Dom/Sub炎ホ冒頭 豪奢なシャンデリア。見下ろされるサロンの室内には静かな興奮がひたひたと満ちていた。
ここは一流ホテルの上層階。日付を先程跨いだ頃。フロアを貸し切って今晩催されるのは会員招待制のダイナミクスクラブ。
「首輪の確認を」
専用の地下駐車場で到着した際に一度、そしてサロンの入り口で二度、会員リストと照合しカップルの片側が嵌めている首輪を確認すればボーイが恭しく席へと案内する。
会員たちの客層は様々で、それがまた異質な夜を演出していた。
男女や男同士女同士、年齢もバラバラ。片側が明らかに未成年な二人組もいる。全員に共通することは、一目見て富裕層だとわかること。そして必ず二人組、片側に首輪があることだ。
「どうぞこちらへ」
一組のカップルに対して用意された席は一人掛けのソファが一脚のみ。それが円を描くようにして据えられている。
サロンへ通されたパートナー達はまず首元の涼しい側がソファへかける。それからパートナーを見上げ、「kneel」と各々が口ずさむ。
コマンドと呼ばれる命令を受けた首輪付きは恍惚の表情を浮かべてゆっくりと膝を折る。上等なスラックスやドレスの裾が皺を作るのすら誰一人気にも留めない。ただただ、悠然と腰掛けた相手の足元でぺたりと尻を絨毯に預ける。
飼い犬の姿勢。
ソファに腰掛ける者は男女の偏りもなく、中にはまだ少年にしか見えない主人へと跪いている老人もいた。
――ダイナミクスクラブ。
ありていに言えば人前で第二性ダイナミクスを開示し同好の士と交流し合う為の集まりである。
ここに集まった全員がダイナミクスを持っており、Domと Subの上流階級パートナーだった。
命令され被支配を幸福とするSubの基本姿勢がお座りである為、クラブでの正位置はDomの足元になる。
三十人ほどで車座になったDomの座席、その内側にはSubが侍り、膝に頬を擦り寄せたりしている様はまるで愛犬家の集まりに近い。
人と人が、人と犬の仕草をしている。
その非日常な光景をつくる円の外側では、ダイナミクスを持たぬ者だけを集めたボーイ達が申しつけを待っている。
求められるのはドリンクだけではなく。あらゆる要望に応える支度がされていた。
「こうしてお顔を合わせるのは随分と久しぶりですね」
「首輪を新調されたとお聞きしましたがこれはよくお似合いで」
「この間いただいたものを試したのですが、いや素晴らしい」「今度の交換の話、いかがでしょう。コテージにお招きして。たっぷりと」
ざわざわと語るのはDom同士。
特筆すべきはそのDom達の青い目比率の高さ。
皆が生まれつきそうではない、カラーコンタクトを入れているのだ。
全員の目的は一つ、この国で最も求められる男の顔に嵌まるアイスブルーの眼光を擬似的に得ようとしてのことだ。
青い目の飼い主たちが互いの近況を語り合う喧騒にSubが加わることはない。
うっとりと、良しか次の命令を待って恍惚な息だけを繰り返している。
一人二人、辛抱できないと命令してくれとぐずり強請る者がいて、それを「Wait」や「Roll」で構い、上手にできればいい子だと片手間に慰めてやりつつ。飼い主たちは日頃の二人だけの秘密であるプレイについて熱を上げて語り合っていた。
パートナーを自慢したい、プレイを衆目の前で行いたい、他人のプレイを鑑賞したい。
ダイナミクスを持つのは人口の二割、その少数派のなかでも更に燻らせた抗いがたい欲求を満たす為、主催者の一代で財産を築いた男性が始めたのだという。このホテルの総支配人こそその当人だ。
「貴方がご参加とは珍しい、やはり今晩は違いますな」
「飛行機が飛んでくれてよかったよ。今夜を逃したらいつお目にかかれるか分からないからね」
「あの子があの人の足元に侍るのを見れるなんて、最高」
「どんな声で命令するの?堪らない…」
「娘がファンでね、連れてきてやりたかったが残念だ」
ひそひそと、ざわざわと。
会員の顔ぶれが揃い踏み、非日常に酔い染まった空気がそれぞれの吐息で炙られて室内に籠っていく。
足元にいるパートナーを撫でてやりながら、Domの視線はチラチラと今晩新たに置かれたソファに注がれている。
