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    NWarabee

    @NWarabee

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    NWarabee

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    辺獄にも星は輝く0610記念展示の小説。
    リンぐだ♀メルヘンパロディです。今回は特定のお伽噺に立脚しているわけではないのですが、なんとなくメルヘンな気分のやつということでよろしくお願いします。

    (ご注意)
    ・カルデア軸ではないです。
    ・一瞬だけモブぐだの気配がよぎりそうになります。

    #リンぐだ
    linenGadget
    #リンぐだ子
    lindaGudako

    魔法使いの奮闘 昔々あるところに、美しいけれど冷たい心を持つ女王様と、愛らしく優しい王女様がおりました。
     女王様は前の王様の二番目のお妃で、王女様とは血が繋がっていません。そしてたいそう嫉妬深い人でもありました。成長するにつれ日に日に美しくなっていく王女様と、老いていく自分を比べては憎しみを募らせていました。やがて彼女は半狂乱となら、悪い魔法使いと契約し王女様の命を奪おうとしたのです。
     女王様の企みは一度は成功しましたが、最終的に良い魔法使いの手で悪い魔法使いは打ち破られ、女王様は遠い田舎の修道院に幽閉されてしまいました。そして王女様は隣の国の王子様と結婚し、幸せな結末を迎えたのです。
     以上は白雪の姫の物語のあらまし。
     このお話は、女王様の悪事を支えた悪の魔法使いのその後から始まります。


     良い魔法使いは大変困っていました。
     激闘の末に悪い魔法使いを捕らえてみたものの、その処分をどうしたものか決めあぐねていたのです。
     そもそも、彼がこの魔法使いと戦ったのは本人に恨みがあったわけではなく、彼の運命の宿敵といえる別の悪の魔法使いから生まれ出た極悪の魔法使いリンボの魂の欠片を宿しているのに気付いてしまい、何と言うか放っておけなかったからなのです。
     彼の本来の目的は、宿敵を探し出すことでした。寄り道をしている場合でもなく、かといってこの者を連れていくのも気が進みません。
    「あいつを探して来てみれば、あれから生まれた概念のさらに変質したものを捕らえる羽目になるとはね。いやはや、どうしたものか」
     良い魔法使いは占いを得意としていたので、丁寧に祭壇をしつらえて星と月と太陽と大地に伺いを立てました。そうして自然界の様々な力から与えられたお告げをもとに、捕らえた魔法使いにこう沙汰を下したのです。
    「道満から生まれ出た者よ、お前の運命を決める力は私にはない。お前はこれから自分の運命を試さなくてはならないようだ。今から、悪いことがほとんどできなくなようにお前の力を封じる。東へ行き、星の指し示す少女を探しなさい。その者を幸せに出来た時、私がお前に課した枷は外れるだろう」
     良い魔法使いが告げる間、悪い魔法使いのなれの果ては激しく罵ったり抗議したり脱出しようとあがいたりしていましたが、結局どうにもならず、力を封じられて街道にほっぽり出されました。
     力を失った彼は屈辱に苛立ちながらも歩き始めます。彼もまた優れた力を持つ者。運命の星が東へ行くよう命じていることは理解したのです。
     そうして悪い魔法使いだったものは地平線の果てへ歩き去って行ったのでした……。

    ◇◆◇

     さて、冷酷な継母を持つ白雪の姫が嫁いで行った国の端に、ほどよく賑わった村がありました。山奥の辺鄙な場所に位置していましたが、澄んだ透明な泉と甘い果実の実る木々、新鮮な川魚に肥え太った山の獣……と、食料に困ることは少なく、村人たちは穏やかな暮らしを営んでおりました。
     星のよく見えるその村の外れには、常に低い音で軋みながら回転する水車と、それを管理する老人の住まいがありました。老人は頑固でしたが心の優しい人で、流行り病で両親を失った孫娘を引き取って育てています。明るいオレンジ色の髪をした少女は名を立香と云いました。
     立香はごくごく普通の少女でした。可愛らしい顔立ちをしていましたが、物語の主人公になるような美人ではなく、魔法使いのように特別な力があるわけでも、先祖代々伝わる秘宝を所持しているわけでもありません。
     それでも、彼女はいつも人の輪の中にいました。天性の明るさと朗らかさ。人は明るい彼女の周りに自然と集まります。決して諦めず、何事にも真剣に取り組む彼女の姿勢。それこそが彼女を特徴つけるものだったのかもしれません。
     立香の人生はずっと平坦でした。
     朝起きて井戸の水を汲み、火を起こしておじいさんと食事をし、水車の管理と小麦の粉ひき作業を手伝います。時にはロバに荷物を積んで、村の中心に小麦を届けつつ、シンプルな味付けのお菓子を買って帰ります。晴れた夜には水車小屋の屋根に上り、遠い空を見上げました。北極星の周りを星がゆっくりと回り、流れ星が軌跡を描いて降り注ぎます。

    ――遠い国の魔法使いは、星を見たら運命が分かるって聞いたけど、私にもそれが読めたらなぁ……。

     時折立香はそんなことを思います。今の暮らしに不満があるわけではありません。けれど、もし許されるなら広い世界を見てみたい――立香の夢はふわふわと膨らむのでした。
     このように、立香の人生は平穏でした。とある奇妙な男が訪ねてくるまでは。


