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    【ディアスタ】ブロディア王国法第174条:直系王族間の婚姻を特例で認可する
    ・名あり当て馬モブがいます
    ・最終的にはハッピーエンド

    #ディアスタ
    diasta

    【ディアスタ】ブロディア王国法第174条:直系王族間の婚姻を特例で認可する 昼下がりの歴史の授業。少し眠たげな空気の中、先生が教壇の前で楽しげに言った。
    「はい、じゃあ今日はブロディア史でも特に有名な“伝説の第174条”についてやっていきまーす」
    「この条文、内容をそらで言える人いるかな?」
     数人の手が勢いよく挙がる。その中から、ひときわ元気な少女が指名された。
    「はい、あなた。どうぞ」
    「第174条。『直系王族間の婚姻を特例で認可する』です!」
    「完璧!」
     先生はにっこりと頷くと、黒板に“174条”と大きく書きながら言葉を続けた。
    「この条文が可決された直後、ディアマンド王は実弟スタルークを正式に伴侶として迎えました。 ……そう、あの王と王配の恋物語の核心です」
     教室がざわつく。
    「今日はその『法的なラブレター』とも呼ばれる第174条、そして『偉大なるディアマンド王が生涯で一度だけ行った王権乱用』について、掘り下げていきます」
     教室の生徒たちがざわざわと期待に色めき立つ。
    「これは僕も大好きな政治と恋愛のドラマだからね。楽しんでもらえたら先生は嬉しい」

    ***

    スタルークにとって、遥か昔の淡い記憶。
    ブロディア王城内で起きた、平和な一節。
    「おおきくなったら、あにうえのおよめさんになります!」
     言った本人は、真っ赤な顔をして胸を張っている。その横顔に、ディアマンドはわずかに目を見開いた。けれど、すぐに優しく微笑んで答える。
    「大きくなったらな」
     そして、そっとその頭を撫でた。

     幼いスタルークは、撫でられただけで頬を緩ませ、目を細めた。 手を伸ばせば届く兄の背。隣にいるというだけで、全てが満たされていた。
     まだ、何も知らなかった頃。 兄弟という関係の意味も。王族にとっての結婚とは何なのかも。
     ただ、ずっと隣にいたい――。それだけの想いが初めて言葉になった瞬間だった。
     スタルークは、あの頃の気持ちを捨てられずにいた。無邪気な夢だったとわかっていても。叶うはずがないとわかっていても。

    (だから、どうか許してくださいね。この想いは、ちゃんと――墓場まで持っていきますから)

    ***

     スタルークは思う。
    ――偉大な兄上と、僕なんかが結ばれるなんて。
     天地がひっくり返ってもあるはずないと思っていた。
     それも『伴侶にしたい』という意味で。恋人でもなく、ただの家族でもなく。いや、最初から家族だったんだけど。
     突然の告白に、頭の中が真っ白になった。でも、兄上の真剣な眼差しに嘘だけはつけなかった。
    「……嬉しいです」
     なんとか絞り出した言葉だった。本当にそれしか言えなかった。
     なのに――
     ディアマンドがそっと手を伸ばし、スタルークの頬を包んだ。そして、ごく自然に顔を近づけてくる。その仕草に、スタルークはすぐに意味を悟った。
    (あ、これ……初めての……)
    「ま、待ってください! 僕みたいなゴミに口をつけたら兄上が汚れてしまいます!」
     反射的に叫んで、後ずさった。情けないくらい照れて、怖くなって、なぜか逃げたくなってしまって。
    「……っ!」
     そのまま背を向けて、走り出していた。兄の顔が見られなかった。何より、そんな自分が許せなかった。

     部屋に戻ったスタルークは、扉にもたれかかるように座り込む。胸の奥がぎゅう、と痛んだ。
    (また兄上を失望させてしまった……)
     けれど、それは違う。兄上はそんなことで自分を見限る人じゃない。それくらいのこと、わかっているはずなのに。
     悔しさと、恥ずかしさと、自分への嫌悪がごちゃ混ぜになる。
    「どうして理想のファーストキスを自分でぶち壊してしまったんでしょう、僕は……」
     ぽつりとこぼした声に、返事はない。ただ、自分で自分にとどめを刺すように、その言葉が胸に響いた。

    ***

     スタルークは書類に目を通しながら、思わず息を呑んだ。
    「兄上……本当に、偉大な方だ」
     福祉、教育、兵の待遇改善、地方の税負担緩和。どれも民の生活を第一に考えた施策ばかりで、項目を読むたびに胸が温かくなる。
     民を守り、国を豊かにしていく。理想を理想のまま終わらせないために、きちんと形にしている兄。その姿に、改めて尊敬の念が湧いた。
     だが。
    (……ん?)
     ページを繰った指が止まる。見間違いかと思って瞬きをしたが、何度読み返しても、そこに記された文言は変わらなかった。