彼らの足の間で本能のままに寛ぐSubですら、頬を擦り寄せながらチラチラと同じ席を盗み見て、淡い息を漏らしていた。
ーー熱視線の先には二つの空席が佇んでいる。
片方は主催者でありこのホテルのオーナーでもある会長の席なのだが、視線を一身に注がれているのはその隣だ。用意された真新しい革張りのソファーは今夜の主賓の席である。
今夜ここに――No.1ヒーローであり、Domの頂点であるエンデヴァーが座る。
そしてその足元に侍るのは、他でもないこの国のNo.2ヒーロー、ホークスなのだ。
エンデヴァー。
彼は昔からダイナミクスを公表している。
あの風貌から誰もがそうであれと期待するままにDomの性質だった。個性よりも遅れて人類に発現したダイナミクス黎明期、既にNo.2であった若かりしエンデヴァーが起こした伝説の事件がある。
今でこそエンデヴァーの現場中継は音声を拾わずにいるが、昔はヒーローの活躍する現場の音までも届けていた。
人払いをするエンデヴァー事務所の注意を潜り抜け迫力のある映像を求めたTV局が、彼の規模の大きい作戦区域に入り込み、撮影したものだ。
火焔を噴き上げながら敵を追い詰める炎そのものより恐ろしい男が、かざした手より火柱を放ちながら咆哮した。
「ひれ伏せ!」
と。
その時何が起こったかといえば――街頭スクリーンやTVでその中継を見ていた全国のSubが一斉に、がくりと膝を折りその場にお座りのポーズをとってしまったのだ。
画面の向こうで放たれた怒号をDomの威嚇示威行動――Glareと認識し、Subの本能が服従してしまう。
前例のない現象。世間はエンデヴァーの持つDom性の力強さを見せつけられたのだ。
敵を捕らえ警察に引き渡したエンデヴァーはそれを知らされ、サブドロップしてしまう者が現れるより早く対応した。
日本でも有数規模を持つ事務所の正面玄関からマスコミの前へ現れたエンデヴァーが一言、口にしたのだ。
「上出来だ」
誰もが初めて耳にするエンデヴァーのReword。
厳めしい声で発し、ぶすっとした顔でまた事務所へ引っ込んでいく様を、普段映像の切り抜きに厳しいメディアですら、映像を配布し『サブドロップを起こしかけた人を見かけたらこの映像を見せてください』と広く呼びかけたのだった。
No.1ヒーローオールマイトが第二性を持たない男であるのもあいまって、彼へ湿った熱狂は集中した。
――あの苛烈な男に命令されたい。
――最強のDomに身も心も支配されたい。
その後、エンデヴァー事務所の玄関前には彼の寵愛を受けたいとアスファルトの上にお座りをして出待ちをする野良Subが集まるのは道理でしかなく。
このたった一人の男のために、通称ダイナミクス条例へ新たな罰則が追加されるまでのあいだ、そんな異様な光景が繰り広げられたのだ。
そんなにも強烈なDomであるエンデヴァーだが、今ではヒーローの頂点でもある。
彼の様になりたいと、相手側のダイナミクスだけではなく同じDomからの人気も篤い。エンデヴァーのアイスブルーの瞳を求めて模倣する者が後を絶たない。
それほどまで、なのだ。エンデヴァーという男は。
対してホークス。
彼がヒーローとして表舞台に現れた頃には制度も整備されており、何よりダイナミクスについては公表していなかった。
だがエンデヴァーの時とは異なる騒ぎが巻き起こる。
それはたった数分の動画がきっかけだった。
電柱の上に佇み休憩しているホークスへ画面を向けた、女子中学生と思われる投稿主が、緊張した黄色い声で『Kneel!』と言い放つところから始まる。
その声にやや重たげな瞼を少しも持ち上げることなくホークスはひらりと撮影主のすぐ眼前に舞い降りてくる。
やばい、近い、と声が入り揺れる画面のなか、片眉を上げたホークスが穏やかに語りかけるのだ。
『あのね、ダメだよみだりにコマンド使っちゃ。俺だからいいけどエンデヴァーさんあたりだったら今ので一発で学校に連絡するしこの炎天下でお説教されるよ?』
『あの人の近くって暑いからもー大変だよ?』
『ダイナミクスが分かって初めてコマンドしたんだ?そっか。じゃあもうしない?約束できる?……うん、じゃあこれからも応援よろしく』
