終末は晴れるでしょう一:
シンジュクの一等地に建つマンションの一室。ここが私の新たな職場であり、居住地であり、管理対象オブジェクトの特殊収容施設だ。
私はもともと財団の支社で働いていたのだが、新しい上司から辞令がくだり、本社に異動することとなった。いわゆる栄転だ。しかし素直に喜ぶことはできなかった。いくつか腑に落ちない点があったからだ。もしも私の身に予期せぬなにかが起こるとすれば、それはオブジェクトの引き起こす事象が原因ではないかもしれない。
私の仕事は、エンジニアたちの依頼による収容設備の調整や計画の考案。そして、前任者から引き継いだSCP-123の収容維持だ。報告書で確認したところ、SCP-123とはとても美しい顔をした男性の人型実体だった。彼は社会生活に適合し、みずから衣食住をまかない、だれにも依存せずに暮らしている。良好な人間関係を築いており、留意すべき問題行動も報告されていない。趣味の料理や釣りを楽しんだり、車を運転したり、植物を育てたりすることもある。人並みに笑ったり怒ったりもする。目視や接触で予期せぬ事態が引き起こされることはない。ヒプノシスマイクの利用による異常性への影響も見られない。ひとつ問題があるとすれば、彼をめぐってしばしば女性たちの対立が発生することくらいだ。つまり、ほとんど我我とおなじどこにでもいる「ふつうの人間」といって差し支えないのだ。その異常性が発現するのは、心的外傷が刺激されたときだ。つまり、特定条件下以外で女性を近づけなければ収容違反にはならないのだ。ただ、安定した収容を維持するために要求されたことがもうひとつある。SCP-123と友達になること。簡単だが、私にはひとつ気がかりな点があった。私に仕事を引き継いだ者の言葉だ。彼はとてもあおざめた顔で「なかよくなれば、たとえあなたでもきっとうまくいくと思います」と言っていた。私はそれほど人付き合いが不得手に見えただろうか。それとも別の意味があったのだろうか。ちなみに彼は前任者の同僚だ。私は前任者の顔を知らない。前任者が直接仕事を引き継がないのは、この世界ではままあることだ。おそらく死亡か行方不明、発狂して口が聞けなくなったというところだろう。しかし前任者の同僚によると、なんとただの解雇だという。理由を尋ねてみたが、だれも知らないのだそうだ。日頃の素行に問題はなかったし、仕事でもきっちり成果を出していたし、反りの合わない上司ともなんとかうまくやっていた。解雇に繋がるようなトラブルとは無縁のはずだった。とてもじゃないが納得がいかなかったし、本人を慰めてやりたい気持ちもあって連絡を取ろうと試みたが、今日まで音信不通なのだという。SCP-123と二十年以上の付き合いがあったという前任者から、ぜひ直接なかよくなるコツを聞いておきたかったが仕方がない。【データ破損】、あなたがいまどこでなにをしているかは分からないが、どうか息災であることを祈っている。
玄関の扉を開けると、そこは至ってふつうのマンションの一室だった。土間には一組の革靴がきれいに揃えられている。端に寄せてあるのは、おそらく同居人だった前任者のためだろう。私はそこに靴を脱いで上がった。そして短い廊下を行き、リビングの扉を開けようとした瞬間、ドアノブが勢いよく動いた。
「【データ破損】!おかえ、り・・・、あんただれ」
SCP-123だった。
彼は笑顔で扉を開けたが、私の顔を見るなり警戒心をむき出しにした。
「はじめまして、SCP-123。今日から私が」
「【データ破損】は?」
それは、前任者の名前だった。SCP-123は明らかに動揺している。まるで私がここへ来ることを知らなかったような反応だ。前任者はSCP-123に自分が解雇されたことを告げずに去ったのだろうか。二十年以上もの付き合いがあったにしては、あまりにも薄情すぎる別れだ。
やはり、どうもなにかがおかしい気がする。前任者の解雇も私の栄転も、なにかべつの██のために█組ま█たことのように思える。
「答えろよ。【データ破損】はどこだ」
SCP-123は私を怒りと猜疑心に満ちた眸で見つめている。もしかすると、前任者がいなくなったのは私が彼に危害を加えたせいだと考えているのかもしれない。胸ポケットにしまっている麻酔銃が重みを増した。SCP-123は極めて温厚な性格だと聞いているが、暴力を振るわれたりヒプノシスマイクを向けられたりする可能性はゼロではない。それでも、収容違反が発生するよりはマシだ。
「心配なんだ。おとといから帰ってこないんだよ。なにかあったのかもしれない。【データ破損】が、俺っちになんの連絡もなしにいなくなるわけない」
