着く。
「もしかして、社神様…?っだとしたら、お願いします…っ、この地を、守って…っ!」
せつは精一杯、最後の力を振り絞るように、刀に手を伸ばす。ヒュウ、と息が切れ肺に冷たい空気が入る事すら、もはや苦しい。
「兄ちゃんと約束したの…っ」
「家族とこの村を、守るって、…兄ちゃん、の、帰りを…待つっ、て…っ」
最後の言葉は、声になっていたかも分からない。
ぐ、と柄を握ると突如、真っ白い雪が舞い、視界は光で奪われ、同時に身体が軽くなって…、雪の圧迫から開放された気が、した。
─────どうか、皆が救われますように。
雪が舞い光を放ち、どうなったのか。それを知り伝え継ぐ生きた者は、その場には居なかった。
せつが最後の力で奉納刀、雪鶴を掴むとせつの身体は光を放ち雪のように霧散。雪が舞う中、1人の女が姿を現した。氷のように澄んだ髪と瞳、白い肌。まるで生きた人間のようではないが、姿かたちは、人のようだった。せつの年齢よりも上のように見えるが、どこかせつの面影もあった。
女は、立ち上がろうと手を着くが足に力は入らないようで立つことは叶わなかった。
「『寒い』…『つめたい』…、ねつ…、熱を、あげなきゃ」
産まれて初めて言葉を発したかのような呂律で。
覚束無い動作で、雪を撫でる。
「待ってる、から…、約束…」
静かな空間に、しんしんと。辺り一帯の熱を奪うかのように雪は降り続き、雪に飲まれ音も温度も無くしたその土地は、長い長い冬に見舞われた。
冬の終わりが漸く見え始めたのは、季節で言う夏に入った頃だ。あまりに長すぎる冬に、幕府もたかが異常気象と目を瞑ってもいれなくなり、妖魔による影響も懸念し天照機関へ調査を要請。大雪にて被災地の実態調査も困難を極めたが、調査隊が足を踏み入れる頃には既に雪溶けが始まっていた。現場に赴くとそこには枯れ果てた地と、雪の中で眠るように形を保ち続けた集落の者達と思われる遺体、そして一振の柄巻きも解け柄下地剥き出しの刀が発見された。
そうして、妖刀雪鶴は天照に回収されたのだ。
『一七●●年
一月某日 ××村△△山にて雪崩災害が発生し、集落の全棟が巻き込まれ五十人余が死亡。
その年の冬は特異的大雪に見舞われ、悪天候の為連絡手段も途絶え状況把握も遅れた。被災地に足を踏み入れる事すら困難を極め、幕府はこの現象が妖魔、妖刀に関連する可能性があると懸念し天照機関へ調査要請。同年八月、雪が落ち着いた頃合で調査隊が現地入りすると一振りの妖刀を発見し回収。妖刀は『雪鶴』と銘打たれており、都で打たれ現地集落の神社に奉納されていたものと伝えられていた。
生気回復後、刀神として権化した雪鶴に証人尋問を行うが、世に出て間もなく記憶が曖昧であり明確な証拠は得られなかった。
しかし、妖刀自体の異能が今回の特異的大雪を引き起こす要因に値する異能であり、十分な証拠は得られたとして今災害は妖刀雪鶴によるものと断定。』