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    ゆうに

    五悠!!!!!!!!!!!

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    ゆうに

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    BOOSTリクエストの続きです!ありがとうございました!
    本誌最新話までの内容を含みます。

    #五悠
    fiveYo

    焼きマシュマロパーティーする五悠②「パンダは猫舌かもね」
     肉でほっぺたをもちもち膨らませながら、悠仁はさっき問い掛けた僕の疑問について、思い出したように話をした。
    「そもそもさ、自然界に熱いものってなくね? パンダって一日中笹の葉食ってるイメージあるよ」
     僕は呪術高専二年のパンダの話をしていたつもりだったが、悠仁は上野動物園に居るパンダの話をしているらしい。
    「――そうか。そうだったな……」
    「五条先生?」
    「――いやいや、実はパンダってさ、カルパスもいけるんだぜ」
    「マジんがー」
    「手ずから食べさせれば、肉団子も食べちゃう」
    「上野動物園行ったら試してみよ!」
    「悠仁」
    「どったん五条先生」
    「僕は……未来から来た、って、言ったら、笑う?」
     僕の発言に、悠仁は四白眼をくっきり開かせた。
    「……はっ……すぐ行く! 走っていく!」
    「時をかける最強なんつってね、マジな話、この僕はさ、君から見たら、未来人みたいなもんかな」
     正確に言うと違うのだけれど、説明する気はあんまりないので、悠仁から見える確実な情報だけを話した。
     悠仁はあんぐりと口を開いているが、はいはい、完全に理解した、と頷いて、僕に質問をした。
    「じゃあ、明日勝つ馬教えて!」
    「それは知らんし」
    「ならスポーツ名鑑貸して!」
    「ビフみたいな悪事を働こうとするんじゃないよ、人類は映画から何も学ばないね」
    「なーんだ、ダメダメじゃんか」
    「ひとつ、言えることはあるよ」
     それはね、と僕は焦れったく一拍置く。
    「君と僕は、付き合ってるってこと」
     悠仁は、ええー と集中線が背景に出そうな程に叫んだかと思えば、慌てて左右を見渡した。
    「ドッキリ カメラはどこ」
     悠仁は辺りを見渡すが、そんなものある訳ないし、ここには僕達以外誰も居ないし、なんにもない。ただ、帳に閉ざされたような闇が広がるだけだ。いや、文字通り、この空間は閉じられている。そして僕が言っていることは全て本気であり、揺るぎようのない事実だ。
    「付き合い始めるのは、交流会の後だね」
    「交流会ってなに?」
    「言ってなかったっけ? あぁ、なかったんだっけか……京都校との合同試合みたいなもんだよ」
    「んー、五条先生が未来人だとして、訊きたいんだけど、オリンピックは?」
    「二年後のことまで知らないよ」
     現在二〇一八年、東京オリンピックは、二〇二〇年開催予定となっている。過去では、戦争が理由で日本開催予定のものが、二回中止になっているが、何事もなければ、つつがなく開催されるだろう。延期になった事例は、過去にはない。将来何が起こるかなんて、僕にも誰にも知ることは出来ないのだが。
    「え、五条先生って、いつの未来から来たの?」
    「大体二ヶ月後だね」
    「超直近じゃん! え、で、何しに来たの?」
     悠仁はごくりと生唾を飲んだ。真剣に僕の話を聞いているみたいだ。
    「未来から来たってことは、なんかしらの過去を変えたいんだよね?」
     変えたい過去。変えられるなら、何処からか。
     去年のクリスマスイブ? 親友を殺すべきではなかったのか? それとも、灰も残さず、亡骸をその場で燃やせば良かったのか。そうすれば、今の状況には陥ってなかったのか。
     新宿の雑踏で対峙した時に殺せば良かったのか? 非術師が何人、巻き添えで死のうとも? それじゃあ、非術師を皆殺しにすると宣った、アイツと同じことをすることになる。
    「――」
     考えすぎるとしんどくなるんだよな、と僕は眉間を親指で揉みほぐした。
    「五条先生? 大丈夫?」
    「ああ。……いや、過去は変えられない」
     僕にも、誰にも。どんな力を持つ者でも、起こったことは変えようがない。じゃないと、世の中の出来事に区切りを付けることが出来なくなる。覆水盆に返らず、零したコーヒーも、汚れたシャツも、そっくりそのまま還ることはない。
    「じゃあさ、過去の人間に、何かを伝えたいとか?」
    「そうだな……悠仁。君のことが好きだって、もっとたくさん伝えとけば良かったな」
     手の甲で悠仁の頬に触れれば、あたたかい肌のぬくもりを感じる。もう何度も触れて、その意外な程の柔らかさを知り尽くしているのだけれど、触れられている悠仁はと言えば、初めて触れられたように、緊張で筋肉を強ばらせた。
    「っ……」
     炎に照らされているせいではない、悠仁の頬の赤さが、愛しくてならない。けれど、今ここに居る悠仁は、この僕とは、気持ちが通じ合ってはいないのだ。
    「俺の、どこが好き、なの」
    「かわいいとこ」
    「誰がジェニファーローレンスだコノヤロー!」
    「さすがノリ良し男、略してノリスケさん」
    「微塵も略せてないじゃん」
    「悠仁のそう言うとこも好き。この僕のハイテンションに追従出来るなんて、まさに千年に一人の逸材」
    「五条先生……生徒以外に交流関係ないの……?」
     親友は居たけど殺した。なんて、雑談で流せる軽さの話ではない。心の中で呟くに留めて、僕は悠仁の好きな所をあげつらう。
    「高専で、休み時間にトンボ追い掛けて、そのまま探索してたら校内で迷子になって、玉犬に迎えに来てもらって、野薔薇に蹴られてたりするようなとことか」
    「五条先生それ知ってたの 恥ずかし!」
    「この子を腐ったミカンどもから護らねば、と」
     僕の言葉に、悠仁は熟れた果実のように頬を赤らめた。
    「腐ったミカン、て」
     もごもご歯切れ悪く、悠仁は俯いた。何が琴線に触れたかは、僕にはよくわからないが、攻めの姿勢は崩さない。悠仁の好きなところを更に並び立てる。
    「強くて、聡いところとか」
    「……俺割とバカだよ?」
    「担任だから、悠仁くんの座学の成績は知ってるさ。じゃなくて、優しいとことか、自分の意見をちゃんと持ってるとかの意」
     ――『自分の死に様は、もう決まってんだわ』
     その生き様は、確かに好ましかった。
     少し前まで普通の男の子だったくせに、死に様のために生きて人を助ける、イカレてるくらいに善人。
     僕は御三家として、五条家の当主として生まれた。六眼で無下限持ちだと判った時から、他の生き方を望むべくもなかったし、力有る者として、奔放に生きて来た。
     一般家庭に生まれ、高専に来るまで、呪いのことを知らずに、健やかに生きて来た一般人。それは僕には時々、目が潰れそうに痛くなる。
    「どっちから告ったん?」
     男子高専生らしく、悠仁は恋バナに興味津々と言った様子だ。
    「悠仁からだよ」
    「へ……へけっ……」
     ハムスターみたいに、悠仁はまんまるく縮こまった。悠仁は、食事している姿の、ほっぺたが冬眠前みたいに膨らむ所が、小動物を彷彿とさせるのである。
     悠仁に告白された時も、食事していたのだった。
     