ふいに、気が遠くなった。身体じゅうの細胞がばらばらになって、私が私でなくなっていくような感じがした。眩暈にふらつく足を立たせて、思わず自分の四肢が無事であることをたしかめる。
「なあ、教えてよ」
「お、落ち着いてくれ、SCP-123」
「あんたはなんのためにここへ来たんだ」
「・・・それは」
「俺っちの【データ破損】はどこへ行ったんだ」
「前任者は、もう」
「【データ破損】はどこへ行ったんだ!」
私が前任者について知り得たことはわずかだ。オーバーワークが原因で病気がちであること。救いがたいほど悲観的な性格で、場合によっては逆上すると手がつけられなくなること。SCP-123以外に友人はいないこと。財団職員であることを除けば、【データ破損】自身はどこにでもいるふつうの人間とさほど変わらない。しかし、私は決して彼の代わりにはなれないのだと思った。事前に報告書で把握したSCP-123の交友関係のなかにも彼の代わりはいないし、これからさき現れることもないだろう。SCP-123にとって、【データ破損】はかけがえのない存在だったのだ。「なかよくなれば、たとえあなたでもきっとうまくいくと思います」。そう口にしたとき、引き継いでくれた者は今にも卒倒しそうなほど青ざめていた。同僚として【データ破損】の近くにいた彼は、最初からそれが分かっていたのかもしれない。
安定した収容を維持するために要求されたこと。私には、全うできそうもない。
SCP-123の【データ破損】に対する執着はふつうではない。とても嫌な予感がする。
ふと、ありえない考えが私の脳裏をよぎった。
信じたくはないが、まさか、私が目を通した報告書は。
「・・・前任者は出張でしばらくここを離れることになったんだ。じきに戻ってくる」
SCP-123の報告書は、おそらく何者かによって改█されたものだったのだろう。異常性が発現する条件は、心的外傷が刺激されることではない。私の予想が正しければ、█████だ。【データ破損】が不在のいま、もうどうすることもできない。しかし、かと言ってなにもしないわけにはいかない。私も財団職員のひとりだ。収容違反が招く事象を阻止し、その影響から人類を守らなければならない。なんとしてもこの場を切り抜けて、
「俺に嘘をついたな」
琥珀の眸が私を見据えている。数億年にわたる黄金の眠りに抱かれた小生物や植物のように、私は動けなくなってしまった。
「返せ」
身体じゅうの細胞がばらばらになっていく。
「返せよ」
私が私でなくなっていく。
「俺っちの友達。しんゆう。おれっちの、おれの、おれのだいじな、だいじな、【データ破損】、【データ破損】、【データ破損】、【データ破損】」
二:
ボイスレコーダーはそこで途切れていた。本来、これを再生することは俺に与えられているレベル2のセキュリティクリアランスでは許されない。しかし、今回の件で俺に対する負い目があるからか、他言無用を条件に聞かせてもらうことができた。
胸がつぶれそうだ。一二三の深く傷ついた声が耳から離れない。ずいぶんさみしい思いをさせてしまった。せめて声だけでも聞かせてやりたかったが、返してもらった携帯電話は充電が切れている。はやく家に帰らなくちゃ。
「はあ。あやうく不当解雇されたうえに存在ごと消されるところだったな・・・俺がなにをしたっていうんだよ・・・ふざけんなちくしょう・・・」
静まりかえったまちに、俺のつぶやきだけがうるさかった。
「説明がほしいところだが、これじゃあな」
シンジュクはいま、見わたすかぎり緑の海になっている。俺がいま歩いているのも、かたいコンクリートではなくしなやかに絡みあった蔓のうえだ。青青とした若い草はらが、足のうらをやさしく撫でるような心地がして気持ちいい。蔓はなにもかもを呑みこみながらどこまでも伸びてゆき、あちこちで野ばらを芽吹かせている。地面だけにとどまらず高層ビルまでも這っていて、見上げれば花が降るように咲いていた。夏風にやわらかく揺れながら、日のひかりを透かして白く照り映えている。息を吸いこめば、身体のすみずみまで甘い匂いでいっぱいに満ちた。
ああ、おれはいま、しあわせだ。
「・・・っと、いけない。あぶなかった」
あまりの多幸感に我を忘れかけてかぶりを振った。これでは精神鑑定の結果に影響が出てしまいかねない。職場復帰が遠のいてまたいっしょにいられなくなったら、もうきっと次はないだろう。気がついたときには、この星でふたりきりになっているかもしれない。俺はゆるんでいく口もとをどうにかしたくて手をやった。精神鑑定の結果が正常だったなら、いまこうして俺が笑っている理由をどう説明すればいい。
一二三の俺に対する思いは、いつか世界を終わらせる。
