Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    lavender_queer

    @lavender_queer

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 4

    lavender_queer

    ☆quiet follow

    タル鍾ワンドロワンライ「ありがとう」
    タルくんが先生から貰ったお箸を捨てられない話。

     北国銀行の一室、タルタリヤは珍しく机に縫い付けられて仕事に励んでいた。
    北国銀行はテイワット大陸の各地にその支店を持つ。そのため、派遣任務の多いファデュイの拠点としての機能も与えられ、執行官には長期の滞在をも耐えうるように立派な執務室と寝室が用意されていた。タルタリヤが慣れない書類仕事に頭を悩ませているのは、その執務室の方であった。
     こんな文字の羅列と戦うのなんて、まるで自分の趣味ではない。ファデュイというスネージナヤの軍事組織に入ったのも、血の香りと極限に対峙する快楽とに彩られた戦闘に明け暮れるのが主な仕事であったからで、ペンで戦うためではない。
     はあ、と何度目か分からない溜め息を吐く。くるくると指先で弄ぶだけになっていたペンを置き、泥を詰め込まれたように重くなった頭をそのまま机上に預ける。こんこん、と上質な木の扉を叩く音がしたのは、丁度その時だった。ああ、どうぞ、と休ませたばかりの頭を起こし、来訪者を招き入れた。
     扉の向こうから姿を現したのは、この璃月にある北国銀行の受付係であるエカテリーナだった。食事を乗せた盆を持っている。
    「公子様、昼食をお持ちしました」
    「ありがとう……って、もうそんな時間か」
    「お仕事は進みましたか?」
    「ご覧の通りさ」
     ただ乱雑に積み重ねられた紙の山を指し示してみせる。エカテリーナはさしたる驚きもなく、まあ、と感嘆してみせながら、タルタリヤの前に昼食の盆を置く。何処かの店に頼んだものらしく、豚肉の唐辛子炒め、四方平和、それに蒸し物が何品か付いていた。
    「わお、今日はやたらに豪華だね」
    「公子様には速急に今の仕事を片付けて頂かねばなりませんからね。ここ数日、公子様がお籠もりになっていらっしゃるので片付いてないものが沢山あるんですよ」
    「俺だって一刻も早くこんな部屋から出たいよ。毎日椅子に縛り付けられてまるで拷問さ」
     軽口めいた愚痴をこぼしながら、タルタリヤは食事に手をつけようとした。だが、添えられていたのは、使い慣れたフォークやスプーンではなく、苦手な箸だった。
    「エカテリーナ、フォークを貰えるかい」
    「あら、私としたことがうっかりして……失礼しました」
     そう言ってエカテリーナは部屋を出て行き、フォークとスプーンを片手に戻ってきた。
    「ありがとう、やはり使い慣れたこれがいい」
    「おや、公子様はもう箸の練習はお止めになってのですか? ほら、鍾離先生という方から頂いたという見事な箸をお持ちだったではありませんか」
     フォークを口へ運ぼうとしていたタルタリヤの手が止まる。ああ、と唸るような声が出た。途端、部屋の空気が張り詰める。傍に佇んでいたエカテリーナが身を硬くしたのが気配から伝わった。タルタリヤはフォークを皿に置き、にこやかな笑みを顔に貼り付けた。
    「ああ、あの箸ね。豪華なばっかりで重くて使いづらいからさあ、骨董屋に売り払ったよ。全く、鍾離先生も少しは実用性ってものを考えてほしいよね」
    「……そうでしたか。あんな綺麗なお箸でしたのに残念でしたね」
    「本当だよ。だから、箸の練習は暫くお休み」
     会話に一旦区切りがつくと、エカテリーナはまた後で食器を下げに来ます、と言って部屋を出て行った。重厚な扉が開いては、ゆったりと閉じていくのをタルタリヤはじっと眺めていた。
     食事をあらかた食べ終えた後、タルタリヤの足は隣接する寝室へと向かった。物に執着しない性格であるから、この部屋に持ち込んでいる私物は僅かだ。私物を放り込んでいる棚の引き出しを開けると、中には大したものは入っていない。だが、その中でも一際目を引くのが、細長い、黒い漆塗りの艶やかな箱だった。長らく触れていなかったそれを持ち上げ、中身を見てみる。そこには、やはりあの日――鍾離が全ての真相を語った日――のまま、一組の箸が収められていた。
    ――さんざん俺を騙してたのに、何も言ってくれないの?
     あの日、怒りとも悲しみとも判然としない感情の渦に呑まれながら、一度は部屋の屑籠に放り込んだ。けれども、夜には気になって眠れず、他のごみを払いのけながら、拾い上げてしまった。
    高価だからというのではない。また、鍾離が贈ってくれたものではあるものの支払いは北国銀行が持っている。だが、別にそれが惜しいわけでもない。あの目の肥えた鍾離が気に入るほどの上質な品物である。骨董屋でも何でも持っていけば、それなりの金は戻ってくるだろう。問題はそんなことではなかった。
     本来なら捨ててしまっても良かったものを、捨てるべきものを、未だにこうして付属の箱に入れて大事に持っている。書類仕事と同じように、物に思い入れを持つなんて、全く柄ではない。これまで「恋人」を名乗る人間たちから贈られてきたものだって、気に入ればその時は使って、別れれば、その日に何の未練もなく捨てて来た。その自分が、たかだか会って数か月の、それもただ食事を共にする程度の男から貰ったものを捨てられない。その滑稽さに、腹の底から可笑しさがこみ上げてくる。
     いい加減、やはり捨ててしまおう。
     捨ててしまった方が、自分らしく居られる。