ルックスも良く将来有望な彼に本気で恋した、第二性が発現したばかりのファンが気を引きたくて口にした「Kneel」に怖がらせないよう軽口を混ぜながらも柔和に対応するホークスの動画が瞬く間に拡散されたのだ。
後は想像がつくだろうが、『ホすわりチャレンジ』と称して彼にスマホを向けながら「Kneel!」と叫ぶ若者が続出する。
心の底からホークスを手に入れたいと思うDomをはじめ、少しでも彼の気を引きたい視界に入りたいSubやダイナミクスを持たぬ者、彼を使っての売名行為が目的な者が後乗りしてSNSでお祭り騒ぎとなってしまった。
そこにはもはやホークスが本当にSubかどうかの真実など必要なく。
赤い翼で飛ぶホークスを見上げながら走る動画配信者が飛び出してあわやトラックに轢かれかけ、寸前に剛翼に助け出されるも後から追いついてきた仲間に笑われる動画。
怪我をした振りをしてホークスに助けを求め、近寄った彼に騙し討ちのコマンドをする動画。と枚挙に暇がないが、誰にも翼をもつNo.2ヒーローを地に引きずり落とし膝を着かせることは叶わなかった。
ウイングヒーローは更に高く飛び上がった。自分が地面に降り立たなければ無用な騒ぎにはならないだろうと。彼の個性はそれでも人を救えるのだから。
そんな彼が長いこと地に足を着けている唯一のタイミングがある。
間違いなく絶好の機会。だがそこを誰も狙わずにいた。
狙えなかったのだ。
誰も彼も――ホークスの隣にいるNo.1ヒーローであり最強のDomエンデヴァーの強烈な青い眼光の前には、コマンドを飲み込む他なかったのである。
ホークスが噂の通りのSubだと発覚したのは、エンデヴァーとパートナー契約を交わしたと公表したのと同時だった。
□□
一切揺れを感じさせないなめらかなブレーキ。夜の暗がりを掬い取ったように黒塗りに艶めくハリアーがホテルの正面玄関へ停まった途端、主賓の到着を待っていたドアマンやホテルコンシェルジュ達に緊張が走る。
間違いない。
エンデヴァーの車だ。
どちらが先に降りてくるのだろう。
この国のツートップであるカップルではそれひとつとっても注目の的なのだ。
普通に考えれば若輩のホークスが先だ。ドアの横に佇み奥から現れる威厳に溢れた恋人を披露するだろう、いや猫可愛がりされているSubがDomに手をとられて後から降りてくるケースもある。大柄なエンデヴァーの大きな手を取りヒョイと軽快に降りたってみせるかもしれない。
そのどちらも呆れるほどに絵になる二人に出迎える側の妄想は尽きない。
運転手が降りてくることもないまま後部座席のドアが開き――まず見えたのは先の尖った若者の革靴だった。
スーツを纏い、夜中だというのにゴーグルをしたホークスがハリアーから軽やかに降りてくる。それと同時に車内では外していたのだろう赤い羽根たちが彼の背中へと集まっていき大きな翼を形作る。
まるで花が散りこぼれる様を逆再生するかの様な光景に、その場にいる誰もが見惚れる。
ホークスはくるりと回転して開かれたドアの脇へと佇むのだが、その動きを追う翼は赤いロングドレスの裾が翻るよう。
「ハイ、エンデヴァーさんお手をどうぞ」
と、楽し気に奥の席のパートナーへと片手を差し出してみせる。
車内で呆れるような間が流れたのち、傷のある大きな無骨な手が車内から現れ、ホークスの手を取った。
大きな体を屈めて降りてくるこの国のNo.1ヒーロー。
「まったく浮かれおって」
「だって。いいでしょ?こういう場所連れてきてもらうの初めてですもん」
己のNo.2でありかけがえのないパートナーへと溜息をつくエンデヴァーの存在感にホテルマンたちが息を飲む。
実際に目の当たりにする圧倒的な存在感。
普段はヒーロースーツと燃え盛る炎に包まれている肉体を今夜飾っているのはワインレッドをさらに暗く染め上げた渋い色合いのスーツだ。
首から上は普段の彼のまま炎のマスクをまとっている。
その炎の照り返しに広い肩を橙色に染めあげており、スーツの生地が夕焼けにも似たグラデーションを作る。その色合いすらも計算され仕立てられたかのような遊び心を感じさせるスーツはエンデヴァーの印象とはかけ離れていた。
