「……茨は私に、よく説明を求めるよね。何が悪いのかな……?」
視線を天井から、既に横で寝る体勢になっていた茨に移し、凪砂は問いかける。もぞりと体を動かし茨の方を向けば、相手もまた凪砂と向かい合う様に体の向きを変える。
「閣下の説明箇所が、スタートとゴールしか無いからですよ。今回だってそうです。」
「……なるほど。ええと、最初は確か、日和くんが茨と仲良くしているのを見て、つい、声を荒らげてしまって」
「でしょうね。それは何となく分かりましたが、不可解なのは『良かった』の方です」
周りから見れば、過剰なスキンシップに見えたであろう茨と日和を見て、どちらかは分からないが嫉妬心のようなものを自覚したというのであれば「触られて不快ではなかった」という茨の言葉に「良かった」という言葉は出てこない筈だ。少なくとも茨は同じような状況で、凪砂の様な言葉を選べない。
「……あれは、そう、私以外の人……と表現すると語弊があるね。日和くんやジュンも、茨の近くに居ても大丈夫だと分かったから」
なるほどつまりそもそも抱いていた感情が違ったのか。相変わらず思考も行動も予測ができない、読めない、自由すぎる。
「……答えになっている?」
「えぇ、何となくは」
「……何だか納得できない顔してる」
「閣下、レッスン室に来た時、どっちに対して声を荒らげてしまったんですか?」
我慢できずに聞いてしまった。我ながら、くだらない質問をしてしまった、と頭を抱えたくなるが、言葉にしてしまった以上後には引けない。
「……どっち、って。日和くんと茨のどっちにって事?」
「う、あ……、はい。そうです」
改めて言葉にされると恥ずかしい。己の嫉妬深さを自覚させられる。でも、気になるものは気になるし、ここで日和を選ぶようなら、誰と付き合っているのか、今一度はっきりさせなければならない。
「で! どっちなんですか……?」
「日和くんだよ。茨にいっぱい触れて、ずるい。私だってもっと茨を触りたいし、触れ合いたいし、何ならもっとイチャイチャしたい」
「待って下さい何だか欲望垂れ流しな単語ばかり聞こえてくる気がしますが気のせいですか? 気のせいですよね?」
「茨とイチャイチャしたい」
「大事な事ですかそれ? ライブまでの間、こうやって自分の部屋で寝食を共にしていますが、まだ何かご所望ですか?」
「ううん、ごめんね。満足しているよ……。ただ、茨が困っている顔が可愛くてつい」
つい、で済ませるな。とツッコみたい所だが、悪い気がしないと思い許してしまいそうになる。惚れた弱みとは恐ろしい。
とりあえず、茨にベタベタと触っていた日和の行動がお気に召さなくて凪砂はあんな行動に出たと分かったので、明日からはレッスンに集中できそうだ。
「閣下」
「……うん?」
「ライブが終わるまで、待って下さい」
何が、とは言わない。言わなくても、きっと通じている筈だ。
そっと指を絡めれば、それに応えるように手を握られる。こんな些細で、簡単な行為ですら、過去の自分は出来なかった。未だ振り払われてしまうのではないか、という恐怖もあるが、そんな時は再び手を伸ばして掴めばいい。
***
着慣れた衣装に袖を通す。ヘッドセットマイクを装着し、アクセサリーや小物、装飾品が外れないようにしっかりと留まっている事を確認する。最後に手袋を着け、立ち上がれば部屋の扉の前で凪砂が立っていた。
「閣下。お待たせしてしまいましたか?」
「……ううん、私も少し前に終わったばかりだから。緊張している?」
「していますね。ですが、これは所謂『心地良い緊張感』かと」
最初のリハーサルの時、茨はステージに立つことすら出来なかった。『あの日』のライブの光景がフラッシュバックし、恐怖に支配され、身動きが取れずそのまま倒れた。慌てて医務室に運ばれ、茨が目覚めた時に覗き込んできた顔が三つもあって、思わず笑みがこぼれた。自分は、こんなにも愛されている。