     ある晴れた五月の真昼のことでした。小屋の扉がトントンと、水車の回転とは違ったリズムで叩かれました。
    「はい、どなたですか?」
     村人から預かった小麦を挽いている水車小屋ですから、来訪者は珍しくありません。けれども扉を開けた時、立香は息を飲んで立ち尽くしました。
     扉の前に見たこともないほど背の高い男が佇んでいます。しなやかな筋肉に覆われた身体を長い黒のコートで包み、鋭くこちらを見据えています。コートの裏地はくすんだ緑色、洒落た刺繍の黒シャツと緋色のチョッキをまとっています。全身の至る処に手の込んだ装飾品をぶら下げ、何より異様なことには長い髪が丁度頭の半分のところで白と黒に分かれているのです。髪は紐でくくって背中に長く流しており、よく見れば黒髪は不思議な生き物のように渦巻いています。
     全く異様な風体でした。年に何度か道化師を連れた旅芸人が村を訪れますが、あれと比べても非常に変わっています。こんな派手な人間は見たことがなかったので、立香は唖然として男を上から下まで何往復も眺めるばかりです。

     男は底のない黒い瞳で立香を見つめると、口元に笑みを貼り付けました。そのとき初めて彼が非常に美しい顔立ちであることに立香は気付きました。だからと言って、最初に感じた異様な印象は薄れるどころか、ますます強烈になったのですけど。
    「お初にお目にかかります。拙僧は名を道満と申す魔法使い。水車小屋に住む立香という名の娘を求めてはるばる旅をしてまいりました。貴方に間違いありませんかな?」
    「確かに私の名前は立香ですけど……でも、人違いじゃありませんか? 魔法使い様がわざわざ探するような特別なところなんて、私にはありません」
    「いえいえ、お構いなく。心当たりがなくて当然です。これはいわば、そう……運命の悪戯。星々の描き出す飾り模様の如き巡り合わせなれば」
     立香は少し怖くなっていましたが、星々と運命の話が出ると少し興味を惹かれ、結局踏み止まりました。
    「つまり、星占いで私のところに来られたんですか?」
    「ええ、はい。貴方は察しがよろしい。拙僧をこの地へ運んだのは星の導き。貴方を知っていたわけではありませぬし、正直驚いているのです。運命の導く先が貴方のように魔術とは縁のなさそうな少女であるとは……と。まぁ、しかし偶然と運命は紙一重。このような状況もままありましょう。さて、話が長くなりましたな。手短に済ませましょうか。拙僧はね、あなたを幸福にしなくてはならぬのですよ」

    「はい? 幸福……?」
    「幸福。心身満ち足りて、希望に行く道は明るく、正しく人生を歩む……まぁ実につまらぬ、怖気のはしるような民草の営為、そんなところです」
     後半に何だか薄暗い感情が混じった気がしましたが、彼の口にした幸福像は自分の想像しているものとあまり差がないことは分かりました。
    「ご理解いただけましたかな? ささ、時間が惜しい。望むことを何でも仰ってくだれ。拙僧の力で叶えて進ぜましょう」
     ううむ、と立香は唸りました。彼女を育ててくれた村人たちは事あるごとに人生の処方箋を教えてくれたのですが、それによると『うまい話には裏がある』し『怪しい魔法使いの口車に乗ってはいけない』のです。
    「せっかくですけど、急に望みって言われても思いつきません」
    「何もないのですか? そんなはずはないでしょう。綺麗な服は? 広い家は? 甘いお菓子に豪華な宝石は?」
    「いやいや、そんなお姫様みたいなもの貰っても。ここ田舎なので土地だけは無駄に余ってますし、ドレスも宝石も使い道がないですし」
    「ならば、お菓子はいかがでしょうな? そぅれ、そぅれ」
     道満と名乗る魔法使いが指を鳴らすと、宙に七色の煙が弾け、立香の腕の中に小さな包みがいくつも降ってきました。花柄の紙で包まれ綺麗なリボンで飾られた、夢のような箱ばかりです。

     取り落としそうで怖くなり慌てて屋内に戻ると、当たり前のような顔して魔法使いがついてきます。水車小屋の床板は彼が歩くたびにギシギシリと鳴りました。そのまま道満はテーブルの横に立つと、両手を軽く打ち鳴らします。今度は煙とともに繊細な刺繍で飾られたテーブルクロスと芳醇な香りの立つ陶器のティーセットが現れました。
    「ささ、おやつの時間にいたしましょう」
     立香は怖ろしい気がしましたが、魔法使いを怒らせてもそれはそれで良いことがありません。間の悪いことに、立香のおじいさんは村近くの森で貴族が狩りをするというので、案内人の一人として借り出され不在でした。
     少し悩んでから立香は言いました。
    「せっかくなので、道満さんも一緒に食べてください。一人じゃもったいないです」
     この言葉に魔法使いは目を丸くしました。
    「ンン? 何とも慎ましいことを仰いますなァ? ですが、はい、望まれるのであればそういたしましょうか」
     そして器用に包装を解くと、小箱の中から七色に飾られた焼き菓子を取り出しました。
    「王都でのみ販売されている特別製です。さあさあ、味わってお上がりなされ」
     立香は魔法使いと一緒に甘い匂いのするそれを口に含みます。しっとりとした甘さと濃厚なバラの香りが弾けて広がりました。

    ――美味しい!

