散りゆく先に実るもの「げほっ……かは……!」
苦しげな音とともに口から出てくるには似合わない鮮やかで美しい花々が床に落ちる。うずくまっていたOVERはそれを忌々しげに見つめた。
「ちっ……」
この症状が出てからというもの、頻度は段々と増すばかりで苛立ちが募る。出てくる花はそのどれもが毒々しい赤色で、まるで自分から流れ出た血を見ているような、気分が悪くなるような代物だった。
「何で俺がこんな目に遭わなきゃならねぇんだ……」
そう呟くとまた新たな花びらが唇の端から零れ落ちた。
「OVER様……大丈夫ですか……?」
不意に声をかけられ振り向くと、そこにはルビーがいた。心配そうな顔でこちらを見ている。
「気にするな。お前には関係ない」
そう言うとルビーは少し俯き悲しそうな表情を浮かべた。
「でも……OVER様のお体も心配ですし……それに私達にとってOVER様はとても大事な方なので」
「そんなことより仕事があるだろ?さっさと持ち場へ戻れ」
「……はい」
不服そうだったが渋々と引き下がる彼女を見て少し罪悪感を覚える。だが今はこの症状がなんであるか分からない以上、誰かに気を許す訳にもいかないのだ。
「……早く治す方法を見つけないといけねぇな」
独り言のように小さく呟いて、OVERはまた咳をした。
◇◆◇
「えーっと、次は確か……」
次の日、私はいつも通り城の中を歩き回っていた。最近調子が悪そうだったけれど昨日のOVER様の様子はとくにおかしかった。花を吐く頻度が明らかに増えているようだったが、本人が大丈夫だと言う以上それ以上追及することも出来ない。しかしやはり気になるものは気になってしまう。だからこうして原因を探っているのだが……。
「う~ん、やっぱり何も分からないない……」
あれこれ考えながら歩いているうちに廊下の角まで来てしまったようだ。ここを曲がると主の部屋が見えるはずなのだが、何かがおかしい。そろりと覗いてみると部屋の前には人影があった。
(あの後ろ姿は……)
「ところてんさん!?」
そこにいたのはかつて敵として乗り込んできたところ天の助だった。私の姿を認めたところてんさんは右手をあげた。
「よう、元気か?」
「はい!ところでどうしたんですか?こんな所で」
まさか彼がここにいるとは思わなかったため動揺したが隠すように元気に答える。
「OVERに用があって来たんだけどよ、あいつどこに行ったのか知らね?」
「え?OVER様なら多分執務室にいますけど……」
そう言うと天の助はにっこりと笑みを浮かべた。
「ありがとな、ルビー!」
それだけ言って走り去って行く彼を見ながら呆然と立ち尽くす。一体何が起こったというのだろうか。
◇◆◇
「げほっ……ぐぅっ……」
苦しい。胸の奥から込み上げてくる感情を抑えることが出来ない。口の中に苦味が広がると同時に真紅の花弁が次々と溢れ出てくる。まるで自分の身体が自分のものでは無くなっていくような感覚に陥りながらも、必死にそれを吐き出し続けた。
「ごほっ……げほ……おぇっ……」
ようやく花が出なくなった頃にはもう体力を使い果たしていたようで、その場に倒れ込むように横になった。
「ちくしょう……なんなんだよこりゃあ……」
自分が自分で無くなってしまう恐怖を感じながらOVERは静かに目を閉じた。
◇◆◇
「おっかしいなぁ……この辺にいるはずなんだけどな〜」
迷子になりながらも城の者たちが何やら慌ただしそうにしてる姿を横目にやっと執務室についた。中に入り辺りを見回すと薔薇の花びらが目に入る。
それを手に取ると微かに甘い香りが漂ってきた。「なんで薔薇が?」不思議に思いつつもさらに強い匂いを頼りに奥へと進んでいく。するとそこには薔薇に囲まれるようにして倒れているOVERの姿があった。
「OVER!?」
その姿にどぎりとして慌てて近寄る。上下する胸が生きていることを主張しており天の助は安堵して息をついた。
「寝てるのかよ……」
しかし眉間には皺が深く刻まれており顔色はよくない。手には大量の花びらが握られていた。
「どうしたんだよこの量の花……しかも全部血みたいに真っ赤じゃねぇか」
そう呟くとOVERは小さく身じろぎをした。そしてゆっくり瞼を開けると目の前いた天の助を見るなり不愉快そうな表情を浮かべた。
「てめぇ……何しに来た」
「いたら悪いのかよ」
「帰れ」
「つれないこと言うなって……ってお前その顔色!」
OVERは顔が青白いだけでなく、呼吸も荒かった。明らかに異常事態であることが分かる。声にも普段のような覇気がない。
「体調でも崩したのか?こんな所で寝るなよ」
「うるせぇ黙れ……俺に近づくな」
そう言い放つと同時にOVERは苦しげに咳き込む。ひらひらと舞い散る赤に天の助はこの床にばらまかれた無数の花弁の出処を察知して息を飲む。一体こいつはどれだけ苦しんだんだ…。
咳は治まったが疲労が未だとれないのか再び眠りについてしまった。しかし天の助はその場を離れようとしない。
「お前……病気なのか?」
「……」
返事は無い。だがその代わりにOVERは苦しそうに咳き込んだ。
薔薇に囲まれたまま眠るOVERを見つめながら天の助は考える。
(こいつが病気ねぇ……)