     *
     
     交流会を終えた後のことだ。DVDを忘れていたので、深夜に地下室に取りに行くと、気配と音がした。忘れてあったDVDの映像が流れている。映画を観ていたのは、悠仁だった。
    「映画修行はもうオールオッケーだよ」
     真後ろから声を掛ければ、悠仁が驚いて振り向く。膝に抱いているツカモトも眠ったままであることが、悠仁の強くなった証でもあった。
    「五条先生! どったの?」
    「悠仁こそ、寮の自分の部屋に居なくていいの」
    「んー……、眠くなんなくてさ」
     交流会での暗殺未遂、特級呪霊との戦闘、個人戦もとい野球対決と、密度の高い交流会だった。一人になって落ち着いたことで、目まぐるしい戦いを思い出して、アドレナリンが出て興奮状態になっていても不思議じゃない。
     悠仁は、ぬいぐるみを抱き締めてぽつぽつ喋る。そうしていると、年齢より幼く映った。
    「俺の部屋に行ったら、荷物も何もかもなくなっててさ。そりゃ死んでたんだから遺品整理するよな。俺もじぃちゃん死んだ後したし。……なにもない部屋に、ひとりで居たくないな、って」
     だからつい、ここに戻って来ちゃった。と悠仁はツカモトの頭に、顎を乗せた。
    「寮の部屋に住んでいた二週間より、地下室に居た二ヶ月の方が長いんだもんな」
     なんて、悠仁は貼り付けたような笑顔で言う。
     僕が地下室に来たのは、忘れ物があったからだけど、そんなものは口実だ。本当は、悠仁と過ごした二ヶ月が終わったことが、なんだか名残惜しかったからだ。
     悠仁はソファの真ん中に座っていた。その隣にどっかり脚を広げて腰掛ける。狭い面積に割り込むように座ると、悠仁が困惑の眼差しを向ける。
     ――『寂しがりなんでね。いっぱい人を助けて、俺が死ぬ時大勢に看取ってほしいんスよ』
     自分で寂しがりなんて言うこの子が、隣室の恵に突撃したり、寮の大部屋でテレビを観て時間を潰すのでもなく。この地下室に、独りで足を運んで、ただ静かに映画を観て、夜を食い潰すことを選んだ。そんなこと、許してたまるものか。
    「悠仁。……独りを選んじゃ、だめだよ」
     ブルーライトに照らされている悠仁の顔は、いやに青白く見えた。死んでいる時の肌のように。
    「僕が居るでしょ」
     少年の桜色の髪を思い切り乱せば、悠仁はひとつ瞬きをした。栗色の睫毛が濡れている。
     短髪がより無造作に跳ねたことに満足すると、僕はソファから立ち上がり、指を指した。地下室の出口、地上に続く階段を。
    「行くよ、悠仁」
    「へっ? 何処に?」
    「決まってるでしょ。こんなお出掛け日和の丑三つ時だよ? 行くでしょ」
    「だから何処に」
    「コンビニ」
     