     こんな田舎町では姿を見ることすらないほどの逸品だとすぐに分かりました。舌がとろけるとは、きっとこんな状態を言うのでしょう。立香は夢中で次々に菓子を頬張ります。
     魔法使いはそんな彼女の様子を満足気に眺めました。
    「お気に召したようで何よりですな。日頃から女子の好む甘味を見繕っていた甲斐がありました」
     実は前の雇い主である冷酷な女王様はお菓子に目がなく、彼女が気まぐれに菓子を所望する度、道満は王都の菓子店を駆け回り、結果として甘味に詳しくなった次第なのですが、何事も役に立たぬものはないものです。
    「おやまぁ、この程度で幸福になれるとは! 安上が……ンンン、手間がかからずに済んで良いですなぁ。これで拙僧にかけられた呪いも解け、儂は元通りに悪の……」

    「立香、大変だ!!」
     唐突に小屋の外から男の叫び声が聞こえ、ドアが音を立てて開きました。風のように飛び込んできたのは立香とも顔馴染みの村人です。
    「大変なんだ、水車小屋のじいさんが……!」
    「おじいさん!? 何があったの!?」
     青ざめて立ち上がった立香に村人は事情を説明しました
    「今朝から都の貴族たちが近くの山で狩りをしてるだろう。今回は見学だとか言って貴族の奥方や娘たちも居るんだが、そのうちの一人がブローチをなくしたと言うんだ。何でも王妃様から直々に賜ったものとかで、非常な値打ちものでな……失くすなんてことがあっちゃいかんらしい」
    「どうしてそんなものを狩り場に持ってきたんですか!?」
     立香が思わず叫ぶと、村人も全く同意だと頷きます。
    「お貴族様っていうのはそういう、面倒くさいことをしたがるんだ。んでな、最悪なことに村人が盗んだに違いないって話になっちまってな。水車小屋のおじいさんも容疑者の一人にされてるんだ」
    「なんてこと……、」
     目の前が真っ暗になる立香。

     その時、彼女の背後で不機嫌そうな唸り声が上がり、村人と立香はそちらに視線を向けました。奇妙ないでたちの大男が不快そうに目を細めて腕を組んでる姿を見出して村人は腰を抜かします。
    「うわ!? 何だあんた!?」
    「通りすがりの魔法使いですよ。それにしても、どうやら拙僧の出番なのでは? 探し物があるのでしょう?」
     村人は驚きのあまり目を白黒させてしまいましたが、立香は彼の意図を汲み取って身を乗り出しました。
    「貴族のブローチを探してくれるの!?」
    「ええ、はい。本意ではありませぬが、せっかく育ったあなたの幸福が霧散してしまい、いささか腹が立っておりますので、ええ、下手人を少々痛めつけたい気分なのですよ」
     「暴力はダメ」立香が素早く遮ります。「ちゃんと真っ当な手段で犯人を捕まえなくちゃ」
    「……ンンンンン、それがあなたの平穏に繋がると? そうですか、仕方ありませんねぇ……」
     道満はコートの裏側を探り、白い札を一枚取り出しました。札の表面には大きな黒い一つ目玉が描かれています。道満が息を吹きかけると、札は命を得たもののように飛び上がり、窓を通り抜けて森の方へ飛んで行きました。
     道満はしばらく目を閉じていましたが、じきに体がぶるりと震え、目を開いて頷きました。
    「ははぁ、確かにおりましたぞ。なるほど、これは村人ではなく、従者の犯行、とそういうわけで」
     言いながらも、左右の手を複雑な形に組み合わせて空中に文様のようなものを描き上げます。
    「そうれ、急急如律令」
     呪文とともに、道満の手元でパチンと小さな雷が弾けます。そして再び水車の回転する穏やかなリズムが室内に戻ってきました。
     道満はポカンと口を開けている村人に言います。
    「それ、そこの貴方、来た場所に戻りなされ。犯人が捕まっている頃合いでしょう」
     村人は半信半疑という体で去っていきましたが、立香はきっと道満の言う通りになったのだろうと思いました。
     さて、と魔法使いは立香に向き直りながら言います。
    「せっかくの茶が冷めてしまいましたな。どうです? おかわりでも」
    「あの、私もちょっと森まで行ってきます! おじいさんの無事を確認しなきゃ」
    「ンンッ!? 何ですと、あ、お待ちなされ、お待ちなされ!」
     魔法使いの声が背後で長く物悲しく響きます。知らない人を家に残していくのは不安でしたが、相手が魔法使いならば何処にいても鍵をかけようと開けっ放しだろうとあまり関係ないなと思い直し、放置することにしました。


     午後は大騒ぎでした。
     村の者が一時的とはいえ濡れ衣を着せられて拘束されたなんて前代未聞の不祥事で、村長をはじめとする村人は反乱を起こすべきだとか樫の木に吊るしてしまおうとか物騒な意見も出たのですが、人格者の貴族がその場で特別なバーべーキューを始めて皆の気分をほぐしたこともあり、双方が納得しつつ和解に至りました。立香もおじいさんが無事に釈放され、お見舞いとして上等なワインと干し肉を贈られたので、まあいいかという気分になりました。
     そんなこんなの一日が終わり、暗くなった頃に水車小屋に戻ると、魔法使いの姿はもうどこにもありませんでした。テーブルの上は片付けられ、使った食器も消え失せています。
     立香が部屋に戻ると、小さな机の上にはお菓子の箱が山と積んでありました。その一番上には文字の書かれた紙が置いてあります。手紙というやつでしょうか。
    「うーん、読めないな……」
     文字を知らない立香は翌日教会に行き、司祭様に内容を読み上げてもらいました。
    「また伺います、だそうですよ」
     そう教えてくれた神父様は立香が不審な男に付きまとわれているのではないかと心配し、小一時間あれこれと雑談することになりました。
     水車小屋への帰り道、立香は空を見上げて小さく笑いました。
    「また来てくれたら、ちゃんとお礼しなくちゃ」
     ブローチを盗んだ真犯人を見つけてくれたのは、ひとりの奇妙な魔法使いです。そのことは村の誰も知りません――立香を除いては。

