夜。自室のドアを開いた晶はハッとするように口元を手で抑えて固まった。少し迷うように視線をうろうろさせてぎゅ、と目を瞑り、よし、と小さく声を出して訪問者、ミスラを鋭く見据えた。鋭く、といっても晶の中で比較的、のレベルであり、ミスラにとっては誤差だった。
「なんです? 賢者様」
ほら全く響いていない。晶はめげそうになる心を叱咤して、ミスラを部屋に入れた。扉が閉まる。晶は失礼します、と丁寧に断りをいれてから、上の方にあるミスラの両肩を掴んだ。ぐ、と押す。
悲しくなるほど動かなかった。
「? どうしたんですか、さっきから。それより眠いんですけど」
「わ、わかってます!あの、ミスラ、1歩下がってもらえますか……」
「はあ」
もた、とミスラが1歩下がる。こんな情けない手を使うのは悲しかったが、男女の体格差はしょうがない。特にミスラは大きいから。今入ってきた扉のすぐ前に立ったミスラは訝し気に晶を見下ろしている。以前ならこんな茶番に応じずにベッドに連行されていたはずだから、伊達に恋人ではない。付き合いだしたのはつい最近だが。
思い切りいけ、真木晶。そう己を鼓舞して、夕食時に西の魔法使いたちにもらったアドバイスを反芻した。
右足で床を蹴る。そうして晶は目の前の胸板に思い切り抱き着いた。全力でいったので、さすがのミスラもぐらりと後ろに傾いで扉に背をつく。晶の頬に胸板の素肌がわずかに触れる。ふわりとミスラの匂いが鼻孔を通っていった。腕もちゃんと背中側に回したので体の厚みを感じる。がっしり体型ではないと思っていたが、それでも想像以上に厚みがあった。
一方のミスラは突然胴を捕捉されて、そして何も言わない晶に困惑していた。
「ちょっと……どうしたんですあなた」
「はッ、すみませんミスラ! その、迷惑でした、よね?」
慌てて胸板に顔を寄せていた晶が体を離す。なぜかどんよりしていた。
「いえ、迷惑ではないです。いい気分でしたよ」
困惑はしたものの、晶の体の柔らかさ、体温を感じられる機会は多いほど良い。
「その、壁際に追い詰めたらいいんじゃないって言われたんですが、その先を考えてなくて……」
「は? 誰に?」
「あああ違うんです! その、私が相談したんです。少し、……関係を、すすめたい……な、って」
言っていて恥ずかしい。晶の顔がどんどん熱くなる。ミスラをちらりと見上げると珍しくも、微笑みを浮かべていた。ただし、少し意地が悪そうな。
「つまり」
ひょい、とミスラが晶を抱える。数歩歩いて、ベッドにぼすんと晶を放り出した。その晶の足を跨ぐようにミスラもベッドに乗り上げる。じり、と寄ってくるミスラに晶が少し下がる。ベッドサイドの壁に背中がついた。ミスラの肘が晶の肩のすぐ上の壁につく。晶の顔を覗き込むようにミスラが首を傾げた。上機嫌に眼が細くなっている。
「こういう風に迫る気だったんですか?」
「そ……あは、慣れてますね、ミスラ」
「初めてやりましたけど。人を節操なしみたいに言わないでください、失礼な人だな」
文句を言いつつも楽し気だ。晶はあれこれ思いついたことを並べ、ミスラもそれに応じたが、確実に距離は縮められていて。そして。
「そういえば明日天気が」
「だまって、晶」
ちゅ、と濡れた音がした。