     手のひらサイズのカップは、僕の手に乗せると、余計に小さく見える。悠仁は鼻歌混じりで、カップの蓋を開けた。
    「このフィルムを剥がすドキドキがいいんだよなー、アイスがくっ付かずにキレイに取れると嬉しー」
     買いたてのアイスだから、凍ったアイスはフィルムに殆ど付いていなかった。
     悠仁と僕は、地下室を飛び出して、高専最寄りのコンビニに来ていた。最寄りと言っても、グーグルマップによると、徒歩四十五分の距離にある、僕らとコンビににはなれなさそうな距離感にあった。
     駐車場の車止めに、並んで腰掛ける。ガードパイプの金属が、腰骨に当たる。座り心地ははっきり言って良くないだろう。僕は無限でちょっと浮いてるから気にならないけど。店内のうるさいくらいの明かりが駐車場付近を照らして、僕らの影が駐車場まで伸びていた。
     僕のアイスはストロベリー味。歯に絡みつく粒がまた美味しい。高級感のあるパッケージが、贅沢な満足を与えてくれる。
     悠仁は、期間限定のスイートポテト味に舌鼓を打っていた。そっちも美味しそうだなぁ、と僕はチョイスに関して、熟考すればよかったなと思ってしまう。
    「五条先生、奢りあざっす!」
    「うむ、よきにはからえ。お返しは出世払いで」
    「かしこまー! んまー! 専用スプーンがまた高級感出してんだよなー」
     悠仁が、白色のプラスチックでアイスクリームを掬う。真っ赤な舌に、アイスが溶けていく。見てはいけないものを見た気分になってしまう。それなのに、目を離すことが出来なかった。
    「悠仁って、いつも期間限定選ぶの?」
    「だって期間限定だよ? 今だけしかないんだよ! 死ぬ前に食べよーって思ってたのに俺死んだし、食べられる時に食べないと」
    「切実だね」
    「溶けかけのアイスうまー」
    「僕溶けかけきらーい」
    「そーなん?」
    「だって溶けたアイスなんてぬるいしただの液体じゃん」
     僕はストロベリーアイスをスプーンで掬うと、悠仁の口許へ持っていく。やっぱり悠仁は、てらいなく口にした。
    「ストロベリーもいいな! はい先生」
     悠仁がスイートポテト味のアイスを掬って、僕に食べさせる。悠仁は、箸でもスプーンでも、差し出されたら、躊躇いなく口にする。渡し箸がマナー違反だと、祖父に教えられたと聞いた。けれど、人柄や、人懐っこさもあると思う。
    「悠仁、渡し箸の話なんだけど」
    「……うん」
    「渡し箸を食事の時しちゃいけないのは、お骨上げの時、故人が、此岸から彼岸へ渡れるように、なんだけど」
     三途の川への橋渡しをする為に、お骨上げでは、箸を使って遺骨を拾い上げる。死や、葬儀に関することを、日常生活に持ち込むことを、日本人は忌避する。箸同士で食べものを受け渡ししてはいけない理由がこれだ。
    「悠仁のお祖父さんは、ちゃんと彼岸に渡れたと思うよ」
     相手のカップから直接、アイスを掬ったほうが早いとはわかっている。けれど、僕はストロベリーアイスを掬い上げ、悠仁の口許へ運ぶ。
     悠仁の耳は、残夏の暑さと言い訳が出来ない程、色味を増していた。琥珀色の瞳が、潤んで揺れ動く。
    「すき」
     悠仁のその言葉に、スプーンからピンク色のアイスが溢れて落ちた。アスファルトに焦がされたように、一瞬で溶けて液状になる。
     それは言うつもりのなかった言葉が、手のひらから溢れてしまったような声だった。
    「……ダッツが! この期間限定フレーバーが好きってことで!」
     悠仁は、カップが歪むほどに両手に力を入れた。
     その言葉が、言葉通りの意味ではないことに、流石に、人の心の機微に疎い僕でも、察してしまった。
     付き合わない方が良い理由が多い。
     教師と生徒であるし、年の差だって、小学一年生が高校を卒業した上に、大学入学するくらいの年月がある。生徒が恋愛対象に入る筈がないし、今まで生徒をそんな目で見たことなどない。そして同性で、障害の方が多い。
     僕のモットーは、若人から青春を何者も奪ってはいけない、だ。それは僕にも許されない。
     だから悠仁は、僕みたいな人間と付き合ったりしないで、真っ当に青春して、同級生と遊んで、彼女を作り、無事に呪術高専を卒業する。それが僕にとっての喜びにもなる筈だ。
     それなのに。悠仁が当たり前に掴む権利のある、幸せを。
     想像した。閉鎖環境での症候群のような、勘違いの恋愛感情を忘れて、恋人と二人で過ごす悠仁を。僕が蚊帳の外で、僕ではない誰かと笑い合う悠仁を。
     いやだ、と思ってしまった。大人が若人の足を引っ張ってはいけないのに。
     悠仁は、カップをきつく握っている。溶けた中身が溢れて、両手を濡らしてべた付かせていた。俯いて、アスファルトと見詰め合っている。ちゃんとした幸せを掴める、その力があるはずの子ども。僕みたいな悪い大人に絡め取られるのは、きっと不幸だ。――それでも。
     顎を掴んで、俯いていた顔を上げさせると、戸惑った表情の悠仁と視線がぶつかる。
     この子を独りにさせたくない。そして、隣に居たい。他の誰でもない、僕が。
    「僕も君が好きだよ」
     コンビニの窓から見える雑多な雑誌コーナーや、街灯に集まる虫が飛び交う姿や、網膜を灼く程の店内の光の方が、情報量は多いのに。今向き合っている少年が、感極まったように目を見開いていって、泣きそうに瞳を潤ませていく。その光景だけに、ピントが合っていく。他のすべてが背景になっていく。今は深夜なのに、少年こそがきらきら輝く光源のように眩しかった。
    「悠仁。好き同士な二人が付き合うってことはさ、こんな夜にさびしくなったら、どうするべき?」
     形の良い耳の軟骨を探るように撫でれば、悠仁はぴくりと肩を跳ねさせた。
    「真っ先に、僕を頼るんだよ。独りで地下室なんかに籠らないでさ」
    「――いいの?」
    「それが、付き合うってことだろ。僕も鬼ラインするし、既読無視はイヤよ」
    「うん……、うん、うん」
     悠仁は僕に手を伸ばすが、アイスで手がべた付いていたことを思い出して、手を引っ込めた。
     その手を掴んで、手についていたアイスを舌で舐める。氷菓の甘さと、手汗が混ざった味がした。
     熟れた苺のような色に染まった悠仁の顔に、これは色々教え甲斐があるな、と口唇を舐めた。
    「ダッツがジュースになっちゃったね」
     二人共、カップの中身は溶けて、アイスは液体になっていた。
     ちょっと待ってて、と僕は腰を上げて、ストロベリーアイスだったカップを、悠仁に持たせる。再度コンビニに入った。手早く会計を済ませると、プラスチックのコップを二つ持って、悠仁の許に戻る。
     コップの蓋を開けて、アイスの中身を流し入れる。チョコフラッペに、ストロベリーと、スイートポテトのトッピングがそれぞれなされたものが出来上がった。
    「深夜のフラッペうまー! 悪魔の飲み物だぁ」
    「今日だけゼロカロリーだからモーマンタイだよ悠仁」
    「そだねー」
    「悠仁。――もう、さびしくない?」
     太めのストローから、凍っているチョコレートを吸い上げる。
     涼しい夜に食べる、アイスクリームとフラッペは、さすがに体の芯が冷えた。肩を寄せ合えば、心拍数が上がって、指先に血が通っていく感覚がする。
     悠仁は口許を綻ばせた。夏の只中を思わせるその相好が、言葉にはしなくても、何よりの答えになっていた。
     
