RGBひとりじめ!「道満、光の三原色って知ってる?」
カルデアの一隅、かつて平安京にレイシフトしたときに体験した屋敷によく似た内装に改造された彼の部屋を訪れ、藤丸立香は開口一番尋ねる。対する道満はひどく饒舌に言葉を返して寄こした。
「勿論、存じておりますとも。現代光学、あるいは神経工学で扱われる領分でございますな。赤、緑、青の三色を用いることで人の感ずるおよそ全ての色彩を表現可能になるという。ところで、何故その三色なのかマイマスターはご存知で?」
そういえば知らないと答えれば、彼はわざとらしく眉をひそめ「いけません」と繰り返した。
「ンンンンン、いけませんねぇ。ご自身の肉体の働きです。今を生きる貴方が有しておくべき知識でしょう。ンン、よろしい。それでは僭越ながら拙僧が解説して差し上げる。……人の眼球の裏側、網膜と呼ばれる部分には特定の波長の光を感受する細胞、その名も視覚細胞がございます。これらは太陽光に含まれる特定の成分に強く反応し、刺激を神経に伝えます。そしてなんと! その特定の成分こそ、赤・青・緑に対応する領域に存在するものなのです。現実の光はより複雑な組み合わせから出来ておりますが、貴方の頭蓋骨に包まれた愛らしい脳は代表的な三種類の刺激を器用に利用し、貴方が感ずるところの「色」を作り出しているというわけですな。嗚呼、人体とは何たる神秘の源でしょうや!」
道満は人体の話になると大変に生き生きする。しかもわざとやっているのではなく、いつもの悪役陰陽師らしさが後退し、少年のように心底興味深く楽しげに瞳を輝かせるからタチが悪い。
立香は道満が大仰な動きで演説する一部始終を眺めていたが、最後に道満がとびきりの笑顔を向けてくると、負けじと輝くような笑顔で返した。
「御託はいい、蘆屋道満。でも、解説ありがと。勉強になったよ」
「ンフ、それは何より」
「それでさ、私が何を言いたいか、もちろん分かるよね?」
「ンンン? はて、さて」
ずい、と立香は身を乗り出す。
「私のチョコレート返して?」
「ちょこれいと。いえいえ、左様なものは……」
「誤魔化さなくていいよ。キミが持ってるのに間違いないって、玉藻の前とジェロニモさんとキルケーが言ってたから」
古今東西の魔術師たちの名前を出されると、道満はそれ以上反論する気をなくしたらしく、喉を逸らして高らかに笑った。
「あっはははァ、流石ですな。ええ、ええ、かのチョコレートでしたら、拙僧の胃の腑の中に……」
立香はさらに道満に近寄り、言葉を遮った。
「まだ食べてないよね? それは私にもわかるよ」
黒曜石に似た瞳が細められ、立香を見据える。奥深いところで赤黒い炎がちらついた。
「ほほう、断定ですか。判断の理由をお話いただいても?」
頷き、立香も半眼になる。
「だってさ、キミの目的はチョコレートを食べることじゃないもの。私から大事なものを取り上げて、困ってるのを見たいだけでしょ? 探し物がとっくに食べられたって信じ込んで、私がパニックしてたらすごく愉快じゃない? それで、後で私の顔を思い出しながら隠しておいたチョコをバリバリ食べるの」
改めて考えると自意識過剰とも取られかねない内容だったが、立香はこの際無視することにした。今は真実の究明が第一だ。
「ンン…ンンンー」
道満は唸ったが、そこに否定の色合いはなかった。やがて彼は観念とも満足とも言えぬ表情で微笑む。
「流石ですな、マイマスター。確かに拙僧、チョコレートを三つほど持ち合わせでございます。それ、この通り」
ポポン、と軽快な音とともに現れたのは赤青緑のリボンでラッピングされたハート形のチョコレート。彼の巨大な手のひらの上では小さく見えるが、食べ応えのあるボックスだ。
自分で消費してはいないだろうとは思っていたが、実物を確認すると安堵で自然とため息が出る。
「はぁ、残っててよかったよ。さ、それ返して」
「嫌でございます」
即返って来た言葉に、立香は口をへの字に曲げた。
「何でさ」
不機嫌に尋ねれば、彼は被っていた猫を放り捨て、恨めしそうにこちらを覗き込んできた。
「分からぬと仰せですか。それとも、揶揄っておられるので? いえいえ、マイマスタァ、貴方は拙僧の心の裡が分からぬほど愚かではありますまい」
「いや、そりゃ、理由の想像はつくけどさ……キミ以外に特別なチョコレートを渡すのが嫌なんでしょう?」
道満はひどく不機嫌そうに唸った。積極的な肯定ではないが、否定しないということは正解と考えて構わないらしい。
「立香、よろしいですかな? 当世におけるバレンタインデーとは、互いに思い合う男女がチョコレートを交換する日。勿論ここはカルデア、人理を救うべく数多の英雄が集いし拠点なれば、義理堅い貴方が贈るチョコレートの数も優に百を超えることに異論はありませぬ。ですが、この特別なチョコレート、それだけは……いけませんねぇ、拙僧以外の者に渡そう、等と。ねぇ立香、儂が耐えられるとお思いですか? 毎周期、常にバレンタインデーの日は、貴方を害したい肉体が捩り切れるような呪いをかけて我が手で捻り潰してやりたい……と思って暮らしておるのです。今まで耐えられたのは、貴方の特別なチョコレートが儂一人のものであったから。それなのに、今年は特別なチョコレートを儂には寄越さぬという。嗚呼、呪わしく、忌まわしきバレンタイン! これが裏切りでなくて何でしょうや!?」
