約束 俺が、最後だと思っていました。だけど座敷にはふたりの姿しかなく、座布団は二枚残っていました。なんだか据わりの悪いような思いがして、俺たち三人は残りのふたりを待つつもりでしたが、店員が食事を運んで来てしまったのです。まだそろっていないので待ってくれと友人は言いました。しかし、先にはじめておくよう言付かっていると聞き、それならばと腑に落ちないまま乾杯しました。俺たちは、小学生のときによくつるんでいた友達同士という間柄です。同窓会というほどのものでもないですが、思い出話でもしながらしみじみ酒を呑むような座を期待して集まりました。全員そろわなかったことや、ひさしぶりの再会ということもあって、はじめは随分ぎこちなかったです。でも、うまい飯や酒の力もあり、俺たちは次第に童心に帰って打ち解けていきました。それからどのくらいの時間が経ったでしょう。遅れているふたりは一向に姿を見せませんでした。共通の思い出も語り尽くしてしまっており、俺たちの酒の肴は自然とこの場にいない人間の話になりました。そういえば俺、このまえ接待でカブキ町に行ったんだけどさ。あいつ、いまホストやってんだぜ。ナンバーワンだって。でけぇ看板の前で写真撮ったわ、と友人が笑って言いました。伊弉冉のことです。昔から、きれいな顔をした男でした。黙っていると冷たい印象を抱くほどで、同級生の誰とも違う独特の雰囲気をまとっていましたが、その実とても明るくて気のいいやつで、クラスの人気者だったことをおぼえています。ふと、伊弉冉の名前でひとつ思い出したことがありました。
俺、伊弉冉んちで座敷童子見たことあるんだよ。俺がそう言うと、ふたりは馬鹿にしたように笑いました。酔っぱらいの妄言だと言われました。いいから聞けって。むきになった俺は、適当にあしらわれつつも話をはじめました。一度だけ、家に配り物を届けに行ったことがあるのです。いわゆる日本家屋というやつで、とても立派な門構えの大きな家でした。俺の部屋より広い玄関に上がると、家の人は伊弉冉の部屋の場所を教えてくれました。石灯籠や鯉の泳ぐ池のある中庭を横目に、緊張しながら長い長い廊下を行きました。人のいないがらんどうの部屋ばかりで、すこし怖かったのです。部屋は二階でした。たどり着いた部屋の障子戸を開けると、そこには伊弉冉ではなく、退屈そうに金魚鉢を眺めている赤い振袖の子どもがいました。同い年くらいだったと思います。俺たちは互いに驚き見つめ合ったまましばらく動けませんでした。先に口を開いたのは俺です。家の雰囲気と和装の出で立ちを見た俺は、その子に座敷童子だと言ったのです。
「ええ・・・」
座敷童子のいる家は裕福になる。それだけ知ってた俺は、一日でいいからうちにも来てほしいとお願いしました。しかし座敷童子は首を横に振りました。早く出て行ったほうがいいとさえ言いました。納得がいかなかった俺は食い下がりました。ちゃんとおもてなしするし、伊弉冉よりたくさん遊んでやるし、なによりここはもうじゅうぶん裕福じゃないかと。
「俺がいたところで、良くも悪くもならないよ」
伊弉冉の部屋には、きれいなものや遊び道具がたくさんありました。読みきれないほど本がありました。座敷童子は、もうずっとここにいるのだと言っていました。そんななかに在りながら、どうしてかとても寂しそうでした。金持ちの伊弉冉は、ほしいといえばなんでも買ってくれたでしょう。食べたいものはなんでも食べさせてくれたでしょう。贅沢なやつです。富をもたらす幸運の妖怪ですから、それくらいしてやるのが当然なのかもしれませんが。それでも満たされないというのなら、この座敷童子にとっての贅沢とは、富とは、なんだったというのでしょう。たとえばこのとき俺が無理矢理に連れて帰ったとして、一度でもこいつを笑わせることができたでしょうか。
「おまえが望むものを、俺は与えてやれない」
伊弉冉は、座敷童子に何を望んだのでしょうか。それは与えられたのでしょうか。やっぱりこの家が答えなのでしょうか。だとしたら、俺にもくれたっていいじゃないか。言っている意味が分からないでいると、ふいに座敷童子の顔がほころびました。笑ったのです。俺の向こう側を見て。振り返るとそこには、伊弉冉が立っていました。届けてくれてありがとう。それだけ言うと、伊弉冉はあれこれ理由をつけて俺を玄関まで連れて行きました。伊弉冉は誰にでも優しくて、元気で明るくて、クラスの人気者だったけど。さよならと言ったそのときだけは、背筋が凍るほど冷たい顔をしていました。
話し終わった俺に、ふたりは座敷童子がかわいかったかどうか尋ねてきました。そしてようやく気がつきました。俺、おぼえてない。黙っているわけにもいかず、かわいくなくもないけど男だったことを伝えると、大袈裟なくらいがっかりされました。俺は忘れてしまった座敷童子の顔を思い出そうとしました。どこかで見たことのある顔だった気がするのです。顔が変わっていなければ、ひと目見ればあのときの座敷童子だと分かる自信がありました。座敷童子が大人になるのかどうかは分かりませんが。ふたりは既に、次の話題に移っていました。そういやあのとき、行方不明事件とかもあったよな。あったあった。誰がいなくなったんだっけ。もう忘れたなぁ。あ、キャンプでの肝試しやばかったよな。ていうかおまえが片思いしてた委員長もう結婚してるんだぜ。はじめて子どもだけで映画観たのがおまえとだったよな。ふたりは俺の話などもうとっくに忘れていました。薄情なやつらです。俺はため息をついて時計を見ました。集まってから二時間が経とうとしていました。ふたりはまだ来ません。俺は誰と誰が来るのか知らなかったし、連絡が取れるなら取りたかったこともあり、友人たちに名前を尋ねてみました。
えっ、俺も知らないけど。
俺も、おまえらが知ってると思ってた。
ふたりとも、知りませんでした。
みんな神妙な面持ちで黙りこんでしまいました。寒々とした嫌な空気にふるえました。この場をなんとかしたいと思った俺は、会費だけでも集めておこうと提案しました。ふたりも努めて明るく乗ってくれましたが、テーブルにお金を出し合ったあと、途方に暮れてしまいました。
俺たちは、これを渡すべき幹事が誰なのかも分からなかったのです。
果たして俺たちは、いったい誰に集められたのでしょう。掛け時計のカチカチ鳴る音だけがうるさいほど響くなか、俺はあの日の別れ際の出来事をふと思い出しました。人当たりのいい伊弉冉がいきなり不機嫌をあらわにして冷たくなったのは、きっとこれが原因です。玄関に俺を連れて来たあと。しとやかに微笑んで別れの言葉を口にしようとする伊弉冉の脇をすり抜けて、座敷童子が俺に耳打ちしたのです。
「もしもおとなになってもおまえが俺を忘れていなかったら、そのときは俺と遊んでくれよ」
そして、襖が静かに開かれました。
(20220226 約束/座敷童子、あるいは)