     *
     
     もはや懐かしいなぁ、と染み染みする僕だが、悠仁はと言えば、とぼけたお顔で、きょとんと僕を見詰めるだけだった。
     まあいいや、と椅子の上で脚を組む。宿儺の眼も笑窪、惚れた欲情もとい欲目、どんな悠仁だって愛せる。未来の悠仁だって僕を愛してるんだから、この悠仁だって僕を愛するに決まっている。もう、屋根の烏ならぬ、高専の烏まで愛しちゃってるかもしれない。野生なのか、冥さんの烏なのか、だとかは置いといて。
    「とっとこ悠仁くんには、僕を好ましく思ったり、意識した瞬間なんかがある筈なんだけど、どう? 僕のこと、意識とかしちゃってたりする?」
    「っあ……ぃや、……好き、とか、は、まだ、よく……意識、と言いますか、……」
     悠仁は膝を立てて、椅子の上で体育座りになった。顔を膝に埋めて隠している。その挙動だと、僕のことを意識していると白状しているようなものだ。僕は、竹串をマイクに見立て、さながらJリーガーにインタビューする敏腕記者の気分で、悠仁を追い詰める。
    「悠仁さん! 何か一言頂けませんか」
    「も~……、…腐った、ミカン、のこと、なんだけど」
    「うん?」
    「伊地知さんから聞いたんだ、五条先生、俺が死んでた時、マジ切れしてたって」
     悠仁は膝から顔を出したが、僕とは目をちゃんと合わせず、しどろもどろに喋った。
     伊地知曰く、私は五条さんとは、高専での先輩後輩と、仕事以上の付き合いは余りないんですけど、それでも見たことないくらいに、虎杖君が落命したことに、殺気を飛ばしていた、と。術師を志していたこともありますから、心得はあるつもりなんですけど、特級呪霊と相対したかのように、肌に殺気が突き刺さって、痛いくらいだったんですよ。マジビンタなんて言うし、もう私が殺されるんじゃないかと。――なんて、言っていたらしい。
     伊地知め、そんなことを僕の悠仁に洩らしていたのか。ここから出たらマジビンタの刑だ。マジのマジのやつ。
    「家入さんも、珍しく感情的だった、って言ってたって。俺それ、ちょっと見たい、なんて思っちゃった。死んでんのもったいなー、て。笑い話じゃねーよな、あはは」
     笑い話ではないのはマジだ。悠仁の死に、僕も、恵や野薔薇も、どれだけ憤り、悲しんだのか、自覚してもらいたい。
    「五条先生には夢があるって、聞いて。腐ったミカンを廃棄処分して、美味しいミカンだけにするんだって」
    「違うけどまぁ大体そんな感じ……自分の夢の話を人から聞かされるのなんか恥ずっ! 照れ隠しに伊地知マジデコピンしよ……」
    「カワイく言ってもパワハラはパワハラよ? ……大人でも、夢持ってるんだな、って、持ってていいんだな、って」
     悠仁の夢は、たくさんの人を助けて、大勢に囲まれて死ぬことになるのかな。どちらかと言うと、夢より人生の目標とか、到達点のような気がする。
    「五条先生は、俺が生き返ったの、喜んでくれてんの、すげーわかったよ」
     それから、なんか、五条先生と居ない時でも、五条先生のこと考えるように、なったと言うか。意識しちゃって。と、悠仁は言葉尻がすぼんでいく。
    「そっかそっか、そっかぁ!」
     僕は嬉しくなって、思わず椅子から立ち上がった。悠仁からの告白で付き合い始めたけど、意識し始めるようになったきっかけは、聞いたことがなかった。しかし、伊地知が恋のキューピットってやつになるのか? うむ、マジビンタは今回は見送っておいて、三割デコピンで許してやろう。
     僕は気分上々で、悠仁の膝の上に座った。発展途上である少年の胸板は、鍛錬がまだまだ足りないけど、背もたれには悪くない。椅子と僕の間に挟まれた悠仁は、棒に当たった犬のように吠えた。
    「ぎゃー! 重い! 五条先生重い! 潰れる! 苦しい! つか五条先生しか見えないんすけど!」
    「きゃっ、熱烈な告白だ!」
    「言葉通りの意味でしかないからな つかなんで背中向けて座るんだよ! 体格差考えろ!」
     悠仁は抗議のように、ぺしぺしと僕の二の腕を叩いた。悠仁の顔が肩甲骨の隙間に埋まって、呼吸の熱を感じる。脚の長さも決定的だが、座高の差もえげつないので、僕が悠仁の膝に座ると、悠仁が埋まってしまうのは自明の理だ。椅子は頑丈で、男二人乗っかっても、悲鳴すら上げなかった。
    「じゃあこれならいい?」
     体を一八〇度回転させて、悠仁と向き合う。酸欠か、悠仁は顔が赤らんでいた。しかし僕と目が合うと、更に頬の赤さを深める。
    「ち、ちょ……! せ、先生、で、でかい!」
    「一九〇あるからね」
    「近いし!」
    「僕らいずれ恋人になるんだよ? このくらいでテンパられたら困るよ」
    「……恋人、って、ことは、その……」
    「最強だけじゃなく、恋のAtoZまで教わってるか、聞きたい?」
    「言い方がえろおやじだぁ……」
    「未来のお楽しみ、ってことで」
     とん、と人差し指を悠仁の唇に当てて、僕の唇に、同じように指を当てる。内緒話をするように、しーっ、と息を吹き掛けた。
     うぅ、と前歯で唇を噛んで悠仁が唸る。
    「悠仁。僕達相性バツグンのカップルなんだよ、そう、まるで磁石のS極とN極のように。名前も、悟のSで、悠仁が……いたど……あ、名前にNねぇな……あー、Nを一音ずらすとMだし、悠仁ドMだし、ほら僕らピッタリっしょ」
    「いやなんも合ってねぇよ ……俺ドが付く程のMなの」
    「そこもまぁ、未来のお楽しみってことで」
     ただでさえ持て余し気味の長い脚を、ぷらぷらと揺らした。
     ――おかしくなりそうだ。
     考えすぎると頭がおかしくなる。時間の流れていないここでは。だから逃げるように、悠仁とくだらない会話を繰り返す。これで何回目だ。これが何百回目になる。何億回繰り返せば終わる?
    「五条先生」
     悠仁の腕が、深海から引き上げるように、僕の背中に回っていた。悠仁は不安げに、僕を見上げている。
    「ああ、なに、悠仁」
    「椅子から落ちそうだったから……五条先生、腹でも痛いん?」
    「……悠仁に抱き締めてもらったから、治った」
     抱き締め返すように、悠仁の背中に手を回す。炎に当たっていない側だから、少しだけ冷たかった背中だけど、抱き合っている内に、じんわり体温が上がっていく。
     お互い筋肉量が多いから、体温は高めの方なのだけれど、こうして温度を分け合っている方が、本当の体温なんじゃないかって思う。
     海辺でたゆたっているように落ち着く。揺りかごに揺られているように、穏やかな心地で目を閉じる。
    「五条先生ってさ、……心配いらない人だと、思ってたんだよ」
     俺の遺言、伏黒から聞いた? と悠仁が、僕の背中を軽く擦るように、優しく叩きながら訊く。
     遺言を遺した本人から、遺言の話を聞くなんて、変な話だ。
    「うん、ちゃんと聞いた」
    「死ぬ間際だったし、ちゃんと言い遺す暇もなかったから、きちんと言い直したい? と思ってさ、考えてたんだけど」
     晩御飯のメニューを講ずるような調子で、悠仁は言う。
    「――悠仁」
     少年の背中の服を、ぎゅっと掴む。気を抜くと、爪を立ててしまいそうだった。
    「ご、じょう、せんせ……?」
    「君の遺言を、恵がどんな顔で伝えて来たか、君にわかる?」
     ――今際の際で脅えに脅えていた、と。
     コイツは鈍いだけだと、価値はないと、そう宿儺に嘲られた。それでも、恵を、他の人間を死なせないように、悠仁自身が死ぬ為に、戻って来たと。
    「先生、お、怒って、る……?」
    「怒ってる僕を見たかったんだろ? 良かったね、喜びなよ」
     首がすげ替わるだけの意味の無い報復を望んだことも。君が眠りから醒めたように起き上がった時、僕がどれだけ堪らなかったのか。何の為に君に最強を教えたのかも。
