オシリスの一番になりたかったセト[完全版]セトside
夢を見た。
少年の頃の、夢を。
まだ俺が、砂漠と戦争の神でなかった子供の頃。
俺は、兄のオシリス、姉のイシスとネフティスと遊ぶのが好きだった。
優しいネフティス、少し厳しいけどとても頼もしいイシス、そして大好きなオシリス。
四人で一緒にいると、どんな時も楽しかった。
ある日、俺はネフティスとイシスと一緒に、庭で遊んでいた。
この日は三人で花の冠を作った。俺はなかなか上手にできず苦戦していたが、その最中、最初に作り上げたネフティスが、俺の頭に冠を被せた。
「じゃーん!ねぇ見てイシス!セト、とっても可愛いでしょう?」
「あら、可愛いわね。赤い髪に白い花が似合うわ」
「かわいい?じゃあ、オシリスもそう言ってくれるかな?」
「ええ。オシリスはどんなセトも大好きだから、きっと言ってくれるわよ」
「じゃあ見せてくる!」
俺はそそくさと、オシリスのいる部屋に向かった。
部屋の扉を開けると、机に向かっているオシリスがいた。おそらく仕事中であったろうにもかかわらず、俺は声をかける。
「見て!オシリス!ネフティスが作ってくれたんだ!」
「ネフティスが?」
オシリスはペンを机に置き、俺の頭を撫でる。
「ほう、とても可愛らしいな。やはり、セトはこの世のどの神よりも、いや、全ての存在の中で一番可愛いよ」
「ほんと!?セト嬉しい!」
オシリスから言われた「かわいい」が嬉しく、思わず抱きついた。
「ねぇオシリス。セトね、大きくなったら、オシリスのお嫁さんになりたい!」
「俺のお嫁さんに?構わないが……」
「お仕事だって覚えるし、オシリスを守るために剣のお稽古もする!なんでもするもん!」
「それは嬉しいな。俺のお嫁さんとして相応しい神になっておくれ」
「うん!」
俺はにっこりと笑った。
後ろから、いつの間に来ていたのか、「あらあら」とネフティスとイシスが笑い合う声が聞こえた。
ずっと、こんな幸せな日々が、続いてほしかった。
それから俺は、オシリスのお嫁さんとして相応しい神になるべく、色々な事をした。
いずれは政治を担うことになるオシリスの側近となるべく、お仕事の勉強をしたり、オシリスが治めることになるエジプトを守るために剣の稽古に励んだり、見た目を磨くべく、姉達からお化粧を教わった。
月日は流れ、俺の身体もかなり成長した。
剣の技術も、仕事のやり方も、必要なことは全て身につけた。
(オシリス、覚えてくれてるかな……覚えていなくても、いっぱい頑張ったことを認めてくれるはず)
幼き頃に告げた、「オシリスのお嫁さんになる」という約束。大好きなオシリスのために、一生懸命努力したのだから、きっと快く了承してくれるだろう。そう思いながら、オシリスに話を切り出す。
「あのさ、オシリス……」
「セト」
突然、オシリスが話を遮る。
「……なんだよ。俺が先に話してただろ」
「ああ。だが、先に俺の方から話をさせてほしい」
不満に思いながら、オシリスの言葉を待つ。
「実は……」
オシリスはそう言いながら、隣にいたイシスを引き寄せた。
「俺は、イシスと結婚することになった」
そう告げられた瞬間、俺の中で、ガラガラと崩れ落ちる音がした。
積み上げてきた血の滲むような努力も、今までずっと抱いてきた想いも、あの時の約束も。
「どうして……?なんでだよ……!俺と結婚するんじゃなかったのかよ!」
俺は詰め寄った。
「すまない……だが、いつかお前も、お嫁さんにする。だから……」
「ふざけるな!」
思わずオシリスの頬を叩く。そばにいたイシスは俺を睨んだ。
「あんた……オシリスになんてことするの!?」
今なら、イシスの気持ちが分かる。愛する人を攻撃されたら、傷つくし、怒る気持ちが。だが、この時の俺は、冷静でいられなかった。
「うるせえ!約束を反故にした奴の言葉なんて信用できるかよ!」
俺は一刻も早くその場を離れたかったため、部屋を飛び出した。
部屋を出てたどり着いた先は、中庭だった。
ここで、兄弟全員で遊んだ。剣の稽古をした。それ以外にも、たくさんの思い出があった。
俺は階段に座る。途端、先程の事を思い出し、涙が出てきた。
「うぅ……ひっく……どうして……っ、俺じゃないんだよぉ……!」
一番愛されているのは俺の筈なのに。一番愛していたのも。