太い手首に巻き付けられた腕時計にきらびやかさはなく耐衝撃に強い実用性重視。スーツとのちぐはぐさがかえって一流の戦うべく在る男だと言葉なく物語る。
「ヒーローとしてじゃなくDomとSubのカップルとしてお呼ばれしてるんですから、俺の腰でも抱いていきます?」
「せん」
「もうちょっとサービス精神とか出していきません?」
「それは貴様の領分だろう」
「そーでした!じゃあ俺がしますね~」
つれない返事にもへこたれず、大木のようなエンデヴァーの逞しい腰に腕を回すホークスは夜空に溶け込みそうなダークネイビーのスーツだ。
派手好きそうな若者に見合わず、同色にまとめたシャツとネクタイ。だがラペルピンや袖口のボタンに仕込まれたクリスタルが煌めき、都会の星の少ない夜空でも見つけられる輝きの強い星を表していた。
二人並んで初めて、ああ夕暮れと夜空だ、エンデヴァーのスーツはホークスの見立てだと。外さぬイエローのゴーグルはエンデヴァーの炎のマスクに合わせたドレスコードなのだと周囲に否応なく理解させた。
よくよく見ればホークスの胸元のハンカチは綺麗に畳まれてできる二つ山が、じんわりと縁を焦がされている。
エンデヴァーの太い指がホークスの胸元へ触れ、そっとシルクをなぞったのだろう。その艶めいた、誰にも割り込むことすら考えさせない様を想像させられる。
――ただそこに二人佇んでいるだけでこうもありありと見せつけられるものか。
毎日非日常を求めてやってくるゲストを持て成すコンシェルジュでさえ内心唸った。
「ここデザートが美味いって評判なんですって」と本人たちにすればとりとめもない応酬をしながら連れだって歩いているだけだろうに、悠然と歩む様がホテルマン達に実感させる。
本物だ。
本物のエンデヴァーとホークスだ。
この国で一番強いヒーロー。Domの理想を体現した男。
エンデヴァーを支え寄り添う為に、No.2の座だけではなくSubであることすらも自ら選び取ったのではないかと思わせるほどの、献身と猛禽の翼を持つ男。
最上級のカップル。
「エンデヴァー様、ホークス様。お待ちしておりました」
「ああ、すまない。遅くなってしまった」
恭しく頭を下げた男性コンシェルジュの一声にはっと我に返ったドアマンたちが慌てて続く。
それに応えるエンデヴァーの持て成されることに慣れた男の振る舞い。
その隣からは不遜な若者の声。
「まだメインディッシュには間に合いますかね?俺、結構楽しみにしてたんですけど」
「勿論です。お二方の為にご用意しておりますよ。すぐにご案内いたします。ですが、その前に首輪の確認を」
ダイナミクスを持つ者にとって首輪はステイタスだ。
最終的にそれだけを纏うパートナーを艶めかしくさせる為にDomはそこに金と寵を注ぐ。
常連のクラブ会員には宝石を埋め込んでいる者も多く、来るたびに宝石ごと首輪を新調したのだと、顔なじみに自慢をするために首輪へ指を噛ませSubを上向かせるDomの姿も毎度のように見かける。
その扱いをされても恍惚としているのだから、Subの本能と言うのは末恐ろしいなと、給仕するボーイ達の心境は皆同じだが、職業理念から顔に出す者はいない。
「首輪っすね、ハイお願いしまーす」
エンデヴァーの腰に回していた腕を解いたホークスが先に歩み出るとーーぞわりとコンシェルジュは背筋に悪寒を感じた。
猛禽の翼に見下ろされている。
ホークス本人の身長はそう高くもないが、その背中から生えて畳まれている赤い翼はこの場にいるホテルマンたちの頭をゆうに超える。原始的な恐怖。こうして眼前に立たれてようやく、ホークスを小さく感じるのはひとえにNo.1が隣にいるからこそだと知るのだ。
遅れて感じとったのは微かな焦げた匂い。この男からするには不釣り合いで、どの香水よりも似合いのかおりだった。
しゅる、と音をたててホークスがネクタイを緩める。
No.1が与える首輪とは。
一体どれほどのものかと会員たちの話題の的だ。シャツのボタンを外すと――現れたのは黒革でできた拍子抜けするほど飾り気のないチョーカー。
「これでいいすか?」
そう訊ねるホークスの喉仏、そのちょうど上にはたった一つだけ、炎色に輝くレッドスピネルが嵌め込まれていた。