裏切りじゃないよと立香は懸命に反論した。
「だって、バレンタインイベントなんだから、絆と攻撃力ボーナス付きのサーヴァントにあげたいじゃん! 道満、もう全部マックスなんだもん!」
そう、このカルデアの蘆屋道満はレベル120、アペンドスキルを含む全スキルレベル10、ステータス強化2000、コマンドカードも完全強化済み。おまけに宝具レベル10、絆もレベル15に到達して久しい。
「えぇ、ええ、拙僧の成長に多大なリソースを割いていただき、感謝しておりますぞ。しかしです、真の愛とは損得に関わらず、何の利益も得られずとも与え分かち合うもの。たかが絆特攻、何するものぞ! どうせ貴方の周回数では絆レベルが1上がるかどうかだというのに!」
「し、真の愛とか関係ないから! 最近周回の時間があんまり取れないから、少しでも育成の足しにしたいの!」
「等と、云いつつ、このメンバーは何ですか! 赤のチョコレートは巌窟王モンテ・クリスト殿、絆特攻対象外ですぞ!」
「来てくれたばっかりだし、イベントメンバーにもなりそうにないから! 今が絆の稼ぎ時なの!」
「青いチョコレートは紫式部殿……」
「式部さんは攻撃力ボーナスも付いてるし、最高効率がアサシンだから一緒に周回したくて……」
「緑のチョコレートは刑部姫殿……」
「いつもお世話になってるから、せっかくのボーナスチャンスだし、親睦を深めようと思ってるの!」
道満の白い額にピクリと青筋が浮かぶのが見えた。
「ンッ、ンンンンンン! この、浮気者! 絆など普段からオーディールコールを巡っていれば、どうとでもなるではありませぬか! 星見の茶も最近は在庫が潤沢でしょう? いま焦る必要なぞないではありませぬか! 拙僧が全て頂いても良いのでは?」
「ダメー! せっかくのボーナスなんだから使いたい! 使わないなんて勿体なくてムリ!!」
「えぇ、えぇ、分かりました。そのように低俗な要求でしたら断らせていただきます。たかが焼け石に水の絆ボーナス、それでしたら儂の心を満足させるのに使わせていただきましょう。おや、おや、どうしました、マイマスタァ? 立ち上がって、……ハハァ、令呪でも使われるおつもりで? ンンン、結構、所詮、拙僧は貴方にとって……」
「もう、うるさい!」
堪忍袋の緒が切れた立香は鋭く遮ると、そのまま彼の巨体に覆いかぶさるようにして唇を押し付けた。
漆黒の瞳が見開かれるのを確認し、立香は目を閉じる。軽く啄むように唇を何度かちょんちょんと重ね、最後に手触りの良い髪を指でかき分けて、額の中心に唇を落とす。
少し体を離すと、目を見開いたまま固まっている道満と視線がかち合った。
「あのね、特別なチョコレートはちゃんと用意してあるんだよ。藤丸立香から蘆屋道満へのチョコレート。黄色いリボンで飾った、キミ専用で何の効果もない、ただのチョコレート。……いらない?」
「…………要りまする」
「そう。なら、そのロックオンチョコは返してほしいな」
囁くように言えば、道満は大人しく三つのチョコを差し出してくる。これで一安心、とチョコを受け取るために手を伸ばしたとき、道満が低く尋ねてくる。
「いつ、いただけるので?」
「ふふ、イベントが終わるまで、我慢だよ? ちゃんと良い子に出来たらあげるね」
おもむろに逞しい腕が背中に回される。気付いた時にはぐいと引き寄せられ、上品な白檀の香る胸の中に抱え込まれていた。彼の香りが鼻いっぱいに広がり、どきまぎしていると、耳元で道満が甘く囁く。
「ええ、ええ、拙僧は待ちまする。良い子にしておりましょう。ですが、ねぇ、立香。拙僧は悪い子なのです。我慢するにも、まずは楽しいことがないと……ねぇ?」
そして頬をべろりと舐められた。
「ひぅ!?」
仰天して悲鳴を上げるのも構わず、彼はひとしきり立香の頬を舐めているのだかキスなのだか判然としない仕草で愛撫し、やがて満足そうに顔を離した。
「なななななにすんの!?」
立香が暴れると、彼はあっさりと手を離した。そしてにこりと笑う。
「少し、チョコレートの前菜を楽しみたく思いまして。ンフフ、黄色いチョコレート、マイマスタァの琥珀色のチョコレートが待ち遠しいですなぁ。さ、貴方は今日一日お忙しい身です。いってらっしゃいませ。そして問題が解決しましたら、拙僧に特別なチョコレートを渡しに来てくだされ」
道満は上機嫌だが有無を言わさず、立香を廊下に押し出した。
立香は茫然とし、それから苦情を申し立てようかとも思ったが、今日の予定を思い出して踏み止まった。無事に三色のロックオンチョコレートは回収できた。今はあまり食い下がるべきではない。
そう考えて歩き出す。
彼女はまだ気付いていない。頬に玉虫色と紅色のグラデーションで描かれたキスマークがしっかり浮かび上がっていることを。
蘆屋道満にマーキングされてしまったことを悟るのは、廊下の向こうに紫式部の姿を見つけた直後のことである。