    「死んで勝つと、死んでも勝つは、全然違う。確かに少年院で君は、『死んでも』勝った。でも、呪術師は、ホームラン一発かまして終わりじゃないんだよ、若人」
     悠仁はまだ高専生で、十五歳の少年で。今はまだ、数年先の将来さえ、想像出来ないかもしれない。僕もそうだったように。青い春がいつまでも、少なくとも、卒業まで続くと疑いもなく、信じていたように。
     誰にも奪わせない、若人の青春を、生徒の時間を、悠仁の人生を。悠仁自身にだって。
     喝を入れるように、悠仁の頬を両手で張った。本気でやったらただで済む訳がないので、一割程度の力に収める。しかし気持ちとしては全力でぶつけた。
     手を頬から離さないまま、むにゅっと頬を押し潰す。悠仁は痛みで涙目になっていて、頬肉を押し上げられているせいで、唇が突き出していた。
    「ご……、ごめん、ごじょーせんせぃ、無神経だった」
     怒ってる所を見たいと言ったことも、五条先生の気持ちを考えなかったことも。圧迫された頬のまま、悠仁がもごもご喋る。
    「謝るから、手ぇ、はなして……」
    「ん」
    「五条先生って、結構、相手によって態度と声色使い分けるよな。俺達生徒には割と朗らかでひょうきんだけど、伊地知さんには言い方キツいし、目上の人敬わないし」
    「無駄に歳食っただけで偉そうなジジイを敬う気はないからね」
    「なんか、こーやってちゃんと叱ってくれるの、生徒としてじゃなくて、きちんと『俺』と接してくれてる感じで、良いなって」
     痛む頬を押さえながら、悠仁は気の抜ける笑みを見せた。
     僕マジで怒ってたんだけど。なんて文句も萎んで消えていく。
    「怒ると叱るって違うじゃん? 爺ちゃんが死んで、俺にはもう、そうやってくれるひとは、この世に居なくなったって、思ってたから」
     西中の虎、なんて異名が付く程に喧嘩をしても、人を殴ったことを怒っても、何故それがいけないのか、悠仁を叱る人は居ない。
    「僕は悠仁の先生で、恋人ですから」
    「うわ、そうだった……やっぱマジなんそれ?」
    「マジマジ」
     桜の絨毯みたいな髪を撫で回せば、悠仁は恥ずかしそうに目を伏せる。
     悠仁は僕に撫でられることが好きみたいだけど、僕も、悠仁の頭を撫でることが好きだ。手のひらに馴染むまんまるい頭のかたちも、柔らかい桃色をした髪の感触も。
     下から生えている黒毛は、不思議と感触が違っていることも興味深い。刈り揃えられているうなじも、短い毛がつんと刺さって、撫でていると、この世のどんなものよりも癒される。
     頭を撫でられることに慣れていないのか、恥ずかしそうに俯いている。けれど、嬉しがっていることが伝わる、伏せられた瞼も、愛しくてならない。
    「五条先生。遺言のこと、なんだけど」
     悠仁が伏せていた瞼を上げると、短くない睫毛も上を向く。
    「また死んだりした時の為に、ちゃんとした遺言考えて、遺書とか遺そうかって考えてたんだけど。やめた」
     僕が口を挟むより先に、悠仁はきっぱりと言い終えた。
     そこには迷いもない、最強を乞うた時と同じように、強い目の光があった。
    「俺、もう死なない、死ぬ時は、もっとたくさんの人を助けて、助けて、助けた大勢の人達に看取られて死ぬ。それが、俺の正しい死になるように」
     今ここに居る、僕にとっては過去の悠仁は、まだ知らない。心がへしゃげるような重い任務も、救われる準備がない者には、こちらがどれだけ手を伸ばしても届かないことがあることも。
     死を乗り越えたって、死ぬより辛いことは、躓き転んでしまいそうに、世界中に這い回っていることを。
    「叱ってくれてありがと五条先生、俺、これからも間違えるかもしんないけど、先生が見てくれてると、嬉しい」
     大人の汚い世界が目に入らないように、その目を覆ってしまうことは簡単だ。それでも、僕が欲しい、強く聡い仲間が、独りにならないように。
     悠仁の露出している額から、前髪を手のひらで抑えて、唇を祈りのように押し当てる。
     一等愛しいこの子が、強く、望んだ道を進んでいけるように。
    「っ、せんせっ、む、婿入り前の体になにをーっ!」
    「責任は取りますからねー」
    「PTAに訴えてやるーっ!」
     椅子に座ったまま仰け反った悠仁を、今度は僕が引き寄せて抱き留める。椅子が後ろに倒れてしまわないように、足の裏で支えた。
     悠仁は怪獣のように暴れるが、僕に掛かればまだまだひよっこみたいなものだ。抱き続ければ、抵抗は無駄と悟って、大人しくなった。
     自分で寂しがりなんて言うこの子を、独りにしない為に。
    「こわくない、こわくなーい」
    「人のことを温もりを知らない怪獣みたいにあやすなよ」
    「うん、君は独りじゃないよ」
     この僕が居るからね、と抱き締めている悠仁の髪を梳く。
     僕直々に鍛えた悠仁の周りには、頼れる大人が居て、気の置けない友だちも、目を掛けてくれる先輩も居る。交流会で親しくなった京都校の友人も。この箱の外でも、何とかなっていると信じている。信じるしか、出来ないのだけれど。
    「ねぇ悠仁、競馬って、勝っても負けても悔しいじゃん。僕やらないけど」
    「んん? 負けたらそりゃ悔しいけど、勝っても悔しいって?」
    「ほら、勝ってもさ、もっと金額賭けてたら稼げたのに、って思うだろ」
    「あー! なるなる! それなるー!」
    「コンプラ抵触の悠仁くんだけど、金稼ぎの為にギャンブルやってるわけじゃないだろ」
    「やー、勝つと嬉しいよ」
    「呼び出しあったら、勝ってる台手放してすぐ来てくれるじゃん」
    「景品引き換えはしとくけどね」
    「パチンコやる人ってさ、純粋に金儲けでやってる人って、そんな居なくて、――時間潰しとか、居場所を求めてやってる人のが、多いんだって」
    「――」
     悠仁がパチンコを始めたのは、祖父に教えられたことがきっかけだけど、今でも続けているのは、悠仁の意思だ。呪術師の給金は、高校生がアルバイトをして得られる小遣い稼ぎとは、比べ物にならない金額がある。命を懸けているから当然だ。
     悠仁がパチンコに行く時は、映画までの時間潰しとかで行くことが多い。秤みたいな、骨の髄までギャンブラーなやつも居るけど。
    「そ……かな、俺――じぃちゃんが入院して、なんか独りの家が静かで。テレビ点けても余計に空しくなってさ」
     遠い故郷を懐かしむように、悠仁が目を細める。
    「パチ屋ってすげーうるせーし、目が痛くなるくらいに明るいし、人が近いから、さびしくならなくて……。そっか、俺、さびしかったんだな」
     さびしさを自覚しても、それを埋めてくれる家族は家に居ないし、病気の祖父に素直に甘えることも、出来なかったのだろう。
    「悠仁は強いから、さびしいって気持ちも自覚しないまんま、おっきくなったんだろうね」
    「かなしい怪獣みたいに言う」
    「僕は、そんなさびしい感情も理解しないまま暴れるさびしんぼを、独りにしない為に教師やってるからね」
    「それって、五条先生のこと?」
     矢がまっすぐ中心を射るように、悠仁の瞳が突き刺さった。
    「ごめん、なんとなく、そんな感じがして」
     誰も独りにしないと誓いながら、誰よりも独りになりたくないのは、自分自身だと。
    「――」
     ここで言葉に詰まれば、肯定していることと同じになるのに。
     喉に言葉がつっかえたまま、沈黙が続く。
     静寂を破ったのは、とても人体から発せられたものとは思えない音だった。
     ズギューン、グゴゴゴゴ。雷が鳴ったような音は、悠仁の腹から発せられていた。
    「……マシュマロ食う?」
    「食うー!」
     なんでもなかったように、なにも知らないように悠仁がはしゃぐ。その元気さが、目が痛む程に眩しかった。
     