いちおう赤信号で立ち止まり、ふと足もとに目をおとした。くたびれたスーツの上下が落ちている。その裾や袖からは緑があふれていて、ワイシャツの襟のあたりに見える茎のさきでは一輪のばらが咲いていた。そのとなりに落ちているスウェットもおなじような状況で、花のそばにはイヤホンが転がっている。だれかが散歩でもしていたのだろうか。リードに繋がれたからっぽの首輪は、ばらの木立につけられていた。よく見てみると、木立はかろうじて犬のかたちを残している。まいにち掃いて捨てるほど行き交っている人びとの姿はどこにもなく、駅前を占拠していたからすの群れも、飼い犬や野良猫も、公園の池を泳いでいたさかなたちも、朝からやかましく騒いでいた蝉も、一匹たりとも存在しない。運転手を失った車がそこらじゅうで煙を吐いている。倒れた自転車は蔓にへし折られていて見る影もない。電車ももちろん止まっている。たった数十分の遅れでも何万というひとの足に影響が出るが、今日はだれも乗らないだろう。買いものがしたいなら、うんと遠くまで行かなくちゃな。腹が減ったらどうしよう。デリバリーを頼んでも届かないし、店はどこもやってない。ああ、でも、俺には。
たとえ世界が終わっても、一二三がいる。
ようやく、わが家までたどり着いた。俺が家を空けたのはたったの二日だ。それでもなんだかずいぶん、長いあいだ不在だった気がする。いつものように鍵を開けて入ると、土間には二組の靴があった。見慣れたぴかぴかの革靴のとなりに置かれた、持ち主の分からない靴。しかし、おそらく部屋のなかにいるのはひとりだろう。俺はその靴を端に寄せて家へ上がった。そうしてリビングの扉のまえまでやってくると、隅のほうにスーツの上下が放ってあるのに気がついた。これも俺のじゃない。道すがらさんざん見かけたものとおなじように、本来手足が出ているところからは緑があふれており、襟のうえでは一輪のばらが咲いている。茎の部分に提げられたネームタグには、後任者だった男の名前が刻まれていた。
「ただいま、一二三」
リビングの扉を開けると、一二三は俺の育てている観葉植物に水やりをしてくれていた。ぼんやりとアイビーを見つめていたが、俺の声にちいさく反応してゆっくりと顔を上げる。おかえりとは、言ってくれなかった。目が合ったのに返事もしてくれなかったし、こっちへ来てもくれないなんて。もしかして、俺が思っているよりずっと一二三は平気だったのだろうか。そりゃそうか。たった二日だったし。思い上がりもはなはだしい。世界が終わりかけたのはたまたまで、一二三は俺なんかいなくたって。俺なんかいなくても。俺のことなんか。俺なんか。おれなんか。
「ひふみぃ・・・」
とうとういつものように情けなく名前を呼んだ俺に、一二三の眸がまばゆくまたたいた。そして次の瞬間、犬よろしくどたどた駆けだしてつっこんできた。やばいと思ったが間に合わなかった。もちろん受け止めきれなかった俺は、しこたましりもちをついた。運動不足のおっさんがつくしりもちがどれほどやばいかなんて、一二三には分からないだろう。文句のひとつでも言ってやらなきゃ気が済まない。
そのつもりだったのだが、あらためて一二三の顔を見たらなにも言えなくなってしまった。
「どっぽ?ほんとにほんとのほんもの?独歩ちん、帰ってきたの?」
「ああ。俺だよ。ごめんな、なにも言わずにしばらく留守にして」
「ほ・・・ほんとだよも〜!心配したんだからな!どこも怪我してない?具合は?」
「ありがとう。平気だよ。まあ、強いていえばさっきのでめちゃくちゃ尻が痛いくらいかな」
俺が大袈裟に拗ねてみせると、一二三は子どものように慌てた。
「ごめん!マジでごめん!え、うそ、そんな痛かった?」
「やめろ尻を撫でるな」
「うう・・・なあ、どんくらい痛い?エッチすんの無理そう?」
「おっ、おまえこんなときになに考えてんだ!」
「だって!・・・だってさみしかったんだもん。おねがい、いっぱいさわらせてよ」
ボイスレコーダーで聞いた声が、もういちどあたまのなかに響きわたる。いまにも張り裂けそうな、傷を何度も深くえぐられるような、あんな痛みに苦しむ一二三の声はもう聞きたくない。
この世でたったふたりだけになれるとしても、そのために一二三が傷つかなければならないのなら、俺はこれからも世界を守りつづける。
だから、ずっとそばにいる。
「いいよ。さわって」
「ほんと?」
「うん。好きなだけさわっていい」
「す、好きなだけ・・・!」
「ほかには?」
「・・・チューもしていい?」
「チューもしていい」
うれしくてどうにかなっちゃいそう。
やわらかく笑みくずれた一二三は、俺とくちびるをかさねた。二日ぶりのぬくもりに、目のまえがあわくにじむ。あまえるようについばまれるのが、くすぐったくて気持ちいい。俺もおなじにしてやりたくて、ぎこちなく一二三のまねをすると「かわいい」とつぶやきながら舌をしのばせてきた。俺には分からない感慨だ。でも、うれしいから好きにさせた。あちこちで香っていたばらの匂いがする。一二三が夢中になればなるほどいっぱいに満ちて飽和していく。
