「逃げねぇの?」
「逃げた所で見逃してくれるのか?」
「それは断る。」
噛み合っているのか噛み合っていないのか分からない会話しか出来ていない。ケンの機嫌も悪いようには見えないが腕を掴む力はかなり強い。きっと後が残ってしまうだろうな、と目を一瞬やったがその目線をそらしたことにさえ気に食わない様子だった。
一体どうしたのかと聞けたらいいのだが喋ろうとすると口を閉じられる。これではまるで餌やりされている雛のようだった。
いや…雛は、餌を求めて鳴いて与えられているのだからこの場合一方的だと言っても誰も責めはしないだろう。ケンの腹を膝で押すが体重を掛けられてそのまま足を開かされる。それ以上は開くようになっていないというのに、無理矢理開かせて体をピッタリと密着させながら体を弄り始めた。
「お…い、ケンッ」
「んー」
「そんな…気分じゃない」
「お前がそうでも俺にはあるんだよ」
「…随分、勝手だな」
「そうだよ、だからこれはレイプみたいなもんだな。」
同意の無い性行為、と聞いて眉をひそめた。
リュウが手で強くケンの肩を掴み、退かそうとしてもそれ以上の力で押さえ付けてくる。
また何か考え込んで、発散でもしようとしているのだろうか。
この行為自体まだあまり慣れている訳じゃない。…昔から、こんなのばかりだった。普段と違う雰囲気を纏わせて近づくなと言わんばかりの態度をする癖に自分からは近付いてくるのだ。
唇は噛まれ、首元にも跡をつけられ、体を開かされる。
それ自体は嫌じゃなかった。愛おしそうに、泣きながら抱き締めて好きだと言われて唇を合わせる方が多かったのだ。未熟ながらそれが幸せだと、感じていたのも事実。
ただケンが時折力任せに掻き抱く時があった、それは自分が我慢をすればいいだけで、苦痛を苦痛とも思わないようにすれば大したことはなかった。
それをケンがどう思っているのかは知らない。
悲しそうな顔をしたり、何か他のことを考えているような虚ろな目をしている。
リュウには、それをどうにかしようという気持ちがあっても手段が無かった。感情の発散が出来ていない時、手合わせも修行も会話も拒んでしまう相手に何をすれば良いのか分からなかったから。
「ケン、お前が何をしたいのか俺には分からない。」
「見りゃわかるだろ」
「…違うな。ケンがしたい事は、これじゃないだろう。」
「分かったような事言うなよ。」
「それはお互い様だ。」
喧嘩だけで済むのならいい。
ケンのことを思うのならばこのまま流されてはいけない。昔からすぐに喧嘩腰になりやすい性格なのかこうしてピシャリと言い返すと途端に機嫌がさらに悪くなる。何をしたって、言ったってこうなるのだからリュウは困り果てるばかりだった。
「もう、やめよう。何を考えてるのか知らないが風呂に入ってくるといい。いつでも入れるようにしてある。」
いい加減離れなければ。
起き上がり、かなり無理矢理ケンの下から這い出る。
いつもは聞き取れない程の話を投げかけてくるケンが黙ったままでいる時は妙に心地が悪い、というか不気味とはまでいかないが落ち着かない。
まるで
「俺がそんなに怖いのか?」
「…。」
腹の底が見えない、それは誰だってそうだ。
ただ相手がケンとなるとまた違う。
家族と同等なほどの時間を過ごし、誰よりも知っている相手だからこそ知らないものを見せられたときの、違和感。
言葉ではっきりと怖いのかと問われると、頷くしか無いのだろう。
「リュウ、お前だけがいい子で居られるとやりにくいぜ。」
「…何?」
「そうやって俺から逃げて、いつもに戻る時お前いつも安心した顔をするよな。…それはずるいだろ。」
「ケン…?」
「本当に俺だけが悪いのか?俺が勝手に抱くから、それをお前は受け入れるしかない。そうとでも、言いたげだな。」
「違う、そういう訳じゃない、俺が言いたいのは」
強い言葉の反面、ケンの顔は薄い笑みを浮かべている。
ただ瞳だけは力強く此方を見つめていた。
「…もう、昔のままでいられる訳じゃない。無邪気でいられたのはガキの頃だけだ。」
言葉が出て来ない自分の代わりの様に、ケンが小さく話し出す。そんな事をケンから言わせたい訳じゃないのに、リュウにはどう説明してやればいいのか分からないことだらけだ。
「そんな…ことは…」
「何をそんなに不安がってるんだ、不安がる事なんて何も…もう無いだろ…。」
人生の経験、というにはあまりにも重過ぎる経験ばかりしてきた。それも強さを求めるが故。
自分のこの身に染み込んだ経験が今の自分の姿を作り上げたのだ。だからこそこれからの出来事にだって挑んでいくつもりであって、リュウにはそれだけで良かった。
ケンはこれ以上何を求めているのか分からない。
…分からない、そんな言葉だけで納得させられる訳が無い。逃げているのは自分だった。
「なぁ、リュウ…。」
先程とは違う、優しい声。
いつものケンだ。
ただもう顔をあげられない。
「別に拳を交わさなくたって俺達は、」
「…あ…。」
「言葉だけじゃなくてもいい、セックスだってコミュニケーションなんだぜ。」
「ケ、ンッ…」
「だから」
…俺から逃げないでくれ。
耳元で小さく囁かれる。
畳の上に再び押し倒された衝撃に意識など一切行かなかった。ケンの背中を撫で今にも泣きそうな、体の大きさに追いつけていない子供を慰めるように抱き締めた。