西の国の古い歌 ららら、と歌い出したのは少し酔ったクロエだった。西の魔法使いがたむろしていた魔法舎のバーでは窘めるものなどおらず、代わりにラスティカが一緒に歌い始める。クロエの高音とラスティカの中低音が重なるのを、シャイロックとムルは聞いていた。クロエは歌詞が曖昧で喃語のようになっている。意味をわかって歌っている訳ではなさそうだった。ラスティカはというと、そんなクロエを微笑ましい目で見ていた。
「随分と懐かしい曲だね」
ムルがにんまりと笑う。クロエはきょとんとしたが、ラスティカは微笑んだ。
「クロエが知っているなんて。貴方が教えたんですか?」
「うん」
シャイロックが言えば、ラスティカは頷いてワインを飲む。クロエは少しだけ唇を尖らせた。
「発音が難しくて。ラスティカにどんな意味の歌詞なの、って聞いても教えてくれないんだ」
「ふふ、僕も完璧に理解している訳ではないから。シャイロックとムルの方が詳しいんじゃないかな」
期待を込めた二対の目が、シャイロックとムルを見た。二人は顔を見合わせ、くすりと笑う。
「古い西の国の言葉ですね。私の知っているメロディとは少し違うようですが」
「すっごく流行った曲だよ。楽譜が出来る前は旅人が物語と共に歌って伝えたんだ」
「ええ。伝えられるうちにメロディも歌詞も、少しずつ変わって」
「人伝いになると仕方ないよね。でも、魔法使いは変わらずに覚えていることが出来る。ね、シャイロック、君ならオリジナルを歌えるはず」
期待を込めた目が三対になった。シャイロックは少しだけ苦く笑って、ワイングラスに自分の分のワインを注いだ。そして、一口。ふぅっと息を吐いて、三人の聴衆を見渡した。
「これは、身分違いの叶わぬ恋を嘆いた歌なんですよ。それがこんなに明るい曲調になるなんて。ふふ、わからないものですね。あの時は、聞いているこちらまで涙したものだというのに」
クロエがはっと息を呑む。彼のお喋りな口をウインクで閉じさせ、シャイロックは小さく歌った。少しだけ掠れた声が、甘くも切ないメロディを歌う。馴染みのない発音はまるで異世界の歌のようだった。しかし確かにその歌に、穏やかな潮騒どこまでも広がる葡萄畑、そこに立つ愛しいひとの姿を見たのだった。