焼きマシュマロパーティーする五悠「燃えてる! やべー! 火事だ! 火事んなる!」
慌てて火の玉を、手の中でわたわたと持て余す。長い串を左右に振り回して、ようやく燃えていた塊が鎮火した。
串に刺さっていたマシュマロは、やや焦げて、どろりとスライムのように垂れていた。
串から零れ落ちる前に、急いで悠仁は、焦げ茶色のマシュマロを口に放り込んだ。
「あっつ!」
悠仁はぎゅうっと目をつむって、左手で口を抑える。涙が零れそうで、溢れることはなかった。
ほんと悠仁は見てて飽きないなぁ、と僕は笑い、後の祭りの忠告をした。
「火に近付け過ぎると燃えるよ」
「んむぅ……早く言ってよ~ごじょーせんせー……ベロ火傷したかも」
悠仁が、べっと真っ赤な舌を突き出した。
炎なんかよりも熱そうで、悩ましげな形をしている。
「してないしてない、健康そのもの、元気百倍ゆじパンマン」
「そーぉ? しっかし、マシュマロって焼いたらデローってなんだね、焼きマシマロ俺初めて」
「ココアマシュマロもまた美味いよ」
「わー、悪魔の飲み物だぁ、夜更かしのお供だと万倍美味くなるやつぅ!」
喉元過ぎれば何とやらで、悠仁は瞳をきらきらさせていた。
「悟メシの時間だね! いや、五条クッキング……ごじょずキッチン……五条ズキッチンで行こう!」
僕は今までマシュマロは焼かず、火に当たって体を暖めていただけだったが、腕捲りして気合いを入れた。
台座を準備し、勢いが収まることのない火に、網を乗せた。怒りのように火の勢いが強まったのは、まぁ気のせいだ。
富士山型、と言うか富士山頭の形をしたキャンプ用ガスコンロは、火力調整に難があった。
手持ち鍋に、ペットボトルから水を入れ、沸騰したらココアの粉を混ぜる。ダマになると美味しくないので、しっかり溶かした。
牛乳、砂糖を投入すると、湯気がサングラスを曇らせる。
悠仁は肩を左右に揺らして、待ち切れない様子だった。キャンプ用の椅子がぎしぎし音を立てている。八十キロオーバーの悠仁の体重だって、優しく包み込む、作りの頑丈な椅子だ。
僕が調理の為に前のめりで座っても、安定感がある椅子で、背もたれもしっかりしている。
ご飯待ちのわんこが爆発する前に仕上げてしまおう。ステンレスマグカップにココアを注いで、マシュマロを手に掴めるだけ掴んで放り込んだ。
「お上がりよ! GTGの贅沢ココアマシュマロ今日だけゼロカロリーだ!」
ステンレスマグカップになみなみと注がれた、ココアの茶色が見えないくらいに、マシュマロが入っている。さながら雪原のようだ。
掻き混ぜるとマシュマロが蕩けて、とろりと渦を巻いてココアと混ざり合った。
「わー! うまそー! カロリー爆弾だぁ!」
「だからぁ、今日だけ何飲み食いしてもゼロカロリーだってば」
「そだった! ゼロカロリーココアマシュマロいっただっきまーす!」
悠仁はぐび、とマグカップに口を付ける。溶けていない塊のままのマシュマロは熱くはないが、下のココアは熱々だ。
「あちっ! うまっ!」
悠仁はべっと舌を出した。冷たい空気で舌を冷やして、ふうふうと息を吹き掛けながら、少しずつココアを飲んだ。
悠仁はにこにこと目を細めていて、そんな姿を僕も微笑んで眺めた。
僕はよく周りの人から、料理が出来なさそうだとか、フライパンを握ったこともなさそうだとか、適量をテキトーだと思ってそうアンタの人生みたいに、だとか散々な言われようをする。しかし完璧人間なので、この僕に出来ないことはない。
だが、他人の為にこのパーフェクトな腕を奮うことはほぼない。
だから今、初めて知った。自分の作った料理を喜んで貰えることが、こんなに胸をあたたかくするなんて。
「五条先生って猫舌?」
悠仁から疑問を投げ掛けられる。
ココアを飲まずにいたので、熱いから冷ましていると思われたらしい。
それもあるのだが、悠仁がココアを美味しそうに飲んでいる様子で、僕も味わっている気分になっていた。だから飲むことを忘れていたのだ。
「もうぬるくなってる?」
「んー、まだちょい熱いかな、俺はこんくらいが体あったまってちょーどいいけど」
悠仁は木製スプーンでココアを掬って、一息吹き掛けると、真っ赤な口の中に招き入れた。
「ん」
「ん?」