    『直系王族間における成人後の婚姻を、特例として認可する』

    「……正気ですか?」
     でもこれは、いくらなんでも異質すぎる。他がすべて『国民のため』に書かれている中、これだけは――まるで個人的な願いのようだった。
     伴侶にしたい――『そういう意味の好き』だと言われた。それに対して、スタルークは確かに「嬉しいです」と返した。けれど、それ以上は望めないと思っていた。
     兄上はいずれ、義務として誰かを妃に迎える。そんな未来を、ずっと想像していた。 理想的な女性と出会って、努力して愛そうとして、そして――きっと、ちゃんと愛してしまうのだ。 兄上はそういう人だ。真面目で、誠実で、誰に対しても全力を尽くす。
     いずれ生まれる子供たちに囲まれ、幸せになって、自分は遠くからそれを祝福して、ただの弟として過ごす。
     それが『正しい未来』なのだと納得していた。……していたのに。

     書類に紛れ込ませたのは、確実にスタルークが気づくようにという確信に基づいた明白な求婚の意志だった。
     読み終えたスタルークは、両手で顔を覆った。
    「兄上……ずるいです。どうして、そんなことするんですか……」
     照れ隠しの声は震え、唇の端がにやけるのを、どうしても抑えられなかった。

    ***

     カーテン越しの光が、ゆっくりと床を這う。
     スタルークは机に肘をつき、読もうとしていた書類から目を離せずにいた。
    (もう何日、顔を見ていないんだろう)
     もちろんわかっている。 ディアマンドは国王だ。毎日膨大な政務を抱えて、国中を相手にしている。 会えないのは仕方のないことだと何度も何度も自分に言い聞かせてきた。
     それでも。
    (……ひと言でいいから、声が聞きたい)
     最近では、すれ違っても立ち話すらできなくなった。 朝の政務会議でも、兄の席は空のまま、代読が常態化している。 文通のような文書のやり取りが、唯一の接点になってしまっていた。
     法案の進行報告に書き添えられた簡潔な一文―― 「引き続き進めて問題なし」 その文字をなぞって、スタルークは指を止める。
    (こんなにも兄上がそばにいる法案が進んでいるのに、どうして本人はこんなにも遠くにいるんでしょう)
     想いを告げられたとき、確かに「嬉しい」と答えた。法まで作ろうとしてくれている。それがどれほどの覚悟だったかも理解している。実の弟を娶るなんて、どれほど後ろ指をさされるかわからないというのに。
     なのに今、スタルークの心には、空白ばかりが広がっていた。贅沢だと、我儘だと、わかっている。それでも。
    「兄上……」
     呟いた声は、薄い空気の中に溶けていった。扉の向こうから返事が来る気配もない。
     心が、冷えていく。このまま会えなくなってしまうんじゃないかという不安が、少しずつ胸を侵食していく。

     戦で命を落とす心配は、もうほとんどないというのに。

    ***

     昼下がりの回廊を、スタルークはひとり歩いていた。
     窓から差し込む陽の光は暖かいが、心の奥底にはどこか冷たい風が吹いている。
    (また今日も兄上には会えなかった)
     それは当然のことだ。ディアマンドは国王として、膨大な政務を抱えている。
     スタルークも理解していた。寂しがるなど、わがままなのだと。
     それでも、ほんの少しでもいい。顔を見られたら、それだけで嬉しいのに。
     そんな気持ちを胸の奥に押し込んで、庭園へ出ようとしたそのときだった。
     すれ違いざま、やわらかな声が彼を呼び止めた。
    「……スタルーク様でしょうか?」
     声をかけたのは、見知らぬ男だった。
     品のある黒い服に身を包み、笑みは穏やか。だが目元にどこか計算された光があった。
    「申し遅れました。私、ラザリオと申します。突然のご無礼、どうかお許しを。あまりにも、お寂しげなご様子だったものですから」
    名前は聞いたことがある。魔道具の研究者だ。
    「え……あ、すみません。そんな顔、してましたか? 変な顔見せてすみません……」
     スタルークは頬を押さえ、わずかにうつむく。
     ラザリオは軽く首を振った。
    「とんでもない。ただ……王城の中にいながら、夜空の満月のようなお方が独りというのは、どうにも惜しい気がして」
     さらりと差し出される言葉に、スタルークは思わず目を丸くした。
    「そんな……僕なんか。お世辞が過ぎますよ」
    「いえ。おそらく、国王陛下もそう思っておられるのでは?」
     言いながら、ラザリオは一歩だけ距離を詰めた。
    「お忙しい陛下の代わりと言っては烏滸がましいですが……もし、よろしければ。ご気分転換に、私の研究室でも見学されませんか? 珍しい魔導宝飾の展示がございます。少々、退屈しのぎにはなるかと」
    「えっと……」
     スタルークは迷った。自分も決して暇ではない。けれど、少しくらいなら。今は震える心をどうにかしたかった。
    「……はい。少しだけなら」
     ラザリオの笑みが、ほんの少しだけ深まった。
    「光栄です。どうかお気をつけて――足元だけでなく、心も」