これをしあわせだと呼べないのなら、おかしいのは世界のほうだ。
「ん・・・。ひふみ、ひふみ待った。ここじゃなくて、おまえのベッドがいい」
「・・・そだね。連れてったげる」
あのばらは、これから財団職員の手によって跡形もなく焼却処分されるだろう。
そして世界は何事もなかったかのように元通りになる。
まちにはひとがあふれて、鳥が飛んで、犬や猫が闊歩して、さかなが跳ねて、蝉がやかましく鳴く。車だって走るし、電車だって動くし、外食だってできるし、コンビニだって二十四時間営業する。
知ってるんだ。
だってもう三度繰り返してる。
「なあ、独歩ちん。俺っちびっくりしちゃってさ。あんまりよくおぼえてないんだけど・・・外の様子はどう?」
いい天気だよ。
三:
アイテム番号: SCP-123
オブジェクトクラス:Euclid
特別収容プロトコル:SCP-123は、財団職員である【データ破損】の居住エリアに収容されています。 いかなる理由があろうとも██職員との隔離は行わず、二人一組での収容を徹底して下さい。 一般市民の移送完了後、居住エリアは私有地名義で財団の管理下に置かれ、現在まで事実上の封鎖状態を保持しています。他財団職員による居住は可能ですが、基本的に██職員以外の居住及び滞在の必要は【削除済】。SCP-123が特定の条件下で自発的に行う場合を除き、女性財団職員の間接的及び直接的な接触は禁止されています。やむをえず希望する場合は、事前準備が必要なため申請書類を提出して下さい。接触後は精神鑑定を行い、SCP-123の影響下にないことの証明が義務付けられています。
説明:SCP-123は身長179cm体重64kgの男性人型実体です。一般的な人間と同様の生命維持メカニズムを必要とし、高度な知性・感性・理性を有しています。性格は温厚で財団職員に対しても従順です。心的外傷によって女性に対して極度の恐怖心を抱いており、接触した場合は精神的摩耗が見られるものの、予測し得ない現実改変が発生したという報告は【削除済】。尚、████トを身につけている場合は抑制されることが確認されています。そのため██がいる中でも社会生活が可能であり、現在は一般市民の利用が許可されたカブキ町の接待型飲食店に勤務しています。
SCP-123の異常性は【データ破損】との許██囲を超える█別によって発現します。【データ更新中】その間は錯乱状態に陥っているため意思疎通が不可能となり、いかなる対症療法も通用しません。錯乱中に半径██以内のすべての有機物を分解及び緑化します。その性質上、致死率は99.9パーセントです。芽吹いた植物はバラ科バラ属に分類され、自然界のものと同様に開花します。毒性や凶暴性はありませんが、【データ破損】に対する脅威の排除を目的として無限に繁殖し続けるため、生態系を著しく損なう可能性があります。よって焼却処分することが推奨されています。その際、現場に残された物品はすべて回収及び焼却して下さい。
一度目の収容違反が発生した際、今後も壊滅的な事象を引き起す可能性を考慮し、高危険度人型実体収容施設への移送が実施されましたが、【データ破損】の確実な生命維持が困難なためこれを断念。以降、他オブジェクトの影響が限りなくゼロに近く、確実に二人一組で保護可能な施設での収容を徹底しています。
事件記録:
日付:9999/99/99
財団職員の危機管理意識の欠如により、SCP-123の収容違反が発生しました。過去最大規模の有機物が緑化後に焼却されています。尚、目撃者の特定及び記憶の改竄は滞りなく行われ、当該地域の復旧は完了しています。
後日、支社に勤務する財団職員の一人が外部組織ののののののののののの判明しました。SCP-123の担当者【データ破損】を解雇した財団職員との繋がりが【削除済】。情報収集及び財団へ損害を与える目的があったと考えられていますが、解雇された際の【データ破損】の後任者も含めて関係者は全員██されたため、捜査は続行不能となり打ち切られています。
補遺-い:【データ破損】は復職。SCP-123も回復し、滞りなく社会生活を送っています。
補遺-ろ:SCP-123の肉体及び精神を損なう可能性のある研究及び実験はすべて禁止されています。【データ破損】が研究員たちの妨害を行った際、物理的排除を試みた複数のエージェントが、SCP-123によって【削除済】ました。
補遺-は:SCP-123が存命中の【データ破損】の異█・█張・█雇は原則禁止されています。