end point木々がざわめく音、遠くから聞こえる波がさざめく音、屋敷に響く僕だけの足音。
そして三百年に数回、外から来る見知らぬ他人の足音。来て様子を見てみては気味悪がって去って行く。僕に出て行って土地を寄越してほしいのだろうが出て行く気はさらさらない。だってご主人様が帰ってくるかもしれないから。同じ日を繰り返し僕はいつまでもここで待つ。
──だけれど、今日は確かな足音がひとつ。屋敷に向かって響いていた。
序
成人し、とある土地を治めることになった俺は前任者、またはその土地に住む人々から毎回聞かされる話があった。
「丘の上には悪魔が住んでいる」「不死身でずっと居着いている」「気味が悪いから出て行ってほしい」どうにかならないかと口々に言われた。しかし悪さはしていないようで気味が悪いだけで追い出すのはいかがなものかと思った俺はまず最初に会うことにした。周りからは一人で行くのは危険だとか言うが付いてくる者を探すだけで時間の無駄だ。あの丘の上からは海が見えるはずだし新しい御宿にするのも悪くない。俺は早く会って話をして行動し、ことを進めたい。時間は有限なのだ。
辿り着いた屋敷は随分と古びているが最低限の手入れはされているレンガ作りの建造物。一体何年前の建物なのだろう?この建物をそのまま使った御宿にするのも悪くない。それくらい厳かで品があって、今の時代には無い素晴らしいものだった。一体どんな人が居着いているのだろう。噂では男らしいが。
ドアノックハンドルで人を呼ぼうとしたとき、とてつもない勢いで扉が開いた。
「お帰りなさいご主人様!」
土埃色の帽子を被った銀髪の少年が突然飛び出てきて俺の身体に抱きついてきた。その力はそこそこ強い。
「あ…ごめんなさい、ご主人、坊っちゃん…随分大きくなられて…まさか本当に帰ってくるなんて、どうしてっ」
銀髪の少年が両手で俺の顔を包み顔を覗き込んでくる。合わさった目は溜まった涙でキラキラとエメラルドが主張してきて眩耀した。
ふと、彼の動きが止まる。
「目が……」
色が違う…彼はそう小さく呟いて俺のことを突き飛ばした。想像以上の力で石造りの地面に尻餅をつく羽目になってしまった。
「嘘だ、僕が坊っちゃんの音を間違えるなんて…お前…誰だ」
さっきの愛らしい表情はどこへ行ってしまったのか。どこから出したか分からない刃を俺に向け、今は鬼の形相でこちらを睨め付けている。
「ッ…俺は龍水。ここの土地を治めることになった者だ。ここに住んでるものと話がしたくて来た」
「また土地関係の話か。僕に譲れって言うんだろ?生憎ですけど僕はここを出て行く気はありません帰ってください」
彼はこちらの話を断固拒否の姿勢で貫いてくる様子。警戒を解かなければ。少しでいい、緩和できればいいが。俺は執事が持たせてくれた包みを袋ごと彼に差し出した。
「これは?」
「ただの茶菓子だ。今すぐ貴様に出て行けなど無粋なマネをするつもりはない。まずは茶菓子でも食いながら話をさせてくれないか」
彼は受け取った包みをその場で確認し、物珍しい茶菓子を見て目を丸くしていた。ロールケーキを見るのは初めてだったか?