    ◇◆◇

     秋も深まりつつある十月のある日、すらりとした痩身の女が一人、村外れの水車小屋を目指して歩いていました。白い仕立ての良い服をまとった女は村の織物工房のまとめ役の一人で、その紡糸と縫製の腕は近隣に鳴り響いています。
    彼女は水車小屋にたどり着くと、川の水が水車を回すのとは違うリズムで扉を叩きました。
    「立香さん、すみません、おじいさまはご在宅ですか?」
    「お鶴さん!」と立香は彼女の名を呼びます。「おじいさんならさっき、山にどんぐり集めに行きましたけど。どうか……したんですか?」
     彼女の顔色を見、立香は眉をひそめます。いつも品よく微笑んでいる彼女の顔は青ざめ、身体は微かに震えていました。
    「ああ、立香さん! 村長の上役、つまりこの地方の領主様のことはご存知ですか?」
    「山を降りて、川の合流地点にある中洲の町のお城に住んでるっていう……?」
    「そうです。そしてその御方がとてつもない難題を言いつけて来たもので……」
     そうして彼女が語るところを聴けば、確かにとんでもない無理難題なのでした。

     この国では年に一度、秋の初めに各地の領主が王都に集まり、国王を囲んだ宴会に参加します。今まさに宴の最中という時期ですが、その場でこの地方の領主が酔った勢い任せにとんでもないことを言ったというのです。
    「『我が領には無から純金を生み出して糸に紡げる者がいる』と、そう自慢したのですよ、あのおつむの残念な領主」
    「はぁ? なんでそんな話になったんです?」
    「北の鉱山地方の領主様に名物の金細工を自慢されたのに腹が立って、衝動的に夢みたいなことを言い出したと聞きました」
    「いやいや、妄想にも程度ってものがありますよね……?」
     そんなことできるはずない、いやできる。売り言葉に買い言葉。酒の席ではまともな判断力は失われる一方。
     かくして二人の領主は激しく言い争いを始め、国王の裁決を受ける羽目になったのだとか。
     『そこまで言うならば、各々の領民の腕を比べてみようではないか。二人とも一月以内に献上品を持って再び王宮へ参上せよ』と、うんざり気味の王様の命令を受け、かくして二人の領主はそれぞれの領地に戻り、準備に取りかかったのですが……。

    「出来る訳ないですよね?」
    「当然です。無から純金を紡ぐなど聞いたこともありません。いくら何でも無茶苦茶すぎます」
    「ちなみに、領主様が言及した金を紡ぐ職人って、どの町に住んでることになってるんです?」
     お鶴さんは据わった目のまま言いました。
    「この村ですよ。つまり、私です。今朝領主が命令を寄越しました。七日以内に純金の糸をスピンドルに巻き付けて、市場で出回っている一番大きな箱に納めて提出せよと」
    「へぁっ!?」
     思わず変な叫び声が漏れ、立香は腰を抜かしました。無茶苦茶です。絶対に出来もしないことを一方的に命じられたって、どうしろと言うのでしょう。
     お鶴さんの困惑した表情の理由が腑に落ちました。
    「ちなみに……金の糸が提出出来なかった場合、どうなるんですか?」
    「どうやら投獄三年ですね。一応、首切り役人に引き渡されたり、沼沢地の開墾に駆り出されることはないとは思いますが……」
    「十分ダメだぁ……」
     立香は呆れ返り、機織り名人は深いため息をつきました。
    「全く馬鹿げた話ですけれど、決まってしまったことは仕方がありません。なんとかそれらしい金色の糸を紡いでみようと思います。つきましては、こちらの水車をお借りしたく。水車の回転を使うと紡糸速度が上がりますので」
    「おじいさんに相談しておきます。そういう事情なら多分問題ないかと」
     立香の言葉に、お鶴さんは心底ほっとしたようでした。
    「どうぞよろしくお願い申し上げますね」


     お鶴さんが出て行った後、去りゆく彼女の背の高い姿を見送っていると、背後から低く笑いを含んだ声がかかりました。
    「まったく、この村は平時という時間が恐ろしく少ないですな。何故こうも次から次へと厄介事が持ち込まれるのです?」
    「道満」立香は振り返り、すっかり馴染みになった魔法使いの黒々とした目を覗き込みます。数ヶ月前に初めて立香の家を訪れて以来、魔法使いは幸福をもたらすためと言って甘い菓子や珍しい花などを度々持参するようになり、立香もすっかり心を許すようになっていたのです。
    「そりゃ、面倒事が多いなーとは思ってるけど、キミの目から見てもそんな風に感じるの?」
    「こう申し上げては何ですが、物語の主役となる土地柄でもないというのに、この事件の数は異常ですな。一見すると平穏な土地なれば、猶更異様ですな。お陰でお前はちっとも幸福に落ち着いていてくれませんねぇ……一体いつになったら儂の呪いは解けるのでしょうな?」
    「それはごめんね。何て言うか、私にも何とも出来なくって」
    「はい、そうでしょうとも。拙僧とて分かっておりまする。ですからこうしてひたすら機会を伺い、小まめにお前の喜ぶ菓子を持ち寄って裏工作をしているのです。それもこれも儂が再び……」
     思わず本音が出そうになったので、道満は慌てて口元に手を当てました。立香は不思議そうな顔をしましたが、村に厄介事が持ち込まれた今、この魔法使いの友人にばかり注意を払っているわけにもいかず、お鶴さんの行く末に思いを馳せました。
    「大丈夫かな、お鶴さん……」
    「あの女性は魔法使いの端くれと見受けますが、果たして金を紡ぐことは出来るのでしょうかね?」
    「やっぱり難しい技なの」
     立香は魔法のことはよく知りません。けれど、お鶴さんが使う魔法が紡ぐ糸に光沢を与えたり、布地にほんの少しの強さを与える程度の、職人には便利だけれど王道から外れたものであることは知っていました。とても素敵な魔法ですが、領主が持ち込んだ無理難題に応えるものかと言うと、ちょっと自信がありません。