     ラザリオの展示室。重厚な扉をくぐると、ひんやりとした空気と、かすかな香が出迎える。
    「こちらは、魔術と宝飾技術の融合による『心の補助装置』たちです」
     ラザリオが照明を灯すと、光にきらめく装飾品たちが姿を現す。ブレスレット、ペンダント、耳飾り。どれも美しいが、どこか無機的で、人の心を伺うような気配があった。
    「これなどはいかがですか?」
    ラザリオが差し出したのは、銀細工の繊細なブレスレットだった。中央には小さな青い宝石。
    「微弱な精神安定の術式が込められています。つけていると、呼吸がゆっくり整い、物事を客観的に見つめやすくなる……と、研究結果も出ておりますよ」
    「精神を……安定させる……」
     スタルークはそっとそれを手に取った。冷たい。けれど、触れていると少しだけ、胸の圧迫が軽くなるような気がした。
    「……すごい。これ、魔術師じゃなくても使えるんですか?」
    「はい。私も時折使っていますよ」
     ラザリオは自分の袖口を軽くめくって、同じ宝石を嵌め込んだブレスレットを見せてきた。 確かに、どこか『常に落ち着いている』雰囲気は感じられる。
    「特に、寝つきの悪い夜などには助かります」
    「……寝つきが悪いのですか?」
    「ええ。私は――少し、昔のことをよく思い出してしまう性質でして」
     ラザリオの笑みには、ほんの少しの自嘲と、計算があった。だが、スタルークはそれを見抜けない。ただ、同じ『悩みを抱えている人』として、ほんの少し心が近づいたような気がした。
    「……僕も、寝つきが悪いんですよね」
    ぽつりと、そう呟いていた。
    「心を強くする魔法って……あるんですね」
    「はい。必要な方には、必要な力です」
     ラザリオはゆっくりと微笑む。
    「もし、ご興味がおありなら……いつでもお越しください。あなたに合った支えを一緒に探しましょう」
    「……ありがとうございます」
     スタルークは笑った。どこか寂しげな、それでも少し救われた笑みだった。
     ラザリオはその様子を、静かに観察していた。

    ***

     スタルークは、部屋の扉をノックする音で目を覚ました。
    「お届け物でございます」
     と言われて受け取ったのは、箱と一通の手紙だった。
    「……兄上から?」
     差出人の名はなかった。けれど、筆跡はよく似ていた。簡素だが端正で、装飾のない言葉が並んでいる。

    『これを見て、少しでも私を思い出してくれたら嬉しい』

     文面はそれだけだった。けれど――スタルークの心には確かに届いた。
    (……兄上、気にかけてくれてたんですね)
     期待を押し殺しながら、箱の蓋を開ける。瞬間、眩い光が目に飛び込んできた。
    「わ……」
     それは、まるで王冠のような装飾品だった。 豪奢な金の輪に、幾つもの宝石。そして――中央には、巨大なダイヤモンドが一つ、埋め込まれている。
    「首輪……?」
     一瞬、ためらう。
     けれど、これは兄の贈り物だ。 派手なのは少しディアマンドらしくない気がするが。でも、もしかしたら――スタルークのために、特別に選んでくれたのかもしれない。
    (兄上に似合う弟でいたい、なんて……おこがましいけど)
     思わず微笑んで、彼は首元にそれを当てた。 カチリ、と控えめな音を立てて、首輪はぴたりと閉まった。
     少し重い。だけど、見た目ほど苦しくはない。
    「……似合ってますか?」
    鏡に映った自分を、スタルークは少しだけ恥ずかしそうに見つめた。
     その時、首元にふわりと温かい気配が広がる。 不思議な安心感。深く息を吸うと、頭の中が少しだけぼんやりする。
    (兄上が選んでくれた、それだけで幸せです)
     その微笑みは、どこまでも穏やかで――  そして、まったくの無防備だった。