一番?瞬間、俺は気が付いた。
「そっ……か……俺は……一番になりたかったんだ……」
一番頑張って、一番オシリスに頼られる存在に、一番オシリスに愛される存在になりたかった。そして、何よりも、ただオシリスのお嫁さんになるのではなく、――オシリスの、「一番の」、お嫁さんに、俺はなりたかったんだ。
あの後、俺はネフティスと結婚した。
共に過ごすうちにお互い子供が欲しいと思うようになり、自分も家庭を儲ければ、オシリスの事を忘れられるだろうとも考えるようになった。
そしてアヌビスが生まれた。しかし、アヌビスはネフティスとオシリスとの不義の末に生まれたと知り、俺はネフティスを責め、オシリスを問い詰めた。
だが、オシリスから息子をダシに取られ、取引として身体を捧げた。オシリスは俺の身体を暴きながら、愛の言葉と思われるものを囁いていた。違う。俺が望んでいたものはこんなものではない。もっと温かくて、大事にされているものである筈。オシリスの豹変、暴かれる身体、それ以外にも起こっていることによって、様々な感情に支配され、頭がぐちゃぐちゃになる。俺は、涙を流した。
――目を覚ます。
「うっ……なんて夢だ……」
夢を振り返り、思わず額に手を当てる。
「どうしました?セト様」
横で一緒に寝ていた髭野郎が声をかけてきた。
「ああ……夢を見ていたんだ。子供の頃の、な」
「気を害するほどのですか?」
「ああ。昔は兄妹みんな仲が良かったのに……いつから、狂っちまったんだろうって」
髭はただ相槌を打ちながら聞いてくれている。
「てめえに買われるまでにも色々あったんだぜ。オシリスとヤってたところイシスに見られてたし、オシリス殺しちまったし、不安定な心のまま最高神になって、滅茶苦茶な支配して、女やガキを殺して、そのことで裁判になったり、あの鳩野郎と三本勝負して負けて、ついでにヤられて、贖罪を始めて……で、極めつけは人間どもに……」
思い出すだけで腹が立つ。同時に、悲しい気持ちにもなる。
髭が俺の身体を抱き締める。
「セト様。私なら、もうそのような思いはさせませんよ」
「何言ってんだよ。てめえも国に帰ったらいるだろ?奥さんとか」
「いなくてもセト様だけを愛するし、いても妻達と同じように愛します!セト様だけ置いてけぼりや仲間外れなんて、自分の矜持が許しません!」
「……やっぱいいや」
「そ、そんなぁ!ちょっとくらい考えて下さってもいいじゃないですかー!」
ピーピー泣く髭をよそに、俺は再び床に就いた。
オシリスside
夢を見た。
懐かしい夢を。
あの頃、俺達はとても幸せだった。
ゲブとヌトの長男として生まれた俺は、幼い頃から「帝王学」を学び、たくさんのことを教え込まれた。エジプトの歴史、政治、神の能力とその使い方等の知識、武器の使用方法――俺はあまり興味が湧かなかったが――、その他にも様々な事を学んだ。
勉強漬けの毎日を送り、成長してもすぐ政治の補佐を任されるという多忙な日々を過ごす中で、俺の唯一の癒しは、妹や弟と遊ぶことだった。
妹のイシスとネフティスは、忙しい俺に代わって末弟のセトの面倒を見てくれており、たまの休みや息抜きには彼女達の許へ行き、遊んでいた。
とりわけセトは俺の事が大好きで、来る度に俺の許へ駆け寄ってきた。俺もそれに応え、抱き上げて頬にキスをした後、セトも同じようにする、という行為が定着していた。
俺達は、この穏やかな日々が好きだった。
ある日、いつものように仕事に追われている俺の許に、セトがやってきた。
セトは頭に白い花でできた輪――おそらく冠だろう――をかぶり、満面の笑みで話しかけてくる。
「見て!オシリス!ネフティスが作ってくれたんだ!」
「ネフティスが?」
ネフティスは手先が器用なのだろう、小さな白い花が隙間なく並んでいる。
俺はペンを置き、セトの頭を撫でる。セトは嬉しそうに微笑む。
「ほう、とても可愛らしいな。やはり、セトはこの世のどの神よりも、いや、全ての存在の中で一番可愛いよ」
「ほんと!?セト嬉しい!」
セトが俺に抱きつく。
「ねぇオシリス。セトね、大きくなったら、オシリスのお嫁さんになりたい!」
セトから思いもよらない言葉が出てきた。俺はとても嬉しかったが、同時にそれは大きな責任――例えば仕事を分担するなど――を伴うため、セトができるか心配であった。