     ふと、立香は尋ねました。
    「ねぇ、道満はすごい魔法使いなんでしょ? 何もないところから金を紡いで糸に出来る?」
    「ンフフ、拙僧は多才な魔法使いではありますが、斯様な自然法則から外れた奇跡は簡単には生み出せませぬなぁ」
    「そっかぁ……」
     立香は肩を落としました。理不尽な命令への悔しさと、底が抜けるような虚無感が心を揺らします。
     道満は彼女のそんな様子をじっと観察し、うっそりと笑います。
    「そら、また幸せが吹き飛んでしまいましたねぇ」
    「うん……ごめん」
    「いえいえ、拙僧に謝る必要はないのですぞ。こちらが勝手に押しかけている側なのですから」
     口調こそ穏やかですが、本心では苛立っているのではないかと立香は思いました。道満は時々そんな風になるのです。まるで黒炎が吹き出すように彼の全身から揺らめき立ち昇る禍々しい気配は、立香をほんの少し怯えさせると同時に奇妙な興味を抱かせるのでした。

     魔法使いが帰った後、入れ替わりに帰宅したおじいさんに事情を話し、次の日からお鶴さんは水車小屋で糸紡ぎを始めました。
     小さく魔法の呪文を唱えながら、お鶴さんは絹糸を紡ぎつつ魔法をかけていきます。金銀虹の七色の輝きが紡ぎ機を覆えば、夢のように美しい糸がするりすると巻き取られていきます。それは全く言葉を失うほど素晴らしい光景で、立香はおろかおじいさんも仕事の手を止めてすっかり見入っていました。
     糸は順調に紡がれ、金色の糸で膨らんだスピンドルが増えていきました。命じられた量は無事に用意することが出来るでしょう。
     それは美しい糸でした。これでドレスを作ったらどんなに素敵だろうと夢見てしまうほどの。けれど、立香の頭の冷静な部分が囁きました。これはどう見ても純金を紡いだ糸には見えないと。
     約束の日の前日、お鶴さんは全ての糸を紡ぎ上げ、おじいさんと立香に丁寧にお礼を述べて去っていきました。


     その晩、立香はなかなか寝付けませんでした。お鶴さんの見事な技は領主たちの虚しい争いの場に持ち出され、どんな風に言われるのでしょう。本来なら賞賛と喝采があってしかるべきです。もし純金製でないという理由だけで貶められるとしたら……。そんなことを思うと深い苛立ちが腹の底から湧き上がってくるのでした。
     ふいに窓の外で声が響きました。
    「いけません、いけませんねぇ立香。貴方は斯様に昏い感情を抱くべきではありませぬぞ」
    「道満?」
     びっくりして尋ねると、窓越しに魔法使いがニヤニヤ笑った顔を覗かせました。
    「ちょっと、何してるの!?」
     声を潜めて尋ねると、魔法使いは誘うような目つきで立香を見つめます。
    「何もないところから金を紡いで欲しいですか?」
    「……出来ないって言わなかった?」
    「いいえ、出来まする。ただ、貴方の力を頂きたく」
    「私そんな特別な力なんてないけど」
     立香の言葉に魔法使いの笑みはますます深くなるのでした。
    「そう特別なものでなくて良いのです。貴方自身が少々の幸せを擲つ覚悟があれば十分ですぞ」
    「あ、少しの幸運、そんなので良いんだ。それならどうぞ使ってください」
     素早く答えると道満は不満そうな顔になりました。
    「ご自身の幸運ですぞ? もう少し真面目に考えなされ」
     だってさ、と立香は笑いました。晴れ晴れとした爽やかな笑顔です。
    「お鶴さんは大切な仲間だもん。お鶴さんに何かあったら私、幸せになんてなれないよ」
     道満はそれを聞くと表情を消しました。腹の底から痙攣するような嘲笑が、あるいは極めて憎しみに近い怒りが吹き上がってきたからです。どす黒い内心を目の前の少女に見せるわけにいかず、どんな顔をしたらいいか分からなかった末の行動でした。

    ――何故、こうも腹立たしいのでしょうな。いや、しかし今はこんなことを考えている場合ではありませぬ。せっかくの機会ですぞ。鎮まらねば……

     深呼吸一つで己の激情を無理やり抑え込むと、魔法使いはため息混じりに言うのでした。
    「あなたは何ともお人好しですな。よろしい、それではこちらへ」
     差し出された手を取ると、立香の足がふわりと浮き上がります。そうして二人は手を取り合ったまま村の上空を音もなく通過し、森の中の広場に降り立ちました。今宵は新月、満天の星があたりを照らしています。
     魔法使いは呪文を唱えながら、複雑な身振り手振りで印を切りました。
    「立香、手を貸して下され」
     少女の小さな手を握ると彼はゆっくりと繋いだ手を左右に振り始めました。そして反対の手は天に掲げ、くるくると丸く円を描くのです。
     最初、立香には彼が何をしているのか分かりませんでした。しかし、しばらくするとキラキラと輝く細いものが道満の手の中から滑り落ちてくるのが見えてきます。立香は思わず息を呑みました。それは間違いなく金の糸だと気付いたのです。
     蜘蛛の糸のように細い細い輝きは、魔法使いの手の中でくるくると丸くなり、いつのまにか用意されたスピンドルに巻き付いていきます。ひと巻き、二巻き。次々に金の輝きを放つスピンドルが山と積まれていきました。