    ***

    「綺麗な首飾りね。ディアマンドから?」
     スタルーク直属の臣下シトリニカの問いは『核心』そのものだった。
    「わかるんですか!?」
    「それだけ高価なものを贈れる人なんて限られているもの。それに――」
    彼女はスタルークの胸元をちらりと見てから、彼の頬に浮かんだ幸福そうな赤みを見て微笑んだ。
    「スタルークがそんなに嬉しそうにしてる時点で、答えは見えてるわ」
     シトリニカはスタルークの兄上への想いを昔から知って応援してくれていた。
    「……でも、なんだか兄上らしくない気がするんです」
     スタルークはそっと首飾りに触れた。きらきらと光を反射する豪奢な宝飾。中央の大粒のダイヤは、首元にしては目立ちすぎるくらいだった。
    「こんなにギラギラしてるもの、兄上なら選ばない気がするというか……もっとシンプルで、控えめなものを選ばれるような気がしていて……」
    「わたしもそう思うけれど」
    シトリニカはふふっと意味深に笑う。
    「もしかしたら『スタルークは自分のものだ』ってはっきり主張したかったのかもしれないわね」
    「そ、そんな……っ」
     スタルークは顔を真っ赤にして俯いた。でも同時に、心のどこかで『そうだったらいいのに』という甘い期待が芽を出しているのを感じていた。
    (でも……本当に兄上がこんなデザインを?)
     疑問は小さく芽生えた。けれど、否定する理由もなかった。
     何より――首飾りをつけて以来、少しだけ心が楽になっている気がする。それはきっと愛されている証だと思いたかった。


    ***

    「ねえ、見た? スタルーク様の首飾り」
    「うんうん、あれすごくない? まるで宝物庫の奥に眠ってた王家の秘宝って感じ」
    「一体誰が贈ったのかしら……。噂だと、あれ、王様の手から直接?」
    「ディアマンド様から……? 本当に? 求婚みたいじゃない」
    「弟に?」
    「ありえない話じゃないわよ。距離が凄く近い二人を見たって人もいるくらいだし」
    「しかもあれ、明らかに『見せる』ための装飾品よ。首輪って……ねえ?」
     スタルークは歩きながら、その内容を否応なく聞き取ってしまった。――思わず口元が綻んだ。
    (ふふ。そうなんですよ。兄上なんですよね……)
     足元に落ちた陽光が、首元の宝石をきらりと反射させる。目立つのも当然だ。豪奢すぎるくらいの細工、真新しい輝き。誰が見ても目を引く一品だった。
    (まさか僕ごときが兄上から求婚されてしまったなんて)
     くすぐったくなるような喜びに、自然と顔が熱くなる。周囲の視線すら今日は少しだけ心地よかった。
    (でも、この首輪をつけている限り、きっと想いは伝わってるんですよね)
     ――そう思えるだけでこんなにも心が温かくなるなんて。スタルークは何でもないように微笑みながら、そっと首飾りに指先を添えた。

    ***

     ディアマンドは焦燥していた。
     スタルークの周囲で流れる『首輪』の噂が日ごとに鮮明さを増していたからだ。
     誰が贈ったのか? 誰と結ばれるのか?  ――そして、あれだけ卑屈だったスタルークが今では前向きに笑っているということ。
     臣下の報告によれば、スタルークはある貴族――ラザリオという男の研究室に何度か出入りしているらしい。しかも、その時期と首輪を受け取ったという時期がほぼ重なっていた。
    (……なるほど)
     苦い確信が、喉の奥にこびりつく。
    (私が知らぬ間に)
     だが、非難はできなかった。自分は、忙しさにかまけて会おうとしなかった。 スタルークの寂しさに気づいていながら、放置してしまった。
    (――ならば、あれは当然の帰結だ)

    「174条は、取り下げるしかないな」
     ぽつりと呟いたその声は、誰に届くこともなかった。

    ***

     久々に、兄上に会える。
     政務の一環だとしても、スタルークは喜びを隠せなかった。 それでも、どうしても目尻がゆるんでしまう。
     ――会える。それだけで、嬉しい。
     けれど。
    「……あの法案のことは、忘れてくれ」
     ディアマンドは、たった一言でスタルークの心を突き落とした。
    「え……?」
     その瞬間、首が絞まるような激痛が走った。思考が痛みに塗り潰され、彼の言葉の意味を掴み損ねる。
    「首輪の送り主とどこへでも行けばいい」
     耳が、熱を持ったように遠くなっていた。スタルークは、ただ静かに聞き返した。
    「兄上、今……何か言いましたか?」
     そして――
    「私たちは、もう会わないほうがいいだろう」
     今度は、はっきり聞こえた。
     聞きたくなかった。
     スタルークは目を伏せる。心が割れてしまう音が、鼓動の奥に響いた。
    (仕方ない……仕方ないんですよね)
     兄上と正式な婚姻関係になるなど。初めから不可能だったのだ。
    「……すみません」
     それだけを言って、頭を下げた。
    声は震えなかった。ただ、冷たくなった。