「恐ろしいと思っていたステージは、孤独でした」
控室から出て、ステージへと移動する。その背を見ながら、凪砂も後を追う。
「失敗は許されない。全て完璧に遂行する。それが自分の課せられた役目だと思っていました」
ファンサービスやアドリブなど、何の意味があるのかと『Eve』のパフォーマンスを見ていた時もあった。
「でも、そんな完璧な舞台演出は、既にMVとして完成させて世に出している。今更気付いて、笑っちゃいますよね」
歩みを止めた茨に、凪砂が並ぶ。
「……気付かないまま、孤独なパフォーマンスをする茨じゃなくなって、良かった。私はそう思う」
もう、ステージは近い。歓声が聞こえてくる。舞台へと上がる階段の前に、日和とジュンの姿が見えた。
「さぁ、至上の楽園へと、誘おう」
凪砂の言葉を合図に、会場が静寂に包まれる。舞台へと踏み出す前に、凪砂の手が茨の腕を引く。
「……茨。ライブが終わったら、約束」
「えぇ、忘れていませんよ」
眩しく、焼け付くような照明。
鼓膜を震わせる歓声の渦。
感情の渦巻く熱気と愛の交歓。
久しぶりのステージに、皆それぞれが、輝いていた。体が、心が、これを欲していた。茨もまた、今までに無い感情が湧き、そして興奮していた。自分がパフォーマンスを行うと、歓声が返ってくる。ステージの熱量に負けないくらいに、熱く、激しい感情がぶつけられる。
気持ちいい。汗で張り付いた前髪を掻き上げながら、茨はマイクスタンドを振り上げた。普段なら早々にスタンドから外し、ハンドマイクにしているが、振り付けが滅茶苦茶になるのも構わず歌い上げる。サビ前、凪砂が観客に向かってパフォーマンスを行い、茨の立ち位置へと移動してくる。一瞬、立ち位置を間違えたかと足元を確認している間に、スタンドマイクを握る茨の手に凪砂の手が重なる。
サビが始まる。互いの顔が、息遣いが分かるほどに近付く。一本のマイクで歌い上げるその姿に会場が沸き、歓声がひときわ大きくなる。
サビを歌いきった後、ふらついた体を凪砂が抱きとめる。かち合った視線に、一瞬の情欲を感じ取り、背筋がぞわりと震える。まだ、ダメだ。
「ありがとうございます、閣下」
「気をつけて、茨」
互いに平静を装うが、離れるのが名残惜しく気がついたら二番の歌い出しが迫っていて慌てて移動した。
蓋を開けて見れば、『Eden』のライブは大成功だった。何故あれだけ長い間ライブ活動をしていなかったのかと疑問に思う人も居るかもしれない。まぁ、実際ライブどころじゃなかった人が居るのだけども。アンコールも終わり、ありがとうございます!と観客に挨拶をしているが、隣に立つ凪砂に支えてもらわないと、茨は倒れてしまいそうだった。それくらい体力が底をついていた。これからは暫く体力を戻すためスタミナ強化を中心としたトーレーニングメニューにしておこう。そんな事を考えていると、舞台の幕が下り、ライブが完全に終了した事を告げる。
「お疲れ様でした!」
次々と声を掛けてくるスタッフの間を通りながら、凪砂は茨の手を引き控室を目指す。途中呼び止められたスタッフを無視することができず足を止めるが、「今日は撤収作業だけに集中して下さい。ライブの構成を含めた反省会は後日、コズプロの事務所会議室で行います」そう説明すれば、呼び止めたスタッフも引き下がる。気を張っていた茨は「もうこれ以上は無理です!」と弱音を吐き白旗を上げ、前を歩く凪砂に抱きついた。
せめて、部屋に着くまで我慢して欲しいと言いたいが、凪砂も限界が近かった。抱き着く茨を抱きかかえ、足早に控室へ駆け込み、必要な最低限の荷物だけを取り、慌ただしく会場を後にした。