     そして一時間も経った頃でしょうか。森の一隅に金で紡がれた糸の山が出現しました。
    「さあ、出来ました。儂の魔力と貴方の幸運、二つを編み上げ生み出した金の糸。紛うことなき純金を紡いだ糸なれば、領主も国王も否とは言わぬでしょう」
     振り続けたせいで立香の腕はほとんど感覚がなくなっていましたが、道満にずっと手を取ってもらえたこと、そして友人を救うための道具が無事完成したことに、お腹の底がほんのりと温かくなるのを感じました。それは初めて味わう不思議な暖かさでした。


     翌日の朝、村には興奮に満ちたざわめきが走りました。いつの間にか納屋に純金で紡がれた糸山が築かれていたのです。それはちょうど領主が要求してきた量で、これがあれば村に降って湧いた厄介事は振り払えると、お鶴さんをはじめ皆が確信しました。
     領主から派遣された役人は糸の山を見ると絶句し、何度も何度もそれが純金であることを確認しては、どうやって作ったのかと村人たちを問い詰めましたが、皆はぐらかすばかりで答えません。というより、彼らにも分かっていなかっただけなのですが。
     かくして金を紡いだ糸は領主の手元に届き、やがて国王の前にお披露目されました。純金で紡がれた糸は国のあちこちで話題になりましたが、製法はついぞ誰も知ることが出来ませんでした。賭けに勝った領主は長年賄賂を受け取っていたことが発覚して牢屋に収監されてしまい、黄金の糸を運搬した役人たちは皆原因不明の病にかかって、その間の記憶をぽっかりと失ってしまったのです。まったく何とも奇妙な事件でした。


     事の顛末は村にも届き、立香はその一部始終を知ることになりました。
    「やっぱり道満の仕業でしょう」
    「ンンン、何のことですかな?」
     魔法使いははぐらかすばかりですが、立香には分かっていました。裏で辻褄を合わせるように立ち回ったのは道満に間違いないのです。金の糸がどうやって作られたか分かれば、王様は立香と道満を軟禁して離してはくれないでしょう。全てがうやむやになったことで、彼女の平安は守られたのです。おじいさんは今日も水車小屋を管理し、お鶴さんは元気に亜麻を紡いでいます。
     彼女が丹精込めて作り上げた絹糸は、都会から来た行商人にたいそう結構な値段で引き取られていきました。
    「紡ぎ方のコツは掴みましたから、いつか立香さんに素敵な服を作って差し上げますね。あなたの結婚式に着る服を手掛けられたらどんなに素敵でしょう」
     お鶴さんの言葉に、立香は自分が嫁ぐ時の姿を想像して顔をほころばせました。光沢放つ美しいドレスに身をまとった自分、そのとだけ手を引くのは……
    ――いやいやいや、何でここで道満が出てくるのよ!? そんなんじゃないから!
     頬が少し熱いのを自覚しながら、立香は精一杯首を振って雑念を追い払いました。


     そんな彼女の様子を眺めていた冷めた目がありました。呪いによって悪い魔法を封じられた悪の魔法使いこと道満です。
     幸せそうに村人と言葉を交わす立香を見、彼は暗いもの思いに囚われていました。彼女の笑顔も弾んだ言葉も、何もかも気に食いません。彼女が幸せであれば自分にかけられた呪いが解ける可能性も高まるのに、何故かあの笑顔をまっすぐに見ることができないのです。
     こんなことではいけないと、道満は深呼吸して思考を巡らせます。
     呪いは立香の短時間の幸せでは解けないことが分かって来ました。ならば、強烈な幸福感を数日にわたって感じ続けさせるにはどうしたらよいか。
     考えに考え、彼は一つの結論にたどり着きます。

    ――惚れ薬を使いましょう。見目麗しい高貴な若者を連れてきて、立香とくっつけてやるのです。村人たちにも術をかけてやりましょう。この辺り全体が能天気な幸福感に覆われるように。そうすれば儂の呪いも解けるに違いありませぬ。

     妙案だと思いました。
     惚れ薬や幸福感を与える術は悪い魔法に入らないので、呪いに縛られることはありません。何事も使い道次第だとほくそ笑んだと同時に、胃がちぎれるような不快感を覚えました。
     立香が誰かと恋に落ちる。
     その姿を想像するだけで黒い炎に芯が焼かれるようでした。自分はこんなにも彼女を憎んでいたのかと驚き、思わず自分を掻き散らしたくなるような衝動に耐えながら、男は凄絶な笑みを浮かべました。

    ――この忌々しい呪いが解けたら、真っ先に立香を壊してやりましょう。細い腕を引き割いて筋肉の一本一本を捩じって溢れる血を啜り、痛みと絶望に気も狂わんばかりに混乱させ、心が壊れるまでいたぶりましょう……

     そうすれば、この酷い苦しみから逃れられるような気がしたのです。

    ◇◆◇

     秋が深まり、野山は金や緋色の紅葉で飾られた錦織物のような姿になりました。
     村ではここ十日ほど平穏な日々が続いていました。何の問題も起きず、厄介事が外部から持ち込まれることもありません。皆なんとなく幸せでした。取り立てて良いことあったわけではないのですが、朝起きて隣人と挨拶するだけでお腹が暖かくなるような幸せ気分に包まれるのです。
     浮ついた気分が村を覆うなか、立香は少しばかり浮かない顔をしていました。人に聞かれてもはぐらかしていましたが、誰も見ていないところではため息をつかずにおられませんでした。自分でも何がそんなにつまらないのか自覚していないのですが、何となく道満の姿を暫く見ていないことが原因ではないかと思っていました。

    ――私にとって道満は茶飲み友達……お菓子を持って来てくれる人。お菓子がないから寂しい……のかな?