「俺のお嫁さんに?構わないが……」
「お仕事だって覚えるし、オシリスを守るために剣のお稽古もする!なんでもするもん!」
セトの目に狂いはなく、俺のために己の生を捧げるとまで言ってくれた。
「それは嬉しいな。俺のお嫁さんとして相応しい神になっておくれ」
「うん!」
セトはにっこりと笑う。
後ろからイシスとネフティスが「あらあら」と笑い合う声が聞こえてくる。
のどかな時間が流れる中、俺の心の中は既にセトの事でいっぱいになっていた。いずれセトを娶り、二人でエジプトを統治する。ああ、セトは県の稽古に励むと言っていたな。ならばセトには外部からの攻撃からこのエジプトを守ってもらおう。
俺とセトは絶対に結ばれる。永遠に二人はそばにいる。
その思いに気づかれぬよう、俺はセトを撫でながら笑顔を作る。
月日は流れ、俺は、太陽神にして最高神のラーから、最高神の地位を委ねると言われた。
「貴方がエジプトのために貢献しているのを、私はよく知っている。ならば、貴方にエジプトの政治を委ねようと思ってね。どう?引き受ける?」
「ああ、引き受けよう。しかし太陽神よ。俺からも相談がある」
「何?」
「セトを妻にしたい」
「……ふうん?」
ラーの口角が上がる。
「何かご不満でも?」
「貴方がセトのことを愛しているのはよぉく分かった。私も貴方達の関係は認める。だけど……」
目つきが鋭いものに変わる。
「……愛だけで政治は務まらない。愛する者のために全てを捧げすぎてエジプトを破滅に導かれても困るし。それを分かった上で、言ってくれる?」
「セトには俺の妻になるだけでなく、外からの攻撃を防ぐために軍を率いてほしいと考えている」
「あの子にそんなことが出来るとでも?貴方はセトを過信している」
「貴女こそ、セトのことを舐めているのでは?セトだってもう赤子ではない。それに、俺はセトなら絶対に出来ると信じている」
「あら、そう。そこまで言うならこれ以上は口出ししない。でもね、後悔するのは貴方。本当に今の選択が最善かどうか、一週間後までに考えておいて」
ラーはそう言い残して去った。
あれから既に六日経った。セトを娶ることとエジプトを統治することの両立を考えていたが、いちいちラーの言葉を思い出して集中できない。
(俺には出来る。それなのになぜ、ラーは分かってくれないのだろう)
そのような事を考えてばかりいるためか、仕事に気が回らず、集中力が途切れてしまう。
(水浴びでもしよう)
水浴びの準備をして外に出ようとすると、イシスが出入口にいた。
「あ、ごめんなさい。少し、オシリスに用があって……」
「用?」
「ええ。オシリスはこの間、ラーから最高神の位を委ねてもいいかと言われたのよね?」
「ああ」
「それで、何か悩みがあるのかと思って……」
「ああ。イシス。お前にだけはどうしても話しておきたいことがあるんだ」
俺はイシスに向き直る。
「表面上でもいいから、俺の妻になってほしい」
「……は?」
イシスは呆れた声で言った。
「なんで表面上の妻なのよ?どうして?どうして正式な妻に……」
「セトだ」
イシスの言葉を遮りながら、話を続ける。
「俺は本当は、正式な妻としてセトを迎えたい。しかし、ラーからは苦言を呈されてしまってな。古臭い慣習に従いたくはないが、奴等に顔向けできるようにだけはしておこうと思っている」
「それだけのために、私を利用して、セトを裏切るの!?」
イシスの言葉も尤もだ。本当はこのような手には出たくなかった。しかし俺にも考えというものがあるのだ。
「セトはいずれにせよ俺の妻となる神だ。今はまだできなくとも、一時的なものだと言えばいい」
「あの子にはそんなこと分からないわよ!あの子は……セトは、貴方の事を愛していて、絶対に貴方と結婚すると言ってるのよ!それなのに、例えラーやその娘達を欺くためとはいえ、そんなことをすると、セトが悲しむに決まってるわ!」
「でもやらねばならないんだ!」
思わず声を大きくしてしまう。その圧に負けたのか、イシスは小さな声で言う。
「分かったわ。貴方の提案に乗る。そして、セトになんと言われようとも、私は冷徹に振る舞う。それでいいかしら?」
「頼む」