    「泣かないんだね、悠仁って」
     火から程よく距離を置いて、ピンポン玉の大きさのマシュマロを焼く。
     僕は自分の椅子に戻ったが、空いていた隙間を詰めて、悠仁と肩がぶつかるくらいに椅子を寄せた。
    「泣いてたら、じぃちゃんにどやされるもん」
     悠仁はマシュマロの焼き加減に集中していた。
    「いいんだよ、泣いても。お祖父さんに内緒にしといたげる」
    「だから、泣かないってば……あ! 先生垂れてる垂れてる!」
     焼けたマシュマロが形を保てず、下から垂れていた。息を吹き掛けて冷まして、お腹ぺこぺこの悠仁の口許に運んだ。
    「あーむ……んまー! 人に焼いてもらったマシマロもまた違ったおいしさがあるなぁ!」
    「雛鳥みたいに疑いなく、人からの食べもの口にするよね悠仁は」
    「んー?」
    「お祖父さんに教えてもらったこと、だもんね」
     悠仁が食べて空になった竹串に、マシュマロを刺す。
     マシュマロが燃えてしまわない距離を保ちつつ、炎の揺らぎを見詰めていると、視線を感じた。悠仁が炎の煌めきを瞳に映して、じっと僕を見ている。
    「――五条先生、覚えてくれてたんだね」
    「ん? 覚えてるよ、お祖父さんからの、数少ない教えでしょ」
     それを聞いたのは、悠仁の祖父のお骨上げの時だった。
     