    ***

     自室にひとり。鏡越しに映るのは、首元のダイヤの煌めき。
     スタルークはため息をつき、静かに首飾りへと手を伸ばした。
     ――多忙な兄が贈ってくれた、愛の証。けれどそれは今や枷でしかなかった。
     こんな高価なものを、ただ捨てるわけにもいかない。返そう。――そう思って、留め具に指をかけた。
    「あれ……外れない……?」
     爪で引っかけても、滑って外れない。 何度やっても、留め具が噛み合ったまま動かない。
    「すみません……僕の無意識が、兄上との思い出を捨てたくないみたいです……」
     苦笑する。ああ、中心のダイヤモンドだけでも僕の命より遥かに価値がある宝石なのに。
    「いざとなったら首ごと斬り落としてください……僕なんかの血で汚してしまうのは申し訳ないですが洗えば少しはマシになるかと……」
     鏡に向かって呟いた。まるで、そこに兄がいるかのように。
     その首飾りは、スタルークの心を繋ぎとめる愛の証ではなかった。
     ――今この瞬間、それは彼を蝕む呪いへと変貌していた。


    ***

    あれから、スタルークはラザリオの元に通う頻度が増えた。
    「本当に。大したことではないので」
    「失恋、などですか?」
    「わかるんですか!?」
     思わず語気を上げてしまった自分に、スタルークは戸惑う。
    「おやおや、本当にそうだったとは。失恋の痛みは――新たな恋で癒やすのが一番ですよ」
    「……何が言いたいんですか」
    「私では駄目か、ということですよ」
     その一言が落ちた瞬間、スタルークの首元にふわりと暖かさが広がった。癒しの杖を受けた時のような、不思議と力が抜ける感覚だった。
    「……それも、悪くないかもしれませんね」
    スタルークは小さく笑った。けれど、その笑みに力はなかった。
    「本当に、僕なんかを求めてくれるのなら――の話ですが」
     そう言って俯いた目に、静かに影が落ちた。
     もう、どうでもよかった。胸の奥で灯っていたはずの光は、確かに今、ひとつ消えたのだ。

    ***

     スタルークは、ラザリオの屋敷へと足を運んでいた。
     途中、通りすがる庭の景色が、何故かいちいち記憶を引き起こす。「おおきくなったらおよめさんになります」なんて、子どもらしいことを言ったあの日。本当にそれが叶うと思った瞬間もあった。
     ――だからこそ、裏切られた今が痛すぎた。
    「これはこれは、スタルーク様」
     屋敷の玄関で迎えたラザリオは、前と変わらぬ穏やかな顔をしていた。
    「すみません、少し……話を聞いていただけますか?」
    「もちろんですとも。どうぞ、どうぞ」

    「……プロポーズされたんです。でも、なかったことにされちゃって」
     スタルークは、自嘲気味に微笑んだ。ラザリオは何も言わずに、ただ静かに耳を傾けている。
    「僕が悪いんですけど。きっと調子に乗ったから勘違いして……」
    「スタルーク様のせいではありませんよ。相手が不誠実なだけです」
    「そんなことありません! 兄っ……その人は、立派なんです!」
     感情がにじむ。
    「立場上、結婚なんてできないのに……僕が、誘惑したようなものだから……」
    「スタルーク様は魅力的ですから。勝手に誘惑される側が悪いのですよ」
     言葉の調子は優しく、慰めにすら聞こえた。けれどそこには、どこか歪んだ熱がある。
     いくつかのことを話した。一瞬だけ成就した切ない初恋。その人からもらった首輪を未だに外せないでいること。それでも忘れるには時間がかかりそうなこと。スタルークは、話しながら少しだけ楽になっている気がしていた。

     スタルークの帰りを見届け、ラザリオは笑みを浮かべる。
    「あの首輪はちゃんとつけているようで何より。上手く行ったようですね……。奪ってやりますよ、私の水晶」