     璃月港は、昼の活気に満ちていた。屋台の掛け声、子どもたちの駆けまわる楽し気な様子、漫談師の熱の入った語り――その喧騒に混じって、微かに波の音が響いていた。
     タルタリヤはやるべき仕事を放り出し、以前鍾離に教えてもらった骨董屋へ向かっていた。エカテリーナがあのいかつい仮面の下で眉を顰めている気配は感じたが、仕事をするにも新鮮な空気を吸わなくちゃね、と言い残して北国銀行を後にした。
     骨董屋までの道のりは、そう簡単ではなかった。何しろ初めて行く店であり、鍾離に場所を教えてもらったのも随分と前だ。何となくあの辺りだろう、という目星をつけては、外れを引いている。普段の自分ならば、人に道を尋ねて最短の効率で目的地に向かうが、今日ばかりはなんとなくそんな気分でもなかった。
     結局、璃月港をぐるぐると練り歩いている。その道中、タルタリヤは鍾離と食事を共にした幾多もの店の前を通ることになった。瑠璃亭、新月軒、万民堂、三杯酔。どこも鍾離と何度も訪れては、料理と酒とを楽しんだ店だった。
    「ここも箸しかないの?」
    「璃月の美食を楽しむには、箸の練習をした方がいいぞ」
     万民堂でそんな会話をしたのは、記憶に新しい。鍾離から箸を贈られたのは、その数日後だった。公子殿に似合いのものを見つけた、という言葉を添えられて渡されたのが、いまタルタリヤが懐に抱いている漆黒の箱に収められた箸だった。
    「公子殿の箸の扱いが上手くなれば、美食を味わうのに集中できるからな」
    「それってさあ、俺ともっと一緒に食事したいってこと?」
    「まあそういうことだ、言葉にすると無粋だがな」
    「俺がモラを払うからじゃなくて?」
    「はは、まさか。俺は公子殿との食事を気に入っている」
    「へえ、ありがと」
     普段振りまいている愛想の鍍金が剥がれてしまったのは、感情を取り繕うまでもなかったからだ。何故だか、家族以外の人間から贈られたもので一番嬉しかった。一体どうしてなのだろう。
     これまでも「恋人」を名乗る他人から様々なものを贈られてきたはずなのに。その「恋人」たちに大して思い入れが無かったと言えば、それまでだが、そればかりでも無いような気がした。「恋人」たちからの贈り物は、タルタリヤの生活に自分を割り込ませるためのものだった。自分に思いを馳せてもらうための、よすが。だから、過去に贈られたもので、使い勝手がよく気に入っていたものも無くはなかったが、別れた時に捨てるのはもうその相手のための場所を、自分のなかに割かなくていい爽快感を伴っていた。
     それに対して、鍾離はどうか。結局は食事の誘いであるから、タルタリヤに時間を割かせるものには違いない。けれども、それは行ってもいいし、行かなくてもいい。鍾離がタルタリヤの人生に割り込むというよりは、タルタリヤが鍾離の生活に紛れこむ権利を与えられたようだった。二人で快い時間を作り分かち合うための、そのひと時へ行きつくための通行手形のようなものに感じられた。だから、使ってもいいし、使わなくてもいい。鍾離はただ茶でも飲みながら、タルタリヤの気分を風と同じように眺めているだろう。つまり、自己愛の期待を纏わない、安らかな贈り物だった。
     自分の感情の正体を掴んだ時、眼前の男にこれまでとは少し異なる印象が芽生え始める。明らかに上流階級なような気品と教養を纏いながら、モラ一つ持たない好奇心をそそる男。無論、その根本の印象は変わらない。だが、そこへ妙な安堵と信頼が混じり始める。空や海、あるいは聳え立つ山岳に相対する時に覚えるような感覚とどこか似ていた。
    「先生、あのさ、」
    「なんだ、あまり好みの意匠ではなかったか?」
    「いいや、そんなことない。……ありがとう、大切にするよ」
    「少しは箸が上達すると良いな」
     琥珀の双眸が、穏やかに細められる。やはり何処か石珀という鉱物に似ている――と思いながら、贈ってもらったばかりの箸を手に持った。ぎくしゃくした箸遣いを、鍾離は茶を啜りながら愉快そうに見ていた。その時味わった空気は、遠く寒い故国で暖炉を囲んだ、いつかの日をタルタリヤの脳裏に呼び起こした。

     *

     タルタリヤは、ふと足を止めた。やはり売る気分ではなくなってしまった。
     結局、この箸を捨てる捨てないの問題ではないのだ。全く、人を騙しておいて謝罪も弁明も一つも無しなどありえない。悪いことをしたら謝る。これはタルタリヤが人生で最も大事にしている信条の一つであり、世界の真理でもある。だから、騙されていたことに矜持を傷つけられもしたが、とどのつまりは、あの時の鍾離の態度がタルタリヤの素朴の倫理観に応えてくれなかった怒りなのかもしれない。
     はあ、と午前とは異なるものが込もった溜息を吐く。自分は結局拗ねているだけなのかもしれない。まるで子どものようだとも思う。鍾離のことを、そしてこの箸のことを考えた時、胸のざらつきは拭えない。けれども、怒りに任せて捨てた先にあるのは、爽快感よりも後悔のように思えてならなかった。
    ――今の仕事が終わったら、久しぶりに往生堂を訪れてみようか。
     そうと決まれば、暫くしていなかった箸の練習をしなければならない。今晩の食事は箸で食べてみよう。明日も明後日も、そのまた次の日も。鍾離がどんな顔をするのか、悪戯を仕掛ける子どものように、タルタリヤの胸は弾んだ。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤❤❤👏👏💖😭👍❤💕💖💘💘☺👍💕💞💞💞
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works