疑問符を飛ばす悠仁に向けて、口をぱっくり開いた。
「あーん」と強請るように顔を寄せれば、悠仁は「あーんしてくださいね~」と、丁寧にココアを掬った。
ふうふうと念入りに息を吹き掛けて冷まして、スプーンを僕の口の中に持っていった。
ココアの甘くて丁度良い熱さと、マシュマロのとろりとした口当たりが咥内に広がる。
「なんかわがままな子どもに薬飲ませてるみてぇ、おくすりのめたね~」
「偉いでしょ、もう一口」
「はいはい、あーんしてな~」
「うまー、我ながらサイコー」
僕は、悠仁の分のココアを、スプーンで飲ませて貰う。悠仁は自分のコップからぐびりと、日本経済の真逆をいくように景気よく飲んだ。
飲みやすい温度になっていても、僕は悠仁からココアを手ずから飲ませて貰う。子どもと言うより、親鳥から食事を啄んで食べさせて貰う、雛鳥の気持ちだ。
はぁっ、とココアを飲み干した悠仁は、気持ちの良い飲みっぷりをしていた。
赤い口から真っ白い息が上がって消えていく。そして少年には似つかわしくないものが、鼻の下に出来ていた。
「ヒゲ生えてるよ」
ココアとマシュマロが混ざった白いものが、勲章のように、上唇の真上にあった。
指摘すれば、悠仁は照れくさそうに、口の上を舐めた。
「貫禄を蓄えてたんだよ」
悠仁は照れ隠しか、飲み干したコップに口を付ける。無い中身を飲む素振りをしながら、上目遣いで睨んで来る。
虎の威嚇、と言うより猫が毛を逆立てているみたいだ。猫と言えば、熊猫――パンダって猫舌なのだろうか。
笑ってしまう口元を隠す為に、僕の分のコップに口を付けた。悠仁のものとは味が違っていて、高級角砂糖一箱を、三分の二入れている。
はぁー、と白い息を吐き出して、コップから口を離す。悠仁は僕の口元を見て、勝ち誇ったように口角を上げた。いたずらっ子の笑顔で、僕の鼻下を人差し指で拭う。
「五条先生も立派なひげ出来てんじゃーん、白髪だからサンタっぽーい」
住居不法侵入の上、不法投棄の世界中徘徊おじさんと一緒にしてもらいたくない。あと僕の髪は白銀とか雪のような髪とかの形容が相応しいだろう。悠仁が指に付いたココアを舐めるさまを半目で眺める。
「あっまー! なんっだこれ砂糖の塊舐めたみてぇ! み、水!」
僕にとっては最適の味なのに、僕の飲み物を飲んだ人間は、一律のリアクションをする。
「はい口直し」
「さんきゅ! ……これ五条先生のココアじゃん! 直されねえよお口! なんで同じもん渡してくんだよ! マックスコーヒーに同量の蜂蜜混ぜたみてぇな甘さの飲み物よく飲めるな!」
飲み物を心底欲していたらしく、渡されたコップを素直に飲んだ悠仁は、息継ぎを挟まずツッコミを畳み掛けた。流石僕の生徒、エムワン優勝も狙えるポテンシャルまであるか、と胸を張った。
ココアに使った牛乳が余っていたので、悠仁はパックに直に口を付けて、豪快に武将のごとく飲み干した。上唇に付いたひげを、これまた豪気に袖で拭うと、悠仁は僕を睨み付けた。子猫が威嚇する時みたいな、二本足で立って、前足をばんざいのように上げているポーズを連想する。かわいいなぁ、と僕は笑みを浮かべて、疑問を投げ掛けた。
「パンダって猫舌なのかな」
「うるさい知らん!」
悠仁はご機嫌ななめでそっぽ向いた。
なんか気になってしまった。パンダはカルパスをよく欲しがるし、棘に食べ物を食べさせて貰っているところを見たことがある。しかし熱いものは平気なのだろうか。夜蛾学長の呪骸だから何でもアリっぽいけど。
機会があれば鍋パーティーでも開こうか。悠仁の肉団子鍋を振舞ってもらいたいなぁ。地下室で振る舞われた、あの手料理のあたたかさが恋しい。夏の鍋も汗をかいて良いけど、秋の鍋も、秋風に冷やされた体があったまって、また格別だろう。
しかし隣の悠仁は、不機嫌に足を組んで、僕とは目を合わせてくれなくなった。
悠仁の機嫌が悪い時はどうしてたっけ。修行でよくちょっかいを掛けた時は、まともに会話をしてくれなくなったんだった。
ここは先人の知恵に乗っかろう。百グラム千円の高級米沢牛を取り出す。竹串に刺さるだけ刺した。
串に刺さる許容量はせいぜい四個だったが、持ち手を侵食する程に肉を刺し、贅沢牛肉串を作る。網で焼けば、たちまち香ばしい匂いが漂う。