    ***

     スタルークの心を奪ったのは何処の誰だ。ディアマンドは内心に渦巻く怒りを必死に押さえながら執務机に向かっていた。指先は震えず、視線はぶれない。だが、心の内は凪ではなかった。
     睡眠不足のまま、政務を処理し、草案に目を通す。内容に問題はない。どの法案も民のため、国のため、精緻に組まれている。
     ――唯一、気にかかるのは、あの条文だけ。
     スタルークを伴侶に迎えるための、第174条。
     その削除を視野に入れる。愛される資格を失ったのなら、法にすがることなど――愚かだ。
    (……だが)
     足りない時間を執念でこじあけ、ディアマンドは情報を洗い直した。スタルークに首輪を渡した貴族について。
     名前はラザリオ。近年は「精神を安定させるアクセサリー」の研究を進めているらしい。
     スタルークが身につけているという首輪の中央には巨大なダイヤモンドがあしらわれているという。
     そのような宝飾を準備できる資金源は? ラザリオほどの家格なら、買えない額ではない。だが、決して楽な額ではないだろう。もう少し日常が質素になっていてもおかしくないが、その兆候は見えない。
    (まさか、脱税か?)
     そしてさらに、屋敷の周辺で相次ぐ行方不明事件――。それらが繋がっていたとしたら。 ただの個人研究どころでは済まない。これは、王国の秩序そのものへの反逆だ。
     しかし――  最も不可解なのは、スタルークの態度だ。
     宝石ひとつで心を奪われるような男ではない。子供のころから、愚直なほどまっすぐに、こちらを見てくれていた。いずれ心変わりもあるだろうと覚悟していたのに。
     ――ついにその日は訪れなかった、そう油断していた。
    (……いや。これは、私の怠慢だ)
     愛されていることに甘えた。政務の忙しさを理由に、会うことも、伝えることも怠った。感謝も、愛情も、何もかも。ただ信じていれば通じるなどと、傲慢だった。

    「……すまない」

    ***

     ラザリオ邸の広間に足を踏み入れたディアマンドは、首輪をつけたままの最愛を見つけた。
    「兄上……どうしてここに?」
     スタルークの声は、安堵と困惑の入り混じったものだった。その顔には、どこか薄く微笑んだような影がある。
    「ラザリオには連続行方不明事件の嫌疑がかかっている」
    「ええっ!? 大変じゃないですか!」
    すぐに調査を進める必要があると話し合う。

     最後にスタルークは目を伏せる。そして、小さな声で言った。
    「すみません、ちゃんと忘れて兄弟に戻るので……少しだけ、お時間をいただけませんか?」
     ディアマンドの胸が締めつけられた。違和感。スタルークは自分ではなくラザリオを選んだのではなかったか?
    「兄上からこの首輪をいただけたときは……本当に、嬉しかったです」
     その一言に、心臓を掴まれたような衝撃が走る。
    「……私が?」
     思わず、問い返していた。スタルークは、静かに頷いてみせる。
    「返そうとしたんです。でも、どうしても外れなくて…… 。もし……ご迷惑でなければ、兄上の手で外していただけませんか?」
    「ラザリオから渡されたものではないのか?」
    「え? 兄上からですよね?」
     ディアマンドは致命的な見落としに気づいた。スタルークは心変わりしたわけではなかった。最初から、ずっと、信じて待っていてくれたのだ。

     それでは。
    (『あの法案は忘れてくれ』などと――)
    (切り捨てたのは……私のほうではないか)

    「それを贈ったのは……私ではない」
    「ええっ!? じゃあこれ何なんですか!?」

     背後から、冷ややかな声が割って入った。
    「……ふむ。バレてしまっては仕方ありませんね」
     ラザリオが、広間の奥の闇から姿を現す。
    「その首輪は、私が開発した感情制御デバイスです。すべては、スタルーク様の心を手に入れるために」
     ディアマンドの表情から、一瞬で色が消える。怒りが静かに滲んで声に乗る。
    「そのような方法で人の心は奪えん」
    「と思っているのはあなたくらいですよ。『材料』さえあれば人の心を操るなど容易」
     ラザリオの声には冷笑と陶酔があった。
    「あなたを消してスタルーク様を王に据えるのも悪くない選択肢ですねえ」
     その瞬間、ディアマンドの手が、静かに剣の柄へと伸びていた。

    ***

     ラザリオ邸の広間――
    燭台の炎が震え、空気が裂けるような魔力の唸りが壁に反響していた。
    ディアマンドの大剣は、一直線にラザリオを捉えている。だが、その刃の前に立ちはだかるのは他ならぬスタルークだった。
     彼の喉元には、王冠めいて豪奢な首輪。 中心のダイヤが脈動し、淡金の鎖の幻影が四肢を絡め取る――それは愛の証ではなく支配の楔と化していた。
    「スタルーク、下がれ」
    兄の静命の声に、弟はかすれた息を吐く。額の汗が床に滴った。
    「……できません」
    足が勝手に前へ。ラザリオの代わりに斬られようとしている。本人の望みとは無関係に。
    「……ほんとうに……すみません……っ」
    喉は焼けるように熱い。それでも瞳だけは必死に兄を追っていた。
    「兄上にこんな役目押し付けるの誠に申し訳ないんですけど僕ごと斬ってください!」