こうして、俺とイシスは、ラー達の前では正式な夫婦を演じることになった。
次の日、約束の一週間が経過したことから、ラーに「オシリスとイシスが夫婦になる」ということを伝えた。
「へぇー、そういう手を使うのねぇ」
「やはり、貴女にはお見通しか」
「バレバレ。最高神を舐めてもらっては困る。まさか、私の娘達も誤魔化せるとでも思っているの?」
「出来ると思っているからこのようにしたまでだ。そこまでせねば俺とセトの……」
「結局はセトの事しか考えていないのね」
図星だった。しかし、ここで退いては男が廃るというもので、俺は反論する。
「貴女には分からないだろうが、俺達兄妹は強い絆で結ばれている。そして俺とセトは愛し合っている。その絆は誰にも崩せないし、その愛は誰にも裂くことはできない」
「そう……もう私が入る隙も無さそうね。好きにしなさい。その愛と絆がどこまで続くか分からないけどね……」
ラーが去った。入れ替わりでイシスが入ってくる。
「オシリス……」
「セトの許へ行くぞ。この事を伝えておかねばならないからな」
イシスとともにセトの部屋へ行くと、セトが笑顔で出迎えてくれた。
「あのさ、オシリス……」
その声には何かしらの希望や願望が含まれているように思えた。しかし、今からセトに伝える事は、残酷な現実。それでも、彼にどうしても伝えなければならない。
「セト」
「……なんだよ。俺が先に話してただろ」
「ああ。だが、先に俺の方から話をさせてほしい。実は……」
セトは少し不満そうな顔をしているが、イシスの方をちらりと見て、続ける。
「俺は、イシスと結婚することになった」
「どうして……?なんでだよ……!俺と結婚するんじゃなかったのかよ!」
セトが俺に詰め寄ってくる。予想していた反応であった。
「すまない……だが、いつかお前も、お嫁さんにする。だから……」
俺だって本当はお前と結婚したい。お前とともにエジプトを治めたい。しかし、ただそれだけでは古い時代の者達に簡単に潰されてしまう。だからイシスとの結婚を決めた。
しかし、俺の心中などセトに伝わる筈もなかった。
「ふざけるな!」
乾いた音が辺りに響く。一瞬、何が起きたのか全く分からなかったが、直後に頬に痛みを感じた。どうやら叩かれたようだ。
「あんた……オシリスになんてことするの!?」
イシスが怒る。
「うるせえ!約束を反故にした奴の言葉なんて信用できるかよ!」
セトはそう言って部屋を去ってしまった。
「待ちなさい!」
「イシス。落ち着いてくれ」
「落ち着けって……貴方は叩かれたのに、どうして平気なの!?」
「平気か、と言われたらそれは嘘だ。だが、俺はセトを怒らせてしまった。それだけが事実だ」
「でも……これからどうするのよ?」
「俺にはセトが必要だ。長い時間をかけてでもセトを説得する。それしか方法はない」
自分に言い聞かせるように、自身の左手に力を入れる。
「出来る、出来ないじゃない。やるんだ」
世界というものは、全く自分の思い通りにはいかないようで。
俺が最高神となって少し経った頃、セトはネフティスと結婚した。
俺があの時、セトを怒らせたからだろうか。その時にセトは、俺を嫌ってしまったのだろうか。そしてネフティスが、傷心のセトに近づいて――セトをものにしたのか。
そう考えると、ネフティスが憎くなった。自分が成し遂げることが出来なかった「セトとの結婚」を簡単にしたネフティスが、憎い。
セトは俺と結婚する筈だったのに。俺とエジプトを治める筈だったのに。俺の子を産んでくれる筈だったのに。
だがセトはネフティスとの子を望み、ネフティスもまたそうであった。
この世で最も愛らしい存在と、この世で最も憎い存在の間に出来る子を、俺はちゃんと愛せるだろうか。おそらく、不可能だ。
そして俺が辿り着いた結論は、――セトの種を取り除くことだった。
種を取っておけば、セトとネフティスの間に子が出来ることは絶対にない。そのことでどちらかが違和感を感じ、俺の所へ相談しに来るだろう。子を成せないことに対して方法があると交渉に持っていくことができるし、子が生まれたら二人は喜ぶ。それが狙いだ。
俺はその日のうちに、セトの種を回収するため、寝床に忍び込む。そのついでに寝ているセトの顔を覗き込む。ああ、なんと可愛らしいのだろう。これから俺が何をするかも知らぬというような顔である。