     *
     
     二人きりの拾骨室は、いやに音が大きく響いた。たった一人の遺族である悠仁が、火葬場で祖父の体が焼かれて、骨になったことを確認する。人が本当に死ぬだなんて、思いもせずに生きてきた、普通の男の子だった悠仁が、死を受け入れて、頼りない骨を拾い上げる。その横顔は、祈りのように唇を引き結んでいた。
     遺影はとても良い笑顔をしていた。実家の祖父の部屋を整理していた時、引き出しの一番上に入っていたというそれは、残された孫が遺影を迷いなく選べるようにした、祖父の人生最後の片付けだった。
    「がんこで、見舞いも誰も来ないし、友だちと映ってる写真もろくに残ってないのに。これを選べって圧がやべーよ」
    「君は、お祖父さんと仲が良かったんだ」
    「良かったって言えんのかな。どつき回された記憶が強いなぁ。親みたいに育ててくれて。居てくれてよかった、って面と向かっては言えなかったけど。教えられたことはセグよく見ろだとか、勝ってても引き際は見誤るなとか」
    「僕これでも教師やってんだけど、聞かなかったことにしとこう」
     カチャカチャと、無機質な音が、拾骨室に響く。箸が、焼けてぽろぽろ溢れる骨を拾い上げる音。遺族数人でやるなら、長時間は掛からないけれど、お骨上げをするのは悠仁独りだし、彼の祖父に縁もゆかりも無い僕がすることではない。僕はただ、距離を置いて見守るだけだ。虎杖悠仁は要監視対象である。けれど、見舞いにも、葬式にも、お骨上げにも、孫しか来ないし居ない。独りぼっちだなんて、さびしいじゃないか。
    「――思い出した。教えてもらったこと、まだあった」
     悠仁は、骨を足元から頭に向かって、順番に拾い上げている。顔のあった部分は、生前の顔の原型も残っていない。
    「ガキんころ。誕生日で、俺んちに友だちが集まって。スーパーの寿司だけど、あんま食べないごちそうだったんだよ。俺、調子こいてたなー。んで、トロを食べなよ、って箸で友だちから寿司をもらったんだ。それを俺も箸で受け取って」
     そしたら、爺ちゃんがやめろバカタレ、って急に怒鳴ってさ。悠仁は話しながら、静かに骨拾いを続ける。
    「渡し箸っつって、箸同士で食べもの受け渡すの、良くないんだって。だからって、理由も言わずに怒鳴るなってよな。誕生日パーティーなのに気まずくなるし。おまえのじーちゃんこえー、って友だちには言われるし。サッカーしたら空気流れたけどさ」
     怒られた記憶を思い出してか、悠仁は少しだけくたびれた顔をした。
    「で、後から知ったんだけど、渡し箸は、葬儀でやることだから、食事でやっちゃいけないんだって」
     逆さごとと言って、死を日常と切り離す為のものだ。それは生者の為でもあり、死者が迷わずあの世で過ごせるように、という願いが篭もったものでもある。
    「パチンコにも連れてくし、その癖鼻ほじってたら怒るし、だからかな、人前で、ちゃんとマナー違反を叱られたのって、その時だけだったから」
     悠仁は、最後の別れを惜しむように、ゆっくりと骨を拾う。
     葬儀は死者を弔う為のものだけど、生者がきちんと故人とお別れをする為のものでもある。
    「――あんがと、アンタが居てくれて、助かった。話聞いてくれるだけでも」
     この時はまだ、教師と生徒ではないから、悠仁は先生、とは呼ばない。
     そうして長い時間を掛けて、悠仁はひとりで、祖父のすべてを骨壷に収めた。お骨上げは一人でも、ここに居たのは悠仁独りではなかったと、悠仁がそう思えていたならいい。その横顔は、覚悟の定まった少年の相貌だった。
     
     ここからは、上京してからに話が移る。悠仁と野薔薇の、初めての東京での任務を終え、僕らは回転寿司に向かった。
     最初は玉子! と元気よく流れて来た皿を取る悠仁。生姜を確認する恵。一番高いネタをタッチパネルで注文する野薔薇。若者はこうでなくちゃね、と回転寿司を選んだ悠仁の選択に、僕は目隠しの下で、目元を綻ばせた。
    「あ、抹茶パフェも頼んどいて野薔薇」
     斜め向かいに居る野薔薇に注文すれば、ハァ? と言いたげな視線が返って来た。
    「自分でやれや! つか初手パフェってどんだけよ! 寿司屋よ」
    「いつもの銀座の寿司とやらだったら、どうしてたつもりなんですか」
    「いーなーパフェ! 俺も食いたい!」
    「虎杖も自分でやりなさいよ!」
     四人掛けの座席で、タッチパネルと回転レーン側に座っているのは、悠仁と野薔薇だ。野薔薇はさっさと自分の分の注文を終え、悠仁は、「五条先生は抹茶パフェね!」と僕のオーダーを承ってくれた。素直ないい子! と目隠しの下で目頭を熱くする僕。悠仁は苺パフェを頼むと、流れてくる寿司を、「これ食う人ー」と訊きながら皿を取った。悠仁自身も食べたくなったものを手当たりしだいに取るので、あっという間にテーブルが埋まる。
    「いい加減にしろ虎杖」
    「悠仁、おすわり」
    「もう座ってますけど!」
    「いなり寿司、伏黒の注文よね」
    「あ! 僕のパフェ来た!」
    「はいよ先生!」
    「ありがと悠仁!」
     僕は悠仁からパフェを受け取り、クリームを掬って食べた。普段和菓子ばかり食べている理由は、手を汚さず簡単に食べられるからだけど、甘いものは全て好物だ。回転寿司のスイーツもなかなかだね、と頬張っていると、視線が刺さった。悠仁がパフェを、口を半開きにしてじっと見ている。
    「はい悠仁、あーん」
     高専一年生って言っても、まだまだ子どもだなぁ、とスプーンにクリーム付き白玉を掬って、悠仁の口許に持っていく。恵と野薔薇は、うわぁと目を細めた。
     予想していたリアクションは、「もー先生ってば、さすがにそれはないってー」くらいのものだった。自分のパフェを直に分けるなんて、教師と生徒の距離感じゃないし、さすがに。クイズ番組風に、ききかりん糖選手権で、目隠しした悠仁に食べさせるみたいな、バラエティのノリなら有りだけど。
     しかし、僕は冗談のつもりだったのに、悠仁は、僕が差し出したパフェをてらいもなく口にしたのだ。
    「いやいや、アンタら、距離感バグりすぎでしょ。高専入学前からの仲なの? 抱き着いて頬ずりしたりさぁ」
    「釘崎、虎杖も大概だが、五条先生はこういう所がある」
    「入学前からちょっとした付き合いがあるのは、恵なんだけど、いつまでも親戚んちで初対面みたいな感じの距離感なんだよね~」
    「アンタの今までの言動行動をよく振り返ってください」
    「おいしー! 五条先生あんがとー! 俺のパフェも分けたげるな」
     悠仁は白玉をもちもち頬張り終えて、からりと冬の晴天のように笑った。
     恵と野薔薇は諦めたように閉口した。
     僕ははた、と思い至る。お骨上げで悠仁が話していたこと。渡し箸はいけないから、スプーンからそのまま食べたのではないかと。スプーンだから日本のマナーが適用されるのかは、まあここが日本だからでいいだろう。回転寿司だから、皿はたくさんあるし、取皿もあるけど、直が手っ取り早い、って言うのが、一番近い気がする。悠仁の性格は、大体把握できたし。
     悠仁の苺パフェも、悠仁に食べさせてもらう。「おいしー」「ねー」なんてやりとりをする。恵と野薔薇は見ないふりをして、雑談を始めていた。
     