     正しいような、そうでもないような。つらつら物思いにふけり、立香は項垂れるのでした。

     一方そのころ、魔法使いは一人の若者をかどわかしている最中でした。

    ――ンンンソンンン……白雪の姫を妻に迎えた王子の母親と従妹の関係にある貴族の娘が隣国の辺境伯の第六子と結ばれて生んだ二番目の息子……五月蠅い親族の関心も専ら身近な者に向けられており、身分の割に気苦労は少なく本人の性質も良好で見目も悪くなく(拙僧ほどではありませんが!)、健康で善良な貴族には珍しい気質の持ち主で女癖も悪くなく、財産はそれなりで即座に使い潰すほどの浪費癖もなく、借金も面倒な貸し借りもなし。なんという良物件……これで満足出来ぬ女子は地獄に落ちても文句は言えませぬな……ええ、ええ、拙僧とは大違い! しかし構いませぬ、拙僧は地獄に落とす方の側、昏き窖より誘う辺獄の使者なれば!

     等と、頭の中では色々と考えてはいるのですが、どうにも気分が優れません。
     道に迷ったと思い込んでいる若者は疲れた様子ですが、理性を低下させる術の効果で奇妙な風体の魔法使いを親切な案内人と思い込んでおり、ぼんやりとした目には安堵が浮かんでいます。そのへらへらした雰囲気が道満をまた苛立たせるのでした。

    ――拙僧は何を迷っておるのです……!? 国中から苦労して探し出した優良物件、これぞ立香と娶せるに相応しき若者と判断したのではありませぬか!

     考えれば考えるほど苛立ちは激しくなっていきます。
     道満は奥歯を噛みしめて呻きました。

    ――立香が幸せになり、彼奴の忌まわしき呪いが解けた暁には、我が術の深奥を以て立香をいたぶり尽くして屠ってやりましょうぞ!

     秋の午後、村外れの水車小屋の前で力尽きたのは整った凛々しい顔立ちの若者でした。着ているものは上等で、明らかに只者ではありません。
     若者を発見した立香は肩を貸して彼を水車小屋のベッドに横たえ、おじいさんと二人で介抱しました。
     若者はじきに目を覚まし、立香の顔をじっと見つめて尋ねます。
    「貴方が助けて下さったのですか? どうか名前を教えてください、太陽のようなお嬢さん」
     若者が少女に恋をしてしまったのは一目瞭然。おじいさんも浮かれ心地で若い二人の恋を応援しようと立ち上がり、何かの気配を察知したお鶴さんは金色のけぶる絹糸で布地を織ろうと思い立ち……。
     そして驚く立香はひとまず気を落ち着けようとコップの水を含みます。魔法使いがそこに愛の秘薬を一滴、垂らしていたとは知らずに。
     最後に窓の外からこの喜劇を見守っていた魔法使いは村全体に理性を揺さぶる術をかけると踵を返しました。彼にしては珍しいことでしたが、この先を見たくないと強く思ったのです。

    ――不快。実に、実に不愉快ですなぁ!

     自分でも何がそんなに腹に据えかねるのか分からないまま、道満は山道に落ちていた小枝を踏みつぶし、粉々になるまで踵を擦りつけました。
     目的は達した筈です。村全体が幸福な気分に包まれ、立香は申し分のない恋人に出会い、さぞ浮ついているでしょう。このまま順調にいけば、自分にかけられた呪いは解けるに違いありません。

    ――彼奴に一泡吹かせねばなりませぬな。さて、狂瀾怒濤の悪霊左府、暗黒太陽の臨界を以て彼奴の守る全てを灰塵に帰してくれようか。それとも……

     以前なら、こんな風に考えていれば楽しくてたまらなかった筈なのです。しかし今は、彼の心を覆う鈍い不快感はちっとも軽減されませんでした。
     舌打ちし、唇を噛みます。
     立香が憎い、と思いました。憎くて憎くて、簡単に殺してやるのでは釣り合わないと思いました。もっと、死してなお苦しむような呪詛を編み上げなくては。未来永劫、その輝く魂が濁り腐り落ちるような……


     彼が昏い思考の淵に沈みつつあった、その時。
    「――いた! 道満、道満助けて!」
     背後から投げつけられた声に道満は顔を上げ、そして紅葉の森に翻る鮮やかな金茶の髪を見出しました。
     立香が必死でこちらに駆け寄って来ます。息は乱れ、頬は紅潮し、それでも一心不乱に道満だけを見据えて走って来るのです。
    「りつか……? 一体何が――」
     少女の背後に視線を向けて、道満はぽかんと口を開けました。地響きを立てて走り寄るのは村人の集団、水車小屋の老人の姿もあれば、パン屋も糸紡ぎ職人の顔も見えます。そして先頭には道満がさらって来た貴族の若者。
    「立香さん、待って、立香さん! 幸せにしますから! 僕となら絶対に幸せになれますからぁ!」
     浮ついた言葉を放つ若者を振り返ることもせず、立香は叫びます。
    「もっと自分を大事にしてくださぁぁい! 一時の感情で人生決めたらロクなことになりませんからぁ!」
     村人たちも口々に叫びます。
    「立香、そんな勿体ないことを言わずに、とりあえず籍を入れちまえばこっちのもんじゃぞ! 悠々自適の生活が欲しくはないのか!」
    「立香さん、立香さん、立香さん、ウェディングドレスは必ず私が! 私が! ああ、花嫁衣装の妖精さんを呼ばねばなりません! ンンンッ、考えただけで興奮して息が……!」
    「安珍様、安珍様! 見つけましたわ! もう離れません! 私と一緒に地獄の炎すら越えて永遠の蜜月と参りましょう、安珍様!」
     何だか変なのが混ざっていた気がしましたが、気にしている暇はありません。立香が自分に向かってくる以上、あの混沌の群衆も自分のところへ来ます。
     本能的な恐怖を感じ、道満は素早く印を切り、禹歩を踏んで眠りの術を広範囲に展開しました。目に見えない手に引かれたように、一人また一人と村人たちが倒れていきます。そして最後の一人が寝息を立て始めたとき、その場に立っているのは道満と立香だけになったのでした。