「俺の執事が作ったものだ。味は保証するぜ」
「……最近失礼な人間ばかりで疲れてたんだ。いいよ、君の礼儀に免じて話だけは聞いてあげる。入って」
まさか茶菓子一個でここまで話が通るとは。この場にいない執事に対し感謝の気持ちを込める。
玄関ホールを通って応接室らしい場所に通された。
「ここで待ってて、お茶用意してくる」
彼は余計なことも言わず淡々としていた。玄関から飛び出てきた人物と本当に同一人物か?出来るのならばあの表情を、もう一度見てみたい。
年代物のソファに座りあたりを見回すもカーテン鏡花瓶…備え付けのようなものばかりで家主像が浮かばぬものばかりだ。ご主人様、坊っちゃん。先程の発言からして彼はきっと留守を任された使用人か何かなのだろう。様々な考えに頭を割いていると彼が茶菓子と紅茶を持って来た。
「どれくらい食べる?」
「貴様の為に持ってきたようなものだ。残りを頂くので好きに切ってくれ。なんなら全部食っていい」
彼はどのように考えたのかは知らないが四分の三程度を自分の皿に、申し訳程度の四分の一を俺に差し出した。
「ロールケーキは初めてだったか?」
「…君が好きに切っていいと言ったから」
随分と可愛らしいな
「紅茶は貴様が作ったのか?」
「庭で栽培したものを適当に」
それには答えてくれるのか
「貴様は使用人か?名前は?」
「そこまで教える気は無い」
雑談から段々知りたいことを聞こうとしたが大事な部分で口を閉ざされてしまった。
「ではなんと呼べば?」
「化け物でも不死身でも怪物でも、お好きに」
そう言った彼は少し寂しそうな顔を、していたような気がする。
「それは街で散々聞いた言葉だな。貴様は本当に化け物か何かなのか?そうには見えんが」
「信じてないの?」
「俺は自分が見たもの、手に入れたものしか信じない」
俺が紅茶に口をつけたときだった。彼はケーキを切ったナイフで自らの心の臓を突き刺した。事実であることを示したかったのだろう。シャツの左側を肩下まで下げ、誤魔化すものなど何もないと言うように白い肌を晒していた。そこに赤い筋が滴っていく。
「驚いた?僕は不死身だ」
身体に刃物が刺さっているにも関わらず彼は何事も無かったかのように会話を続ける。
「…なぜ俺に見せようと?」
「君みたいな人にあれこれ言っても仕方ないと思って。百聞は一見にしかずだろ?」
相手である俺がどんな人間かを理解する洞察力、そのうえで飄々と単純明快に示すこの行動。俺は高揚した。
「くくっ…はっはー!いいな!欲しいぜ貴様!」
彼は大きなエメラルドを丸くして俺を見る。こう言われるとは思っていなかったようだ。
「不死身だろうと何だろうと俺は貴様が気に入った!」
不服そうな顔をして彼は残っているロールケーキをひと口で頬張った。
「貴様のそれは、痛覚はあるのか?」
「多少はね。臓器を避けて刺せばそこまでは。…まぁ、後は“慣れ”だよね」
口元は笑っていたが目は暗く笑ってはいなかった。
「…そうか。まぁなんだ、見ているのは痛々しいからな。そろそろ抜いてくれると助かる。貴様も多少は痛いと言っただろう」
俺の言葉を聞いた彼はゆっくりと身体からナイフを抜き、空になった皿の上へと置く。真っ白だった肌と皿に赤色がかかった。
「僕に気に入られようと都合のいい言葉を並べて取り入ろうって考えかい?その手には乗らないよ。言葉ではどうとでも言えるし、もう寝たいからそろそろ帰ってくれないかい?」
「…そうだな、長居もよくない」
おもむろに立ち上がって玄関ホールへと向かう。俺があまりにもあっさり引いたように見えたからか驚いた顔をしていた。そう見せているだけだが。彼は俺を見送る気は多少なりともあるらしいが、正直なところ本当に家から出て行くのかどうかの確認なんだろうな。
「言葉でならどうとでも言える。貴様は先程そう言ったな」
「?あぁ言ったね」
「俺もそう思うタチでな。なので来れる日は足繁く通わせて頂く、楽しみにしていろ」
「は?」
「また明日」
押してダメなら引いてみろ。最初は住人の言葉や土地のことを考えて来てみたが思っていたより面白い男が住んでいた。次に会えるのが楽しみだ。不死身の彼から一体どんな話を聞けるだろう。普通の人間では無い経験もあるに違いない。
ただ、彼が“慣れ”と言っていた痛みに関しては…あまり想像したくはなかった。
僕が不死身だって、化け物って知れば怖がって帰ってくれると思ったのに。
「また明日」
また明日…だってさ。彼は、龍水は本当に来るのかな。
一人になって三百年。明日も、その次の明日も、同じ明日ばかり。
ねぇ坊っちゃんどう思う?僕は彼と関わった方がいいのだろうか。