     *
     
    「だから、まだ付き合っていない君でも、僕があーんをねだれば、食べさせてくれるってことだと思ってたんだけど」
     僕が話し終えると、悠仁は右手で口を抑えていた。耳がほんのりと赤くなっている。照れている時の癖だ。
    「五条先生って、結構、人のこと見てるね……」
    「生徒だからってこともあるけど、悠仁だから」
     いつから好ましく思っていたのか。その生き様は嫌いじゃなかった。宿儺の指を十分の一飲み込んでも自我を保っていられる。悠仁が完全に乗っ取られることはないだろう。
    「いや……君のことが、好きだからだね」
     悠仁が死んだ時に、どれだけの憤りを覚えたのか、生き返った時、どれほど嬉しかったのか。
     地下室で匿って、あの小さい空間で映画を観る時間が、ずっと続いて欲しいと思ったことも。
     今こうして、悠仁とふたりぼっちの箱庭で、終わらない時間に飲み込まれ続けていることも。
    「悠仁が好きだよ」
     瞬きの一瞬のような、人が生涯を終える百年のような、待ちぼうけて忘れ去られたような、孤独を過ごす。
     後悔は先に出来ないし、役にも立たないけど、こうして悠仁に気持ちを伝え続けたい。
     永遠のような刹那に呑み込まれ続けても。
     
     ――崩壊は、いつから始まっていたのか。
     ここには物理的な時間は流れていないから、今しがたのことかもしれないし、ずっとずっと前からだったのかもしれない。
     聞こえるはずもない、箱の外からの音がする。
     気泡がごぼり、と泡立っては、上昇していく。差し込むはずのない光の熱の錯覚がある。
    「……五条先生。俺が、先生のこと、意識し始めたきっかけは、未来の俺にはナイショにしといてね」
     僕にとっては過去の悠仁が、手をぎゅっと握ってきた。
     手の外周の差が広いから、悠仁から僕の手を握ると、包み込むと言うよりは、しがみつくような形になってしまっているけれど。手の力の入れ方は、倒れてしまった木を支え起こそうとしているような、確かな意思を感じた。
    「俺が先生を好きになった理由……わ、わかんねぇよ わかんねぇけど……きっと、五条先生が、五条先生だから、だと思う」
     僕よりずっと小さい手のひらが、銀糸をかき上げると、顕になった額に、ぎこちなく唇を落とした。それは祈りに似ていた。送別でもあり、挨拶でもあったのかもしれない。
     夢のような時間も、もう終わりだ。
     この箱から――、獄門疆から出る時が来た。
     獄門疆の外では、どれくらいの時間が過ぎたのか、見当もつかない。一瞬か、百年か、それとももっと途方も無い星霜か。
     この箱の中では、何とかなると、外のみんなに期待することしかできなかったけれど、ここを出て一番にやることは決まっている。ふざけた雑巾頭しやがって。親友の死もゆっくり悼むことさえできやしない。いや、それは呪術師みんなそうか。この子だって。
     祖父の死すら、静かに弔ってやれなかった。けれど、僕と居る騒がしさが、息抜きになっていればいい。七海だって、悠仁に必要なのは、僕みたいなやつだって言ってたし。もっと違うことを言っていたっけ? まぁ、馬鹿さが必要だってなら、どれだけだってやってみせるさ。修行中にちょっかい掛けたり、野薔薇のスカート履いたり、一緒にご飯食べたり。今ここにいる悠仁には、知るべくもないことだけれど。
     里桜高校での事件も、救えなかった母子も、殺す選択が日常に入り込むことになることも。
     渋谷のハロウィンで、僕が封印されることも。まだ呪術師として周りに認められていない、目の前に居る悠仁には。
     この空間は、僕の生得領域、心の中。
     獄門疆での永遠の時間から逃げるように作った、僕の中の世界。
     ここにあるものは、無量空処の領域内に残っていた情報を再現したものだ。
     領域展開についての課外授業で、無量空処を使った時に取り込んだ時の悠仁だ。
     その時点での記憶と人格がそっくりそのままある、悠仁そのものだ。僕も知らない、悠仁しか知らない記憶も持っている。
     だから二年生、パンダにもまだ会っていないし、交流会のこともまだ言っていない。重めの任務もまだ行っていないし、その先の出来事も、まだ何も知らない。
    「悠仁。好きになったきっかけ、聞かせてくれてありがとね」
    「ん――いってらっしゃい。五条先生」
     目覚めの時がやって来る。
     この箱を出た時、放り出される場所が何処であっても、いずれきっと、悠仁たちの処に戻って来る。
     僕にはまだまだやることが残っている。だから。
    「いってくるよ、悠仁」
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