普段の様子からは想像もつかないような話だ。現にこうして倒れているOVERを目の当たりにしても尚信じることは出来ない。何しろ相手はあのOVERなのだから。
(それにしても花を吐く病気なんて初めて見た)
今まで色んなな奴を見てきたが、そんな病に罹っている者は一人もいなかった。だがこれは現実であり、実際OVERは今にも死にそうな顔色をしている。
ふと思いついて床に落ちていた薔薇を拾う。その花弁は鮮やかな赤色をしていた。
そういえば……確か昔誰かに聞いたことがある。
薔薇の花言葉は愛情や美といった綺麗なものばかりではないということを。
例えば……嫉妬、憎しみ、恨み。
そう、確か"呪い"という言葉もあったはずだ。
そう考えれば全ての辻妻が合うような気がする。
OVERが何者かに呪われたと考えるならば、だ。どうせこいつは人に恨まれることばかりしてきたんだろう。想像に難くない。
しかし何故だろう。
なんとなくOVER城に遊びに来てこんなことになるとは思わなかった。今までそんな素振りも無かったが、ずっと隠していたのだろうか。視界を埋める赤がOVERの死を連想させ心臓が針金で締め付けられたように傷む。
その時、また咳をする音が聞こえた。
◇◆◇
OVERはぼんやりとした意識の中で考えていた。先程まで何をしていたのだろうか。確かルビーが来てそれから……駄目だ思い出せない。
とにかく今は気分が悪い。早く治さなくては。
重い身体を起こして立ち上がると、少し離れたところに見覚えのある姿があった。天の助だ。先程までの記憶がぼんやりと蘇る。
天の助は俺が起きたことに気付いたらしく、慌てて駆け寄ってきた。
「おい、大丈夫か!?」
「……ああ」
ぶっきらぼうに応えると天の助は心配そうに顔を覗き込んできた。
「本当に大丈夫か?すげぇ辛そうだぞ」
「いいから放っとけ」
しかし天の助は離れない。むしろ近付いてくる始末だ。俺にビビってるくせにこうやってグイグイと寄ってくるところに腹が立つ。
「……おい、それ以上寄るな」
そう言って睨みつけると天の助は悲しそうに目を伏せた。
「分かったよ……」
そう言ってゆっくりと後ずさっていく。そのまま立ち去るのかと思っていたのだが、突然天の助は振り返った。
「なあ、お前が花を吐くようになった原因に何か心当たりはないのか?」
「ねえな」
「本当に?」
「しつこいぞ」
「……」
しばらく沈黙が続いたあと、口を開いたのはOVERだった。
「……一つだけあるぜ、心当たりがよ」
「なんだよあんじゃねえか」
「てめぇだよ」
「え……」
「てめぇを見てるとイラつくんだよ……だからてめぇを見ると花が出るんだろうな」
OVERはこれ以上言うことはないとでもいうかのように顔を背けた。
「はあ?」
天の助はポカンとしている。
「何言ってんのお前?」
「俺だって分からねぇよ!だがそれ以外考えられねぇ」
そう言うとOVERは天の助に向かって拳を振り上げた。
「ひぃっ……暴力反対!」
間一髪でそれをかわすと天の助は距離を取る。
「とにかく俺はもう行くぞ」
そう言い残してOVERは走り去っていった。
◇◆◇
「……どういうことなんだ?」
一人残された天の助は首を傾げた。
「あいつが花を吐くようになったのは俺が原因だと……?まさか……いやでも……」
そう呟きながら頭を悩ませるが答えは出てこない。
「つーかあいつ心配してやったのになんなんだよ!」
怒りに任せて叫ぶが、すぐに我に返る。
(まぁでも……)
OVERが倒れてるのを見た時は本気で焦ったが、とりあえずは生きててよかった。小さな安心感に浸ってているとルビーが突然慌てたように部屋に入ってきた。
「OVER様は…!」
息を切らしながら部屋をぐるりと見渡す。
「どうしたんだよルビー。OVERならさっき出てったけど」
きっとこの少女もOVERの事を酷く心配しているのだろう。いや、この城にいるものたち全員か。慌ただしそうだった理由に合点がいく。少しでも不安を和らげるように明るく告げると彼女は手に持っていた本を天の助の目の前に突き出した。
「OVER様の病名が分かったんです!」
その本にはこう書かれていた。
花吐き病……
それは片想いをこじらせると発症する奇病である。その病を発症した場合、口からは花びらが吐き出される。そしてその症状が進行すると次第に血のような真っ赤な薔薇の花びらしか出せなくなり、やがて死に至る……。
そこまで読んで天の助は思わず息を飲む。
(……それってつまり……)
OVERが誰かに恋をしているということなのか? 一体誰に? OVERが片想いしてる奴とはどんな人物なのだろう。あの男が好きになるような奴だ。きっととんでもない女に違いない。それかゴリラだ。
それにしてもあのOVERが誰かに恋するなんて……。
その時、OVERが先程言った言葉が脳裏を過ぎる。
"てめぇだよ"
もしかしたらOVERの好きな相手というのは……自分なのではないか。そんな考えが頭に浮かんできて、心臓が大きく跳ね上がる。
もしそうだとしたら……
「俺ちょっと行ってくる!」
「え!?」
そう言い残すと天の助は勢いよく部屋を出ていった。
(あいつ、赤い薔薇を吐いてた。早くしねえと……!)