許せ、セトよ。
そう思いながら、セトの下腹部に手を当て、種を回収した。
暫くして、ネフティスが「セトとの間に子が出来ない」ということで俺を訊ねてきた。
「ねえオシリス……どうすればいいかしら?」
「ネフティス。まず、お前にだけは真相を教えてやろう。子が出来ない原因は……俺がセトの種を持っているからだ」
「え……!?」
ネフティスが青ざめる。
「どうしてそんな事をしたの……!?」
「簡単に言えば、お前が憎いからだ。セトを独り占めするようなことをされたからな」
「たったそれだけの理由で……!?」
「そんなに子が欲しいならば、提案だ。俺の種を分けてやろう。お前も、俺に気があるんだろう?俺の種を使えば、子が出来る。それによってセトも子が出来たことに喜ぶ。お前も俺の子を産めて嬉しい。そして俺にも、セトと今後を約束する口実ができる。悪い話ではないだろう?」
刹那の沈黙。先に破ったのはネフティスだった。
「……分けて頂戴。それで、セトも私も喜び合えるなら」
「いいだろう。交渉は成立だ」
俺はネフティスに種を与える。
その後、俺とネフティスの間で行われた取引の証拠となる、セトとネフティスの子が生まれた。その子はアヌビスと名付けられ、大切に育てられた。
やがてアヌビスが成長した後、セトはアヌビスの真実を知ったらしく、俺のもとへ来た。
あの時のセトは、緊迫した表情で俺に詰め寄った。その表情はまさしく、息子を想う父親であったと思う。
やっと来てくれた。俺はただただ、嬉しかった。
しかしセトはアヌビスの事で頭がいっぱいで、残念ながらただセトと会えたことを喜ぶだけではいられなかった。そこで、アヌビスを使ってセトの気を引くことにした。
それを聞いたセトはすっかり大人しくなり、俺に身体を許す。なんと素直なのだろう。
セトは可愛い。この世界の中で、一番。誰よりも何よりも尊い存在だ。
今、俺は、そんなセトをこの手の中に収めている。尊き存在を独り占めする幸福に酔いしれている。
セトさえいれば、俺は他に何も必要ない。
古い習慣も、それに縛られる太陽神とその子供達も、セトと勝手に結ばれたネフティスも、今もこうしてセトを束縛するアヌビスも、全て消えてしまえばいい。イシスだけは、セトに執着していないから、許してやろう。
セト。愛してる。お前だけが、俺にとってのオアシスだ。
俺はセトに口づける。セトもそれに応える。
二人の時間を過ごしたすぐ後、セトの様子が急変した。
セトは俺の右腕を、刃物で斬り落とした。その時の表情は怒りに満ちていたが、どこか悲しそうだった。
刃物を振り回しながら、左腕、左脚、右脚と斬り落としていく。
一瞬のうちに胴体も自身の男の象徴も斬られてしまった。
そして俺が最後に見たのは、寂しそうな目で口角を上げ、「これで最後だ」と言いながら、刃物を振りかぶるセトであった。
次に目を覚ました時、目の前にはイシスがいた。きっと俺の身体を再び繋ぎ合わせてくれたのだろう。
イシスは泣いていた。泣くな、イシス。俺にもう一度、セトと分かり合う機会をくれたのだろう?
嘗て俺の語った「絆」――兄妹の絆――は、あまりにも脆く、簡単に崩れてしまった。
しかし、「愛」――セトへの愛――は、とても強固に残った。
そして、俺は再び誓う。
セトと結ばれるように、セトと俺の恋路を阻むものは全て排除する、と。
「オシリス様」
声が聞こえて、目を覚ました。目の前にはアヌビスがいた。
「ああ、すまない。少し眠ってしまったようだ」
「さようですか」
アヌビスは少し言葉を置き、話し始める。
「セトについてですが……申し訳ありません。逃がしてしまいました」
「そうか。まあそう焦るな。いずれ自分から来てくれるかもしれないだろう」
「はあ……承知しました。確実にセトをドゥアトへ留めさせる方法を考えます」
そう言いながら、アヌビスは仕事に戻る。
一人になった部屋で、俺は先程の夢を思い返しながら、セトを想う。
今なら……お前の唯一で一番になれる。
お前と結婚するという約束は、忘れた事など一度たりともない。分かってもらえるまで時間がかかるかもしれないが、きっとお前なら分かってくれる。
セトよ……早くドゥアトへ来ておくれ。もうお前を、不幸にはさせない。