    「……わかった」
     その声は冷たくなく、むしろ誰よりも優しく――決意に満ちていた。
     彼は足を引き、構えを変える。 いつもの豪快な大剣の一撃ではない。 ディアマンドが苦手としていた精密の構えだった。

    「抗ってみせろ、スタルーク! 真の望みを言え! 私の弟なら出来るはずだ!」

     ディアマンドの呼びかけが、雷のように胸郭を揺らす。
     けれど返事をしようと開いた唇からは、苦鳴しか漏れなかった。
     喉を締める首輪が脈打つたび、否定の呪句が耳奥で反響する――
     王に相応しくない。血が穢れる。愛など赦されない。

     視界の端で、ラザリオの影がほくそ笑んだ気がした。
     骨ばった鎖の幻影がさらに強く締まり、呼吸が途切れる。
     それでも、瞳だけは兄を追う。

     幼い日の回廊。
     「おおきくなったら、あにうえのおよめさんになります!」と宣言した自分を、兄は笑わずに肯定してくれた。
     幾度も戦場で背中を預け合い、「お前がいるから勝てる」と言ってくれた。
     ――あの時から願いは一度も揺らいでいない。

     喉の奥で何かが弾ける。
     血の味と一緒に、長年押し潰してきた憧憬が噴き上がった。

    「ぼ、くは――」
     震える声が、広間の石壁で跳ね返る。鎖が軋み、光が脈動する。

    (今言わなければ、きっと一生言えなくなる)

    「僕は……!」
     肺いっぱいに空気を吸い、呪句を蹴散らすように叫ぶ。

    「僕は──っ! 兄上の! お嫁さんになります!!」

     裂けるような叫びだった。 魔力の鎖が軋み、首輪の宝石が鋭い音を立てて割れ目を見せる。
     ディアマンドの剣が閃いた。
     狙ったのは、たった一点。首元の宝玉。剣が風を裂き、寸分の狂いなく――宝石だけを、見事に砕いた。
     呪いが弾け飛び、スタルークの身体が崩れ落ちる。
    「スタルーク!」
    ディアマンドがすぐに駆け寄る。しかし、彼はすぐに立ち上がった。
    その目には、もう迷いがなかった。
    ラザリオが舌打ちし、背を向けて逃げようとしたそのとき。
    「待ってください」
    スタルークが弓を翻した。
    解き放たれた矢は一直線に飛翔し、ラザリオの膝を貫く。
    金切り声とともに男が崩れ落ちる。
    「兄上に刃を向けた者が、逃げられると思わないでくださいね」
    穏やかな口調の奥に、冷ややかな怒りが滲む。
     ラザリオは呻き声を洩らしながら、床に広がる自らの血を見下ろした。
    ――狩りは終わった。


    ラザリオは拘束され、その後裁判を経て反逆、脱税、そして――これが最も大きかったのだが――連続行方不明事件の罪で処刑された。
    研究の制作過程に『倫理的でない』手段が使われており、行方不明事件の動機であったと判明したためだ。宝玉は全て破壊され、『埋葬』された。

    ***

     ブロディア王城の庭園に、ディアマンドとスタルークは並んで腰を下ろしていた。 肩がほんの少しだけ触れている。
    「ラザリオの処分が済んでから……少し、落ち着いた気がしますね」
    あの呪われた首輪が砕けてからも、しばらくは感覚が抜けなかった。でも今はもう、何も残っていない。ただ、兄の隣にいられることが嬉しかった。
    「兄上」
    「ん?」
    「僕、まだ……婚姻のこと、ちゃんと返事してませんでしたよね」
     ディアマンドが息を飲む。あの法案を出した時のこと、そして一度、自分からそれを「忘れてくれ」と言ってしまったこと――  すべてを、思い出す。
     だがスタルークは、まっすぐこちらを見て言った。
    「僕でいいなら。……僕なんかでも、まだ望んでくれるなら。お嫁さんになります。って、ちゃんと誓います」
     その言葉に、ディアマンドの胸がふわりと温かくなる。戦場でも、政務でも、こんなに心が満たされることはなかった。
    「お前以外に、隣は考えられん」
     ディアマンドはそう言って、そっとスタルークの指に細身の金の指輪を嵌めた。

