Buddy「ラーハルト、見てくれ」
呼ばれた男は、ダイニングに向かって「今行く」と呟いた。
最後のクロケットにパン粉をまぶし、鍋の火加減を調節する。
「女王、D6、僧正を取る。どう思う?」
ヒュンケルの弾んだ声に、ラーハルトは粉だらけの両手を振りつつキッチンから出てきた。
「相手のレベルは?」
エプロンで両手を拭い、魔法のチェス盤を覗き込む。
「階級はビギナー、妖魔系モンスター、対戦履歴は十五回」
と、ヒュンケルがステータスを読み上げる。
「嘘だな」
ざっと棋譜を見返して、ラーハルトが鼻を鳴らす。
「少なくともベテランだ」
地上から魔界までを接続する、チェスプレイヤーの通信魔法。
どんな天才が構築したやら、今や魔界を中心に大流行中だ。
ランダムに発生する見知らぬ相手との対戦に、二人ともすっかり夢中になっている。
「分かってる。油断できない」
盤面を睨みながら、ヒュンケルが同意する。
「大魔王記念杯開催が近いから、皆点数稼ぎに必死だ。だがこっちも、そう簡単には敗けないぞ」
今回の相手は『睡眠不足の妖魔学生』。
ふざけたチーム名だが、明らかに名手だ。
対するヒュンケル・ラーハルト組、その名も『トカゲとゾンビ』は追い込まれていたが、徐々に挽回。
ラーハルトと協力して、遂に逆転に成功した。
が、あと一歩で勝利と言うところで、二人とも黙り込んだ。
数十秒、戦局を見渡す。
弱火にかけたままの鍋料理が、ことこととリズムを刻んでいる。
「……騎士でセントラリゼーション」と、ラーハルトが呟く。
「兵士のプロモーションは?」ヒュンケルが聞き返す。
「ステイルメイトの危険が」
「女王ではなく僧正に昇格させれば」
「相手の罠かも知れない、よく考えろ」
「考えたさ。俺はプロモーションを選ぶ」
その後、たった数手。
見事にステイルメイトに持ちこまれてしまった。
優勢だったのに、引き分けだ。獲得ポイントは半減。
『またのご参加をお待ちしています』
カラフルなGAME OVER、の文字が点滅する。
毒消し草の陽気な広告が流れたのち、ぷつんと静かになった。
「……」
「……だから言っただろう」
と、ラーハルトのため息。
言い返す言葉もなく、ヒュンケルは頬を膨らませる。
「まだだ。まだ時間はある。あと数百ポイント勝ち越せば、オリハルコン・クラスに昇級なんだ。シード権を取れる」
再度、試合を立ち上げて相手を探すヒュンケルの肩に、ラーハルトが顎を乗せる。
「次は俺の言うことを聞け」
「うるさい。二度とミスはしない」
不機嫌な相棒の頬に、ラーハルトは軽いキスを落とす。
「間違いを犯すから人間なんだ、ヒュンケル。お前も、俺も」
珍しい台詞を吐いた。
ヒュンケルは横目でラーハルトを見る。
しばし考え、ゲームに視線を戻す。
「――今度は二人で勝つ。付き合え」
元・孤高の戦士の要求に、ラーハルトはハミングで答える。
「晩飯までだからな」
「わかってるって」
とろけるような煮込み肉の湯気が、キッチンから漂ってきた。