悠仁の耳がぴくりと跳ねる。黄色の縞模様の虎耳の幻覚が見えた。天の岩戸が開き始めている。古事記の言うことに間違いはない。偉大な先人だ。ダメ押しと言わんばかりに、五条家秘伝のタレを掛けた。門外不出、レシピは秘密、製造年月日はゼロ日、つまり今日誕生したばかりの特製タレ。当主権限で、末代まで後継して貰おう。
引っくり返して裏面も焼き、タレを溢れんばかりに塗りたくる。網からタレが落ち、富士山頭のコンロに落ちれば、炎が巻き上がった。キレてるキレてる。カップ焼きそばのお湯をシンクに流し捨てた時の、シンクがへこむ音を聞く気分で、燃え盛る炎を眺めた。悠仁はと言えば、ごくりと生唾を飲みながら、恋をしているように、肉をじっと見詰める。
悠仁は肉の味を想像してか、マンガみたいによだれを垂らしている。
良い色に焼けた肉を、息を吹き掛けて冷まし、手元側から串を噛み、山賊のごとく豪気に食った。一気に口に入れた肉で、ほっぺたが膨らむ。噛めば肉汁が溢れ、咥内いっぱいに広がった。
網から焼けた牛串を掴めば、煙が仄かに立ち上がる。その様子を見て悠仁は、北極星のように瞳を煌めかせていた。
「うまそう! 食べたい! 食べていー」
「悠仁もう怒ってない?」
「ないない!」
「五条先生はイケメンで?」
「ある!」
「そんな僕を悠仁くんは?」
「カッコよしー! と思ってまーす!」
「よーし! 食ってよーし!」
「いっただっきまーす!」
待てをし続けた忠犬のように、悠仁は串にかぶりついた。僕と同じように一息に串の肉を頬張り、まるで頬袋のように、まんまるとほっぺたが膨らんだ。これから冬だし、冬眠に向けて準備するリスみたいだ。
思わず笑ってしまう。楽しい瞬間に時間は流れていない。この楽しい時間が続いている間は、しがらみも立場も、なにもかも考えないようにして、悠仁と笑いあっていたい。悠仁と火を囲みながら、肉を食べて談笑を続ける。
橙色の炎に照らされて、悠仁の琥珀の瞳がきらきら輝く。つくりものみたいに光る目が、笑顔で細まる。真顔の時は割と人相が悪い癖に、笑うと人懐っこくて、少年らしくけらけらと笑う。
僕も笑ったまま、悠仁に話し掛ける。
「しょっぱいもの食べると、甘いものが愛しくなるね」
「口ん中に砂糖がこびり付くみたいな激甘刺激物はちょっと」
「脳が回るよ甘いものは?」
「脳が融けそうなんすけど」
うげー、と悠仁が舌を出す。
僕が牛串を口許に差し出せば、悠仁は素直にぱくりと啄んだ。
無表情が地の顔なんだろうけど、笑った顔の方が悠仁っぽい。
「すきだよ」
手のひらに抱えていたものが、するりと溢れたような声が出る。
僕の言葉を聞いた悠仁は、屈託のない表情で、
「俺も好きだよ」
と潤んだ唇で言葉を紡いだ。
どきどきと心臓が暴れる。手を伸ばせば触れられる距離にある、炎よりよっぽどあたたかい笑顔に、触れたくてしょうがない。まるでこちらの心までとかしていくようで、指先に血が通っていく感覚で痺れていく。
「だからもう一口ちょーだい」
あ、と健康的な口蓋垂が、炎に照らされる。
虫歯一つない綺麗な咥内がくっきりと見える程に、悠仁が大口を開いた。
ああ、そういう。ほんのり焦げた牛串を差し出せば、悠仁はおっきな口を開けて肉を咀嚼した。
「んまー! ほっぺた落ちそー!」
言葉の通りに頬が転げ落ちてしまわないように、悠仁は手のひらで頬を覆っていた。
「今の所はそのあざとさで見逃してやろう」
今の所は、と繰り返して強調する。
不穏さを漂わせる僕に、悠仁はと言えば、「せんせーなんか言ったー?」と小首を傾げた。
「あざといってのはさ、自覚したそれと、無自覚とじゃ別物なんだよなぁ、自称天然と言う名の養殖と、マジモンの天然ちゃんくらいに」
「アイドルの話? 高田ちゃんはキャラ作りじゃなくて、本物だと俺は思うな」
「ラブコメ主人公みたいな鈍感さまであるとか属性盛りすぎだろ」
たんとお食べ、と僕はまた牛串を悠仁に食べさせた。
米沢肉の美味しさに、悠仁は虜になっている。そのあざとさと、かわいさで許してやろう。今だけは、だけど。
好きな子がお腹いっぱい、好きなものを食べている姿を眺めているのは、とても幸福な時間だった。