     立香はまだ理性を揺さぶる術の下にありました。道満のコートを鷲掴みにし、子供のようにぐしぐしと鼻を啜って泣いています。
    「うぇぇ、怖かったよぉ……皆が変になっちゃって……結婚ってなに? こんな知らない人に言われても嬉しくないよぉ……」
     道満は困惑して立香を見下ろします。
    「立香はこの若者が好きではないのですか?」
     すると少女は涙をぽろぽろ零して首を振るのです。
    「好きも嫌いもないよ……さっき初めて会ったばっかりじゃん。でもいきなり訳分からないこと言い出す人は好きじゃないもん……」
     おかしい、と思いました。愛の秘薬の効果は絶大ですし、理性を揺さぶる術までかけたのです。これで上手くいかない筈はないのに、どうして立香は悲しそうに泣き続けるのでしょうか。
    「ひぐ、ひぐっ、……どうまん、行っちゃやだ。一緒にいてくれなきゃやだ。うわぁぁぁん!」
     道満は途方に暮れました。立香を幸せにしようとしたのに、目論見はパアどころかマイナスです。今の立香はどう見ても不幸な少女でした。
     すすり泣きから本格的な大泣きに移行した立香は道満のコートに顔を押しつけていたので、涙と鼻水で布地がしっとりしてきました。
    ――なりませぬぞ立香ァァ! 鼻水は、鼻水はァァ!
     等と絶叫する自分も心の中にはいたりもしたのですが、不思議と道満の心は穏やかでした。
     立香が自分に追いすがって泣きじゃくっている。あれだけお膳立てしたにも関わらず彼女に恋の魔法はかかることがなく、困惑して子供のように泣いている。
     何と良い眺めだろうかと道満は思いました。何故か顔が自然に笑ってしまいます。不快な重みは吹き飛び、今はただ痛快な気分です。
     立香の頭に手を置き、道満は機嫌よく言います。
    「大丈夫ですよ、立香。儂はどこにも行きませぬ故。何ならこの村に棲みつこうと思うておるのですから」
    「……ほんと!? 嬉しい!」
     通り雨が過ぎ去るように立香が満面の笑みを浮かべて道満を見上げてきます。その明るい表情を見たとき、道満の胸の奥で臓腑が切なく収縮したのですが、彼はそれが何なのか、結局理解出来ませんでした。


     そして、言葉通り道満は村に棲みつきました。
     村には今まで本職の魔法使いは居なかったので、皆は魔法の達人が引っ越してきてくれたことをたいそう喜びました。
     あの日のことは、皆あまりよく覚えていませんでした。たぶん妖精の魔法にでもあてられたんだろうということになり、それきりです。貴族の若者も元気に立ち去り、真実を知るのは道満ただ一人でした。
     今日も道満は立香とのお茶を楽しもうと、手作りの菓子を包んで土産に持っていきます。今日のカップケーキは特別製です。だってその内の一つには呪いがたっぷりと振りかけてあるのですから。

    ――今日こそは、あの小娘に我が術の秘伝を駆使した呪いを見せねば!

     まったく酷い考えでしたが、そうしているのは幸せでした。たとえ自分にかけられた呪いが解けなくても、道満は今の時間を楽しみ出していたのです。

    ――立香がそう易々と幸せになってくれないというのであれば、拙僧が付きっきりで面倒をみてやるしかありませぬなぁ!

     そうして時折呪ってみようとしたり、自分にかかっている呪いを回避する方法を考えたりと、道満の日々は田舎の村でも存外充実したものになったのでした。



     道満は大変に力のある魔法使いでしたが、ひとつだけ見落としていることがありました。
     彼の用いた恋に落ちる魔法。あれは既に心に想う者がいる人には効き目がないのです。立香が誰を特別に想っているのか、すこし考えれば分かりそうなものでしたが、うっかりと道満は気付き損ねています。
     二人の気持ちが通い合うまでには、まだまだ時間がかかりそうなのでした。
     
    おしまい。
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    NWarabee

    DONE辺獄にも星は輝く1開催おめでとうございます!
    カルデアのアルターエゴ道満と立香と棒菓子のちょっとほのぼのした(?)リンぐだ♀
    お互いに好意を向け合ってるけど気付いてない絆8
    明日後編も上げられたらいいな。 →後編上げましたぞ!
    49【完成】「さあマスタァ、ここから一本取って下され」
     マイルームに戻るなり黒っぽい細棒を突き出され、藤丸立香は目を白黒させた。彼女の驚愕を愉しげに見守りながら、マイルームに待機していた蘆屋道満は唇をさらに引き上げて微笑みつつ宣う。
    「一本で十分ですぞ。昨今は二本取る流派もあると聞き及んでおりますが、拙僧一本取りのすたいるなれば!」
     何を言っているのか分からない。立香は口を開きかけ、疑問を放つ直前で止めた。
     アルターエゴ・蘆屋道満は酷くひねくれたサーヴァントだ。直接疑問をぶつけても、のらくらと躱されてしまう。彼とまともに問答するにはコツがあると立香は学習済みだった。
     道満の差し出す細棒に視線を落とす。
     一見黒いが茶褐色にも見える棒が数十本、長さは大体どれも同じ。持ち手がやたらと大きいので小さく見えるが、30cmは優に超えるだろう。装飾のないシンプルな形状は小学生時代、図工で使った竹ひごを思い起こさせた。道満はそれを扇形に広げるようにして持っている。
    10955

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