    ***

     ――数日後、反対派の貴族が声を荒げていた。
    「前代未聞! 王権の私物化だ!」
     壇上のディアマンドは嘲笑も怒号も受け流し、淡々と答弁する。
    「私が伴侶に望むのは、ただの弟ではなく『戦友』だ。民を守るため共に剣を取り、血を流し、誰よりも国を想う者――それがたまたま私の家族だったまでのこと」
     スタルークは傍席で静かに一礼する。王族である以上に「功績ある将」として立つ、その姿に議場は徐々に沈黙していった。

    ***

     ――翌週・王都大通り。
     城壁広場の掲示板に「第174条可決」の号外が貼り出されると、若い兵士たちが歓呼した。 国を救った英雄を咎めるという発想は彼らになかった。
    「呪いを砕いた兄弟王」の武勇譚も同時に広まり、反対派の声は次第に掻き消えていく。
     石畳を歩く二人の影が並ぶたび、民衆は自然に頭を垂れた。
     スタルークは小声で囁く。
    「……こんなふうに祝福してもらえるなんて、夢みたいですね」
    「夢ではない。まだ式すら挙げていないのだから、現実はこれからだ」
     ディアマンドは冗談めかして、しかし金の指輪をひとさし指でそっと触れる。
     スタルークも同じ仕草で指輪を撫で返した。
    ***

     ブロディア王宮・大広間。 磨かれた大理石の床に、柔らかな光が反射している。赤と金の絨毯が玉座まで伸び、列席者たちは静かにふたりを見守っていた。
     玉座の前に並ぶのは、二人の王族――ディアマンドとスタルーク。彼らは今、ただの兄弟ではなく「伴侶」として未来へ歩み出そうとしていた。
    「これより――」
    進行役の重厚な声が、厳かに式の始まりを告げる。
    「第174条――『直系王族間の婚姻を特例として認可する』に基づき、ディアマンド様とスタルーク様との正式な婚姻を宣言いたします」
     広間に、静かなざわめきが走る。だがそれは、敬意と祝福のこもったものだった。愛が国を揺るがすことはなかった。むしろ、未来へとつなぐ力になっていた。
     ふたりは顔を見合わせる。
    「小さい頃、僕は『大きくなったら兄上のお嫁さんになります』って言ったことがあるんです」
     スタルークは照れたように笑いながら続ける。
    「……まさか、本当になれちゃうなんて思ってませんでしたけど」
    「スタルークのそれは、一時の気の迷いだろうと思っていた」
    ディアマンドは静かに応じる。
    「世界を知らないだけだと。だが――」

    「スタルークは世界を知ったうえで、それでも私を選んでくれた。決して簡単な道ではないが、お前となら歩んでいけると信じている」
     言葉が尽きたところで、ディアマンドはスタルークの手をそっと取った。
     静かに――額を寄せ合う。そして、そのまま口づけを交わす。
     スタルークは、ほんの少しだけ震えていた。けれどその震えには、もう迷いも不安もなかった。
     聴衆の歓声は、もう遠くにあった。今、ふたりの世界には、ただ互いの存在だけがあった。
     スタルークは微笑み、誇らしげに言う。
    「――これで僕は、兄上のお嫁さんになりました」
     その一言に、広間はついに拍手と歓声に包まれる。誰ひとりとして、ふたりの愛を笑う者はいなかった。
     そしてその拍手の中、ふたりは手を繋ぎ、新しい時代の第一歩を踏み出した。

    ***

    「さて、これで第174条の成り立ちと背景はひととおり終わりです」
    教師は教壇に手を添えながら、どこか嬉しそうに続けた。
    「でもね、史料に残っているのは法と功績だけじゃないんですよ。ふたりの仲睦まじさは、当時の臣下の書いた物語にも伝わっています」
     生徒たちが身を乗り出す。教師は笑って頷いた。
    「例えば――夜間の政務が終わったら必ずふたりで晩餐を取るようになったとか」
    「公務で長く離れると、必ずお揃いの品を贈り合っていたとか」
    「決して人前では取り乱さないディアマンド王が伴侶の絡む事象でだけは嫉妬していた記録もあります」
    「晩年の資料にはこう記されています。『王も王配も、老いてなお新婚のようだった』と」
     その言葉に、教室の空気がふんわりと柔らかくなる。
    「ブロディアが長く平和であり続けているのは、ただ剣が強かったからではありません。ふたりが本当に――お互いを想っていたからこそ、ですね」

    ふたりの愛は、何度でも語り継がれていくのだ。
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