◇◆◇
城から少し離れた森の中に、その男はいた。
彼は木の幹に背中をつけて座り込み、空を見上げていた。雲ひとつない青空が広がっている。
そこへ天の助がやってきた。
「よっ!」
天の助はOVERの隣に座りこむ。OVERはこちらを一睨みしたあと、舌打ちをしたが特に何も言わずに再び視線を戻す。
沈黙が続く中、天の助は勇気を出して聞く。
「お前さ……どうして俺が原因だと思ったんだよ」
するとOVERは観念したのかため息混じりに答えた。
思い返せば天の助と出会い戦ったあの日から花を吐吐き始めた。しかし今まで一度も天の助が原因だと考えたことはなかった。
それが今日は何故か天の助を目にした時、原因があるとすればコイツしかいないと確信めいたものを感じたのだ。
それを聞いていた天の助はみるみると頬を紅潮させていく。
まさか、まさか本当にそうなのだろうか。
胸の奥底から熱いものがこみ上げて来る。
OVERが自分に恋をしてる?
「おい」
「な、なに?」
「何をニヤついてんだ気持ち悪い」
「べ、別に笑ってなんかねえよ!」
慌てて表情を引き締めるが顔が緩むのを止められない。
「……何だお前、何か知ってんのか?」
「いや〜?」
「じゃあ何で笑った」
語気が強まっていく。正直に話さないと禄な目に合わないだろうと悟った天の助は少し照れくさそうに口を開いた。
「嬉しかったから」
「嬉しい?」
「だってお前が俺のことを好きだっていう証拠だろ?」
「…………は?」
まるで理解できてないという表情だ。鈍すぎるだろこいつ。
「だってそうじゃん!俺のせいで花が出るんだろ?」
「……ああ」
「じゃあそうなんだよ!」
「誰がいつてめぇを好きになったんだよ!」
「お前が花を吐き始めた日!俺とお前が出会った日!」
今にも噛みつきそうな獣のような勢いに張り合い天の助も声を荒らげた。さすがに何かしらの暴力を起こしてくるかと思いきやOVERは睨んだまま動かない。天の助は気持ちを沈めて語り始めた。
「ルビーが調べてくれてた。お前のそれは花吐き病っていう病気なんだよ。片想いをするとなるんだってよ。ちゃんとルビーには感謝しとけよ?」
「……何だと?」
カタオモイ……その言葉に胸がざわつく。何かが嵌るような音が心の中で響いた。
「俺もついさっき知ったんだけど。それで、俺が原因じゃないかと思ってここまで来たわけよ。」
「……」
俺は天の助が好き……? さっきの天の助の言葉が脳内で反響する。OVERは額を抑えた。この病は天の助のせいだと確信してしまった。それが覆ることは無い。
納得したくない。したくはないのに全てのことに辻褄があってしまうように感じ勝手に心が納得し始めてしまっていた。
つまり自分は花を吐くほどこの男に惚れているということだ。自覚した途端、急に恥ずかしさが込み上げてくる。
「これで両思いになったってわけよ!」
嬉しそうにOVERをぺちぺちと叩く天の助。いつもの様にハサミを振りかざす余裕も今のOVERにはない。
「黙れ!」
「照れんなって!」
「殺すぞ!」
「あ、そういえばまだ言ってなかったっけ。」
天の助は突然OVERの手をとり両手で包んだ。
「俺もOVERのことが……す、好きだからな!」
OVERの見開いた目をじっと見つめた。特徴的な耳の先まで赤く染まっている。
「だからさ、これからずっと一緒にいようぜ」
「…っ」
OVERは突然手を口元に当てた。天の助は慌てて背中を擦る。そして咳き込むと口から百合の花びらを吐き出した。今までの赤い色とは違う純白の色。それを天の助は拾い上げ見つめる。
「そういやルビーが持ってきた本に書いてあった。」
『恋が実り百合の花を吐き出した場合、完治したことを意味する。そしてその花言葉は……』
天の助はその続きを口にする。
「"永遠の愛"だ」