花咲く頃に「折角なら、もう少し早くダアトに迷い込みたかった」
小さな、小さな少年の呟き。
アオガミでなければ気づけなかっただろうその言葉の意味を彼は理解する事が出来なかった。半身は何を考えているのだろうかと。
隣を歩く少年へ視線を向ければ、彼の視線は頭上へと向けられていた。つられるように顔を上げたアオガミは先ほどの発言の意図を理解するのである。
「桜か」
「うん」
橙色から宵闇に飲み込まれつつある空の下、風によりゆっくりと揺れる緑は桜の葉。品川区も多数の桜の木が植えられている地域であり、名の知られた公園や施設も複数存在する。いずれも見頃は三月下旬から四月中旬。――即ち、アオガミと少年が出逢うすこし前の頃であった。
「ツツジは咲いてるけどね」
「そのようだ。それに、もう少しでサツキの花が見頃になるだろう」
「ツツジじゃなくてサツキ?」
「君が身に纏っている花だ。是非、実物を見てみたい」
「……そっか」
アオガミへと視線を向けた少年は微かに微笑む。夕焼けの中、白い頬が僅かに赤らんでいる様に気づいたアオガミはふと己が神造魔人である事実に感謝をするのであった。
己の耳だからこそ、少年の小さな声を聞き取れる。
己の目だからこそ、少年の小さな変化を見逃さない。
己だからこそ――あの時、少年を救えたのだと。
「アオガミ」
大きく数歩前へ前進し、アオガミの目前へと躍り出た少年は右手を差し出す。
「来年の春、一緒に桜を見よう」
「ああ」
躊躇うことなく少年の手を取り、アオガミは頷くのであった。